第四話 男装の幼女、街へ繰り出す
私は、毎日、三姉妹の魔力肩代わりをこなした。
最初の日に絨毯に崩れたあの感覚は、二日目はもう少しマシになり、三日目にはなんとか自力で立てるようになり、一週間目には、ほぼ平気になった。
——魔力の器が、大きくなってる。
私は、自分の身体の変化を、はっきりと感じていた。
リリアが元々持っていた魔力量は、たぶん、平均的な平民の半分くらい。
それが、三人分の貴族令嬢の魔力税を肩代わりするうちに、どんどん広がっていく。
——筋肉痛と、同じ。
——壊れた繊維が、修復するときに、太くなる。
——魔力も、同じ。
しかも、私は、健康だった。
リリアの身体は、もともと、頑丈だった。
病弱な妹リアナと違って、五歳児にしては、骨太で、体力もあった。
これは、魔力肩代わりの仕事には、致命的な「天才性」だった。
——他の奉公人なら、半年で死ぬ仕事。
——私なら、たぶん、五年は持つ。
——いや、十年でも。
——その間に。
——私は、私の事務所を作る。
私は、地下の奉公人棟の壁に、こっそり、計画を書いていた。
炭の欠片で、細かく、誰にも読めないように、日本語の漢字で。
「事務所 設立まで 五年」
「初期資金 月銀貨三枚×六十回 =銀貨百八十枚」
「初代タレント オーレリアン」
「拡張 歌姫 舞踊 俳優 モデル」
「最終目標 世界一の芸能事務所」
——うん。
——夢は、大きく。
そして、夢を実現するためには、今すぐ動かなければならなかった。
なぜなら——
「オーレリアン、最近、変じゃない?」
ある夜、いつものように地下牢を訪れた私は、鉄格子越しに、彼の頬を見て、息を呑んだ。
「痩せた」
「……いつも通りだ」
「ううん、絶対痩せた。前会った時より、頬骨が出てる。ご飯、ちゃんと食べてる?」
「……二日に一度、固いパンが来る」
「……二日に一度?」
私の声が、低くなった。
オーレリアンは、無関心な目で、肩をすくめた。
「不死鳥の身体は、人間の何倍も食う。だが、侯爵は俺を生かしておく気はあるが、肥らせる気はないらしい」
——ふざけんな。
私は、心の中で、絶叫した。
——私の推しを、二日に一度の固いパンで、痩せ細らせるなんて、絶対、許せない。
「待ってて、オーレリアン。私、どうにかする」
「どうにか、とは?」
「ちゃんとした、ご飯を、持ってくる」
「お前にそんな金は——」
「稼ぐの」
私は、にやり、と笑った。
「だって、私、推し活オタクだから。推しのご飯代を稼ぐくらい、朝飯前」
そう。
推しの食費を稼ぐためには、副業が必要だった。
そして、副業のためには——
夜中に、屋敷を抜け出さなければならなかった。
◆
幸い、私には、いくつかの強みがあった。
ひとつ、五歳児の小さな身体は、塀の裏の崩れた排水口を、潜り抜けられる。
ふたつ、奉公人棟の隣の物置から、男物の古着を盗むことができた。
みっつ、私の髪は短く、栄養不足で痩せていたから、汚れと帽子で、簡単に少年に変装できた。
そして、よっつ。
私には、前世二十八年間で培った——
「サブカル全般の知識」
があった。
◆
夜半。
私は、男装した。
ぶかぶかの茶色いシャツ。
継ぎ接ぎだらけの短パン。
頭には汚れた毛糸の帽子。
顔には、わざと土をなすりつけた。
鏡の代わりに、奉公人棟の窓ガラスに姿を映してみる。
——うん、完璧。
——どこからどう見ても、貧民街の男の子。
私は、口の中で、声色を作る練習もした。
五歳児の女の子の声を、ちょっと低く、ちょっとぶっきらぼうに、八歳くらいの男の子の声に。
「あー、あー、おじさん、これ買ってくれよ」
——よし。
——いける。
私は、排水口から塀の外に出た。
夜のエトワール王国。
モンフォール侯爵家のある貴族街は、しんと静まり返っていたが、坂を下った先にある下町は、まだ煌々と明るかった。
——うわあ……。
私は、思わず、立ち止まった。
下町は、想像以上に、生きていた。
居酒屋の灯り。
道端の屋台。
酔っ払いの大声。
娼婦らしき女性たちの嬌声。
路地裏で投げサイコロをする労働者たち。
そして——
——音楽。
そこかしこで、音楽が、鳴っていた。
下手くそな笛。
古ぼけたリュート。
酔っ払いの合唱。
女の悲鳴のような流行歌。
——え、ちょっと待って。
私は、絶句した。
——音楽の、レベルが、低すぎる。
リリアの記憶でも知っていたけれど、エトワール王国の庶民音楽は、お世辞にも上等とは言えなかった。
楽器は安物。
楽譜の概念は曖昧。
歌い手は喉を潰した中年男ばかり。
そして、女性が人前で歌うのは、娼婦の仕事と同じだと思われている。
——なるほどね。
——「娯楽が、ない」って、そういうことか。
——いや、ある。
——あるけど、レベルが、低い。
これは、推し活オタクとしては、非常に好都合だった。
——だって。
——前世の知識を活用した私が、ここで歌えば。
——もしかして、目立つどころか、街の伝説になれる、かも?
私の口元に、にやり、と、悪い笑みが浮かんだ。
◆
私は、人通りのある広場の隅に、立った。
さらに、足元に、空き缶を置いた。
(ちゃんと、屋敷の裏でこっそり拾ってきた)
そして、深く、息を、吸い込んだ。
「♪ ——」
歌い始めたのは、前世の歌だった。
ただし、エトワール王国の言葉に、歌詞を翻訳して。
韻も踏んで。
選んだのは、PRODUCEシリーズの、私の推し、ジュンくんのデビュー曲。
『——ぼくを、見つけてくれて、ありがとう』
死ぬ間際まで聞いていた、あの歌。
私の魂に、永遠に刻まれた、あの歌。
それを、今、エトワール王国の言葉で、五歳の少年(の振り)として、街角で歌う。
最初の数小節。
通りすがりの誰も、私を見なかった。
でも。
私は、歌い続けた。
だって、歌うこと自体が、私の魂のリハビリだったから。
二十八年間、推しを推して。
五年間、妾腹の幼女として虐げられて。
三週間、貴族令嬢の道具として魔力を削って。
そんな全部の鬱憤を、私は、歌に、注ぎ込んだ。
そして——
五小節目あたりで、変化が、起きた。
ひとり。
ふたり。
酔っ払いが、立ち止まった。
「……なんだ、この歌」
「聞いたこと、ねえな」
「ガキが、歌ってるぞ」
人垣が、できた。
小さな、けれど、確かな、人垣が。
私は、サビを、思い切り、放った。
『——ぼくを、見つけて、ぼくを、見つけて、ありがとう』
歌い終わった時、空き缶には、銅貨が、四枚、転がっていた。
そして、人垣の一番後ろから、ひとりの男が、私を、じっと見ていた。
油まみれの作業着。
眼鏡の奥の、鋭い目。
肩に、革の道具袋。
——職人?
男は、ゆっくりと、私のところまで歩いてきた。
そして、しゃがみ込んで、目線を合わせた。
「坊主」
声は、ガラガラに、しゃがれていた。
「お前、その歌、どこで覚えた」
「……自分で、作った」
「嘘をつくな。そんな旋律、この国の作曲家に、ひとりも書けねえ。お前、何者だ」
私は、慎重に、男を観察した。
——危険? 安全?
——どっち?
オタク歴二十八年の眼力が、判定する。
——たぶん、安全。
——っていうか、これは、職人。
——しかも、たぶん、私が探していた——
「おじさん」
私は、男に、にっこり笑った。
「おじさんは、何の、職人?」
男は、しばらく、私を見つめてから、ぼそりと答えた。
「魔石、職人だ」
——きた。
私の心の中で、ファンファーレが、鳴った。
「魔石職人、ね」
私は、空き缶の銅貨を、ジャラ、と、揺らした。
「おじさん、ちょっと、相談があるんだけど。聞いてくれない?」
「……何の、相談だ」
「私……いや、僕、新しい魔石を、作りたいんだ」
私は、声を、潜めた。
「歌う声を、大きくする魔石。それも、誰でも持てるくらい、小さい奴」
魔石職人の男は、眼鏡の奥の目を、見開いた。
そして——
「面白い」
低く、唸るように、言った。
「面白い、坊主。ついて来な。仕事場、見せてやる」
私は、立ち上がって、空き缶を握り、男の後を、追った。
——よし。
——拡声魔石、第一歩。
夜のエトワール王国の路地裏に、私の小さな足音が、追いかけていった。
——待ってて、オーレリアン。
——待ってて、リアナ。
——私、絶対、稼ぐから。
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