第三話 モンフォール侯爵家、三姉妹
朝。
地下の奉公人棟に差し込む光は、本邸の使用人が運んできた、貧しい蝋燭の明かりだけだった。
「起きろ。朝食じゃ」
私たちの前に、薄い麦粥の入った木椀と、固いパンの欠片が置かれた。
私は、椀を受け取りながら、隣に座る最年長の少女に、にっこりと笑いかけた。
「おはようございます。私、リリアです。あなたのお名前、聞いてもいいですか?」
少女は、麦粥をすすりながら、ちらりと私を見た。
「……マリカ」
「マリカさん。よろしくお願いします」
「……名前なんて、覚えなくていいわよ。半年もすれば、半分はいなくなるから」
——いなくなる、ね。
私は、その単語の意味を、ちゃんと理解した。
死ぬ、ということだ。
肩代わりで魔力を使い果たして、衰弱して、死ぬ。
「では、半年後も生きている人の名前は、しっかり覚えますね」
「……あんた、変な子ね」
——うん、知ってる。
——昨日、別の人にも言われた。
私は、麦粥を一気に飲み干した。
味は、はっきり言ってひどかった。
塩気もなく、麦の粒は半生で、舌の上でジャリジャリした。
でも、これが、私の燃料だ。
リアナを迎えに行くための。
オーレリアンを世に出すための。
——食べるしか、ない。
◆
朝食が終わると、使用人頭が地下に降りてきた。
「リリア・ベルナール。本日より、お嬢様方の魔力肩代わりに就いてもらう。今すぐ、本邸に来い」
私は、立ち上がった。
他の少女たちは、誰も、私の方を見なかった。
「行ってきます」
私が小さく挨拶しても、返事はなかった。
——別に、いいよ。
——いつか、私が、この子たちにも何かしてあげる日が来るから。
地下の階段を上り、裏庭を抜け、本邸の裏口から入る。
昨日とは違う廊下を抜けて、案内されたのは、二階の——
「奥様の私室の隣、お嬢様方のお茶の間じゃ」
——えっ、令嬢のお茶会の部屋?
ゴージャスな両開きの扉が、開かれた。
天井には、シャンデリア。
壁には、淡いピンクの薔薇模様の壁紙。
床には、ふかふかの絨毯。
中央のテーブルには、銀のティーセットと、三段重ねの菓子皿。
そして、テーブルを囲んで——
三人の、令嬢が、座っていた。
「あら、新入りね」
最初に口を開いたのは、長女だった。
たぶん、十七歳くらい。
プラチナブロンドの巻き髪を高く結い上げ、深い紫のドレス。
顔立ちは整っているが、口元に浮かぶ笑みが、いかにも貴族的に冷ややかだった。
——うん、顔はいい。
——でも、目つきが嫌い。
私は、瞬時に判定を下した。
「あなたが、私たちの新しい『道具』ね。名前は?」
「リリアと申します。本日より、お世話になります」
私は、教えられた通りに、深々と礼をした。
「お行儀は知ってるみたいね。妾腹って聞いたから、もっと薄汚いのが来ると思ってたわ」
これが、長女エレオノール。
モンフォール侯爵家の華。
社交界デビュー済みで、近々、王太子妃候補の選定にも名前が挙がるかもしれない、と噂されている。
ただし——魔力は、規定の十分の一しかない。
その隣で、退屈そうに紅茶を飲んでいるのが、次女マリエル。
十三歳。
くすんだブロンドのおさげ。
長女ほど派手ではないが、利発そうな鋭い目。
貴族院在学中。
こちらも、魔力は規定の三分の一。
そして、足をぶらぶらさせて、菓子を頬張っているのが、三女エルネスティーヌ。
十歳。
ピンクブロンドのふわふわの髪。
丸い顔に、不機嫌そうに尖った唇。
「ねえねえ、新入りー、わたしのお菓子、いる?」
「エルネスティーヌ、奉公人にお菓子を与えるなんてはしたないわ。やめなさい」
長女が、ぴしゃりと窘めた。
「えー、だってー」
「だって、ではないわ。さっさと魔石を出して、肩代わりを始めさせなさい」
——ああ、なるほど。
——構図が、見えた。
長女エレオノールは、家の名誉を背負った優等生で、奉公人を「道具」と呼ぶ典型的貴族令嬢。
次女マリエルは、姉を観察しているクールな分析家。
三女エルネスティーヌは、まだ幼くて純粋で、ある意味、唯一「人間」としての常識を持っている。
——これは、攻略可能。
二十八年間、職場の人間関係を泳いできたOLの嗅覚が、瞬時に判定した。
「では、お始めいたしますね」
私は、テーブルの上に置かれた三つの魔石を、見つめた。
魔石は、それぞれの令嬢の名前が刻まれた、青く光る、卵ほどの大きさの石。
ここに、私の魔力を注ぎ込めば、それが本人の魔力税として神殿に納められる。
私は、最初の魔石——エレオノール様の魔石に、両手を添えた。
「魔力、流します」
そして、目を閉じた。
リリアの記憶が、教えてくれる。
魔力の流し方。
身体の中央、お臍の少し下にある「魔力の器」を意識する。
そこから、温かい液体のようなものを、汲み出す。
両手から、魔石へ、流し込む。
——いきます。
ぐらり、と、目眩がした。
身体の芯から、何かが、引き抜かれる感覚。
血を抜かれる、のとも違う。
熱を、奪われる、感覚に近い。
魔石が、青から、白へ、白から、淡い金色へと、色を変えていく。
——もう、いい。
——これで、エレオノール様の今月の分。
両手を離した時、私は、ふらりと、よろめいた。
「あら、もう倒れそう? 情けないわね。まだ、私の分だけよ?」
エレオノールが、扇で口元を隠して、笑った。
——あと、二人分。
私は、額の汗を拭いて、次の魔石に向かった。
マリエルの分。
それから、エルネスティーヌの分。
三人分の魔力を注ぎ終えた時、私は、文字通り、立っていられなかった。
膝が、勝手に、絨毯に崩れた。
「ふらつきすぎね。これでは、長くは持たないかもしれないわ」
エレオノールが、つまらなそうに呟いた。
「お父様には、もう少しマシな奉公人を買うようにお願いしないと」
——上等じゃないの。
私は、絨毯に手をつきながら、心の中で、にやりと笑った。
——あんたたち三人分の魔力税を、毎月、私が注いでやる。
——その間に、私は、私の力を、どんどん大きくしていく。
——魔力の器は、使えば使うほど、大きくなる。
——筋トレと、同じ。
——あんたたちが私を使い潰そうとしている、そのことが、私を、最強にしていく。
「申し訳ございません。次回までには、慣れます」
私は、絨毯に座り込んだまま、深々と頭を下げた。
俯いた顔は、誰にも見えない。
だから、誰にも、ばれなかった。
——私が、にっこりと、笑っていることに。
◆
その夜。
私は、また、隠し通路を抜けた。
——いや、行っちゃダメだ、リリア。
——今日、初めての肩代わりで、身体が限界に近い。
——ちゃんと、寝なきゃ。
——うるさい。
——会いたいから、行く。
私は、自分の理性を、また踏み潰した。
鉄格子の前に立つと、オーレリアンは、目を閉じて、座っていた。
歌は、歌っていなかった。
「オーレリアン」
私が小さく呼びかけると、紅い瞳が、ゆっくりと開いた。
「……来たのか」
「うん。来たよ」
私は、鉄格子越しに、にっこり笑った。
「今日、初めて、お嬢様方の肩代わりした。三人分。倒れそうだった」
「……」
「でもね、平気。だって、私、推し活オタクだから。推しに会うためなら、たぶん、地球の裏側まででも歩ける」
「……お前は、本当に、変だな」
オーレリアンは、ふっと、目を逸らした。
横顔が、月明かりに白く浮かんだ。
——尊い……。
私は、心の中で、呟いた。
——三人分の魔力削った疲れも、全部吹っ飛ぶ。
「ねえ、オーレリアン。今日も、歌、歌ってくれない?」
「……俺の歌は、客に聞かせるものじゃない」
「客じゃないよ、私は」
私は、首を振った。
「ファン、第一号、だよ」
紅い瞳が、また、私を見た。
そして、長い、長い、沈黙のあとに——
オーレリアンは、唇を、開いた。
低く、深く、けれど、どこまでも澄んだ、不死鳥の歌が、また、地下の通路に、響き始めた。
私は、鉄格子の冷たさに頬を寄せて、その歌を、全身で、浴びた。
——ああ。
——大丈夫。
——私、絶対、長生きするから。
——絶対、あなたを、ここから出すから。
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