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第一話 五歳の妾腹娘

目を覚ましたら、暗かった。


埃っぽい、湿った匂いがした。

頬に当たる布は、ごわごわと粗い麻。

そして、私の腕の中には、温かい小さな塊。


「……ねえさま」


寝言のような、甘い声。


私は、ゆっくりと目を開けた。


天井は、黒く煤けた木の梁。

窓は、小さな丸窓がひとつ。

そこから差し込む月明かりだけが、唯一の光源。


——ここ、どこ?


腕の中を見下ろす。

赤茶色の巻き毛の、二歳か三歳くらいの女の子が、私にぴたりと寄り添って眠っている。

頬は青白く、唇は紫がかっている。

息は浅く、薄い肩が、上下に小刻みに揺れていた。


——あ。


その瞬間、頭の中に、洪水のように記憶が流れ込んできた。


私は、リリア。

ベルナール男爵家の、妾腹の娘。

五歳。


腕の中の女の子は、妹のリアナ。

三歳。

私と同じ、母セレネが産んだ娘。


母セレネは、三年前——リアナを産んですぐに、亡くなった。


正妻アグネス様の冷遇による、徐々に衰弱しての、緩慢な死だった。


——いや、待って。


私は、暗闇の中で目を見開いた。


——私、結城ゆかりじゃなかったの?

——日本で、トラックに撥ねられて、死んだんじゃなかったの?


頭の中で、二つの記憶が、ぶつかり合う。


二十八年間生きた、日本人OLの記憶。

そして、五年間生きた、エトワール王国のベルナール男爵家妾腹娘の記憶。


混ざり合い、すり合わさり、やがて——

ひとつの結論に、辿り着いた。


——私、転生してる。


しかも、最後の願い通り。

死ぬ前に祈った、あの願いが。


——ねえ。神様、聞いてた?


私は、静かに腕の中の妹を抱きしめ直した。


——叶えてくれたんだね。

——でも、ちょっと、思ってたのと違うかも。


なぜなら——

今の私は、まだ五歳。

しかも、最底辺の、妾腹の娘。

家の屋根裏部屋に押し込められて、病弱な妹と寄り添って眠る、惨めな存在。


「推しを作る側になりたい」と願って、たどり着いたのが、これ。


——いや、いいの。

——文句は言わない。

——だって、生きてるから。


私はもう一度、リアナの薄い髪を撫でた。


——絶対、この子だけは、守る。

——母さまみたいに、死なせない。


それが、転生して目覚めた瞬間、私が決めた、たったひとつのことだった。



「リリア。お前を、孤児院に出すか売るかすることになった」


それから一週間後、私は屋敷の応接間に呼び出されて、淡々とそう告げられた。


告げたのは、私の異母兄、ジュリアン。

今年十二歳になった、ベルナール男爵家の嫡子。

父譲りの薄い金髪と、母譲りの冷たい青い瞳。

顔立ちは整っていて、たぶん、普通の女の子なら見惚れるような美少年だった。


——うん、顔は、嫌いじゃない。


オタク歴二十八年の眼力が、瞬時に見抜いた。

ジュリアンは、整った貴族顔だった。

人前に出す価値はある。

ただし——


——性格が、最悪。


それも、瞬時に分かった。


「お父様は、どこ?」


私は、五歳児としては不自然なほど、落ち着いた声で尋ねた。


「父上は、領地の視察だ。お前のことなど、気にも留めていない」


ジュリアンは、つまらなそうに鼻で笑った。


「そもそも、母上が許さないのだ。いつまでも、あの女が産んだガキを屋敷に置いておくことを。リアナはまだ三歳で、病弱で、商品価値もない。だが、お前は五歳。市場に出せば、買い手がつく」


「市場」


私は、その単語を反芻した。


——奴隷市場、ってこと?


「ベルナール男爵家の名を汚す妾腹の娘だ。普通なら一銭にもならんが、幸い、お前には、ある程度の魔力がある。魔力提供奉公人として売れば、それなりの値はつくだろう」


——魔力提供奉公人。


頭の中で、リリアの記憶が、その単語を解説してくれる。


エトワール王国では、すべての国民に「魔力税」が課されている。

領主は集めた魔力で、領地の結界を維持し、土地を肥沃にする。

病弱な貴族の娘や、魔力の少ない女性は、自分の魔力税を、他人に肩代わりさせることができる。

その「肩代わり要員」が、魔力提供奉公人。


雇用主の貴族家に住み込みで、その家の女性たちの魔力税を、自分の魔力で代わりに納める。


要するに——命を、削る仕事。


魔力を使えば使うほど、身体は衰弱する。

平均寿命は、二十歳と言われている。

つまり、十五年ほどの寿命を、貴族の娘の代わりに削って差し出す。


奴隷ではないが、奴隷とほぼ同じ。


——なるほど。


私は、深く、ゆっくりと、息を吸った。


そして。


「分かりました」


「……は?」


ジュリアンが、驚いた顔をした。

たぶん、五歳児が泣いて喚くと思っていたのだろう。


「分かりました、と言ったのです。私が売られます。ですから、リアナのことは、ここに置いてください」


「……」


ジュリアンは、しばらく、私を見つめていた。

冷たい青い瞳が、初めて、揺れた気がした。


「……分かった。リアナは、しばらくは置いてやる。だが、あの子も、丈夫になり次第——」


「いいえ」


私は、ジュリアンの言葉を、遮った。


「私、必ず、迎えに来ますから。それまでに、リアナを死なせないでください。それだけが、条件です」


「条件、だと?」


ジュリアンが、片眉を上げた。


「妾腹のお前が、嫡子の俺に、条件を出すというのか?」


「ええ」


私は、五歳児の身体で、まっすぐにジュリアンを見上げた。


「だって、私、お兄様より、長生きすると思いますから」


「……っ」


ジュリアンの顔が、一瞬、引きつった。


——ああ。

——この人、私を「長く生きない命」だと思ってる。

——だから、追い出すことに、罪悪感がない。


私は、ニコッと笑った。


二十八年間、推しのために修羅場を潜り抜けてきたオタクの笑顔は、五歳児の顔でも、たぶん、それなりに迫力があった。


「お兄様。私、推し活オタクっていうものなんです」


「お……し、かつ、おたく? なんだそれは?」


「分からなくていいです。ただ、覚えておいてください。推し活オタクは——絶対に、諦めない、っていうことを」



三日後。

私は、迎えに来た馬車に乗せられた。


リアナは、屋敷の二階の窓から、こちらを見ていた。

薄い手を、力なく振っていた。


——絶対、迎えに来るからね。


私は、声に出さずに誓った。



馬車の窓から、ベルナール男爵家の屋敷が、遠ざかっていく。


御者台の老人が、振り返らずに言った。


「お嬢様。買い手はモンフォール侯爵家じゃ。中堅の侯爵家じゃが、ご令嬢が三人もいて、皆さん、魔力が少なくてのう。あんたは、よく稼ぐじゃろう」


「モンフォール侯爵家」


私は、その家名を、口の中で転がした。


リリアの記憶には、その家の情報はあまりなかった。

ただ、噂程度に——


「変わり者の侯爵様で、最近、東方の山の民から、稀少な獣人を一体、買ったらしいんじゃ。けど、何の役に立つか分からんで、地下に放り込んだままじゃと」


——稀少な獣人。


私は、その言葉に、なぜか、心臓がトクンと跳ねるのを感じた。


——なんだろう。

——この、予感は。


馬車は、ゴトゴトと、私を運んでいく。


私の、新しい人生の舞台へ。


そして、私の、本当の運命との、出会いへ。


---挿絵(By みてみん)

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