憩いの広場
乃木亜ビル爆発騒ぎは、すぐに街行く人々のスマートグラスに反映されているようだった。緊急速報のアラームが聴覚を刺激し、グラスのレンズに緊急速報という文字が通り過ぎる。視覚は距離感が設定できるので、レンズから飛び出している文字を読んでいるような感覚だ。
そして、乃木亜研究棟が何者かによって爆破されたというニュースが流れた。
乃木亜研究棟内では爆発騒ぎは、早々に収束していた。
最上階にある、社員専用のビュッフェスタイルのレストランに、ぽつりと置かれた、菟針市でも評判の複合商業ビルの中にあるハンバーガーショップの紙袋のなかに納められた爆弾は爆発前にすでにAIが防犯カメラに映る不自然な物体を特定、その周囲を流れる空気の僅かな違和感を演算して、おおよそそれが爆弾であることを見抜いていた。
正午になると、次々とやって来る社員や、社員のみならず、一般開放される時間帯のレストランは次第に賑わいを見せ始めるころだった。だが、AIにより、レストランは閉鎖され、主要人物のみに爆弾のことが報告されたためにパニックになることもなかった。だが、残念ながら爆弾は起動し、爆発してしまった。
爆発前に処理できなかったことは、残念な結果となったが、被害は最小限に抑えられた。レストランが閉鎖されたことにより、紙袋が置かれた窓際のカウンター付近と、窓ガラスが広範囲に割れ、外にその悲惨な光景を晒すことになったが、しかし、建物自体は、爆発の威力を考えてもそんなにダメージは与えられていないと、AIは算出した。
もしも、AIが防犯カメラの微妙な違和感に気づかなければ、お昼のビュッフェ・レストランは大惨事になっていたことだろうし、もしも、爆弾処理を進めていれば、人的被害が出ていたことだろう。AIの危機管理に対する幾千ものシミュレーションが瞬時に行われた結果とも言えた。
爆発の一時間後には、すでに研究棟は落ち着きを取り戻していた。レストランと、その周辺だけが後処理に追われているだけだった。
その頃、君子や悠亮には、すでにその内容はそれぞれのAIによって報告されていた。
君子は、落ち着きを取り戻していたものの、何故か、憩いの広場に立ち竦んでいた。
そんな君子の傍には、草理楓と、風戸純がいた。その光景は君子にはまったく理解が及ばず、ただ見守ることしかできなかった。
それは…。
食堂の裏に回り、君子が初めて目にした塀の隙間の、小さな出入口に草理が君子を連れて行った所まで遡る。
草理は乃木亜への近道を教えると言ったけれど、何処へ向かおうとしているのか、君子にはさっぱり理解できなかった。
食堂の裏側に来たことなど一度もなかった。
こんな場所があったのか?と、君子は、不思議な光景でも見るような目で辺りを見渡した。誰も来ることがないのか、食堂の裏は、建物から伸びた、綺麗に舗装された結構広いコンクリートが敷かれていたが、外側は草が盛り上がっていた。コンクリート舗装は、造られた当時、何かに利用するつもりだったのだろうか、表面には模様も施されていた。おそらく、そこにテーブルと椅子を設置して外でも食事ができる設計だったのかもしれない。
塀沿いの草は伸びっぱなしでかなり成長して、その間に幾本かの樹木が植えられていた。結局、敷地内の死角となってしまい手入れがまったく行き届いていない、学校内だと思えない光景となっていた。
「世間の荒波に疲れた時、ひと息入れる場所だ。意外と知られていない…」
草理がぽつりと呟いた。それは君子に言ったとは思えないほど小声だった。
「そして、あそこを見つけた…」
おそらく、草理は塀の隙間の、小さな出入口のことを言ったのだろう。そこには真っ白い鉄格子の門扉があり、草理は、慣れた手つきで開けると、そこから外に出た。
君子は、どんどん突き進む草理の背中を追いかけた。
君子の中の、草理の声は静かだった。
父の突然の休暇。悠亮の予知から研究棟の爆発、草理の突然の思念伝達。君子には色々なことが一度に起こって、ひどく騒がしい時間が流れていた。
そして、乃木亜研究棟の爆発の、AIからのタイムリーな報告を聞くたびに君子はゆっくりと落ち着きを取り戻していった。
そして、研究棟ビルの最上階のレストランの窓際に置かれた、爆弾が入った紙袋のことをAIから聞かされた時、ふと、君子は思った。
研究棟が爆発したすぐ後に、あの青木龍生は、まるで爆破されたようだが…と、言った言葉に妙な違和感を覚えた。あの瞬間、何故爆破されたと思ったのだろう。研究棟なら爆破より事故だと考えるのが自然だ。
まぁ、人それぞれかー
君子は、草理の背中を見ているうちにそんな違和感はかき消されてしまった。もっと、不思議な違和感が目の前にいた。
草理は、時折君子を振り返りながら、複合商業ビルの方へと歩いて行く。
もう乃木亜研究棟の爆発は収束されていることを知った君子には、近道を教えてもらうことはそれほど重要ではなくなったが、そんなことは言えなかった。
草理が複合商業ビルの手前の地下街の階段に吸い込まれるように降りて行った。
地下街は、乃木亜本社ビルの移転に伴い、もともとあった地下通路の増設を幾度か繰り返したせいか複雑に入り組んでいた。
一度入ると、時々何処を歩いているのか分からなくなることもあり、君子には多少の苦手意識がある。しかし、夏の酷暑日より更に命の危険を感じる極熱日には地下街は不可欠となる為に、必要な通路だけはしっかりと記憶していた。
だが、もし草理がふと脇道に逸れてしまったなら、見失うかもしれない。君子は小走りで草理の隣を歩いた。
その時…。
ザザザーーザザーーザーえっ?隣…おぉぅ、緊張する…ザザーーザーシャーーと、草理の声が聞こえた。
えっ?
君子はこそっと草理の顔を覗き見た。
心の声とは裏腹に真面目な顔をしている草理だった。君子は、ちょっと困惑した。
地下通路を真っ直ぐ歩いていた草理は、TOBARIBANKのエスカレーターのところで立ち止まった。
両脇には、巨大な水槽が設置され地上から地下に水が流れ落ちる滝が涼しさを演出しているエスカレーターだった。滝にはホログラムで広告が映し出されていたが、その日は、乃木亜研究棟の爆発のニュースの映像と文字が繰り返し映し出されていた。
草理は、立ち止まってそれを見ているのかと思うと、何故か、エスカレーターの裏側に入って行く。
えっ?と、君子も慌てて跡をついて行くと、そこには憩いの広場がある。
ここは…?
「知ってる?」と、草理が尋ねた。
「いいえ」と、君子は答えた。「でも…」
草理がエスカレーターの真裏の、憩いの広場に入って行く。その時、ひどく顔を歪めた。
「あっ、ゆっくり歩いて。無理しなくていいよ。そのAI聞こえてきたけど、もう爆弾騒ぎも落ち着いているようだ。もしかして、もう乃木亜までの近道には何の価値もなくなった?」と、草理が言った。
「えっ?無理しなくていいって、どう言う意味なんだろう?まぁ、でも、慌てて帰る必要はなくなった」と、君子は、草理に歩み寄った。
「あれっ?なんとも感じない?平気なの?」
「いやいや、爆発はすごくショックに決まってる。なんとも感じないって、私のことなんだと思ってるの?」
「違う違う。この場所に入っても平気かって聞いたんだ」
「えっ、ここ?広場のこと?」
「楓君!」
その時、草理を呼ぶ声が聞こえた。草理と、君子が同時に水槽の横の細い通路に立っている風戸純を見た。
「楓君、ごめん跡追いかけて来た」
えっ、それってつけて来たってこと?と、君子はちょっと驚いた。
「楓君、最近楓君のこと、庇えなくてごめんなさい。あの馬鹿どもはいつだって好き勝手に楓君のこと使いっ走りにしているのに私、黙ってて。私が何も言わないからあいつらどんどん調子に乗って、本当に腹が立つ。でも、私何も言わなくてごめんなさい。なんか、私、皆んなから誤解されちゃって、正義感ぶってって、同じ中学出身の子から言われたの」
風戸純は唐突に喋り出した。
だか、草理の声が君子のなかで呟いた。
ザザーーザーえっ、誰だっけ?ザザーーザーシャーー
そして、草理は君子に囁いた。
「ほら、あの女子、通路で立ち止まって、こっちには来ないだろう。変だと思わない?」
突然何を言い出す?
風戸純がゆっくりと憩いの広場のエリアの中に入ろうとした。すると、顔が苦しそうに歪み始めた。
「同じ中学校の子たちが言うの。中学生の時…私、ずっと楓君に憧れていて、いえ、密かに、ずっと好きだった。でも私は目立たず、まったく冴えなくて暗くて…。楓君は、すごく遠い遠い存在だったの。なのに高校になったら楓君が私の席の後ろに座っていた。私は本当に神様に感謝したわ。そして、不思議なことに楓君が皆んなに虐められていた。神様がこんな私に楓君を守る役割を与えて下さったと思った。だから私は必死に楓君を守った。でもあいつらが言うの…」
風戸純が辛そうに頭を押さえた。
「楓君、知ってるの?この憩いの広場には、たくさんの霊が目撃されているのよ。ここは危険なの。ここを離れましょう」
草理は、黙って風戸純の言葉を聞いていた。
君子は、そんな二人に驚いて、少しずつ後退りしながら思い出していた。
後ろの席の方から、ヒステリックな女子生徒の声が聞こえていたことを。確かに執事君と罵られていた男子生徒を庇った叫び声だった。
しかし、君子はいつも、前を向いて、その光景を見ていなかった。そればかりか、執事君を呼ぶ声が聞こえてきたら、不快ですぐに教室を後にしていた。
「楓君、私は、私は、あいつらが言うみたいに、中学校の時楓君に相手にされなかったから、楓君が弱っている今、正義感を振り翳して楓君が私に感謝するのを待っているなんて、そんなことはないから。本当にただ守ってあげたかっただけなの!」
「えっと、ごめん。誰だか知らんけど、あんたこそ、ここを離れた方がいいんじゃない。今気持ち悪いだろう。それ呪いだ。今、言いたくないこと言っただろう。それ言わされているんだよ。呪いだな…。それから、余計なことしなくていいから。俺庇ってもらってたなんて1ミリも思ってないから…」
「楓君…違う…違うの。私、感謝してもらいたいなんてちっとも思っていないんだから。あいつらが、勝手にそう言っているだけなの。だけど、昨日も今日もやっぱり私が黙ってていたら、馬鹿どもはどんどん調子に乗って、楓君にもっともっと酷いことするから、やっぱり私、明日からまたあの馬鹿どもを止めるわ。私が何も言わなければ、楓君はもっと酷い目に遭うわ。他人がなんと言おうと、いちいち動揺していた私が馬鹿だったの。安心して、明日から楓君のことは私が守るから…」
ザザーーザー
こいつは何を言っているんだ。なんかもう面倒くさいな。ザザーーザーシャーー
「楓君には私が必要なのよ。だから何も心配しなくていいのよ。私がついているわ」
「いや、もう帰れ。お前完全に取り憑かれてる。それから俺を楓と呼ぶな」
そう言うと、草理が君子を見た。
「ねっ、分かったでしょう。ここ、心霊スポット。訳の分からないことを言っているあの女子の、ちょうどあの場所には結界が張ってある。あの女子、相当後ろめたさがあるから、ああやって隠していたことをべらべら喋ってしまう。だけど、あそこを通った時、あんた全然平気だったんだよ…」
なんの話しをしているのだろう?君子はただ首を傾げた。




