夜のホッパー
夜風を身体全身に浴びて草理は、疾風のように高層ビルが並ぶ市街地へと向かった。
まだ菟針市になる以前、森林都市として土地開発された町に草理の住むマンションがある。菟針市になってから住所表示が変更され、菟針市東区櫻木町となった。開発された当時は、緑豊かで美しい町だった。そこに並んだマンションの中には高層マンションもあった。その周辺の貧困街を一掃する目的もあったと密かに言われていたが、それから10年以上の歳月が過ぎ、高層ビルが立ち並ぶ市街地に比べると、随分と寂れてしまった。
草理は、東区主要の国道をスケートボードで移動していた。東大橋の並びにある櫻新橋を渡ったところから市街地と地形が一直線になる為に、視界一面に高層ビルの摩天楼を仰ぎ見ることができた。
草理は、急いだ。あれから4時間くらいは経っているだろうか?あの男がまだホッパーにいるとは限らない。いや、むしろいない確率の方が高い。しかし、草理はじっとしていられなかったのだ。
—楓君、ホッパーの防犯カメラを覗いたけど、あの男、よっぽど暇なのか、ハンバーガーが好きなのか、一旦店を出ているけど、また戻ってきている。急いだら間に合うかもしれない—
コータローが移動する草理に言った。
「えっ?そうなのか。分かった」
—でも、今日は観察だけに留めておいてよ。手出しはなしだ。わたしから仲介屋に話しておくよ。身元くらいは調べてくれるかもしれない。まぁ、期待しない方がいいけど。まだあの男の正体は分かっていないんだ。そんな時こそ慎重にな。後ろにいるやつらを暴くまでは—
「分かっているよ。いちいちうるさいな。コータロー、あの男もそうなんだが、男たちが言っていた『時雨谷』という名前がひどく気になる」
—そうだね。あの時の会話の内容からしても、そいつは上のやつだと言うことは分かるよね。だけど慌てるな。まだ動いては駄目だ—
「そいつを見つけるまでは潜んでいるくらいの頭はあるよ。俺のこと馬鹿だと思っているよね。今日はあいつの住処くらいは見つけたいけど…でも、母さんが起きるまではハンバーガー買って帰らなくては…」
夜のホッパーは、夕方の時間帯に比べると随分客層が変わる。若年層がたむろして騒がしく、ファミリー層やビジネスマンなどの一般の客層が極端に減少する。その為店舗内の空気がガラリと変貌していた。
—楓君、あの男、一階フロアにいる。公園側の隅だ。若い男と二人でいるようだ。ちょうど防犯カメラから見えにくいところにいる。若い男が背中を向けていて、会話が読み取れないな—
「近くに座ってみるよ」と、草理が言う。
—それはやめておこう。男の位置情報を追えるようにするから、今夜は大人しくハンバーガーを買って帰るだけにしておこうか—
「えっ?そんなことできるの?」
—楓君が家に帰る前、男のことは撮影したから、男の顔から防犯カメラで追えるようにしてみるよ—
「えっ?それって…あれだよね…。わざわざここに来なくてもあの男を追跡できたってことだよね」
—まぁね…—
「何だよ、それ。俺のこと馬鹿にしているのか?」
—いや、楓君、止めたところで行くだろう。短い時間だったけど、もう君の性格は分かったから。わたしは君のAIではないけど、君と一緒にいた時間は、君がわたしを育てているんだよ。そして、わたしがこう言うと、君はこう言う。だったら、俺はコータローが出来ないことをする…—
「当たり前だ。俺は、やつらの傍に座って、話しの内容を盗み聞きすると言うに決まっているだろう」
—うん、そう言うと思ったよ—
「なんか怖いな…」と、草理は言った。
—怖いと思う必要はない。わたしは君を理解することで、君にとって最適な選択を促す。君は、仲介屋がわたしに託したのだから、裏切ったりはしない—
「そうかな?仲介屋が俺を見捨てたら…?コータローと俺はそんな関係なんだろう。まるで人間関係と変わりはしないな…」と、草理は苦笑した。
コータローが草理を理解すればするほど、草理の安心感は保障されるだろうが、それが深くなればコータローへの依頼心が強くなり依存するようになるかもしれない。それを失った時の不安を人は簡単に処理できないことを、草理はなんとなく理解していた。それはこれまでの経験からきていたものだが、AIが草理のそんな曖昧な思いを理解することはなかった。
—へぇ、わたしとの関係を人間関係と思って頂けるのですね。それは楓君がわたしのことを人だと勘違いしているということですか?—
「ふーん、AIはそんなふうに思うのか?勉強になるね」
草理は曖昧に答える。
そんな会話をしながら、草理は、フロアの片隅に座る男の席の隣りに座った。
母へのテイクアウトを草理は、男が捜査員に取り押さえられた時徒に歩かされた、紙質がレトロと評判の紙袋をわざわざ店員にお願いしていた。乃木亜研究棟の爆弾事件にも使われたものだ。
だが、不思議なことに、それ以来、妙にこの紙袋を利用するひとが目立つ。そんな社会心理を草理は今ひとつ理解できない。若者の間で、そんなものが象徴的に扱われるようになっているのなら、それは危ういのだろうか?と、ふと草理は考える。
「本当にこんな高額なバイト代貰ってもいいんですか?本当に1日だけで、こんなに貰えるんですか?わーなんか信じられないな?これって、危ない仕事ではないんですか?」
突然、草理に背中を向けている男の声が飛び込んで来た。
草理は咄嗟に男の言葉に集中した。
「さっきからそう言っている。疑り深いんだな。まぁ、わたしとしてはどちらでもいい。この仕事は、別に君でなくてもいい。この後、まだ別の人に会うからね。ただね。君、陸上をやっているらしいね。そんな人にはピッタリの仕事だよ。わたしとしては次に会う奴より、君の方がこの仕事に合っている。まぁ、あくまでも個人的感想ですがね…」
「えっ?それはどう言う意味なんですか?確かに陸上をやっていますが、それとどういう関係があるんですか?」と、背中を向けた男が不思議そうに尋ねる。
「それはですね…」
その後、二人の言葉が聞こえづらくなった。言葉の端々から漏れるかすかなひと文字が聞こえてくるだけだった。
結構長い時間、二人はヒソヒソ話しをした。
「えっ、そんなことが可能なんですか…」
「大丈夫なの…」
「しィー!」
時折、そんな声が漏れていた。
そんな時間が続いたが、そのうち二人は席を立つのか、動きが慌ただしくなった。
その時だった。コータローが誰かと通信していたのか、突然、話しかけてきた。
—楓君、君子が家の者の制止も聞かず外に出たらしい。TOBARIBANKの地下、エスカレーター裏の憩いの広場に続く近道の通路を移動していたが、その途中の脇の通路に入っていったと、君子のAIからメッセージが送られてきた—
「えっ?何だって外に出たんだ。もうこんな時間だというのに…?」
—君子が楓君の行動を予測して、何処かへ向かう途中だった。だからAIが、楓君が何処にいるのか?尋ねてきた。そんな折、君子がAIの阻止も聞かずに、行ったこともない脇道に入っていった。その脇道の奥から漏れてくる灯りに違和感を覚えたからだと…—
「なんだよ…それ」
草理がそう言っている間にも、フロアの隅に座っていた二人が立ち上がり、席を離れていた。
「おいおい、こっちも動き出したよ…。でも、咲村さんを放っておけないし…」と、草理がおどおどしている。
—とにかく、君子のAIに位置情報を頼むから。君子が何処にいるのか分かるようにしておくよ。で、楓君、二人の跡をつけるつもりなのか?本当君って、効率悪いよね。わたしがあの男の位置情報で追えるようにしているって、言っているだろう。どんだけアナログなんだ。先に君子のところへ行けよ!—
「しぃっ!黙って!聞こえるだろう?」
—聞こえるかぁ!ねぇ、もうバカだろう。頭悪すぎだろう!—
「うるせぇ、…って言うか、咲村さんを呼び捨てにするな!何度言えば分かるんだよ!って言うか、なんでお前咲村さんを呼び捨てにしているんだ?どんなきっかけがあって、呼び捨てにしてるんだ?まさか、お前の本当の主って、咲村さんの知り合いとかか。そいつが咲村さんのこと、そう呼んでいるのか?」
—って言うか、わたしの声は聞こえていないけど、楓君の声、普通に皆んなに聞こえているからね。前を歩いている二人に聞こえているのは、楓君の声だ。普通に気づかれるから…。黙って歩いた方がいい。わたしが位置情報で追っているにも関わらず、跡を追う無駄な行動を取りたいならね—
「なんだ…よ、まったく…」と、草理は黙った。
—やっぱり、跡を追うのか?—
ホッパーを出た二人の男は、正面のエントランスとは反対側に向かった。
—公園の出入口の方だね。公園は、乃木亜メディカルに跨っているくらい広い。それとも何処からか地下に降りるのだろうか?—
公園の出入口は間口が広く、中央の大きな出入口を抜けると、公園が一望できるガラス張りの長い風除室がある。そこから公園に出る東口と南口に分かれているが、二人は南口の方へと向かっていた。南口といえば乃木亜メディカル側だった。
二人は、中央側に近い南側の出入口を通り過ぎて、更に南と向かい一番端の出入口を出た。
草理は、程よい距離を保ちながら二人の跡を追った。そして、公園に出ると、彼らが乃木亜メディカルの方へ向かっていることが分かった。
彼らの背中がまだ見える安心感からか、草理は、君子が何処にいるかコータローに尋ねた。
—楓君、君子…君が何処へ向かっているのかよく分からないが、地下通路に沿って移動しているとはいえ、明らかに楓君と距離を縮めている。君子君が向かっている方向に乃木亜メディカルがあるね。ふうーん…?そんな地下通路があったんだね。君子君のAIが、そこは地下開発から除外されたデットスペースになっていて、しかも入り組んでいて説明が困難だと言っている。しかしそこは、菟針市三本の主要道路の地下だと言うのにデットスペースになっているのは変な話しだね。地下開発当時何かあったのだろうか?—
「君子…君…か…?地下開発って、何度も繰り返されていたから、未計画に増やすだけ増やして迷路みたいになっていると、あの頃皆んな言ってたな」と、草理は言った。
公園には、涼しい風がやんわりと吹いていた。もう少ししたら、夏の暑い日々がやってくる。酷暑日を迎えたかと思うと地獄のような極熱日がやってくる。その日は人々が地上から消える。命の危機を感じる日は地下街にいるしかないのだ。
そして、この公園には地表からミストが噴霧され、足元の通気口から冷風が吹き出て、人々の命を繋いでいた。だからこの公園に人々が集まる。
そんな公園をどんどん歩いている二人はやがて公園の隅の公衆トイレの中に吸い込まれるように入っていった。
「えっ、トイレ…?」
草理は、そんな二人を呆然と見つめていた。




