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野性の勘



 公衆トイレ…?


 今の時期、夜の公園はまだ心地良い風が吹いていた。広い公園には、遠くの方で若者たちが集まって、ダンスの練習でもしているのか、風に乗って音楽と共にはしゃぐ声が聞こえてきた。そして、仕事帰りなのか、正直何故そこにいるのか分からない人々がベンチに座ってお喋りをしていたり、またジョギングをする人など、意外と夜の公園は賑わいを見せていた。


 ホッパーから跡をつけてきた男たちが吸い込まれるように消えていった公衆トイレは、真っ黒いキューブに光の幾何学模様が入っている、まるで巨大なオブジェのようだ。そこが公衆トイレだと言われても信じられないが、それは認知度により解消されていた。結構有名な公衆トイレだった。


 草理は、暫く付近のベンチのところで男たちが出てくるのを待っていたが、なかなか出て来ない。そして、草理はようやく異変に気づいて、慌てて公衆トイレの中に入って行った。

 しかし、公衆トイレは誰も利用していない。二人の姿は忽然と消えてしまった。


 「消えた…」ぽつりと草理は呟いた。「コータロー…?」

 —うん。いないね—

 目の前に広がるのは、ひどくシンプルな、光沢を放つ真っ白い空間だ。

 草理は初めてその公衆トイレに入り、いささか驚いた。小便器も個室のドアも、何もない空間にただ茫然とした。

 「えっと、これ何処で用を足すのかな?」

 —例えば壁の傍に寄ってみるとか?—

 草理は言われた通り壁の傍に寄った。すると、どういった原理なのか、何もなかった壁に細いドアの枠が現れると自動で扉が開いた。草理は「わー」と、咄嗟に後退った。


 —これはただデジタル処理されているだけだ。シンプルなプロジェクトマッピングとセンサーによるもので、そんなに難しい技術ではない。傍に寄ると、必要に応じて必要なものが現れる。使用されていたら、無視される。簡単な命令によって成り立っているのだろうね。ハハハ。このシステムうざくて、ここ利用されてないね。分かる気もする…ハハハ—

 「まったくどうなっているんだ。無駄なことばかりしやがって!こんなことに金使うんだったら、生活に困っているひとをちゃんと見れよ!毎月値上げばかりしやかって!もう、値上げ祭りみたいになってるじゃないか!どうなってるんだ!この街は…!」と、草理は苛立ちながら、次々とトイレの個室を全て開けた後に、小便器のスペースも全て露出させた。「で、あの二人はここに入って、何処に消えたんだ?もしかして、俺がつけていたの気づいていたのか?」

 —そうなのかもしれない。フェイントのためにこのトイレに逃げ込んだんだろうね。このトイレだったら、普通のトイレより時間稼げるな。そして、違う出入口からか外へ出た。何処かにもう一つ出入口があるに違いない。まぁ、システムだから、ハッキングして、もう一つのドアを隠したんだろうね—

 「いやいや、ハッキングしなくとも、元々何もかも隠してあるんだから初めからそうなっているんでしょう。でもコータロー、防犯カメラで追跡しているんだろう?」

 —いや、公園側の出入口は隠れていないから、他の出入口を隠したんだよ。ざっくり見るなよ。きちんと観察しろ。で、防犯カメラの追跡には失敗した。このトイレから忽然と消えている。周辺の防犯カメラには男の顔認証は確認されていない。映っていないんだ。大口叩いておいて、本当にすまない—

 「なんだ。偉そうに説教して、その様か」と、草理は苦笑した。「俺たちポンコツだな。咲村さんたちとは大違いだ」

 —君子君のAIは優秀だ。わたしと比べるのはやめてくれ。それより楓君は、もう帰れよ。お母さんが起きてるかもしれないだろう—

 「いや、咲村さんのところへ行く!って言うか、さっきまで君子のところへ行けと、言ってたのはコータローじゃないか?なんだよ、まったく。ブレブレだな!俺は、俺の意思で咲村さんのところへ行く。お前が何と言おうと、行くから!」

 —またまた!ダメだ。もう帰れ!ハンバーガーも買ったのだから…。お母さんが起きていたら心配するだろう—

 「まぁ、そうなんだけど、でも母さんは、俺の部屋に入ったりしないから。ああ、こんなことなら、置き手紙なんかしなければ良かった。あれがなければ、部屋にいたことにしてもバレることはなかったのに…。って言うか、俺の心を揺さぶるな!」

 —観念して帰れよ!高校生が出歩く時間ではないから—

 「そうなんだよ。そうなんだ。だから、俺は咲村さんのところへ行くんだよ。お前、分かって言っているだろう。俺を惑わして楽しいか?!このまま帰ったら絶対後悔する!お前が何と言おうと、絶対に行く!」

 —まったく…困ったやつだ。仕方ない。だが、こちらも簡単にはいかないかもしれない。このトイレを出たら、乃木亜メディカルのビルの側面に沿った道路を真っ直ぐ、メイン道路とは反対側に歩いたところに君子君がいる。勿論地下だけど—

 「と、言うことは、このトイレで言うと公園の出入口とは反対側のこっちだ」

 そう言うと草理は、公園側の出入口の反対にゆっくりと歩み寄った。

 すると、真っ白い空間がゆっくりと歪み始めてノイズが出たかと思うと、トイレの光景が変わった。道路側にも公園側と同じような出入口が現れた。

 —やっぱりな。しかし、なんと、お粗末な書き換えだ。ハッキングが出来ても書き換えは適当だな。性格が分かるよ。だけど、結局楓君はわたしの言うことをちゃんと聞いてくれてるんだな。感心感心!—

 「いや、AI自ら勘違いするなよ。友達と馬鹿騒ぎしているわけではないんだ。お前はAIらしく俺を誘導しろよ。お前みたいなブレブレなAI見たことも聞いたこともない。もう少しAIらしくしろよ!その場その場で適当なことばかり言って…そのうちAI業界から抹殺されるぞ…」

 —まぁ、楓君の影響だろうね。だが、わたしみたいなファジーなAIは、他には存在していないのは確かだな。まぁ、とにかく、グラスに君子君の位置をマーキングするから、急ごう。そして、お母さんにハンバーガー持って帰るよ—


 公衆トイレを出ると、草理はなんとなく周辺を観察した。

 まず、防犯カメラの位置を確認しながら、周辺の景色を見た。

 複合商業ビル『タットー』、TOBARIBANKと数軒の高層ビルが並んでいるが、メイン通りも、その裏の公園も随分賑わっている。だが何故か乃木亜メディカルビルの西南側に面した道路は人通りが少なく、ぽつりと異空間にいると錯覚するほど人通りが少ない。更にメイン道路から南東方向へ進むと、どんどん寂しくなっていく。

 時折、賑わう街の中にはこんな現象が起こる。何故かその場所だけ、違う次元に存在しているかのように空気も変わり、そして何故か人が避ける場所。

 公衆トイレは、そんな道路沿いに面したところにある。

 オブジェみないな公衆トイレの道路側は幾分か荒れていて、斬新なデザインの公衆トイレにはにつかわしくないゴミ捨て場があり、その隣りには掃除用具でも入っているのか細長い粗末なコンクリートの収納庫があった。

 そして、草理はその風景に何とも言い難い違和感を覚えた。

 「なんか、アンバランスな景色だ」

 芝生も伸びてていて、ゴミ捨て場の清掃も行き届いていないし、何より乃木亜メディカルのビルの目の前の道路にしては不自然なほど狭い。


 そして、公衆トイレから出た二人の姿を防犯カメラが捉えていない。本当に、公衆トイレを出た途端まるで異次元空間へでも迷い込んでしまったのかと、思えてしまうほど不思議なことだった。


 草理は、周辺を丁寧に観察した後、コータローがマーキングした、地下にいる君子の位置情報を探った。狭い道路をほんの少し南東の方へ歩いたところにそれはあった。

 「ここって、地下街から行けるところなの?」と、草理が尋ねた。

 —うーん、地下街のマップと重ねてみたんだけど、行けない。地下街の通路とは重なっているんだけど、そこは店舗の中なんだ。だからわたしが思うに、地下街より更に下階だと思う。勿論マップをみる限りでは、そこに行く手段は見当たらない。TOBARIBANKエスカレーター裏の憩いの広場からIDを使って地下通路に入るのが結局早道だ—

 「うーん、ここからTOBARIBANKの地下まで戻るのか?で、IDはどうするんだ?」

 —それは君子君のAIから借りる。なんだかんだそれが一番早いだろう—

 「まったく、咲村さんは何処へ行ってるんだ?この下に何があるんだ?…って言うか、菟針市の地下っていったいどうなっているんだ?」


 突然、極端に人通りがなくなった道路に立ちすくむ草理は、ざわめいた。不安と焦燥が入り乱れる。凄く嫌な予感がしていた。

 こういった予感はよく当たる。

 TOBARIBANKまで歩くのは、近いようで遠い。足元の下にいる君子から離れたくないという気持ちもあった。


 そんな時だった。公園の方から差し込む不快な感じが草理を貫いた。思わず、その方向に視線を投げると、耳の傍でヒュウーと風の音が走った。何かが耳の傍を鋭く通り過ぎた。

 街灯に仄かに照らされた公園に男の影がある。草理は咄嗟に構えた。

 男はゆっくりと、街灯の灯りの中に姿を現した。

 見知らぬ男だった。だが、明らかに様子が変だった。そして、真っ直ぐ草理に向かって歩いてきた。荒い息遣いが聞こえてくる。おそらく草理に何かを投げたに違いない。何か殺意のような鋭い悪意を感じる。草理には身に覚えのない相手からの強い感覚に戸惑っていた草理だが、すぐに気持ちを切り替えた。その瞬間、男が勢いを増して草理の目前に立ちはだかると、両手で首を掴まれた。凄まじい力だ。ぐいぐい首が締め付けられる。草理も男の腕を掴んで力を入れた。力比べだ。僅かに男の力が緩んだ隙に草理は頭で男の顔を突いた。一瞬男が怯んだ。その瞬間、草理は男に回し蹴りを入れた。男がふらふらしたが、すぐに体勢を整えて、草理に突進してきた。瞬時に草理は後退し、男の勢いを削いで、衝突してきた男の背中を掴み、勢いを横に逃がした。

 「なんだ、お前」草理が男に叫ぶ。

 —楓君、この男まともじゃない。荒い息遣い、開いた瞳孔、体温から見ると何らかの薬を服用している。おそらく違法薬物だ。こんなのまともに相手にしてはダメだ。限界を知らない。倒しても際限なく襲ってくる—

 「やっぱりそうか。逃げるか」

 草理は、そう言うと、最後に男を思いきり蹴飛ばすと、先程の公衆トイレのところまで全力疾走した。

 そして、草理は何故か、ゴミ捨て場の隣りの収納庫の中に逃げ込んだ。

 —楓君、こんなところに隠れてもすぐに見つかる…なんでこんなところに逃げ込んだ。小学生かよ—


 しかし、中に入ると、そこには地下に繋がっていると思われる階段があった。


 「やっぱり…。賭けだった。公衆トイレから出たあの二人が防犯カメラの何処にも映っていないとコータローが言った。だが、よく見てみると、人通りが少ない割には防犯カメラの数は多い。で、まぁ、計算したわけではないが、防犯カメラの死角を考えたら、この収納庫があった。まぁ、ダメ元もいいところだが、この収納庫が妙に気になった…わざわざ掃除用具入れを造るか…って」

 —いや、造るよ。掃除用具入れって、教室の後ろのロッカーを想像したな?まぁ、普通の人間なら、そんな考えには至らないけど、ものを知らない楓君だからこそ、意表をついたな。こんな階段、誰も見つけられない—

 「野生の勘だな」と、草理は得意げに笑った。「とはいえ、あの男が追ってこないとは限らないから急ぐぞ!」

 草理は、収納庫に入った途端、階段から落ちてもおかしくない体勢で踏みとどまっていたが、その体勢のまま、一気に階段を飛び降りた。


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