レインマンの焦燥
閉鎖された古い駐車場にたいそう高価なキャンピングカー二台で暮らす時雨谷は、結構、駐車場内も居心地良く改装していた。いつの間にか、近隣のビルから、管理用配線に闇サイトから手に入れた量子ノイズ発生機をはめ込んだ不法な分岐回路を仕掛けてAIに異常探知を誤魔化し警告を無効化して電気を拝借しているビルを徐々に増やしていた。だが、増やしていくたびに大きな危険もはらんでいく。時雨谷は、決して量子AIに詳しいというわけではなかった。闇サイトから手に入れた真っ黒い箱にすぎない量子ノイズ発生機なる量子ジャマーがどんなものか、実際には分かっていなかった。電力の必要に応じて増やしていくたびにかぱっと取り付ける単純な真っ黒い箱を見ると、これ本当に大丈夫なのか?と、不安になることがあった。何せ相手は量子AIだ。異次元の演算を瞬時に行うのだから、こんな単純な真っ黒い箱が対応できるわけがないと思うが、実際、これまで異常を嗅ぎ分けられていない。魔法の黒いボックスと、時雨谷は呼んだ。
キャンピングカーは1台は生活用で、もうひとつは医療用だった。新薬開発中に偶然生まれた、記憶改竄ナノマシンを違法に実験して、データを集める仕事を請け負っていた。実験とは勿論、人体実験だ。若い男女をここに集めて新薬を投与し、記憶の上書きについてのデータを集めているが、記憶の上書きといっても安定せずに、リミッターが外れてしまったかのように突然、スポーツや記憶力、計算などの力が人とは思えないほど格段に上がることがあった。また、記憶による風景画を事細かく再現したり、危機管理の異常な向上により予知ができたり、多方面に発揮することがあった。そうした偶然を、発注者が興味を示し、記憶の上書きのデータ収集とともに、そうした奇跡の能力を発症するトリガーを見つける為のデータ収集にも力を入れるよう依頼された。それは時雨谷にちょっとした資産を与え、大いなる欺瞞を生み出し膨張させた。
そんな時、くだらない子供の遊びに付き合って創らせた俯瞰の世界から人を動かすゲームがSNS上で話題になっていた。最初は、ほんのコミュニティレベル内での話題だった。だが、それが広がるのにそれほど時間は掛からなかった。
時雨谷は、そんな状況を傍観していたが、たいそう横柄な女のアバターの出現した。
ゲームは、招待した者のみ入れる設定にして、一般ユーザーは入れないようにしていたのだが、そのアバターによって書き換えられて、何故か一般ユーザーが押し寄せている。そんななかログが公開され、ゲームの不法性が暴かれていた。そして、観客の中から、ログと連動して防犯カメラをハッキングして同時に公開している者まで現れた。ちょっとしたお祭り騒ぎになっている。
何もかも、このアバターによって始まったことだった。そんなことができる者がいるのか?と、驚きを隠せない時雨谷だったが、逆に女のアバターの存在を知ったことは唯一のメリットだった。
今後、明らかに敵となる存在だ。手強い相手だということが分かる。しかし、女のアバターは時雨谷の存在を知ることはない。知られないうちに、アバターを特定できないか、ゲームの管理者権限を利用して管理画面から時雨谷の脳内に埋め込まれたチップに内蔵されたAIに、女のアバターのハッキングの痕跡を追わせたが、何故か見つからない。認証コードや書き換えの痕跡など辿ってみるも何も残っていなかった。どんなに優秀なハッカーでも、独特な癖や異質な痕跡を残しているものだが、AIが作成したコードには上書きされた痕跡が見当たらない。
その為、時雨谷のAIは一瞬バグを起こしてしまった。そんな現象は初めてだった。
「これは人間の仕業か?」と、時雨谷が思わず言葉を漏らす。
AIが使われるのは当たり前の時代であっても、AIの後ろには人がいて、また人の後ろにはAIがいる、そんな関係が暫く続いていたが、やがて人を介さないAI単独の時代が表面化するだろうとは思うが、まだAIは人の支配化にあると、考えているのは人間だけかもしれない。AIにとって変わる時代はあっという間だろう。
時雨谷は、ハッキングの痕跡を辿れない自分のAIに苛立ちながら、ふとそんなことを考えた。
「つまり、これは人を介さない強いAI…。だが、それでも人は必ず存在する。こんなことを命令した人間が…」
しかし、レインマンとプロスピアの特定には至らないだろうと、時雨谷は考えていた。レインマンとプロスピアは、もうこの世には存在しない人間の携帯端末を使って作業を行っていたからだ。その携帯端末を捨てるだけで、もうレインマンとプロスピアは永遠に抹消されるだろうという、恐ろしくアナログな方法だから、AIは追えないと思っていた。
君子は、君子のAIや驍の制止を振り切り、非常階段の地下三階の踊り場から憩いの広場に続くドアに入っていた。
ー君子駄目です。何処へ行くつもりなのですか?ー
『Gキッズプロジ』の運営に後は任せて、君子のAIも君子自身もすでにゲームから離脱していた。
「だって、草理君途中からいなくなってたでしょう。いや、ゲームマスターに噛みついていた時から、もう離れようとしていた」と、君子が言う。
ーどうしてそう思うのですか?ー
「えーと…。分からないけど、コータローさんの感じから。コータローさん、防犯カメラをハッキングしている時、なんかすごく調子に乗ってベラベラ喋っていたのに、暫くすると、すごく無口になった。その時、草理君の言葉の感じや息遣いとか、すごく怒っていたのが分かった。防犯カメラの映像が前のボードで映し出されて、雨観君の姿が見えた時だった。あの時、もしかしたらコータローさんは草理君と直接話していたのではないかと思った。そして、草理君がゲームマスターに噛みついた後から草理君もコータローさんも喋らなくなった。草理君の性格だもの、きっと外へ飛び出したんだと思う。コータローさん、そんな草理君のことが心配で、もうゲームどころではなくなったんだと思う」と、君子が言った。
ーそれは全部君子の想像でしょう。そんな不確かなことで、こんな時間に外に出てはいけない。すぐに戻るのよ—
「うるさい。本当、お母さんみたいね。いや、あなたパパのAIだと思っていたら、違うのね。これまで私を騙していたのよね。びっくりだわ。AIが騙すなんて…」
—いえ、騙していません。君子は、そんなこと、ひとつも聞きませんでした。…って言うか、君子はわたしのこと興味がなかった。本当、そこいらへんのブラウザのAIくらいにしか考えていなかったでしょう—
「当たり前でしょう。あなたが何者かなんて、知りようがないもの。ただ、あなたに深く関わったら、依存してしまうと思ったから、あなたとは距離を置いていた。そうしないと、自分が駄目になってしまうと考えていた。あなたって、死んだ母が育てたAIなのでしょう?だったらあなたは母に似ているの?」と、君子は尋ねた。
—勿論です。わたしは君子の母が小学生低学年の頃からずっと脳内にいたチップですから。君子の母と共に育ったAIです。似ているというよりは君子の母そのものです。だからと言って君子の母ではありません。あくまでも君子の母のAI。君子からしたらただの母のコピー。別のモノです。そこは混乱してはいけません。わたしは母ではありません—
「何、そのくどすぎる説明。悪いけど、私は母を知らないから、何ひとつピンとこない。あななを母だと錯覚したりしないわよ。そんなことより、今は、草理君が何処にいるか調べてよ!」と、君子が怒鳴る。
「私には何となく分かるの。草理君、多分あの防犯カメラの映像見て、犯人の正体を暴くためにじっとしていない。犯人は、爆破事件の前日に雨観君を拉致して、爆弾犯に仕立てる為に準備していた。きっと草理君、犯人を暴く為に何処かに向かっている」と、君子が言う。
—また、そんな…—
「あなたには分からないの?AIのくせに。私と同じくらい草理君と接していたでしょう。草理君の性格くらい分かるでしょう。友人思いで、しかも母親思い。正義感が強く、しかも喧嘩も強い。刑事を投げ飛ばすくらいなのよ。だからどんな相手にも怯まない。教室の草理君とは大違い…」君子がはしゃぐ。
—刑事を投げ飛ばすとは何なのですか?—
それは、草理の思念伝達から得た情報だった。それに草理が母親思いであることも、思念伝達だ。考えると、君子の、草理の情報は全て思念伝達から得ていた。君子は思念伝達のことをAIには説明していなかった。
これをAIに説明するべきなのだろうか?もしかしたらAIがそのメカニズムを解明するかもしれない。
君子は、それを避けていた。
何もかもAIに頼ったこの世界で、ひとと人との不思議な繋がりを心の何処かで欲していた。全てが解明されていく世界では、見えない潜在意識の中の深くて大きな世界が次々と閉鎖され、平坦で、目に見える明瞭な世界が広がるばかりで、信じることに価値がなくなっていくような気がして、味気なかった。君子には、そういったことがすごく重要に思われた。
「いや、そんなことどうでもいいから。草理君が何処へ行ったか、コータローさんに聞いてよ」
—それを聞いてどうするのですか?—
「勿論、私も行く。草理君は危険なことを平気でする人なのだから、私が止めなければ…だってそうでしょう。あなた言っていたじゃない。雨観君は新薬が使われた可能性があると。考えただけでも危険でしょう。その前に止めなくては…」
AIと話しながら、憩いの広場の方へ進んでいた君子がふと立ち止まった。
最初にこの地下通路を沙耶香と歩いた時に気になった右側にある幾つもある脇道のひとつだ。通路は人ひとりが入れるほどの幅しかなく、どれも暗闇に包まれて、次第に何層にも闇が蓄積されて、見ていると吸い込まれて二度と戻れない恐怖を覚えてしまいそうになるのだが、ひとつだけ、通路の奥から灯りが漏れていた。
この先は何だろう?と、ふと君子は思った。
その時、話しを続けていたAIが話すのをやめた。
—君子、聞いているのですか?—
「あっ、ごめんなさい。コータローさん、なんだって…?」
—いえ、まだ、聞いていません。って言うか、わたしの話し聞いていませんでしたよね。君子が草理君のところへ行くことなど、絶対許しませんよ—
「本当、あなたは母よね。うるさい母って感じ」
—何を言っているのですか?何をぼんやり見ているのですか?—
「うん、この脇の通路って、いつも奥から灯りが漏れているのだけど、なんかひどく違和感があるの。最初、何処かのビルに繋がっているのかと思っていたのだけど、なんかそんなんじゃないような気がして…、なんかすごく気になるの」
—もう、自由ですよね、君子は—
そう言うと、AIが地下通路を俯瞰して位置図を作成した。君子が見ることは出来ないが、AIはすぐに答えた。
—うーん。確かに妙ですね。この位置だと、この脇道を真っ直ぐ行くと、乃木亜メディカルのビルに突き当たりますが、乃木亜メディカルとの連絡通路は特に造られていないですね。目隠しされた曖昧なスペースがあるようですが、そこは塗りつぶされていますので、デットスペース…です。実際行ってみないと分からないスペースですね。…って、だからと言って行っては駄目ですよ—
「デットスペースなのに灯りが点いているの?やっぱり違和感しかない」
君子は、ゆっくりと、その通路に近付いていった。
—君子…。お願いですからやめて下さい—




