誤算
ゲームの画面にノイズが走る。
視界にコマ送りのノイズが瞬きをしているように切れ切れに表示され、草理は、まるで何ひとつ見逃さないように瞬きもしないで、まんまるに瞳を開いていた。虹彩に反射する光がせわしない。
すると、すぐに教室の風景に戻った。
だが、つい先ほどの光景とは大きく違った。止まったままだった、それぞれのアニメのアバターが自由にお喋りをしている。笑ったり、ぼんやりしたり、横を向いたり、後ろを向いたりしている。自由で楽しそうだ。
あのクラスは、そんな雰囲気ではない。お喋りの声は聞こえている。笑い声も聞こえているし、横を向いたり、後ろを向いたり、無駄なお喋りもして、賑わっている。しかし、いつも漂う陰鬱な空気が何処かクラスに馴染めない者には緊張感を与える。そんな居心地の悪さがある。
そんな陰鬱な空気が何処から起こっているのか、草理にはなんとなく分かっていた。
生徒一人ひとりの中に潜む歪んだプライドが言葉の端々に出ている。そんな小さな毒が少しずつ薄い煤のようにゆっくりと蓄積していく。草理にとってそんなふうに映る毒は、空気中に含む見えない有害物質だ。脳の奥深くにゆっくりと悪意が沈殿していくのだ。
だが、このゲーム内の教室をよく観察すると、ひどい違和感があった。なんか気持ち悪い違和感だ。実のない笑顔。ただ言葉を投げているに過ぎないお喋り。笑うところではないのにバカ笑いする空笑。そうした違和感が次第に草理を不快にしていく。
やがて、教室のドアが開き、男が入って来た。そして教卓に立った。
教卓の前の席に座っている君子の目の前にいる男は見たこともない男だった。
君子は一瞬、教室の後ろに立っているAIを不安気に見た。
—君子、素知らぬ顔をして下さい。あれはおそらくゲームマスター。本物の君子がアバターの中に入っていることを気づかれないようにして下さい—
君子の不安そうな顔を、窓際の後ろの席で草理が見ていた。
咲村さん、ひとりで不安なんだろうな…。
その時、現実の驍の部屋では、驍が君子の肩に掌を置いて、「大丈夫だ」と、囁いた。
驍の声に応えるように君子が頷いた。
一瞬、じろっと教卓のゲームマスターと思しき男が君子を見下ろした。
「やばっ」と、君子がびくっとした。
気づかれた…?
だが、教卓の前に立ちはだかる男はすぐに君子から視線をはずし教室を見回した。
—君子、これはログです。過去の映像です。気づかれていませんので大丈夫。いつものように堂々としていて下さい—
了解…。と、君子が心で呟いた。
「さてさて、命令なしでは何もできない君たち…。喜べ!魂のない君たちに指示書が届いている。今日も高いところからお前たちを見下ろしている、魂を持つ者からの依頼だ」
男が声高々に言うと、生徒たちから歓声が上がる。
「さて、聞きたいか?」と、男が言うと、再び生徒たちが歓声を上げる。
「ふん、さて、今回の魂を持つ者は……レインマンだ!」
生徒たちが「おおおう」と、声を上げる。
「さて、レインマンの指示だ。わたしは知っているぞ」そう言うと、男が席の後ろを指差す。「君だ。雨観君!最近の君の行動は本当に目に余るものがある。我らが決めたこのクラスの執事…草理君を君は独占しようとしている。その独占欲旺盛な君の行動は、高いところから見下ろしている魂を持つ者たちの反感を買ってしまった。さてさて、魂を持つ者のなかでもレインマンが君を罰することをお決めになった。そこで、君たちに依頼がある。昨日、システムを破壊された三人がいただろう。三人は知っての通りこのゲームの選ばれし閲覧者だ。そうだ。君と、君、そして君だ」と、男が三人の生徒を指し示した。「君たち三人には我らから指示書が発行された。指示書の日時に確実に実行してくれたまえ。実行の終了とともに君たちにはポイントが支払われる。尚、この状況が分からず、実行されなかった場合には勿論ポイントは無効。そして、永久脱退に同意したものとする。それ以降、君たちに関わる、ここで実行されるあらゆる指示については我らは一切の責任は負わないものとする。そして、このゲームについて他言された場合、君たちの命の保障はしない」
男が三人の男を無表情に見下ろした。
すると、メールが三枚、教室を旋回し、三人のアバターの中に消えた。
「三人の生徒たちが、ログの時間帯にこのゲームを閲覧しているのだな。そして、メールが届く。もし、閲覧していないで、そのメールの内容が把握できずに、指示されたことを実行しない場合は、それ以降、このゲームによって、何をされるか分からないといった脅迫を受けているというわけだな。そして尚、このゲームについて他言すると、命がない。なんというゲームだ。浅はかで残酷なゲームだ。よくもこんなゲームが野放しにされていたものだ」
驍は、そう言うと、厚生労働省管轄のAIを起動した。
ゲームでは、再び画面にノイズが走り、新たなログを映し出していた。
すでに教卓にはゲームマスターが立ちはだかっている。
先程のように冷酷な表情で生徒たちを見下ろしていた。
「さてさて、生徒諸君。プロスピアから面白い提案書が届いた。プロスピアによると近々、とある公園で怪しい取引が実施されるそうだ。そんな情報を何故プロスピアが知っているのかってことは、それはトップシークレット。ところで、その取引と同時刻にこのクラスの『執事君』にその現場付近を歩いてもらおうというのが提案内容だ。それは我らが『執事君』と決めた草理君がなかなか『執事君』らしい仕事をしないからこれはプロスピアからの優しい忠告というわけだ。この提案書の内容については、後ろのボードに表示されているが、『執事君』を同時刻に取引現場付近を歩かせる方法は、すでにこのクラスの閲覧者からアイデアは頂いている。そして、その実行者を君にやってもらうことにした」と、ゲームマスターが指し示したのは、峯岸多絵だった。
「この提案を如何にスリリングに実行できるか、全て君にかかっている。もしかしたら『執事君』もその取引に巻き込まれて、間違って現行犯逮捕されるかもしれないが、我らは一切責任を負わないものとする。だが、君の行動によっては、このゲームの意義の素晴らしさを証明できるかもしれない。我らは君に感謝するだろう」
これだ!と、草理の怒りが込み上げてくる。
「なにが、なにが、『執事君』だ!」と、草理が声を上げると同時にアバターの草理も同じように声を上げた。
—草理君、落ち着いて。今は抑えて。もうひとつログを用意しているから、それでこのゲームを終わらせていいから—と、君子のAIが言った。—今、コータローさんが、このログに合わせて、実際の防犯カメラの映像を取得している。全てが証明できる—
しかし、ゲーム内に大きなノイズが現れると、ログが消え、現在の映像に戻った。
突然、画面が切り替わったことに驚いた草理はほんの一瞬何が起こったのか分からない。だが、怒りを鎮めるまでには至らない。
ぽつりと空いた教卓を睨みながら、ふと周囲を見回した。突然周囲が不自然に賑わい始めたからだった。画面が切り替わったことは理解した。だが、これまで動いていなかったから突然動き出したことに気づいた。
だからこそ草理は理解した。ゲームマスターが今、ゲーム内に入ったことを…。そして、教室の前方のドアが開くのを、草理は恐ろしく静かに待った。
心を静かにして、今の状況をひとつひとつ冷静に見据えている時の草理の集中力は研ぎ澄まされている。ゲームマスターがドアを開けようとしているまさにその時、草理にはもう次の予測を立てることができた。それはデータ分析や演算とも違う本能的なものだ。
「来た」草理は呟いた。「俺たちのことを察したんだ」
—ゲームマスターね?草理君、ありがとう—
君子のAIが言う。
そして、その通りにゲームマスターが教室のドアを開けた。
「今更だな。もう遅い」と、草理が小声で呟いた。
ゲームマスターがゆっくりと、威厳を装いながら、教卓に歩み寄り、チラッと君子のAIを見て、教卓の前に立った。
そして、ゆっくりと教室を見渡し、草理のところで止まってあからさまに正視した。
「さてさて、魂なき者どもよ!喜べ。今夜は急遽特別なゲストを呼んだ。誰だか分かるか?驚くなかれ、今巷で有名な…!なんと、なんとつい最近、企業テロで世間を騒がせた…!メガマウスだ」
メガマウスを呼びかけると同時に教室の中に突然、口が鋭いシャークが登場し、生徒たちの頭上を鋭く泳ぐ。
「何故、メガマウスを呼んだかというと…今日わたしがまだこの教室に登場していないうちに、何故か招かれざる客が来た。そして、この教室を勝手気ままに荒らしやがった。そんなやつは、まずメガマウスが1秒で個人情報を特定して、次の1秒で社会的に抹殺するよ。メガマウスだ。言ったことは必ず実行する」
そう言うと、ゲームマスターは教室の後ろで、腕を組んでいた君子のAIを指差した。
「君は誰だ?何しにここへ来た?全てを話すなら、個人情報を晒して社会的に抹殺する刑は許してやる!」
君子のAI…母の姿をしたアバターが毅然と笑う。
「あーら、それは楽しみだわ。個人情報を晒して社会的に抹殺する刑を受けてやるから、2秒で完了しなさい。もし、失敗したら、わたしがメガマウスを通報してやる。勿論、個人情報諸共…ね」と、母の姿をしたアバターがウインクをする。
「ほーう、随分と余裕がありますね。メガマウスを本物だと思っていませんね。ふふっ、後悔しますよ」
その時だった、突然、君子の母のアバターの隣りにノイズが起こり、スーツ姿のイケメンの男が現れた。
「おやっ、お仲間がいたのですか?」と、若干驚いたのか、微かに後退りしたゲームマスターが言った。
「さーて、存じませんが…」と、母のアバターが言う。
「あー、いえいえお仲間ではありませんね。わたしが誰だかお分かりにならない…」と、スーツ姿の男の口元が微かに笑った。「ところで、今、このゲームがとんでもないことになっていることをご存知ないご様子だ」
「なんだ、とんでもないこととは…?まぁ、メガマウスもいることだし、もう何が起こってもわたしは驚きもしませんが…」と、ゲームマスターが落ち着き払って言う。
「いえいえ、すごく喜ばしいことだと存じますが…」と、スーツ姿の男が言う。
スーツ姿の男が喋るたびに、ゲームマスターの後ろのボードに忙しなく、無数の言葉の文字列が動いていた。
それにまったく気づかないゲームマスターを見て、君子のAIのアバターが小首を傾げる。外部とのチャットを招待者以外、遮断しているつもりなのだろうか?だから気づいていないのか、単純な設定ミスか?と、いうより招待者しか訪れないことが前提だから、チャットは野放しか?
だが、ゲームマスターの動きが止まった。ようやく気がついたのだ。急激に増えた閲覧者に戸惑っているのだろうか。
「あれっ、もしかして、お気づきではなかったのですか?あなた、本当にゲームマスターなのですか?あなたのゲームは今、急激に伸びて、現在、トップテンまで上昇しています。ふふふ…すぐにトップスリーまで上がるでしょうね。防御の為だったと今知りましたが、404が剥がされたのですよ。ランキング下位とはいえ、いつも決まった順位をキープしている、404の存在は巷で話題になっていたことをあなた知らなかったのですね。それが剥がされたのです。ですから『Gキッズプロジ』内で話題となり、すぐにSNSへと飛火し、あっという間に上昇したのですよ。だが、どうやらあなたには都合の悪い結末となりそうですね」と、男は冷笑を浮かべた。




