違和感
驍の部屋に案内された雨観は、ずっと肩を窄めて臆病そうな顔をしていた。まるで教室にいる時の雨観とは違う。
君子にも雨観の恐怖が伝わって、動悸すら起こってくる。
当然だろう。と、君子は思った。
突然、まったく身に覚えのない、重い罪を背負わされたのだ。訳の分からないまま、息つく間もなくスーツ姿の、怖そうな男どもに追いかけられたのだ。
驍の部屋は、悠亮と共同のプライベートルームだ。60インチのTVモニターやゲーム機器やホログラムを投影するホロ•プロジェクター等完備された、結構贅沢な部屋だ。それを悠亮に頼み込んで自分専用の部屋にしていた。それだけではなく、麗香が頑固として反対していたのを何故か事なきを得て、無事に自分の部屋にしている。
驍は人たらしなところがある。いつの間にか自分のペースに引き込んでしまうのだ。結局、いつも思い通りに進めている。
驍は、雨観をソファに座らせた。そして、すぐに階下からありったけの食事を運んで来た。
テーブルに食事を並べて、雨観に勧めた。
「驍君、これ…?悠亮君や沙耶香、麗香さんの分残っているの?」と、驚いて君子が尋ねた。
「ああ、まだ横内さんと、久保さんがキッチンにいたから、頼んでおいた」と、驍が答えた。
横内と久保はハウスキーパーだ。以前は、研究棟から麗香の息がかかった女子社員が片手間で君子たちの面倒を見ていたのだが、そのうち専属のハウスキーパーがパートで雇われて、もう長い。二人の料理はプロ並みに旨い。二人はここのチャイルドスペース(仮)の事情をよく理解していて、さくっと手際良く君子たちの面倒を見ている。多少年配の域に入っているが、そんな大人がいると、安心感が半端なかった。
美味しそうな料理を目の前にした雨観が料理にがっついた。その勢いに君子も驍も若干引いた。
「なんだ、この旨さは…。咲村さんも悠亮もいつもこんな美味しいもの食べているんだな」と、時折呟きながら食べていた。
「そんなに食欲があるんだったら大丈夫だな。君に食欲がなかったらどうしようかと心配だった」と、驍が笑った。
「いえ、本当にずっと何も食べていないんです。お腹は空いていたんですが、あの時、食べれなかったハンバーガーとか買ってみたんですが、いざ食べようとしたら、吐き気がして、結局食べれなかったんです」と、雨観が言う。
「ああ、両親から偽のメッセージが届いた日だな。君の両親はずっと心配しているんだろうね?」
驍のそんな言葉に、雨観の手が止まる。そして、涙を溜めて、暫く俯いた。
「君のお父さんは、メディア事業部だったよね。君子君の AIに聞いたら分かるかな?」と、驍が言った。
「えっ?まさか、そんなこと分からないでしょう、研究棟のことならまだしも、他の事業部のことでしょう?」と、君子が言う。
「いや、君の AIって何でも知ってる気がして…」と、驍が笑う。
「なんか、もう便利使いされてる気がする…」と、君子はテーブルの上に携帯端末を置いた。
—特に変わりありませんが、現在、どういった扱いかは分かりかねますが、有給休暇扱いで会社には出勤されていない様子ですね。現段階では、まだマスコミ対策だということしか分かっていません。あまりお役にたてずに申し訳ありません。でも雨観君、あなたの冤罪を晴らす為に君子も私も精一杯努力しますので、ご安心下さい—
すぐに君子の AIが答えた。
「雨観君…」
AIの言葉にも反応しない雨観が心配になって、君子が声をかけた。
「俺、父とは滅多に話さない。いや、殆んど話さないんだ。あの偽のメッセージみたいに、いつも母を通して話す。どっちから話さなくなったんだろうって、思い出そうとしても、思い出せない。なのに、あんなに具合が悪かったのに、なんであの時、父の役に立とうなんて思ったんだろう。なんで書類なんて持って行ったんだろう?ホッパーに寄った時なんか、あの匂いのせいでもっと具合が悪くなったのに、それでも我慢して買って、どんな顔で受け取るのか、想像したりした。あんなに具合悪かったのに…。結局、ひどく怒鳴られただけだった。それからもっと具合悪くなって、本当にぼんやりして、なんか記憶もどんどん曖昧になって、どうやって病院に行ったのか、何処の病院に行ったのか、まったく覚えていない…」
雨観が俯いたまま淡々と話した。
「病院…?そうだ。覚えていないと言ったって、次の日病室で目覚めたんだろう?何処の病院だったということくらい分かるだろう?君が連れて行かれた時のことを聞きに行ってみたいのだが?」と、驍が言う。
「私も行く…」と、咄嗟に君子が言った。
その時、雨観は顔を上げた。なんだか、ぼんやりとした顔で、ゆっくりと首を傾げた。
「え…。えっと…。あれっ、何処の病院だったっけかな?えっ?東区…?橋を渡ったんだっけ…」雨観はなかなか思い出せない。
「えっ、なんで…?!分からないの?だって、翌朝病室で目覚めて、帰ったのよね。それって、1日入院して、退院したということよね。だったら、会計だって済ませているはずでしょう?それに両親にも連絡いってるはずよね…?あれっ?なんか雨観君の話しおかしいよね?」と、君子も首を傾げる。
「うーん…?そうなんだ。雨観君の話しは違和感だらけなんだよ…」と、驍が言った。「どうやって、その病院から帰ったんだ?」
「えっ…?どうやって帰ったんだろう?」と、雨観はまだ首を傾げていた。
「覚えていないの?」
「あっ、うん、ちょっとよく分からない」と、雨観が言う。
「君、もしかしたら変な記憶を噛まされていないか?」と、驍が言った。
「えっ?それどういう意味なの?」君子が尋ねた。
—ナノマシンを使った新薬で、海馬の神経細胞、シナプスにナノマシンが定着することにより、記憶の最適化を行う研究が乃木亜メディカルで行われていました。実際は峯岸製薬が行っていた研究でした。言い方は良くないですが、その研究に目をつけた乃木亜が峯岸製薬を吸収合併した形で受け継いでいます。しかし、研究成果として、あまり芳しくない状況となり、今はその研究を見送るかどうか検証をしている状況です。もともと記憶の最適化とは、個人形成において育成を妨げるような大小の記憶を削除、或いは緩和して、記憶の最適化を測る役割を担っておりましたが、記憶の上書き、書き換え段階で何かの作用により正しく行われずにむしろ他者の介入による改竄が可能となり、それにより操られてしまう、人間社会にとって恐ろしい現象を生み出したのです。それは結局、社会に歪みを与える、大きなリスクを伴う結果となり、改善を試みたようですが、成果はありませんでした—
君子の AIが言う。
「新薬…?君子君の AIもそこに目をつけたか。実は、雨観君のニュース速報の前に気になるニュースを観た。都心で起こったニュースだ…」と、驍が言う。
君子はすぐにそのニュースのことを思い出した。雨観のニュースに上書きされ、そのニュースは記憶の片隅に追いやられてしまったが、ひどく奇妙なニュースだった。
自分を神だと信じる若者がおそろしく混雑した雑踏の中で突然叫び出す。
「バベルの塔で神に近づきすぎた人間たちの言葉の崩壊により招いた混乱のなかで、わたしは全ての言葉を聞き分ける新たな神として、人間に罰を与える為にここに降り立った」
そして、男は、雑踏の中で無差別に刃物を振り回したというニュースだった。その後、その場で撮影された動画が参考資料として、加工されてニュースに映し出された。逃げ惑う人々の間を縫って走り回る男は、とても人とは思えないほどに、人間離れした速度と、瞬時に人と人の隙間を正確に走り抜け、その跡には、夥しいほどの血痕が飛び散っていた。加工されていたとはいえ、それは非常にショッキングな映像だった。混雑していた雑踏はとたんに地獄図と化していたことが想像できる。
驍はこのニュースに見入っていたのだ。
奇しくも、その後に雨観のニュース速報が入った。
—しかし…。新薬については黒い噂もあります。新薬の研究が乃木亜メディカルに移行すると同時に峯岸製薬の新薬研究チームは解散。全ての資料を新たな乃木亜メディカル研究チームに移行。だが、新薬の開発に全てを捧げた新薬の産みの親とも言われている笠木千景開発部長の失踪と共に、その右腕と言われた倉木瑛二の失踪。彼らにとって資料の移行など何の意味もなさない。何処かで研究の続きを行っているのではないかと言う噂。そして、多くの可能性を秘めた新薬に新たな機能を加えたナノマシンを開発しているのではないかという噂が関係各所に流れていることを乃木亜メディカルを始め、元峯岸製薬の関係者とともにその事実を隠蔽しているのではないかと示唆されています。と、言うのも、驍君が、そのニュースを気にしたように、きな臭い因果関係を疑われるのを避ける為だと考えられています。しかし、明らかにそのニュースを始め、新薬の効果と考えられるような事件が起こり始めています。雨観君の、その違和感も無関係だと言い切れないことを驍君は考えているのですか?—と、 AIは続けた。
「ああ、まぁ、考えないこともなかったが…。だが、 AIちゃんみたいに、俺はそんなに詳しくはないんだがね」と、驍は言った。
— AIちゃん…?君子…。照れ臭いんですけど—
「ぺらぺらと、そんなことを外部の人間に言っていいのか?君は乃木亜を守る側の AIだろう?」
—いいえ、私は君子の AIです。勘違いなさらないように、驍君。君子が今守ろうとしているのは雨観君です。驍君こそ間違えないで下さい—
「わっ、間違えた。そうだったそうだった。違和感違和感…」驍がとぼける。
「そう言えば、今日は驍君の AIは?厚労省所属の物凄く優秀な AI。あれがあったら、いろいろな権限があるから、雨観君の冤罪もすぐに晴れるのではないの?」と、君子が尋ねる。
「ああ…」と、驍が黙る。
—優秀ゆえに驍君の方が制限される。あの AIは、その権限と同時に驍君を管理している。驍君の優秀な AIは、厚労省の AIではないですよね。驍君本来の AI。どうかしたら厚労省の AIより優秀なのかもしれません—
「これは驚いた。なにもかもお見通しか。いや、二つの AIを使い分けているというわけでもないんだ。俺の AIは、今ここにはいない。友人に貸している。厚労省の権限は大いに利用しているさ。だが仰る通りガチガチに管理されているから、権限を利用する時はこっちの方が頭を使う…」と、驍が笑う。
—そう言えば驍君、時々そのへんのブラウザの AI利用してますよね。利用する者が優秀なら、ブラウザ程度の AIさえも優秀になる。 AIは使う者次第というのはいつの時代でも変わらない—
「さて、さて雨観君、お待たせ。俺のなかで準備は整った。じっくり聞いてやるから、その歪んだ違和感を整えていこう…」
驍は、何かに裏打ちされた勘に突き動かされる自分を感じていた。




