冤罪。
悠亮は息を呑んだ。
少しずつドアの隙間が開く。そして、ある程度開くと、そこで止まった。だが、次の瞬間には勢いよく一気にドアが開いた。
「悠亮…?」
雨観が立ち竦んだ。
(えっ?雨観君なの?どうして?)
悠亮は、ただ、呆然と雨観を見上げた。
「どうして雨観君がここにいるの?って言っているんだろう。今でも、悠亮の言葉が聞こえてくる」
雨観が言った。
「だけど…、悠亮が学校に来なくなった時、俺はもう言葉を見失ってしまった。咲村さん目当てで俺が近づいたからなのか?確かに最初はそうだったかもしれないけど、でもそれはただのきっかけに過ぎなかった。悠亮がたったそれだけの理由で学校に来なくなったとは思えないんだ」
そう言うと、いきなり雨観は個室の中に吹っ飛んできた。
尻餅をついていた悠亮はびっくりして、咄嗟に飛び退いた。
ドアの間口には君子が立ちはだかっていた。どうやら雨観の尻を蹴飛ばしたようだ。
「なんだよ。咲村さん…君って、見かけによらず随分と乱暴なんだな」と、尻を摩りながら、雨観が言う。
「何を言っているの?馬鹿なの?頭悪いの?ここ、何処だが分かっているの?ここは乃木亜社内なのよ。私がいようと、時宮君がいようと乃木亜内なのよ。あなたが爆弾騒ぎを起こした乃木亜にあなたはいるのよ。なんで、大人しくできないの?」君子が叫ぶ…。
「あっいや。咲村さんこそ…。しっ!しっ!静かにして…静かにして下さい」雨観が懇願する。
「もーう、悠亮君に見つかったじゃない。って言うか、あんた、ここに悠亮君がいることを知っていたでしょう。ここに入った時からおかしな行動とっていると思ったけど、悠亮君探していたんだよね。でも、もう勝手な真似したらぶん殴るわよ。悠亮君くらいならまだいい。驍君や麗香さん。それに乃儀さんに見つかったら、あんた即通報だからね…」
君子が、声を落として、騒ぐ。
そんな君子を見て、まだ悠亮は呆然としている。
「ごめん、悠亮君。秘密にして、お願い。誰にも言わないで…」
悠亮が生唾を呑む。そして、その視線が君子ではなく、背後を見ていた。
君子がその視線の先に気がついた時、鼓動が大きな太鼓を叩いたように響き渡った。
思わず、悠亮のドローンに変身したロボットが喋る。
—君子さん、わたしは悠亮君の AIトキです。初めまして。えっと、少し遅かったようです—
君子は、ゆっくりと後ろを振り返った。そこにはひどく間抜けな顔をした驍が立っていた。
「驍君…?」
ん…?と、驍は首を傾げていた。
「えっと?驍君、どうしたの?こんな時間に。早過ぎるよね。まだ爆破事件の影響…?」
君子が話している間、悠亮はゆっくりと立ち上がって、雨観の前に立った。そして、こっそりと雨観をずずずと後退させ、前を向いたまま、雨観の頭を押さえて、机の下に潜らせた。
その間、君子の身体で遮られた、個室の中を驍がちらちら見ようとしているが、君子が切り返して驍を塞いだ。
「どうした?何をこそこそしている?何をしたか知らないが、ここでは誤魔化せない。ここの AIが全てを見ている。今頃、麗香さんのところに映像と共に報告されているだろう。そんなことも知らなかったか?」と、驍が言う。
「驍君…?あぁぁぁぁ、もぉぉう、失敗よ。全部私が悪い。咄嗟に連れて来た私が悪い。ごめん雨観君、この人押さえているから、逃げて!」と、君子は驍に覆い被さろうとしたが、あっという間に逆に驍に取り押さえられてしまった君子。
「雨観…?」と、驍が呟く。
「ごめん。咲村さん、俺、もう疲れたよ。家族にも頼れず。爺ちゃんの所にも行ったんだけど、結局合わす顔なくて、そのまままた戻って来て、ずっと逃げてて、野宿もしたし、風呂にも入っていないし、飯も食っていない。もういいよ。通報されたって…」真っ暗な机の下に押し込められた雨観が囁くように言った。
(雨観君…。駄目だ。諦めるな)
悠亮が駄目元で机を塞いだ。
AIトキのドローンが激しく旋回する。
—駄目だ。雨観君、諦めるな!わたしが気を逸らすから、逃げろ!—
「おいおいおいおい、待てよ。何だよ。俺ひとり、悪い大人かよ。傷つくなー、おい!なんだよ、君子君、悠亮君。誰庇ってる?雨観君か?」
緊張した面持ちで驍を見つめる君子の肩を掴んで優しく押し退けた驍に、もう逆らうことはできない。
驍は、机の前にしゃがんだ。
「雨観君か?何が疲れたんだ?君は本当にそうやってこそこそ逃げなければならなかったのか?」と、驍が言った。
「えっ?仕方ないだろう。あの日、俺は物凄く具合が悪くて寝てたんだよ。で、ひと眠りしたら、携帯にメッセージが届いた。母親からだった。今考えたら奇妙なメッセージだった。母親は用事で出掛けていた。メッセージは父が書類を忘れたから届けてくれというものだった。そのついでにホッパーのハンバーガーを買って来てくれ。と…。母親は行けないから代わりに届けてくれといった内容だった。今考えたらおかしな話だ。俺は夢を見ていると思ったくらいだ…」と、雨観が言った。
「何がおかしな話しなんだ?」と、驍が尋ねた。
「まず、父が書類を忘れたから届けてくれなんて、百パーセントあり得ない話だ。書類だって。いくらなんでも紙媒体の書類なんて、絶対あり得ない。と、思いつつ、今どき紙媒体かよ?とか散々馬鹿にしただけ…で、言う通りにした。ひどく具合が悪かったけど、母からも父からもそんなこと頼まれたことなかったから、結構重要なことなのかとか思ってしまった。父の書斎でその書類とやらを探したが、どれのこと言っているのかよく分からない。で、母にどの書類か尋ねる為にメッセージを送ったけど、全然返事がないし、電話しても繋がらないから、仕方なく机の引き出しとか開けてみたら茶封筒に入った書類があった。それ以外はそれらしいものがなかったので、それを持って家を出た。そして、ホッパーでハンバーガーとドリンク買って、乃木亜本社ビルまで持って行ったんだよ。父はすぐに受付まで来てくれたんだけど…。いや、そんなこと頼んでいないと言うんだ。ましてやハンバーガーなんて餓鬼じゃないんだから、そんなもの頼まない。と、散々怒鳴られて、おまけに俺が持っていった書類は大事なものらしく。そんなの外に持ち出すな!と、更に怒鳴られた。俺はもう具合悪くて、くそっと思って乃木亜本社ビルを後にした。それからよく覚えていないんだけど、ふらふらと研究棟の敷地内の広場に入って、ベンチに腰を下ろした。父が受け取らなかったホッパーのドリンクを飲んだ。さすがに具合悪くてハンバーガーは食べれなかったのは覚えているんだけど、具合が悪すぎて俺はそこで多分寝た。その時だよ、乃木亜研究棟の爆弾騒ぎが起こったのは…。だけど、それはぼんやりとしか覚えていない。暫くして、誰かが声を掛けてくれて病院に連れて行って貰ったのは少し覚えている。そして、次の日病室で目が覚めたんだ。そしたら信じられないほどのメッセージが携帯に入っていた。母からだ。いったい何をしでかしたんだ!と、相当怒っているだろうと思われる文章が幾つも入っていた。昨日の夕方、警察が来て、俺が乃木亜研究棟の爆破事件の容疑者だと。もう、何が何だかさっぱりだ」
一気に、涙を溜めながら雨観が喋る。
「おおぅ、すごく大変だったな」と、驍が、ひどく同情したように言った。
「えー、でも、なんだかおかしなことがいっぱい起こっているよね」と、君子が首を傾げた。
空を旋回していたドローンが床に降りて来て、ロボットに変身したので、君子も驍も驚いた。そして、顔が綻んだ。
—はい。まず、ご両親の嘘のメッセージに踊らされていますね。まるで、雨観君を防犯カメラに映り込ませるために仕組まれたようにも感じます—
「そうだね。わざわざホッパーのハンバーガーまで買わせてるものね。……へぇー悠亮君なの?悠亮君が喋っているの?」君子が床に張り付いて小さなロボットの顔を覗き込んだ。
—いえ、わたしは悠亮君の AIトキですけど、悠亮君が直接話しているというわけではありません。悠亮君が感じて、それについて悠亮君が話す内容が予測できますので、悠亮君が言いそうなことを言ってます—
「えー、なーんだ。悠亮君じゃないんだ。ただの AIかっ。 AIだったらもっと気の利いたこと言ってよ。あなたが言ったこと、みーんな気づいているんだけど…」
—す、すみません。そうですね。悠亮君だったらもっと気が利いたことを言うかもしれませんね。わたし AIなんですけど…なんと役立たずな—
しかし、悠亮は、 AIトキが言ったことを言いたかった。少し恥ずかしくなった。
「だけど、父親が書類を忘れたから持ってきてと言う偽のメッセージ必要かな?紙媒体の書類なんて今では殆んどの人が持っていない。皆んなデジタル化されているから。特に雨観君のお父さんはメディア事業部。紙媒体なんて皆無だ。書類がなければ雨観君が動かない可能性が高い。仕組まれていたとも言い難いのだけど…。でも偽のメッセージが送られたことは確かなことだし…。なんだか子供の悪戯としか思えないな」と、君子は、草理が言っていたクラス内で行われている謎のゲームを思い浮かべながら言った。
「うーん。本当言うと、俺ははなっから君は冤罪だと思っている。しかし、簡単ではなさそうだな。ここで匿ってやりたいけど、先程言ったように、ここの AIがすでに麗香さんに報告しているだろうから、早くここを離れた方がいい。麗香さんは研究棟の人間だ。君を許さないかもしれない」と、驍が言った。
その時、君子の携帯端末がスカートのポケットの中でブルブル震え出した。
「なに…?」
君子がポケットから取り出すと、携帯端末の画面が光った。
そして、君子の AIが喋り出した。
—チャイルドスペース(仮)の AIでしたら大丈夫です。すでにわたしが掌握しています—
「えぇぇぇっ…?」と、君子が驚く。
「ほぉぅ…」そして、驍が感心した。「さすが秀一郎さんのAIだ」
「えっ?驍君は私の父を知っているの?」と、君子が尋ねた。
「ばーか。当たり前だろう。皆んな知っているよ。秀一郎さんが有名だと知らないのは、君子君だけだよ。……ねぇ、今、麗香さんは何をしているのか、分かったりする」
驍が君子の AIに尋ねた。
—はい、驍さん、麗香は今、研究棟にいます。爆弾騒ぎがあったことも、もうすっかり忘れて、通常業務を行っています。おそらく暫く帰って来ないでしょう。安心して下さい。わたしが麗香の帰宅をご報告します。だけど、沙耶香さんはいます。今、注意すべきは沙耶香さんでしょう。沙耶香さんは現在、カフェスペースにいます。悠亮君を待っているのではないかと思われます。でも、ここの、男性ばかりいるエリアには近づかないでしょう。沙耶香さんは見かけに寄らず、コンプライアンスにはうるさいですから—と、君子の AIが答えた。
君子の AIは、君子が命令しなくても、しっかりと先回りして、君子の安全を完璧なまでに整えている。
本当に優秀な AIなのだろう。と、君子も思う。
「うん。了解した。で、雨観君、君はいつまでそんな狭くて暗い机の下に隠れているつもりだ。まるで餓鬼だな。早く出て来い。俺の部屋でまるっと分析するから。君の冤罪を晴らすよ!」と、驍が言った。「えーと、悠亮君は、取り敢えずカフェスペースに行って来い!」
—えぇぇぇ!—と、 AIトキが叫ぶ。と、同時に悠亮も心の中で同じように叫んでいた。




