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小さなロボット



 聞こえていない…?

 乃木亜研究棟爆破事件からずっと話しかけているけど、君ちゃんがまったく反応しない。


 悠亮は、ずっと不安を感じていた。本来、こんなことで不安を覚える必要はなかった。他人は外に存在し、自身の世界を変える存在ではなかった。しかし、君子がある日突然その世界に波紋を投じた。そして、それを受け入れてしまったのだ。

 分かっていた。その日から不安を覚えるようになった。

 悠亮は頭の良い少年だ。何故、不安を覚えるのか、よく理解していた。

 それでも君子が心の声を覗けることを受け入れてしまったのだから、不安への代償など然程重くはなかった。


 そして…。

 君子が心の中に存在してから、再び悠亮の心の扉を無理矢理こじ開けようとする者が現れた。


 それは中学の頃だった。

 中学一年生の時は、喋らなくても、まだ、小学生から、見ず知らずの人の集団が集められ、一方的に教室のなかに閉じ込められた異様な空間だ。悠亮が喋れないのは、まだ個性と受け止められた。時折、小学生の時同じクラスの生徒が良かれと思ったのか、それとも小馬鹿にしていたのか、悠亮は喋らないと宣言してくれた。悠亮には、それは親切心でも軽視でも何でも良かった。その言葉のお陰で心が軽くなった。


 しかし、二年生の時にそいつが悠亮の席の前に立ちはだかったのだ。

 「ねぇ、あんた喋らないんだって、それって俺様だからか?あんたの父親って乃木亜研究棟だろう。俺の父親は研究棟とは違うけど、乃木亜メディア事業の取締役部長をやってるんだけど…同じ会社に勤めているということで俺にだけ喋ってくれないかな?」と、突然そいつが言った。

 悠亮はびっくりした顔をして、思わずそいつの顔を見つめた。

 「あっ、ごめん。驚かしてしまったんだったらごめん…」


 その時、小学校の時、同じクラスだったお節介な生徒がわざわざ近くにやって来て、言った。

 「あっ、時宮君は、喋らないというわけではないんだよ。喋れないんだよ。もうずっと昔からだよ。乃木亜の託児所にいた時からずっと…。先生が時宮君は心の病気だと言っていた。だから、話しかけない方が時宮君には安心なんだ」


 お節介が去って行くと、そいつも去って行くだろうと思ったが、何故か悠亮の前の席に腰を下ろして、まじまじと悠亮を見つめた。

 「へえー、喋れないのか?だけど、心の病気って決めつけることはないよな?だったらさ、俺が話すから、あんた別に喋らなくてもいいよ」と、そいつは言った。

 それからそいつは事あるごとに悠亮に話しかけてきた。飽きずに何度も。

 わざわざ面白い話を仕入れてきては悠亮に聞かせる。何故、そいつはそんな、何の得にもならないことをするのか、不思議だった。いつのまにか、そいつが話しかけてくることに抵抗がなくなった。


 それが雨観あまみだった。

 悠亮は、ついに携帯端末の AIを取り出して、雨観に差し出した。


 —わたしは悠亮君の AI、トキです。悠亮君とは幼い頃から共にいますので、悠亮君のことは完璧に分かっています。これからはわたしが悠亮君の言葉を代弁します。宜しくお願いします—

 「えぇぇぇ、そんなに気を遣わないでくれよ。別に AI使わなくても、だいたい悠亮が何を言っているのかなんて、分かるよ。だいたいでいいんだよ。そんなの。俺もたいしたこと言ってないんだ。悠亮だってたいしたこと言ってないだろう」と、言って雨観あまみは大笑いした。


 暫く雨観あまみは、悠亮の AIトキと喋っていた。

 「わぁぁっ、なんだよ!やっぱり AIだよ。何処まで行っても AIだよ!悠亮、やっぱり AIはいいや。こいつが悠亮の言いそうなことを言ってるっていうのは分かる。だけど俺からしたらやっぱり悠亮ではないんだよ。微妙なね、何かが、なんかね、悠亮ではないんだよ。だから遅くても、携帯端末をタップして、伝えてくれた方がいい。悠亮の言葉で聞きたい」と、雨観あまみが言った。

 その日から 悠亮はAIは使わなくなった。


 それに悠亮は、もともと君子が心の言葉を読み取ってくれていたので、 人前ではあまりAIは使わなかった。


 じつは、悠亮の中には繊維状のチップが入っていた。それは誰にも明かしていない。

 喋れなくなったことを心配した父が悠亮に許可なく入れたものだ。父はずっと黙っているが、悠亮には分かっていた。眠っている悠亮に麻酔をかけチップを入れたことくらい。その日を境に明らかに通常では起こり得ないようなことが起こったのだから。

 君子が思念伝達と思い込んでいるものは、悠亮のチップが起こしているのだろうと思っていた。

 そして、悠亮の中にチップが入っていることは決して君子には言わなかった。それは、悠亮の思念を君子が受け取っていると、思っていて欲しかったからだ。


 だが、託児所で君子が悠亮の心の中の言葉を言い当てた時は素で驚いた。本当に君子にはそんな超能力があるのかと思ったけど、よくよく考えると、自分の中には繊維状のチップが入れられているのだからそういったことが起こっても不思議ではないのだろう。と思った。


 しかし、次第にいろいろな矛盾点があることに気がついた。何故、君子だけにチップは心の言葉を伝えられたのだろうか?君子はチップを入れていない筈だ。君子の AIはサーバから携帯端末を通して会話をしている。

 なのに、悠亮の心の言葉が届くのは何故なのか?やはり、君子の不思議な力を信じずにはいられなかった。


 しかし…。

 何故だろう。

 ここ何日か、君子は悠亮の言葉を受け取っていないのではと、ひどく不安を覚えた。

 呼びかけても、君子は何も反応しない。

 悠亮は焦っていた。


 雨観あまみのニュースを見た時、思わず呟いた言葉にも君子は反応しなかった。いや、反応しなくても聞こえていないと決めつけることはない。



 悠亮は、久しぶりに机の引き出しから箱を取り出した。中には AIデバイスのフィジカルアバターの小さなロボットが入っている。悠亮が小学生の頃、父から貰ったものだった。

 すごく可愛いくて、愛着がある。だから中学になった頃からなんとなく使わなくなった。母のネグレクトのせいなのか、深い愛着を抱くと、ひどい不安を覚えるのだ。だからある日、思い切ってしまい込んでしまった。


 ロボットは、悠亮の望み通り動いてくれる。ドローンに変身して、悠亮が行きたいところへ行ってくれる。サイズが小さいから、秘密裏に行動させることもできた。


 午後5時半を回っていた。

 悠亮は、朝9時から昼食時に1時間30分休んで、午後4時まで学習室でゾアシステムのリモート授業を受けている。学校で授業を受けるより高度な授業だ。

 ようやく授業を終えて、自分の個室で、今朝見た乃木亜研究棟の爆破事件に関するニュースの情報を集めて、防犯カメラに収められたモザイクの犯人の正体を暴こうとした。しかし、集めれば集めるほど、その正体が雨観あまみに近づく。

 しかし、悠亮は微塵も雨観あまみが犯人だと思っていなかった。

 今頃、雨観あまみはモザイクとはいえ、ネットで騒がれて、逃げ惑っているのではないだろうか。

 2030年代に出来たデジタル規制法により、モザイクを剥がして個人を特定、晒すとすぐに AIが削除して、特定して晒した個人を 更にAIが特定、すぐに罰金が課せられる。そんなことが延々と繰り返される、ほんの一瞬の隙間の中で何度も雨観あまみが晒される。

 このままじっとしてはいられなかった。


 だからロボットを出した。

 雨観あまみを探すためだ。


 君子は、もうとっくに学校から帰って来ている時間帯だ。なのに君子の存在を感じなかった。

 乃木亜研究棟の爆破事件から二日はタクシーで帰っていたようだ。

 君子のことと、雨観あまみのことで悠亮の心の中に真っ黒い煤のようなものが蓄積されていく。

 ひどくドス黒い。なんとも言い難いもやもやした気分と、空っぽの焦燥が交互に訪れる。


 そして、悠亮はロボットに尋ねた。

 (いま君ちゃん何処にいると思う?)

 —君子の存在を感じるよ。もう悠亮の近くにいる—

 (えっ?そんな筈ない。僕は何も感じなかったけど)

 —そうですね。すごくこっそりと、まるで隠れるように帰って来たみたいだよ。なんならわたしが飛んで探してみようか?—

 (見つからない自信があるなら、行ってきてよ)

 —見つかるわけないでしょう。音も出さずに飛んでみせるよ—

 (ちゃんと映像見せてよ)

 —もしかして、その為に久しぶりにわたしを出したのですか?—

 (そんなわけないよ。雨観あまみ君を探す為だよ。今頃どうしているだろうか?こんなにも騒がれてしまって。だから君ちゃんを待っていた。一緒に探してもらおうと思って。なんか、これ、ひどいドス黒いものを感じるんだ。トキ、この感覚の正体分かる?)

 —ドス黒いもの。その感覚を現実に置き換えるのはちょっと厳しいかな。おそらく悠亮は、この事件が単なる爆弾騒ぎではないと思っているんだよ。陰謀めいたものが隠されて、雨観あまみ君は格好の生贄だった。雨観あまみ君が生贄になったのには理由があるから。その背後にある黒い影を悠亮は見ている。わたしはそんなふうに思うけど、少しはすっきりした?—

 (うん。そうだね。あまりにもやもやしすぎて、中学の時の雨観あまみ君のことを思い出したり、君ちゃんの、僕の心を読んでいることが、もしかしたらトキの仕業だと考えたり。もう頭の中が収拾がつかなくなっている)

 —うーん、わたしは君子さんに悠亮の心の声なんて送ったりしていないんだけどね。どうしてそう思うのかな?—

 (トキの潜在領域が起こしているバグみたいなものだと考えた。勿論、僕が命令しないと、トキは僕の心の言葉を君ちゃんに送信しないことは分かっているよ。でも、君ちゃんが僕の心の言葉を読んでいる。君ちゃんはテレパシーと言いたいんだろうけど、テレパシーでは軽すぎると考えているんだろうね、思念伝達と言っている。僕はそんな超能力が存在するなんて信じていない。何らかのバグが起こっていると考える方が合理的だ)

 —そんなバグ、超能力以上にあり得ないんだけど…—

 (いや、まだ解明されていないだけかもしれないだろう。いずれにせよ、思念伝達はないよ)

 —合理的ではないね。でも、君子さんは、自分の能力ではないと思っているよね。悠亮のテレパシーと信じて疑っていない。だから、悠亮も頭の中のチップの存在は決して明かさないのだろうけど。それはわたしには無意味なことなんだけどね。まったくそんなところが悠亮の可愛いさなんだけどね—

 (うるさいな!僕には君ちゃんは家族みたいなものなんだ。この関係は壊したくない。君ちゃんが託児所で僕の言葉を思念伝達と受け取った瞬間から、特別なんだ。で、雨観あまみ君も僕には特別だ!絶対助けるよ!)

 —了解。とにかく君子さんが何処にいるか探して来るから、少しだけドアを開けてくれないか—

 (オッケー)


 悠亮は、ドローンに変身したロボットを出すために、個室のドアを僅かに開けた。


 その瞬間だった。

 ドアの隙間からギョロリとした目が悠亮を捉えた。

 悠亮は心臓が止まるほど、驚いて、腰を抜かす勢いでその場に尻餅をついた。

 ギョロ目が見下ろした。


 ドローンのロボットがぐるぐる旋回した。


 ギョロ目の背後から君子の声が聞こえてきた。


 「雨観あまみ君!駄目だって、勝手に歩かないで!見つかったら面倒でしょう!」


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