懺悔
不審者が周辺をうろついているという噂で二、三日の間、学校は注意を促していた。ひとりでの登下校を避けるようにすることと、父兄の自動車での送迎、タクシー利用が許可された。だか、それ以降不審者の目撃が無くなったために注意喚起に留まり、自動車送迎やタクシー利用は生徒や父兄の自由意思となった。しかし、当面の間は登下校の際は単独での行動は避け、必ず複数人での登下校を徹底して下さいという、指示が出された。
君子には、一緒に登下校してくれる友人はいなかった。だからニ日間はタクシーを利用した。そんな君子を横目に沙耶香がたいそう大きなリムジンで送迎され、君子が乗ったタクシーを追い越して行く。
さすが社長の孫だ。私とは立場が違うよね。と、君子は苦笑した。
ほぼワンメーターで下車しているタクシーを見送ると、馬鹿らしさのあまり三日目から地下街の近道を利用して登下校することにした。憩いの広場のドアのゲスト用のIDが残っているのなら、またあそこを利用しようと考えた。
—大丈夫です、君子。ゲスト用のIDではなく、君子にも権限が与えられていましたので、取得しております—と、君子のAIが言う。
「ありがとうママ」
君子は、無意識にそんなふうにお礼を言った。
—ありがとう君子。なんかくすぐったいですね—
「えっ?何が…?」と、君子は何のことかよく分からない。
—いえ、何でもないです—
「草理君は、ホームルームが終わると、すぐに帰ってる。私が後ろを振り返ったら、もう姿が見えない。昼休みもいなくなって。何処に行っているのだろうね。食堂の裏にもいない」と、君子がぶつぶつ呟く。
—放課後は、どうやら雨観君を探している様子です。時々コータローさんと共有しています。昼休みは食堂の裏の門扉から外に出て、コータローさんと手掛かりを探しながら、近隣をうろうろしているみたいです。どうやら草理君は、不審者が雨観君ではないかと考えているようです—
「もう。何で自分ばっかり勝手に共有しているんですかね。私はそっちのけですか?」と、君子のほっぺたが膨らむ。
—いえいえ、コータローさんがこちらの時間を無視して、共有してくるのですよ。それがいつも授業中だったり、君子が入浴中だったり…君子には声をかけられない時間なのですよ。コータローさんには困ったものです—
「それって、逆に草理君にも話しかけられない時間帯になるよね。本当コータローさんって誰のAIなんだろう。草理君は借りているにすぎないのよね?」
—コータローさんは優れたAIです。とても高校生が所持できるAIではありません。AIの意思でAIに共有できるAIなんて見たこともありません。おそらく、本当の持ち主が私との共有を命令しているのだと思いますが、私にすら、その持ち主の特定ができない。それこそが優秀なAIと言える所以ですね。そうでないと、AI自身がAIの独断でAIとの共有が実行できるなんて、そんなAIが出回るのはまだ先の話しです。ちなみに私は君子の為なら、君子の許可がなくてもできるんですけどね—
「だって、事実上パパのAIだもの。私個人のAIなんて持たせてくれるはずないでしょう」
—いえ、秀一郎様が君子の為にとご自身で創ったAIですよ。何の文句があるんですか?—
「まぁ、そうなんだけど、お陰で不自由な思いしていないし…」と、君子が言った。
その日は午後から薄暗い曇りだった。放課後になっても状況は変わらず、教室には暗鬱とした空気が漂っていた。AIとこっそり会話をしているうちに、また教室にひとり残ってしまった君子に再びAIが話しかけてきた。
—コータローさんからメッセージが送られてきました。草理君が君子のことを心配しているそうです。草理君の声を再生しますね—
AIが言う。
「えっ、草理君。私のこと一応覚えていてくれたんだ」と、君子は拗ねた。
—咲村さん、大丈夫だった。俺って本当に気が利かない、馬鹿で間抜けで本当にどうしようもない野郎で悪かった。俺が送ってやれば良かったんだが、タクシーで帰るところを見かけてすっかり安心してしまった。今日もタクシーで帰るんでしょう?気をつけて…—
「はーい。でも今日は憩いの広場経由だ。あそこが一番安全だよ」と、君子が言った。
—それ、送りますか?—
「いやいやいや、送らないでよ。ありがとうとだけ伝えといてよ」と、君子が焦って言う。
—おそらく、コータローさんの助言で草理君はメッセージを送ったのでしょうね—
「えっ、それを言う?そんなの分かってるよ。草理君は、今、雨観君のことで頭いっぱいなんだね。虐められていたと思っていたのに、あの二人はどんな関係なんだろう」
君子は窓の外を見た。外がまるで夕方みたいに暗くなっていた。
「さて、帰ろっか…」と、君子は教室を出た。
校舎から出ると、もう生徒の姿はなかった。いつもなら、誰よりも早く帰る君子だったが、草理と話すようになってからだろうか、無駄に学校にいることが多くなったような気がする。まったく興味のなかった学校が君子の中では大きな位置を占めるようになったかのようだ。だが、無頓着な君子にはそうした意識はなかった。
静かな放課後だ。不審者のことが噂された時から感じるどんよりとした空気の重さが君子にじっくりとのしかかってきた。
学校から憩いの広場がある地下街への階段の入口は然程遠くはなかった。草理に連れて行かれた時は随分遠くに感じたものだが、あの感覚のバグは何だったのだろう?と、不思議なくらい近かった。
地下街への階段の入口に差し掛かった時、君子は複合商業ビルを見た。草理と歩いた時には、随分遠くに感じたが、ビルの少し先にはTOBARIBANKのビルがあり、その並びに乃木亜メディカルがあった。知っていたはずなのに沙耶香に言われて初めて気がついた。後から新しく乃木亜に参入した乃木亜メディカルについて君子の意識は低く、その存在さえも忘れていた。考えてみたら、乃木亜本社ビルからの近道である地下通路は、この乃木亜メディカルのためのものではないだろうか。と、君子はぼんやりと考えた。
そんな時、君子は突然腕を掴まれて、引っ張られた。
えっ?何。
あまりにも突然のことで何が起こったのか、すぐには理解できない。
咄嗟に振り返ると、真っ黒い影のような人の形をした何かが視界のなかに飛び込んできた。
いや、人だ。
深々とフードを被り、君子の腕を力の限り握りしめている。
不審者…?しまった油断した。
「何、誰…?ちょっと、なんだ…?離せ!離してよ!」
君子は、力の限り抵抗した。思い切り蹴り飛ばしてみたが、不審者は手を離さなかった。
「なんだ、お前…」
その顔を見てみると、思い切り涙を溜めている雨観だった。
君子の力がふわりと抜ける。
「咲村さん、助けて…」と、情け無い顔で雨観が言う。
「えぇぇぇぇ!雨観君…!?」君子が叫ぶ。
そして、通りの向こう側で二人の男が、こちらを見ながら叫んでいた。
「おい、いたぞ、あそこだ」
そんな声が聞こえてきた。
雨観は男たちを振り返り「ひぇー」と、奇妙な叫び声を上げた。
「とにかく走るよ!地下に降りるから!」と、君子が言った。
だが、雨観が掴んだ君子の腕を離さないから、思うように動けない。
「もーぅ、手を離してよ!動けないでしょう」と、君子が叫ぶ。
「あっごめん」
雨観が手を離すと、君子は素早く階段を駆け降りた。
「ついてきて!急いで!」
「わーっ」
二人は夢中にTOBARIBANKのエスカレーターのところまで一気に駆け抜けた。
「エスカレーターの裏だから…」と、君子が叫ぶ。
そして、君子がエスカレーター横の通路を突っ切った後、同じように雨観が突っ切ろうとした。だが、突然雨観は立ち止まった。
「えっ?まさか…ね…突っ切ってよ!」と、君子が叫んだ。
しかし、君子の予測は覆された。
突っ切ってしまったら、結界に捕まることもないだろうと、君子は安易に考えた。それは、君子が、結界の力を実際に知らなかったからだ。
だが、雨観は結界に捉えられた。立ち止まると身体をブルブル震わせ始めた。
「えぇぇぇ…。ねえ、雨観君、頼むからそんな時間ないから。突っ切ってよ!」
身体をブルブル震わせた雨観が、まるで別人のように君子をじっと見つめた。
「ねぇねぇ、雨観君お願い、それって高周波ノイズが扁桃体に作用して…わっ、無駄か!戻れ!呪いとかではないから、霊でもないから…。憑依とかされてないからね。戻れ!」と、君子が必死に訴えた。
「咲村さん、俺、ずっと咲村さんが好きだった。中学校の時からずっと…。咲村さんが時宮君と仲が良いのを知っていたから、俺は時宮君に近づいた。他でもない咲村さんと友達になる為だった…」と、雨観がとんでもないことを話し始めた。
「また…つまらんことを…。そんなのいいから戻ってこーい」君子は、雨観の頬を思いっきりひっぱたいた。
「おおぅ、咲村さん、本当にごめん。俺が邪な気持ちで時宮君に近づいてしまったから、あいつ喋らなくなってしまって…あいつの心の傷を余計抉ってしまった…」
「何言ってるの?悠亮君は元から喋っていなかったでしょう?そんなのいいから行くよ!」
「いや、ちゃんと話していた。AIを使って…だけど、言葉を捨てた…」
AI…?言葉を捨てた?
「いやいや、今はそんなのいいから、さっきの男たちが追って来てるから…!」
そう君子が言った時にはエスカレーターのところで男たちの声が聞こえてきた。
「こっちだ」と、男たちがエスカレーターの通路に姿を見せた。
君子は、雨観を力の限り引っ張ってドアのところまで移動した。
そしてひどく焦りながら、携帯端末を探した。いつものポケットになかった。
えっ、落とした?そんな…えっと…。君子は焦りながらも記憶を遡って思い出そうとしたが、男たちが走り寄って来る光景が君子の記憶を遮って、完全にパニックに陥ってしまった。
一瞬、音が止んだ。
パニックに陥っていた君子はドアの前で男たちを見た。
男が二人、呆然と立ち竦んでいる。
えっ?結界が捉えた…?
次の瞬間だった。
「篠塚…?」手前にいる男が雨観にそう叫んだ。「わたしは君を殺してはいない。君が苦しそうにしていたのは知っていた。だが、まさか取り押さえただけで君が死んでしまうなんて思いもしなかった…きちんと力は加減した。君が致死量を超える薬を飲んだからだ…」
「えっ?この人は何を…?雨観君のことを別の人と間違えているの?」
—君子、携帯端末は鞄の内ポケットの中です。落としてはいけないと、君子が入れたのです。思い出して下さい—
AIの音声が聞こえる。だが、パニックを起こしているせいか、君子はそれが何処から聞こえてくるのか、咄嗟に分からなかった。
「だからわたしはこの通り処分を受けていない。君が悪いのだ。薬になど手を出したからだ。わたしを怨むのは違うだろう…」
男はまるで役者のように大袈裟な身振り手振りを交えて話す。
その背後でもう一人の男が何かを叫び出した。
「僕は横領に手を染めてしまいました…」
「なんだ…これ?」
君子が混乱する。
懺悔室か?
—君子、鞄をドアに近づけて!—
AIの言葉にはっとして、鞄をドアに近づけると、ドアが一瞬光って、憩いの広場が白い光に包まれた。
その瞬間、ドアが開き二人は無事通路の中に入って行った。




