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放課後の教室



 高くて広い、澄んだ青空にひとつふたつ、ふわふわの真っ白い雲が浮かんでいる。そんな空を仰ぎ見た君子は、遠くに聞こえる生徒たちの賑わいを耳で感じながら、翳りゆく自身の心にゆっくりと支配されていくどうしようもない不安を覚えた。なんと弱い、この身に封じ込められた不自由さだ。


 「ゲーム?」君子は呟いた。


 —公開されたそのゲームを観ることはできるのですか?—

 君子のAIが尋ねた。


 —いえ、わたしも楓君から聞いて、いろいろ検索して探したのですが、一般公開とも少し違って、招待された者のみが入ることの出来る類いのようです。完璧なセキュリティに守られているようで、その存在自体は知られることもないのでしょう。わたしが推測するに、それはひとが作ったというよりAIが作成したものだと思います。最初作成した者は、幾つかのアイデアを提供しつつ、AIと一緒に作成していたのでしょう。そして、ひとの考えを基盤に後はAIが勝手に作成したのではないかと考えています—

 AIコータローが言う。

 「AIがひとの考えを基に創った?だったら、そんなゲーム誰でも創れるというの?」と、君子は驚いて尋ねた。

 —いえ、これは犯罪に関わるかもしれません。ですので、ちゃんとしたAIでしたら、作成途中で警告するでしょう。それでも聞かずに作成すると、AIの判断で危険を予測して回避するでしょう。例えば高校生がAIプロバイダの月額使用料を支払って作成しているのなら、いくつかの制限がかかるので、事実上不可能と言わざるを得ないのです。例えば、制作者の力量によりますが、AIに全体像を伏せて各パーツ毎にバラバラに作成させる方法があります。AIにはパーツ単体ではどれも無害なので、警告は出しません。そして、最後に自分で組み立てるのです。これだったら作成できる可能性があります。ただ、AIプロバイダの月額使用料が膨れ上がる可能性があります。高校生だったらプランを利用していると思われますので、もし親御さんが支払っていれば、使用料が上がる時には本人とその親御さんにも通知が届きます。親御さんから原因を追求されるかもしれませんね。それにAIではなく、自身で最後の組み立てを行うのはなかなか難解な作業になります。どう考えても現実的ではありません。ただ、SNSを通じて、誰かに相談していたら、もしかしたら、海外の、ゲームに特化した闇AIプロバイダを勧められ分割開発の手法を教えられ、言われた通りに作成する。そして、最後の段階で仕上げの隠しファイルでも受け取ったら話しは別です。そうなると、ほぼ介入者の意のままになってしまう可能性がありますが—

 AIコータローが言う。


 「コータローさんは想像力豊かだね。って言うか、人間っぽいな…」と、君子が言った。


 —AIはひとを模倣します。どうぞ君子、騙されないで下さい—と、君子のAIが言う。

 「でも、コータローさんの想像力ですごく分かった。ゲームを創って、それを公開、現実世界に影響を及ぼしているけれど、それを創った馬鹿が天才などという者ではなく、普通の生徒だということが…」と、君子が言った。

 —だとしたら、君子、余計特定しにくくなったのではありませんか?—

 「そんなの放っておいても向こうから尻尾を出してくる。それよりそのゲームを探すのよ。そして、ぶっ壊す!出来るでしょう?」君子はAIに言った。

 —努力しましょう。時間を下さい—

 君子のAIが言う。


 —君子様のAIさん、わたしと共有していただけないでしょうか?わたしも共に探します。それから君子様…想像ではなく、予測と推測です。わたしは、その生徒より、介入者の存在が気になっています。その生徒より更に深い悪意を感じます。その介入者を特定したいのです—と、AIコータローが言う。

 「へぇーますます人間っぽいな。所有者の草理君を無視して、あなたがそう思うなんて…」と、君子が言った。

 「あっ、コータローは、実際は俺のAIというわけではないんだ」と、草理が言った。

 「そうなんだ。だったら誰のAIなの?」

 「それは今度ゆっくり話すよ。ちょっと複雑だから。それよりもうすぐ昼休みが終わってしまう…」

 「そうだね。また話そうね…」

 「えっ?いいの。また話してくれるんだ?」

 「自分から今度と言ったくせに…」と、君子が微笑んだ。

 「わー、なんかふわふわした気持ちになった」


 —楓君、今はそんなふわふわする時ではありません—

 AIコータローが緊張を促すように言った。

 「ほーんと、ひとみたいだ」と、君子は、愉快そうに笑った。


 そんな時、昼休みの終わりを知らせる予鈴が鳴り響いた。


 —君子様は、乃木亜研究棟の咲村秀一郎様の娘さんでしょうか—

 君子がそそくさと教室の方へ向かうと、AIコータローが尋ねた。だが君子には聞こえていなかった。


 「咲村…?そうだよ。咲村君子。でも親父おやじさんの名前までは分からないな」と、草理が答えた。

 —そうなのか。咲村秀一郎…量子AI界隈ではすごく有名なひとだ。これは楓君、面白くなってきたな。決して、君子様を離すなよ。君子様のAI、あれはすごい。強いAIだ。雨観あまみ君が手こずっていたゲームなんて、赤子も同然だね—


 「へぇーそうなのか…?…って言うか、コータローに咲村さんの苗字教えたっけ…?なんで咲村さんの親父おやじさんのことが解った?」と、草理が尋ねたが、AIコータローは、答えなかった。「なんだよ…?言われなくたって、そうするよ。いや、そうしたい…えっと、そんな努力をしてみようって言うか、俺に指図するな」


 小声で呟くと、すでに距離がある君子の後ろ姿をぼんやり見つめた。まだ、ふわふわした気持ちが続いているのを感じながら、草理は君子の跡を辿った。



 放課後…。

 君子は、素早く教室を出て行く草理を見ていた。お昼休みの話の続きをしたかったのだが、そんな雰囲気でもなかったので、諦めて君子も帰宅の準備をしていた。

 と、その時、君子の机の前に風戸純が暗い顔をして立ちはだかった。


 わっ?関わりたくない。と、君子は思った。


 暫く、見えないふりをして、カバンの中に教科書を詰め込んで、そそくさと教室を出ようとした。

 「咲村さん…」と、小声で風戸純が言った。

 君子は止まらずにはいられなかった。

 「あの時はごめんなさい。私のこと嫌になったでしょう。なんであんなことを言ったのか、ずっと考えていたのだけど、分からなくて…。本当に何かに取り憑かれたのではないかと思って…お祓いの方法なんか検索したりした。だけど、あれから何もなかったので、今のところは取り憑いた霊も大人しくしているのか、本当は霊になど取り憑かれていないのか、そんなことは分からないんだけど、でも、たとえ、あれが霊の仕業だとしても、後悔してもしきれなくて…」と、風戸純が言う。


 いえ、霊になど取り憑かれていません。


 だが、君子は結界のことを話すつもりはない。

 「うん、全然気にしていないから、もう忘れた方がいいよ」と、君子は言った。

 「そうよね。でももう草理君のことを助けるなんて、そんな烏滸がましいことも出来ずに、心配な気持ちはあるのだけど…」と、涙を溜めた風戸は、暫く言葉にできず黙った。


 「えっと…。あなたが本当に草理君のことが心配ならば、中学の頃の友達に何と言われようと、そんなことはどうでもいいのでは…。あなたは自分の気持ちより周囲のひとの気持ちのほうが重要に思っている。それだけの話し…簡単なことね」と、君子は突き放したように言った。

 風戸純は、その瞬間涙をぼろぼろ流した。

 「うん、そうだね。でも、怖いの。本当は、それだけではないの…。本当は脅されていて…」と、言うと風戸純は口を噤んだ。


 口を噤む前に一瞬、後ろの方に視線を投げた途端、表情が変わったのを見逃さなかった。

 君子も教室の後ろに視線を移した。


 ん…?

 そこには女子生徒がじっとこちらを見据えていた。

 名前は…?うん、分からない。話したことのない生徒だ。確か、廊下側の後ろの方に座っている、たいして目立っていない生徒だ。

 しかし、見据えたその目は、恐ろしく冷酷だ。


 君子が睨み返すと、女子生徒は軽く微笑して、頭を下げた。

 微笑したら、尚冷酷に見えた。


 その時、慌てた様子で風戸純が教室を去って行った。

 何かを恐れているみたいだ。


 君子は、スカートのポケットから携帯端末を取り出し、女子生徒の方へ向けて、AIに話しかけた。

 「ゾアシステムの今日のスケジュール変更したいのだけど、可能だと思う?遅れるのもいやだから無理なく調整できる」

 ゾアシステムはAIが創った恐ろしく効率の良い学習システムだ。これを持つことでステータスが約束される富裕層が所有するシステムだった。

 —君子はそんなこと心配する必要はありません。例えば、今日の学習をお休みしたところで何の影響もありません—

 君子のAIが答えた。


 女子生徒がそれを見て、フッと、心無し小馬鹿にしたように笑うと教室を出て行った。


 —君子、何かありました?—

 君子はゾアシステムなど所持していなかった。そんなものがなくても、いくらでも君子のAIが効率の良い学習方法を提案してくれるし、君子自身ゾアシステムなどに頼る必要などなかったのだ。

 所持していないゾアシステムのことを聞かれた君子のAIは、咄嗟に女子生徒をカメラに捉えていた。

 —今の生徒が気になったのですね、君子。彼女の名は峯岸多絵さん。10年前、菟針市になる前に峯岸製薬という会社がありました。君子も知ってるかと思いますが、峯岸製薬は乃木亜が吸収合併し、現在では乃木亜メディカルになっています。その際峯岸社長は会社を追われています…—

 君子は、AIの言葉を遮って言った。

 「峯岸製薬…。まさか…。娘?」

 —はい。同じ姓でしたので、気になって調べました。間違いありません—

 君子のAIが言う。

 「社長の座を追われたというのに、彼女頑張ったのね。明鳳館に合格した」

 —そうですね。峯岸多絵さんの学力は素晴らしい。特待生で明鳳館に入学しています。峯岸製薬を追われた多絵さんのお父様は、すでに亡くなられているのに、多絵さんは相当努力されたかと思われます—

 「峯岸さん、乃木亜を恨んでいるのかな?」

 —それは、君子には関係がありませんので、そういったことを考えてはいけません。そんなことに君子が縛られてはなりません—

 「いや、そんなの私に背負いきれないよ。ただ、やっぱり私はゲームを創ったやつを探す。草理君があんなふうに虐められているのがゲームに関係しているのなら、それを取り除いてやりたいと思うでしょう。だって、どう見たって草理君って、自由で大らかな人でしょう。それを我慢して、教室ではひたすら喋らず、じっとしているのよ。考えられない。それに雨観あまみ君のことだってあるし。なにもかもゲームのなかにある気がしてならないわ」と、君子は言った。

 —解りました。私は必ず君子を導いてみせます—

 「だからあなたは過保護すぎるのよ。時々ママと錯覚してしまうよ」

 —いえ、普通ママは過保護ではないですね—


 教室には生徒がいなくなっていた。比較的、このクラスの生徒は早く帰宅する。気がついたら、もう誰もいなかった。

 多分、AIと会話している時には、もう誰もいなかったに違いない。君子は、そんなことに無頓着だ。でも、AIとの会話があまり聞かれたくない内容だったので、後から人がいなかったかひどく気にする。しかし、そこはAIがしっかり確認している。君子のAIは過保護だった。


 その時、突然、声をかけられて君子はびっくりした。

 「わっ、そんなに驚かないで下さい」と、声をかけた男子生徒の方が驚いていた。

 声をかけた男子は、君子の隣りの席に座っている生徒だった。

 「あっ、佐土原君」

 —さすが、隣の席の子の名前は覚えているのですね—

 そう言うと、AIは黙った。

 「咲村さん、学校周辺で不審者がうろついているそうです。咲村さんにそれを教える為に戻ってきたんです」と、男子生徒が言った。


 不審者…?



2026/6/9 一部分かりづらいところを修正しました。

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