ゲーム
打ちっぱなしのコンクリートが続く無機質な空間を照らす蛍光灯の中で、君子と沙耶香は黙って歩いた。
「やっぱり、あなたと私では分かり合えるものがひとつもないのよね…」と、最後に沙耶香が言うと、二人はもう口を開くことはなかった。
君子は、右側の、何処かへ続く幾つかの脇道を見た。そこはどれも奥深く真っ暗で、狭い通路だった。しかし、ただひとつだけ光が漏れる通路があった。
君子は、何故かその通路が気になった。光が漏れたそこには何があるのだろう。そこを通り過ぎても尚、君子は何度も振り返った。
通路の途中、緩やかな階段があった。乃木亜本社ビル地下三階よりもっと高い位置に出口があるということだ。その段階ですでに君子は、出口がある場所があの憩いの広場だと予想していた。
「えっ、何処なの?ここは…?本当に学校に近いの?」
出口付近に来た時、驍から君子のAIへゲスト用のIDが送られてきた。それをドアにかざすと、先ほどと同じような波打つ光が一瞬通路を照らした。すると、わずかにドアが内側に開き、通路に外光が差し込んできた。先に君子を押し退けた沙耶香が外に出た。
「ここはTOBARIBANK下の地下街。エスカレーター裏の憩いの広場」
君子は答えた。
「そうなの?だったら確かに近いわね。乃木亜メディカルの傍ね」と、沙耶香が言った。
「だね…」と、君子が言っている間に、沙耶香はTOBARIBANKのエスカレーター脇の通路へと進んでいたが、突然、立ち止まった。
ちょうど、結界の場所だった。
「あっ、そこで立ち止まらないで。そこは…」
君子が説明しようとしているうちに沙耶香は頭を抱え込んで、しゃがんだ。君子は沙耶香に歩み寄った。
「すぐに出るのよ…気持ち悪いかもしれないけど、少しの間だから…」
沙耶香の背中が震え始めた。
「私は、ママを乃儀家から追い出した…。ママ、いつもパパから責められていて、いつも怯えていたの。パパだけではなく、祖父母からもずっと責められていた。このままだとママが壊れると思ったの。ママが他の男の人に逃げたのを見て、ママがこのままいなくなると思ったけど…でも、乃儀家にいるとママが壊れてしまう。乃儀家を出ることがママの為だと…本当はどうしていいのか分からなかったけれど…私はママに意地悪な態度をとって出て行くように仕向けたのよ…」と、沙耶香が泣き始めた。「ママごめんなさい…ママ…」
君子は、そんな沙耶香を見て、立ち竦んでしまった。
「沙耶香、そこには扁桃体を刺激する指向性のある超音波とか微弱な電磁波が流れて、精神的な不安を増幅させる高周波ノイズが発生しているの。惑わされないで…!」と、君子が言った。
涙をボロボロ流した沙耶香が立ち上がった。そして、涙を拭き取った。君子は、その位置から沙耶香を移動させた。
「大丈夫…?」と、君子は、沙耶香の身体を支えながら歩いた。
沙耶香の涙は止まらなかった。次々と溢れ出ていた。
「何なの?まるで漆黒の闇に支配されてしまったように、ずっと何かに責められているみたいだ。だけど…。ずっと忘れることができなくて…。母のことが…私の心の中を真っ暗にしていく。ずっと好きだったのに、母を見ていると哀れで、だけど、ひどく狡いところも見えていた。結局、私は誰のことも好きになれずに、母が出て行くことを願った。それが一番、誰の為にもなると思ったのよ。今でもそれは間違いではないと思っているけど、どうしても…ずっと、もやもやしていて…。母が心の中にいる限り、誰のことも好きになれない…。皆んな、何処か、狡い気持ちが垣間見えてくる。どうしても…」と、沙耶香は止まらず、とめどなく話した。
「悠亮君のことも、そう見えるの?」と、君子が尋ねた。
「見えるわ。悠亮君は狡いわ。私の事嫌いなら、そういう態度を取ればいい。いつもいつもあなたに救いの目を向けてばかり…私のことが煩わしいのよ。狡いわ。本当に狡い…」と、沙耶香が言う。
「悠亮君は、沙耶香のことを嫌っていないし、煩わしいなんて思っていないよ」と、君子が言った。「知っての通り、私はずっと子供の頃から悠亮君と一緒にいたのよ。悠亮君の性格はよく知っている。嫌いな人と一緒にいれるほど辛抱強い性格だと思っているの?あれは頑固で強情。嫌いな人とは口も利かない。あっ、喋れないんだけど、つまり、隣りに座って平気にしていられるわけがないんだ。わざと、沙耶香が座った途端に離れるね。底意地が悪いのよ。知らなかった、沙耶香?」
「えっ、そんなはずないわ。悠亮君はすごく優しいわよ」
「沙耶香が悠亮君を優しいと思えるそれが、悠亮君が沙耶香を嫌いでない証拠だ」
「えっ?」
「沙耶香、まだ、憩いの広場の結界の影響を受けているみたいだ。もう、随分離れた。少し喋らないで、心を落ち着かせて、正気に戻ろうか」
「いや、正気よ。これまでのもやもや、吐き出せた。なんかすっきりした。でも、あんな危ない場所、誰が作ったのさ。近日中に…ぶっ壊してやろうと思うんだけど…手伝いなさいよ!」
「やだ…」それは、君子にはひどく厄介な作業だと感じた。
地上に出ると、明鳳館高校の校舎が見えていた。
草理と歩いた道を遡っている。食堂の裏の門扉から入れば、更に近くなるが、君子は黙っていた。わざわざ、ぐるりと正門へと向かった。
「本当、近いわね。なんの障害物もなく、一直線。最短なのね。でも、あの結界が邪魔よね」と、沙耶香が言った。
「うん。でも考えたのだけど、あの最短の地下通路には入ってほしくないのかな。だけど、ドアはIDがないと入れないのに、あそこまでする必要あるのかな?」と、君子は不思議に思う。
「そうよね。あの憩いの広場ごと存在そのものを消したいみたいな意図を感じるわね。これはちょっと放っておいてはいけない気がするわね」と、沙耶香が真剣な表情で言った。
「えっ。どうする気なの?」
「まずは、あの結界を創ったやつを突き止めるに決まっているわ」
沙耶香が鋭い目をして微かに微笑んだ。すごく使命感に燃えた目だ。
君子は、巻き込まれないことを祈った。
昼休みになった…。
草理は、煩い教室を速攻で抜け出して、食堂の裏に逃げ込んでいた。
朝からずっと、雨観と思われるモザイクがかかった防犯カメラの映像の話題で持ちきりだった。
それでも、昼休みになると、まるで日常が繰り返されているみたいに、「執事君」と、馬鹿な男子が草理の机を囲む。まるで本能丸出しの小動物のように草理には映る。
草理は、雨観が学校に来なくなって、かぶっていた猫の仮面が剥げつつあった。
「てめぇら、馬鹿か猿かのなんかだろう?煩くてしょうがない!」と、怒鳴り散らすと、取り囲む男子を跳ね除けて、ここまでやって来た。
朝コンビニで買ったパンを頬張りながら、メガネ型デバイスでAIと話していた。何故か、草理はAIにコータロー君と名付けていた。
ーまったく楓君は、本質が野蛮なんだ。雨観君と設定付けていた君のキャラはどうした?ー
「キャラ?何を言っているんだ?突然…?」と、草理が言う。
ー雨観君は、なんて言うか、実に友達思いだな。しかし、心配だよな—
「えっと、もしかして、俺が話していたいろいろなことを分析とか解析して、そういう結論に至ったというわけか?」と、草理が言った。
—そうだよ。雨観君は、楓君が喧嘩っ早いことを承知の上で、他の男子が手を出しづらい状況を作っていた。楓君が手を出したら一発で退学だ。君は雨観君に守られていた。それは楓君にも分かっているだろう?—
「大きなお世話なんだよ。まあ、でも雨観とは小学生の頃からずっと仲が良かったからな。なんとか雨観を見つけて、ことの真相を突き止めないと。このままでは本当に犯人にされてしまう」と、草理が言った。
—絶対的な信頼だな。雨観君が犯人だと微塵も思っていないのだな—
「あたり前だろう。なぁ、コータロー、仲介屋を呼び出してくれよ。助言が欲しい…」
草理が集中して、メガネのAIと話していると、なんか妙な感じがした。目の前にすごい圧を感じた。すると、何かメガネの前で蠢いている。ゆっくりとピントを合わせると、なんとそこに君子のドアップが映し出された。
「わっ!!」
胡座をかいていた草理は、驚いて後ろへのけ反った。
君子は、草理が体勢を整えるまで腕を組んで暫く待つことにした。
草理は、メガネを外して、立ちはだかる君子を見上げた。
「ここ、座ってもいい?」と、君子が言う。
「えっ?びっくりするじゃないか?」
「ごめん…」と、言いながら、君子が腰を下ろす。「私もサンドイッチ持って来た。ここで食べてもいいよね」
「いいけど、ハンカチかなんか敷いた方がいいと思うよ」と、草理は言った。
「平気平気」と、言うと、君子はサンドイッチのラップを不器用に開こうとするが、なかなか上手く開けなかった。君子はそんなことあまり気にせずに苦戦しながらも草理に話しかけた。
「メガネのAIと話してたね。私が傍にいることも気づかなかった」
「いやいや、近づきすぎだろう」
やっと開いたラップから四切れ入ったサンドイッチをひとつ頬張った君子。お裾分けにと残りの三切れを草理に差し出した。
「いや、俺はコンビニのパンがあるから」と、草理が遠慮する。
「いやいや、足りないでしょう」と、君子が笑う。「今、雨観君のことをAIと話していたでしょう。そのAIと私も話せる?」
「話せるのかな?こいついつも俺の耳元で話しているから、ヘッドホン並みの音漏れくらいしか聞こえないんじゃないのか?」
君子は、思わず草理を真面目な顔で見た。
「それ天然?」
「えっ!て、天然ってどういう意味だよ」
「テンプルで操作したことある?」
「て、てんぷる?」
「それ、耳にかけるところ」と、言うと君子は、テンプルに触って操作した。
—これは、申し訳ありません。楓君は馬鹿なのでカメラのシャッターを押すくらいの操作しかしたことがなかったものですから。えっと…—
「君子よ」
—君子様、わたしはコータロー…と変な名前を付けられた草理のAIです。宜しくお願いします。早速ですが、君子様は何をお知りになりたいのですか?—
「おっ、言葉遣いが変わってやがる…」と、草理が茶化す。
「私も、勿論雨観君のこと知りたい。私のAIも仲間に入れてもいい?」と、君子が尋ねた。
—勿論です。君子様のAIは何とお呼びすればよろしいですか?—
「ごめんなさい。AIには名前設定していないの。それでいいとAIも言うから、ずるずるそのままにしてる」と、君子が言う。
—そうですか?君子様のAIさん、聞こえますか?—
君子は、携帯端末を膝の上に置いた。
—はい、コータローさん、ずっと聞こえていましたよ—と、君子のAIが言った。
「ねえ、それにしても、草理君、あなたは何故、クラスであんな立ち位置なの?あなたのその性格だったら「執事君」なんて呼ばれるのって、絶対我慢できないでしょう。それに逆らえない臆病者でもなさそうだし…」と、君子が尋ねた。
—楓君は喧嘩っ早い。だからクラスでは、ただひたすら押し黙って、誰にも関わらずにいた。そんな時、あの青木龍生君が楓君に中学の時のことで突然言いがかりをつけて来たのです—
AIコータローが言う。
—青木龍生君、ゾアシステム検定試験全国18位ですね—
君子のAIが返す。
「青木龍生…。見るからにひと癖ありそうだ。何の言いがかりをつけて来たの?」と、君子が尋ねた。
—楓君は、中学の時、結構喧嘩が強くて評判だったらしいです。まぁ、言いがかりもそんな類いですね。それは楓君に聞いて下さい。まぁ、今はその内容については然程重要ではありませんので進めます。楓君は、明鳳館でも教師から目をつけられていましたから、少しでも手を出すとすぐに処分の対象となります。そこにつけ込んで青木龍生君はわざと言いがかりをつけてきたのですが、そこに雨観君が、「俺の執事君に何の用だ」と、割って入ってきたのです。雨観君はすでに生徒たちから一目置かれていたので、青木龍生君を黙らせることができました。青木龍生君を黙らせたということは、他の男子生徒をも黙らせるに等しい。だから、必然的に楓君にちょっかいをかけにくくなったと言うわけです—
君子は考えた。
「うーん、でも、今の状況は少し違うよね。雨観君が休む前から、草理君は男子生徒から「執事君」と、馬鹿にされているように見えた。本当に虐めにあっている感じがしたんだけど…?」
ずっと考え込んでいた草理が、苛立たしげに言った。
「ゲーム…なんだ。雨観が言うには、クラスの誰かが、うちのクラスのゲームを作って公開しているらしい。一般ユーザーを招いて、俺ら生徒を駒にして遊んでいる。そしてターゲットにされると、現実世界でゲーム内と同様のことが起こる。そんなゲームを誰かが作りやがった。だから雨観がそいつを突き止めるまで大人しくしてろと…雨観のことだってきっと関係あるに違いない」と、草理が言った。




