地下通路
朝、いつものアラームで君子は目を覚ました。
目が覚めた君子はいつもより激しい耳鳴りで、何も手につかずに暫くベッドの上でぼんやりした。
これは…、いつもの耳鳴りと少し違う。頭痛も伴っているし、もしかしたら何か病気かもしれない。
君子は、サイドテーブルからハンドベルトを手首に巻き付けた。するとAIの声が響いた。
平熱。感染、過労及びその他の数値に異常はなく、症状も見受けられず、いつものように耳鼻科の受診を勧められた。
「へぇー、何処も異常はないんだ。そうなんだ。学校休めないか」と、小声で呟いた。
すると、AIが、精神疾患の可能性も考えられるので、大事を取って病欠にしますか?何か心当たりありますか?と聞いてきた。
「精神疾患の可能性がある人に心当たりを聞くんだ?」
ーすみません。少し大袈裟に言ってしまいましたね。でも最近の君子はストレス過多になっている可能性があります。心身に大きな負担がかかって不眠や疲労、また食欲不振や逆に過食等に繋がる可能性もあります。そして、今の状態のように体調不良の原因にもなります。今日はお休みにしますか?学校には私から連絡を取ります。乃木亜研究棟の爆発事件から然程日も経っておりませんので、学校も理解してくれると思いますよー
AIが優しい口調で言う。
君子は、AIには名前を設定していない。乃木亜本社ビル中二階の頃からの付き合いだ。時折、母親のように思ってしまう君子だったが、AIとはそれなりに距離を保って付き合っている。君子のAIは非常に過保護だった。だから君子はAIに依存してしまいそうになるのを恐れていた。
「ストレス過多で休むとなると、なんか勘ぐられそうだ。無理しても行くべきなんだろうけど、でも、ちょっと…」
ー大丈夫ですよ、君子。明鳳館は今回の乃木亜研究棟の爆発事件を重く見て、事件以降スクールカウンセラーを常駐させています。君子はまさに当事者です。日にちが過ぎて不安症などの症状が出ることはよくありますし、君子のそれはまさにその可能性がありますー
「うーん。ちょっと待って。下に降りて皆んなと話したら、良くなるかもしれない」
ー了解しました。私は君子が元気良く学校に行ってくれることが嬉しいですけどー
階下では、カフェスペースのソファで、いつものように悠亮と、もうすでに制服をきちんと着ている沙耶香が並んで座っていた。
そして、一人掛けソファに驍が座って、食い入るようにTVを観ていた。
階段を降りてきたばかりの君子は、驍の、その集中力に驚いた。周りが何も見えていないようだ。
君子は、悠亮と沙耶香が座っている長椅子の傍に立って、ぼんやりと、驍が食い入るように観ているTVを観た。
ニュースだ。
暫く何のニュースか理解出来なかったが、やがて少しずつ分かるようになった。その時、沙耶香が君子を振り返った。
「あなた、まだ部屋着なの?顔も洗ってないし、歯も磨いていないでしょう?何なの、今から準備しても間に合わない時間ね。もしかして、サボるつもりなの?」
次のニュースになった。
驍が何故、今のニュースを食い入るように観ていたのか、理由が知りたかった。だが、聞く人がいない。
麗香の姿がない。彼女ひとりいなくなれば、会話する相手がいなかった。
あとは、驍がニュースから離れるのを待つしかない。
だが…。
「続いての速報です。乃木亜研究棟爆破事件で警察庁は16歳の少年を特定。少年は菟針市内の高校1年生で、現場付近の防犯カメラに爆弾が入ったと思われる袋を抱えた少年が確認されています。現在少年の行方を探すと共にテロ容疑も視野に入れ犯行の動機について捜査中です…」
それから、モザイクがかかった防犯カメラの映像が映し出され、ニュースキャスターが説明をした。
君子は、特定し難いモザイク映像をぼんやり観ていた。
まさか…?高校1年…?私と同じ。あり得ない。
やがて、沙耶香が唐突に、異様に低い声で言った。
「これさ、雨観?なんか歩き方が良く似ているし、背格好…あ、うん、体格かな…?雨観に見えるけど…まさかね…」
ザザザーーーザザーザーー
雨観君?そんなわけない…!!
ザザーザーーザザーザーーシャーーー
悠亮の声が聞こえてきた。
「ねぇ、咲村さん…」と、沙耶香が振り返った。
名前…?
君子は、沙耶香から名前で呼ばれたことがなかった。
「雨観って、爆発の日、休んでいたよね。それからずっと雨観の姿を見ないけど、休んでいるの?」と、沙耶香が尋ねた。
君子は、驚いた顔で沙耶香を見下した。すぐに返答ができなかった。
「まさか…?」
「同級生?」と、突然驍が会話に入ってきた。
「うん。クラスメート。でもまさか…」と、君子は言った。
「そうだね。研究棟の爆発からもう三日も経っているというのに、防犯カメラの映像だけで特定したのなら、時間がかかり過ぎているよね。AIならすぐ特定できたはずだけど…。この時間の差は何だろう?違和感あるよね」と、驍が言う。
「でもその日、雨観は学校に来ていない…」と、すかさず沙耶香が言った。
「うーん…。高校1年生っていうのにも違和感があるな」と、驍が言う。
「でも、とにかくあの映像は雨観っぽい。あいつ学校でも他の生徒を虐めたりしているし、私は擁護しないわ」と、沙耶香が激しい口調で言った。
ザザザーザザーーザーーー
雨観君は人を虐めるようなことはしない。ザザザーーザザーザーーシャー
悠亮の声が言った。
そう言えば、草理君も雨観君が休んだ日、随分心配していたな。と、君子は思い出した。それに沙耶香は、中学の時、雨観君が虐めたので、悠亮が学校に行かなくなったと、言っていた。でも、悠亮は、雨観君を擁護している。
君子は、雨観という生徒を知らない。見た目だけで判断してはいけないのだ。悠亮に話しを聞きたいけど、思念伝達での会話は結構難しい。長い言葉での思念伝達は伝えることも受け取るのも、非常に疲弊してしまう。
せめてデバイスがチップであれば、チャット通信でことが済むのに。などと君子は考えていた。携帯端末でも可能ではあるが、二人して、携帯端末のイヤホンをして、喋ったりタップするのもバレバレだし、AIを共有してAI同士が会話するとしても…やっぱり直接意思の共有とはいかない。
君子は短時間でいろいろ考えていたが、悠亮を見ると、呆然としていた。ショッキングな出来事だったのだろうか?会話どころの表情ではなかった。
「さて、話したい気持ちは分かるが、もう出かけないと学校に間に合わないのではないか?」と、驍が話しを切り上げた。
「本当だ。ねぇあなた、サボるなんて私が許さない。すぐに支度してきなさいよ。朝食はサンドイッチがあるから食べながらでも行けるでしょう。ねえ、驍さん、近道教えてよ。最短で行ける近道があるのでしょう?」と、沙耶香が仕切る。
「近道…?」と、君子が呟いた。
「いいから、あなたはすぐに支度してきなさい!」と、沙耶香の怒鳴り声で君子はすっ飛んで階段を上がった。
支度を済ませて階下に下りると、意外にも沙耶香がサンドイッチをラッピングしていたのには驚いた。
チャイルドスペース(仮)のドアを開け、いつもなら真っ直ぐにエレベーターの所まで進むのだが、驍の案内で非常階段の方へ向かう。非常階段への通路は薄暗くて不気味だ。滅多に行かない方向だった。
驍は、その非常階段を上がった。そして地下三階の踊り場で止まると、何故か非常口がある。枠だけがくっきりと見えるが、ドアハンドルがないし、収容されているような枠もない。
驍がその前に立ち止まり、手をかざすと、ドアの表面がまるで波打つような光のラインが現れ、リズミカルに動き出しかと思うと、ドアハンドルの位置に手のひらを形どった。そこを押すと、簡単にドアが開いた。
「これ、研究棟の限られた者だけが持つIDによって開くんだ。君たちも一度麗香さんのAIと共有して、地下四階IDで探してみるといいよ。権限が与えられているかもしれないよ」と、驍が言った。
「そんな話し麗香さんから聞いていない…なのにどうして驍さんが知っているの?」と、沙耶香が責めるように言った。
「まぁ、そんな重要なこと一番聞かされない人だよね、俺は…。まぁ、このドアの存在はなんとなく知っていたし、俺は厚労省だし。そこのところはいろいろとカラクリがあってだな。まぁ、麗香さんも知っていることだから、そこは安心してくれて大丈夫だから」と、驍が適当なことを言う。
咄嗟に君子の顔を見た沙耶香は納得いかない表情をして、同意を求めようとした。君子も小首を傾げて、沙耶香に応えた。
「俺は一緒に行けないから…。左手側の壁を伝って真っ直ぐ進むんだ。途中、細い通路が幾つがあるけど、そこは迷わず、ただ左手側の壁に沿って突き進め!」と、驍が言う。
「えっ、これ最終的に何処に出るの?」と、君子が尋ねた。
「それはお楽しみに!はーい、行ってらっしゃい!」と、言うと驍はうむも言わさずドアをガチャンと閉めた。
突然、通路の中が真っ暗になった。だが、二人をセンサーか何かが読み取ったのか、遠い向こう側まで一直線に蛍光灯が点灯した。
その瞬間思わず二人は硬直してしまった。
最新機能が満載のピカピカした地上に比べると、そこは旧世代の遺物のようにひとつも整備されていない打ちっぱなしのコンクリートが続いていた。地上ばかりでなく、地下を通る華やいだ地下街ともひどい落差だ。この通路の何処かのドアを開けると、そんな華やいだ地下街に出るはずだが、まったくイメージが出来なかった。
「何、ここ…?ひと1人がやっと通れるくらいね」と、不快気に沙耶香が言う。
「うん、しかも、驍さんが言ってたけど、何処かに繋がっているに違いない通路が右側に結構あるね。イメージ図でしか知らないけど、まるで蟻の巣みたいだ」と、君子は言った。
「ねぇ、なんか怖くない?ここって、地下街とはまったく別の世界。乃木亜本社から入ったように、他のビルにも、さっきのような扉があって、地下通路で繋がっているのかしら?なんか怖くない?菟針市の地下にまったく様相の違うふたつの顔を持った地下があるのよ」
沙耶香が何を恐れているのか、理解できなかったが、三日前に訪れたあの憩いの広場の光景を君子は思い出していた。
もしも、この蟻の巣のような地下通路と、あの乃木亜の誰かに仕立てられ心霊スポットと化した憩いの広場をセットにして考えると、何かしらの陰謀論が浮かび上がってきそうだ。
「ねぇ…」
左側の壁をつたいながら、前を歩く沙耶香が突然、ぽつりと言う。
「うん?」と、君子は答えた。
「咲村さん、喋れない悠亮君といつも何か話しているでしょう?」と、突然沙耶香が言った。
「えっ?何を言ってるの?」と、君子が驚く。
「だってそうでしょう。私聞いたのよ。託児所がまだ本社エントランス中二階にある時…。その時にはもう悠亮君は口を利けなかったのでしょう。でも、託児所に行ってた子が言うのよ。悠亮君とあなたはいつも一緒にいて、悠亮君とあなたはまるで会話をしているようだった。と…。あなたは悠亮君の言いたいことを全て理解していて、悠亮君がそれに応えて、そして、あなたが的確な言葉を投げかける…。ずっとそんなことが繰り返された。と、聞いたわ…」
「えー?何、それ…?すごい誤解」と、君子は、少し焦った。
「私もずっと二人のことを見ていたのだけど…やっぱり同じことを感じることがあったわ。時々…なんか見つめ合って、通じ合ってる空気が漂うのよ。ちゃんと説明しなさいよ!」と、沙耶香が感情を押し殺して言う。
君子は、どう答えていいのか分からなかった。おそらく説明しても理解してくれないだろう。それにチップが入っていれば無言でもチャットができるのだから、思念伝達を受け取ったからといって、驚く話しでもないだろう。と、君子は思う。
「通じ合っている…?何なの。沙耶香はずっと悠亮君のことを心配しているのでしょう。喋れなくても、いくらでも会話はできるじゃない。沙耶香にはメガネがあるし悠亮君には携帯端末がある。いくらでもチャットでお喋りできるじゃない。何故、しないの?」と、君子は言った。
君子の言葉に沙耶香は暫く黙った。そして恐る恐る口を開いた。
「悠亮君は決して自分の言葉を出さない。チャットじゃなくても、ただ、端末で言葉をタップするだけのことなのに、それをしない。なのに悠亮君の思いを知るなんて、そんなことができるはずがない…」
沙耶香の口調が次第に弱々しくなっていった。
君子は、もうそれ以上、何も言わなかった。




