7.白銀の螺旋、光翼の一閃
【登場人物紹介】
ユリウス=シルベスター
・25歳。
・184cm、73kg。
・セリカ神国第二皇子。亜麻色の髪に琥珀色の瞳。
・セリカ神国の軍務尚書。
・天恵は【軍神】。
※【登場人物紹介】は、ネタが切れるまで続ける予定です(^_^;
天を衝くが如く迸った神槍<エリュシオン>の閃光が、天空の気流を力ずくで捩じ伏せたその刹那、空間を引き裂く紫電を孕んだ巨大な雷雲が、アードラー艦隊の頭上を絶望の色彩で覆い尽くしていった。
「ディアナ様、逃げてーッ!!」
副官シンディの死を覚悟した絶叫が、荒れ狂う潮風に掻き消される。
人智を遥かに超越した武神の雷撃が、五隻の魔導装甲艦すべてを洋上の塵へと変えるべく容赦なく降り注いだ。
「ウッオオォォーッ!!」
鼓膜を引き裂くような雄叫びと共に、「漆黒の金属鎧」に包まれた巨躯がディアナの視界を遮った。その咆哮に乗せて、人の限界を凌駕する神速の三連撃が虚空に向かって放たれた。
<フレイム・ハルバード>に埋め込まれた<火龍の宝玉>が直視できないほどの輝きを纏う。その深紅色の光輝が穂先に収斂し、凄まじい劫火の奔流となって爆発的に噴出した。
次の瞬間、劫火の奔流が無数の雷撃を席巻した――
超絶な焔が天空を焦がし、魔導装甲艦に襲いかかる雷撃を灼き尽くしたのである。
「――おい、シンディ! 俺の背中に隠れてろッ!!」
獰猛な笑顔を浮かべながら、ザックが吠えるように叫んだ。その胸元には『一本』の銀色のチェーンが激しい潮風に揺れ、劫火の照り返しを受けてギラギラと輝いていた。
「くッ……、この野蛮人が……! 余計なお世話ですッ!」
悪態をつきながらもシンディは、額から流れ落ちる冷や汗をそっと右手で拭った。
「……ほう。セリカに、これほどの狂暴な一撃を放つ男がいたか。面白い……遊んでやろうぞッ!」
アルヴィンはニヤリと不敵な笑みを浮かべると、神槍<エリュシオン>を頭上でグルリと回転させた。ただそれだけの動作で、大気に亀裂が走った――
「引退間近の爺さんが、元気なことだ……」
ザックは獰猛な笑顔を消し、アルヴィンが放つ凄まじい威圧感の中で<フレイム・ハルバード>を低く構え直した。
足を大きく開いて重心を落とし、下半身を岩盤の如く安定させる。半身となって左肩を前方に向け、オリハルコンの柄をしっかりと両手で握って水平を維持した。燃え盛るハルバードの穂先はアルヴィンの喉元に向け、攻守の転換を瞬時に可能とする構えを取った。
その刹那、激しい白波を掻き分けるように、レウルキア王国軍の巨大な総旗艦がゆっくりと航路を塞いで肉薄してきた。海を押し潰すような黒鉄の威容が迫り、互いの船体が衝突寸前の距離まで接近する。
その総旗艦の舳先から、漆黒の総革鎧をまとったアルヴィンの鍛え抜かれた体躯が、数mの距離を大きく跳躍し、ズシンッという音を響かせてアードラーの甲板へ飛び移ってきた。
「……ッ!!」
彼我の距離はわずかに五m――武神から放たれる威圧感は常軌を逸していた。ディアナは息をすることさえできずに、蒼灰色の瞳に激甚な恐怖を浮かべて立ち尽くした。
漆黒の総革鎧の隙間から這い出るその覇気は、吹き荒れていた荒波の轟音や潮風の唸りを一瞬にして完全に圧殺し、第一装甲艦の全域を息を吸うことさえ拒絶するような絶対的な窒息感で支配していったのである。
「ディアナ、俺の後ろにいろッ!!」
限りなく優しい声が耳朶を打った――それは、これまで一度も聞いたことのない声色だった。
(ザック……?)
「漆黒の金属鎧」に包まれた巨大な後ろ姿からは、ザックの顔色は窺えなかった。だが、ディアナには、死を賭して自分を守ろうとするザックの決意がまざまざと伝わった。
「若造――なかなか鋭い牙を持っているが、まだまだ粗いな」
ズシリと腹の底に響く声とともに神槍がきらめき、神速の突きがザックの胸元に襲いかかった。
「くッ……!!」
激しい金属の火花を散らし、ザックが辛うじて電光の刺突をいなす。だが、完全に避けることができずに、胸元に光る『一本』のチェーンが斬り裂かれて宙に舞った。
「ザック、助太刀しますッ……!」
「来るなッ!!」
隙を見て割って入ろうとしたシンディを、ザックが大声で制した。彼女の技量では、瞬く間に斬り伏せられることが明白だった。
「くッ、ぐぅッ……!!」
文字通り、息つく暇もない攻防が続く。だが、武神との実力差は誰が見ても明らかだった。
胸甲にいくつもヒビが入り、裂けた頬から鮮血が噴き出した。アルヴィンの繰り出す神速の突きは、ザックの反応速度を確実に上回っていた。
(まだだッ! まだ、終われるかよッ!!)
ここで倒れれば、アルヴィンの刃がディアナに届く。それだけは何があっても阻止しなければならない。
「くそがぁあああ……ッ!!」
ザックが己自身を鼓舞するように、満身創痍の肉体で咆哮した。
だが、神速の刺突を強引に弾き飛ばそうとした瞬間、アルヴィンがニヤリと笑みを浮かべた。それは、アルヴィンの『誘い』に他ならなかった。
次の瞬間、電撃を纏った<エリュシオン>の穂先が、ザックの胸板を深々と貫いた。
「グッ、ウァアアア……!!」
絶叫が吹き荒れる波濤の轟音を切り裂く――
「漆黒の金属鎧」さえも突き破って、ザックの背中から<エリュシオン>の穂先が現れる。それが引き抜かれた瞬間、彼の強靱な肉体から凄まじい勢いで鮮血が噴出した。
そして、ゆっくりと前のめりに傾くと、ズシンッと音を立てて甲板に沈み込んだ。
「ザック――ッ!!」
蒼灰色の瞳を恐怖に見開きながら、ディアナが絶叫した――
彼女の守護神であり、最愛の男性が、ピクリとも動かずに目の前に横たわっていた。その漆黒の鎧の隙間からは真紅の鮮血が溢れ、血だまりとなって広がっていった。
その瞬間、ディアナの世界からすべての音が消失した。
押し寄せる凄まじい水飛沫も、レウルキア兵の怒号も、頭上で荒れ狂う雷鳴すらもが、幻聴のように遠ざかっていく。
網膜に激しく焼き付いて離れないのは、己のすぐ目の前で、物言わぬまま横たわる「漆黒の金属鎧」の無骨な騎士――
彼女の脳裏へ、最果ての城塞の広場で目撃した、あの鮮烈な光景が現実感を伴って蘇った。
『アリスターッ! 目を開けてッ! 死ぬなんて、絶対に許さないわッ!』
使い込まれた漆黒の革鎧を血に染めて倒れた愛する男のために、自らの寿命さえも削って禁忌の【調剤】を発動させたカトリーナ――
あの時、ディアナは二人の姿に至純の愛を見たのだった。
(私には、カトリーナ様のような天恵はない――)
心臓を直接、冷たい手で握りつぶされるような底知れぬ恐怖が、ディアナの全身の血液を凍りつかせていった。
今、目の前に血だらけで倒れているのは、彼女にとって最も大切な騎士――不躾な態度で彼女の隣に立ち続けてくれた男だった。彼に対する自分の気持ちに、気づき始めたばかりだった。
その彼の命の灯火が、今まさに指の隙間から零れ落ちようとしている――
常に最強だと信じていた、最愛の男の崩落――
その巨躯の下で赤黒い染みが刻一刻と広がっていくのを目の当たりにした瞬間、ディアナの中で完璧な団長であろうと張り詰めさせていた【氷姫】の仮面が、音を立てて崩れていった。
漆黒の騎士服が血で汚れるのにも気づかずに、ディアナはザックの頭を抱き上げた。
「ザック……眼を開けてッ!! 私を置いて行くなんて、許さないわッ……!」
それは、二十一歳の少女としての剥き出しの悲鳴だった。
月の雫のような銀髪が海風に激しく舞い上がる。大粒の涙が溢れる蒼灰色の瞳には、理不尽な運命に抗うかの如く蒼炎が燃え上がった。
その瞬間――
ディアナの全身から、眩い光輝が周囲の大気さえ凍らせるほどの威圧を伴って、凄まじい勢いで立ち上った――
それは、雷雲に覆われた<アドリア海域>を真っ白に染め上げる、玲瓏にして苛烈な白銀の氷華であった。
己の血を、魔力を、覇気を――限界まで絞り上げて、氷晶へと変えていく。世界を敵に廻しても、愛する男の命を護る――その想いが<アドリア海域>を支配していた波濤の咆哮や潮風の絶叫さえも、冷徹なる静寂へと変えていった。
その氷霧が神気を放ちながら収斂していった――
そして、ディアナの背に集束し、巨大な白銀の翼を形成した――
神威の残響さえも白銀の双翼に変えて、【戦姫】が今、目覚めたのだった――
バサ……ッ!!
『氷晶の光翼』を羽ばたかせた刹那、煌めく細氷が放射され、神輝が天空を覆い尽くした。網膜を灼き尽くすほどの光芒が満天へと広がっていく。
その天空を衝くほどの光の奔流は、アルヴィンが撒き散らしていた【雷神】の残響さえも、ただ一度の羽ばたきで霧散させたのである。
背中の光翼を峻烈にはためかせると、氷晶の光輝を奔流に変えてディアナは宙空に飛翔した。
月の雫のような銀髪を激しい海風に靡かせ、蒼灰色の瞳に蒼炎を映しながら一点を見つめる――その視線の先には、【雷神】アルヴィンの姿があった。
ディアナは右手で<蒼月刀>の柄を掴むと、蒼銀色に輝く刀身をゆっくりと引き抜いた。
この片刃剣はザックの斧槍<フレイム・ハルバード>と一緒に、ムズンガルド大陸随一と言われるドワーフ族の鍛冶士、ランズベールに特注して作った秘宝級の神刀である。
神聖オリハルコンを鍛えた片刃の剣――そのはばきに嵌め込まれた水龍の宝玉が蒼炎の覇気を纏い、ディアナの水属性の魔力を数倍に増幅した。
ディアナが<蒼月刀>を両手で持ち、右上段に大きく振りかぶった。そして、蒼灰色の瞳でアルヴィンを見据えると、氷華そのもののような冷徹な声で厳かに告げた。
「――アードラーの行く手を阻み、私の大切な騎士に怪我を負わせたこと、後悔させてあげるわッ!」
ディアナが<蒼月刀>を袈裟懸けに斬り落とした瞬間、白銀の奔流が螺旋を描きながら想像を絶する速度で飛翔した。まさしくそれは大気さえも引き裂く蒼氷の斬撃――<氷晶の光矢>そのものであった。
ズッドォォーンッ!!
世界を白銀に変える、神輝の一閃――
その超絶な覇気を『緋の三聖』の筆頭、【雷神】アルヴィンが受け止めた――
アルヴィンは驚愕に黒瞳を大きく見開くと、武神の本能を以て瞬時に神槍<エリュシオン>を構え直した。利き手である右手を柄尻へと引き絞り、伝説の緋緋色金を鍛えた『穂先』を天空へと真っ直ぐに突き出す。
その穂先から、天恵【雷神】の凄絶な紫電が覇気の奔流となって放出され、ディアナが放った白銀の一閃を呑み込まんとばかりに激突した。
ドッゴォォーーンッ!!
二つの超絶な神威が宙空で激突し、大気を震撼させる凄まじい衝撃波が洋上を打ちすえる。武神アルヴィンの想像を絶する武力は、【戦姫】へと覚醒したディアナの渾身の斬撃さえも、真っ向から相殺してみせたのだ。
だが、相殺しきれなかった二つの奔流の余波は、凄まじい衝撃波となってアルヴィンの背後へと一直線に突き抜けた。
その行方には、レウルキアの大型鉄甲魔導艦隊による半月状の包囲網――荒れ狂う海流に浮かぶ大艦隊があった。
次の瞬間、<アドリア海域>の海流が、文字通り左右へと引き裂かれて巨大な水の壁を形成した――
海底の岩盤が剥き出しになるほどに海が真っ二つに割れ、その裂け目から生まれた巨大な波濤がレウルキア艦隊に襲いかかったのである。
荒れ狂う海流に叩きつけられたレウルキアの大艦隊は沈没こそ免れたものの、その強固な防魔鋼鉄の装甲を激しく軋ませ、艦列を無惨に引き裂かれて大きく傾いた。主砲の魔導回路が激しい衝撃で火花を散らして機能停止に陥り、一瞬のうちに修復不能な壊滅状態と化した。
神槍<エリュシオン>を握る両手に残る痺れを確かめながら、アルヴィンはかつてない驚愕と歓喜に身を震わせた。
「……見事なり、セリカの若き【戦姫】よ。その白刃の威力、ブリュンヒルデに勝るとも劣らぬ」
アルヴィンはかつて剣を交えた【戦乙女】――『緋の三聖』のひとりであるブリュンヒルデの名を挙げた。深い皺が刻まれた老将の顔に、不敵な笑みが浮かぶ。
だが、彼はすぐに鋭い視線を眼下の甲板――赤黒い血だまりの中で横たわるザックの巨躯へと向け、武人としての冷徹な声音で告げた。
「だが、お主の守護神――その男の手当てを早くしないと手遅れになるぞ。【雷神】の紫電は、今も奴の肉体を内側から焼き焦がしておるからな」
アルヴィンは厳かに神槍<エリュシオン>を収めると、数mの距離を再び軽やかに跳躍し、レウルキアの総旗艦へと音もなく戻っていった。
そして、臙脂色の外套を風に翻しながら、楽しそうな表情でディアナを見上げた。
「海の上では、互いに存分な力を振るえまい。後日、万全を期して再戦を約すとしよう。いずれ、また会おうぞ!」
高らかにそう告げると、アルヴィンを乗せた敵旗艦は艦隊を率いて、静かに国境の霧の彼方へと後退を始めた。
かくして<アドリア海域>を血に染めた大激突は終わりを告げ、『双頭鷲』の旗を掲げたアードラーの船団は、昏い霧の先で待ち受ける次なる因縁の地へとその舳先を進めていった。
この第7話をもって、第2章は終了となります。
次は、いよいよ第3章――大陸本土のお話しとなります。
楽しみにお待ちください!




