5.国境の氷華、劫火の斧槍
【登場人物紹介】
バルハルト=バルトメウス
・33歳
・178cm、61kg
・アードラー騎士団参謀長。二つ名は【戦場の毒蜘蛛】。天恵は【軍師】。
・冷徹極まる頭脳を持ち、勝つためならば奇策や罠を平気で使う。
・昇り竜を象った『龍刻の長煙管』を愛用。黒灰色の瞳。
※【登場人物紹介】は、ネタが切れるまで続ける予定です(^_^;
漆黒の眼帯を狂暴に引き剥がしたヴァイスは、血走った右眼の隣で、天恵を覚醒した十二歳の時から封印し続けてきた禁忌の左眼を爛々と見開いた。
金色の魔眼――
その左眼から放出された光は、紛れもない魔光であった。
セリカ神国が長きにわたって、禁忌として封印し続けてきた禍々しい金色の光――世界を呑み込む深淵の如き黒い濁流が、広場全体の陽光を一瞬で喰らい尽くしていった。
他者の欺瞞を暴くのみならず、その網膜が捉えた標的の精神を蹂躙し、その根源たる魂さえも破壊する兇悪な【看破】の魔眼――
その禁忌の魔光が周囲の空間そのものを絶望へと染め上げながら、残忍な牙を剥いたのだった。
「消え失せろ、ラザフォードの小娘がッ! この私の隻眼を、ブライアン様のご下命を、謀略だと侮辱した罪――その薄汚い魂ごと今ここで看破して抉り出してやろうッ!」
凄まじい金切り声と共に、ヴァイスの左眼から精神を侵食する金色の魔光が放たれた。その標的は、目の前で『医療台帳』を掲げるカトリーナ=ラザフォードであった。
カトリーナの漆黒の瞳が驚愕に見開かれ、死を予感して戦慄に揺れた刹那――
「――カトリーナ、下がれッ!!」
金色の魔光が放たれた瞬間、凄まじい叫び声を上げながら、アリスターが大地を穿つほど踏み込んだ。
背負っていたダマスカス鋼の大盾を構える暇さえ惜しみ、アリスターは自らを『肉体の盾』としてカトリーナをその背に庇った。
その直後、金色の魔光がアリスターの胸元を直撃した。
「グッ、ガァアァァァーッ!!」
まさに魂消るような絶叫が大気を震撼させた――
凄絶な咆哮が周囲を席巻し、感電したかのようにアリスターが全身を硬直させた。そして、見開いた眼球をぐるりと反転させると、白目を剥いてゆっくりと前のめりに倒れ込んだ。
ズシンッと巨体が大地に沈み込む音で、時が止まったかのように茫然としていたカトリーナがハッと我に返る。そして、喉が張り裂けんばかりに絶叫した。
「アリスター――ッッ!!」
使い込まれた漆黒の革鎧の隙間から鮮血が滲み出て、海岸沿いの砂が多い大地をジンワリと赤く染めていく。臙脂色の外套の襟元を飾る白い毛皮がその輝きを失い、赤黒く変色していった。
カトリーナにとって、それは心臓を握りつぶされるほどの恐怖に他ならなかった。辺境伯令嬢としての気品など消え失せ、カトリーナは血塗れの大地に膝をつくと、アリスターの巨躯をその華奢な双腕で必死に抱き寄せた。
「アリスターッ! 目を開けてッ! 死ぬなんて、絶対に許さないわッ! ――私の命に代えても、必ず貴方を助けるッ!!」
漆黒の瞳から大粒の涙を流し、黒絹のような長い髪を振り乱して、カトリーナがアリスターの身体を力強く抱き締めた。
彼女の全身から純白の覇気がゆっくりと立ち上る――いや、彼女自身が神気を纏い始め、まるで神話に伝わる女神のように光輝を放ち始めた。
天恵【調剤】――
それはまさしく神の御業に他ならなかった。
アードラーが運んできた補給物資を『医療台帳』に記載するなど、その天恵が持つ力の一欠片に過ぎない。
真の能力――それは、時間遡行であった。
対象の時間を、健全な状態まで巻き戻す――
病気、怪我、精神疾患、記憶障害……ありとあらゆる病魔を、それが発現する前の状態に戻すのである。それを、【神技】と呼ばずに何と呼ぶのか?
当然ながら、これほどの能力を何の代償も無しに使用できるはずがなかった。
相手の記憶を読み取って『医療台帳』に記載する程度であれば問題なかったが、対象の時間を戻すほどの力には相応の代償が必要であった。
【調剤】による時間遡行が求めるもの――それは、使用者の生命に他ならない。
今回のように、瀕死の重傷を負った者の時間を、それが起こる前の状態まで遡行させる場合には、数ヶ月から数年の時間を捧げなければならない。
まさに、カトリーナは自分の生命を削ってアリスターを助けたのであった――
「何だと……アリスターの傷が……ッ!? おのれ、揃いも揃ってこの私を馬鹿にして――」
錯乱したヴァイスが再びその金色の魔眼をぎらつかせ、二人まとめて圧殺しようと一歩を踏み出そうとした時――
ドッゴォォーンッ!!
ヴァイスが踏み出そうとした爪先――そのわずか数cm手前に、<劫火の暴風>が凄まじい威力で叩きつけられた。轟音とともに大地に巨大な亀裂が走り、激しく砂塵を巻き上げて幾多の砂礫が跳ね上がった。
そのひとつが、ヴァイスの左頬を鋭く引き裂き、その整った高慢な美貌を鮮血に塗れさせた。
「ひぃッ……!」
驚愕と恐怖のあまり、ヴァイスが後退り、崩れるように大地に腰を下ろした。彼の目に映ったのは、天を衝くほど巨大な黒い影――「漆黒の金属鎧」を纏って立ちはだかるアードラー騎士団筆頭騎士、ザックであった。
その地獄のような黒ずくめの巨躯の胸元で、『一本』の銀色のチェーンが陽光を受けてキラリときらめいた。
「――おい、てめえッ!! これ以上、その魔眼を動かしてみろッ! その瞬間、貴様の首はその身体から離れて、宙を舞うことになるぜッ!!」
腹の底に響き渡る声で威嚇すると、ザックは全長二百二十cm、重さ二千三百gもある<フレイム・ハルバード>を、虚空に弧を描くように右手一本で振った。
ブゥーンッ……!!
「ひ、ひぃいいッ……!!」
斧槍である<フレイム・ハルバード>の先端部分は三つの刀刃に分かれている。敵を鋭く突き刺す『穂先』、相手の鎧を突き破る鉤状の『刺先』、そして、強靱な斬撃で鎧ごと敵を打ち砕く『斧刃』――
その鋭い『斧刃』が凄まじい勢いで宙に半弧を描き、腰を抜かして座り込むヴァイスの左首筋でピタリと停止した。その衝撃波でヴァイスの首筋が裂け、ツゥーッと鮮血が流れ落ちた。
「ま、待て……! 待ってくれッ……!」
生まれて初めて目の当たりにした、本物の殺意――
宮廷内の暗闘や権謀術数に塗れた政争こそ経験してきたものの、戦争の現場に立ったことなど一度もないヴァイスは心の底から震え上がった。
「わ、私を殺したら……た、ただではすまないぞ……! これを……これを、見ろ……!」
ヴァイスはガタガタと震える手で、騎士服の懐から一枚の羊皮紙を取り出した。そして、声まで震わせながら、ザックにそれを突きつけた。
「こ、これは……軍務尚書、からの……命令書だ……! わた、私は……アードラー騎士団の……監軍総官を……、は、拝命して……いる!」
「どうする、団長……?」
ザックはその軍務尚書の署名が入った命令書をヴァイスから奪うと、一瞥してディアナへと手渡した。まるで、『考えることは面倒くさいので任せた』とでも言わんばかりだった。
蒼灰色の瞳で文句を言いたげにザックを睨むと、ディアナは小さくため息をついて命令書に目を通した。
「分かりました、アシュラッド監査役――いえ、アシュラッド監軍総官……。軍務尚書の軍令を拝命し、貴方をアードラー騎士団監軍総官として受け入れます。ただし、その金瞳――天恵【看破】を私たちに使用することは、固く禁じます!」
【氷姫】の冷徹な仮面を被ると、ディアナが氷を斬り裂くような口調で告げた。軍務尚書の命令書があるとはいえ、直前までラザフォード辺境伯家の令嬢カトリーナを害そうとしていた彼を、とてもではないが好意的に受け入れられるはずなどなかった。
(それに、あのカトリーナ様のご様子……)
そっと視線を移して、ディアナはカトリーナとアリスターの様子を見つめた。
カトリーナの天恵【調剤】の神技によって、アリスターの傷は完治しているようだった。だが、逆にカトリーナの顔色が蒼白を通り越して、土気色に変わっていた。
(あの天恵の詳細は分からないけど、あれほどの力――想像以上に負担がかかったに違いないわ。あれこそが、無私の献身……いえ、身分や立場を超えた至純の愛なのね)
アリスターがカトリーナを気遣い、その大きな手で彼女の身体を優しく支えていた。その様子は、剣一筋に生きてきた二十一歳のディアナには眩しすぎた。
(もし、ザックに何かあったら……私も、きっと……)
隣に立つザックの強面を見上げると、彼が怪訝そうな様子で訊ねてきた。
「団長……? どうした、何だか顔が赤いぞ?」
「……ッ! な、何を言ってるの、ザック!? そんなこと、あるはずないわ!」
カアッと耳まで真っ赤に染まると、ディアナは慌てて【氷姫】の仮面を被り直した。そして、彼女の後ろに従っていた団員たちを振り返ると、右手を上げてよく通る声で告げた。
「軍務尚書の軍令により、本日付でヴァイス=アシュラッド伯爵をアードラー騎士団監軍総官として迎えるものとする。ただし、指揮命令系統は、団長、副団長、参謀長の順で従来と変更なし。監軍総官の職務は、『我が騎士団がセリカ神国の国法を著しく汚す行為をしていないか』を監査すること、この一点とする!」
蒼灰色の瞳に冷徹な光を映して、ディアナがヴァイスの顔を見据えた。彼は蒼白な表情のまま小さく頷いたが、その煙灰色の右眼の奥には、まだ消えきらない執念の熾火が燻っていた。
「……で、では、監軍総官としての最初の職務を執行させていただく」
首筋から滲む血を手巾で押さえながら、ヴァイスはディアナの手にある軍務尚書の命令書を震える指先で示した。ザックの斧刃が刻みつけた恐怖に膝を笑わせながらも、その声には宮廷の猟犬らしい粘りつくような執拗さが戻りつつあった。
「アードラーが乗船する五隻の軍船、および積載するすべての物資について……国法に照らした監査を実施する。こ、これは、たった今ヴァーテル団長ご自身が定められた、監軍総官の正当な職務の範囲内のはずだ。監査が完了するまで、出航は一切認められない」
「てめえ……、懲りねえ野郎だな」
ザックが低く唸り、<フレイム・ハルバード>の柄をギリッと握り直す。だが、ディアナは右手を軽く上げてそれを制した。
(――自分で定めた職務の範囲である以上、ここで拒めば、私が国法を軽んじたことになる……。どこまでも陰湿な男ね)
【氷姫】の仮面の下で唇を噛みながら、ディアナは冷ややかにヴァイスを見下ろした。
「……よろしいでしょう、アシュラッド監軍総官。ただし、監査は法と秩序に則り、速やかに行いなさい」
「くッくッ……。五隻分ともなれば、几帳面な監軍総官殿のこと、七日はかかるでしょうねぇ。まあ、海を渡る前のちょうどいい骨休めですよ、団長」
バルハルトが丸眼鏡を右手でクイッと持ち上げ、皮肉混じりに肩をすくめた。その黒灰色の瞳は、すでに足止めされる七日間の使い道を冷徹に計算し始めていた。
ディアナは小さく息を吐くと、再び団員たちへと向き直った。
「我々は『ガザリア国境城塞』の港湾区にて軍船に乗船し、オーディンヴァルト大森林へ向けて出航する。ただし、出航は監軍総官による監査の完了を待ち、七日後の朝の四つ鐘とする! 各員はそれまでに十分な休養を取り、装備の点検を済ませておくこと! なお、副団長以下、幹部は、このまま『ガザリア国境城塞』の司令部と会議を行うので残るように! では、一時解散ッ!」
ディアナの背後で猛烈に風を孕んでたなびくのは、深紺色の布地に高貴な金刺繍と精緻な意匠を施した、ヴァーテル伯爵家の軍旗――
その中心には、武門の絶対的な威風と知略の象徴である『双頭鷲』が、重厚な金属の輝きを放ちながら刻まれている。
月の雫のような銀髪を海風に激しく靡かせ、【氷姫】の表情に冴え冴えとした美しさを湛えるディアナ――
その蒼灰色の瞳には、理不尽な逆境を撥ね退けて、愛するザックと共に未来の夜明けを掴み取るという峻烈な覇気が滾っていた。
『氷姫の旗を掲げよ~秘めたる愛影に抱かれて~』
第5話「国境の氷華、劫火の斧槍」をお届けします!
次回は、作品中でも最強の一角である【雷神】アルヴィンが登場します!
お楽しみにお待ちください(^_^;




