↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
氷姫の旗を掲げよ~秘めたる愛影に抱かれて~  作者: 椎名将也
第2章 レウルキアの神槍

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
5/29

4.海賊の砦、看破の隻眼

挿絵(By みてみん)


【登場人物紹介】

シンディ

・26歳。

・168cm、52kg。

・アードラー騎士団副官で、ディアナの右腕。

・二つ名は【黒鴉の眼(ヘヴンズ・アイ)】。天恵は【暗殺者(アサシン)】。

・暗殺者ギルドの元アサシンで、情報収集能力に優れる。

・古代遺跡から入手した双刀の魔剣<冰刀(アイス・ダガー)>を愛用する。


※【登場人物紹介】は、ネタが切れるまで続ける予定です(^_^;



 皇都リーアンを発ってから、主要な公道を強行軍で駆け抜けること、ちょうど十日――


 セリカ神国最強の盾たるアードラー騎士団は、皇都リーアンの東倉庫街で補給物資の強奪作戦を成功させ、『上級魔力回復薬(マナ・アドバンスド)』五千本を手中にしていた。そして今、ついに国境の海に面した西部海岸線――ラザフォード辺境伯領の『ガザリア国境城塞』へと到達したのである。


 眼前に聳え立つのは、激しい潮風に波飛沫が舞い上がる断崖絶壁に築かれた、文字通りの不落の巨壁――

 この城塞の向こうには、荒れ狂う波濤(はとう)が逆巻く<アドリア海域>が冷たく広がっており、そのさらに彼方には軍務尚書(ユリウス第二皇子)による『重畳(ちょうじょう)たる軍令』の最終目的地――人外の種族や兇悪な魔獣が蠢くオーディンヴァルト大森林が不気味に地平を覆い尽くしている。


 だが、海を渡るための軍船が待つ港湾区へと進むアードラーの行く手を阻むように、城塞の巨大な鉄格子門は固く閉ざされていた。

 それだけではない。本来であればラザフォード辺境伯領の守備兵が管轄しているはずの城門前には、不自然なことに「法務尚書の徽章」をその防具にあしらった国境港湾局の臨検兵たちが槍を交差させて物々しい防陣を敷いていた。


(……アシュレイ公爵家が星金貨三十枚で法務省を動かしたというのは、事実だったのね。皇都を発つ前にシンディが掴んできた情報の通りだわ。辺境伯領の騎士たちを抑え込んでまで、中央の猟犬(港湾局)が先回りしているなんて……)

 ディアナは胸の奥に烈火の如き怒りを秘めながら、完璧な氷の仮面で敵陣を見据えた。


(ここでアードラーに何らかの罪を着せ、ヴァーテル家にその連帯責任を取らせて破滅させるつもりね――そんな筋書きに、この私がおとなしく従うと思ってるのかしら!)

 蒼灰色(ヘイズブルー)の瞳に苛烈な蒼炎を燃やすと、ディアナは愛馬アンヴァルの手綱を引いて右手を上げた。


「――全軍、停止ッ!」


 蒼天を震わせるかのように、ディアナが凛と声を張り上げた――

 そして、流れ落ちる月の雫のような銀髪(シルバー・ムーン)を潮風に靡かせると、ディアナは【氷姫(アイス・ドール)】の仮面の裏で、その不条理に閉鎖された城門ごと敵を瓦解(がかい)させる冷徹な計算を静かに巡らせた。


 ディアナの号令を受けて、馬上にある四百の騎兵隊が一斉に動きを止めた。地上の四百の歩兵隊が一糸乱れぬ動作で槍の石突を大地に突き立てる。

 輜重兵が護衛する巨大な装甲馬車の先頭では、ザックが愛用の<フレイム・ハルバード>を握り締めて凄烈な蒼い瞳を不穏に細めて控えていた。


 この装甲馬車の輜重には、アードラー騎士団一千人の組織力を活かした完璧な欺瞞(ぎまん)が隠されていた。

 バルハルトの「先読み」によって、東倉庫街で強奪した五千本の『上級魔力回復薬(マナ・アドバンスド)』は、団員たちによってすべて『初級回復薬(ビギナーズ)』の容器に詰め替えられていたのだ。それも装甲馬車の荷台(チェスト)には保管せずに、正式なラベルと封印を施して各団員が五本ずつ背嚢などに携えていたのである。


(皇都での『補給の遮断』に続き、今度は『不当な足止め』なんて、随分と念が入っているわね……。公爵(あなた)のアードラーに対する理不尽なほどの執着、確かに見届けたわ)

 ディアナは冷ややかな眼差しのまま、前方の敵陣を見据えていた。この城門を潜れなければ、アードラーの未来が永久に閉ざされることは疑う余地もなかった。

 緊迫した静寂が広場を支配する中、防陣の奥から、コツ、コツ、と軍靴(ぐんか)の音を響かせて一人の男が姿を現した。


 前ボタンをきちんと留めた高襟の漆黒の騎士服――

 その胸元には、宮廷監査役としてアードラー騎士団に臨時編入されたことの証である『五本』の金のチェーンが陽光を受けて妖しくきらめいていた。騎士団長であるディアナの『六本』に次ぐ席次を示すその輝きは、副団長デュークの『四本』のチェーンすらも凌駕していた。

 風に揺れるアッシュグレーの長い髪を翻し、左眼を黒い眼帯で隠したその男――宮廷の『目』としてすべてを看破する冷徹な隻眼をディアナへと向けたのは、ヴァイス=アシュラッド伯爵であった。


 三十一歳という異例の若さでありながら、血生臭い骨肉の争いの末に二人の実兄を合法的に奈落へと蹴落とし、アシュラッド伯爵家の家督を強引に簒奪した男――

 ヴァイスは叔父であるブライアン=アシュレイ公爵の最も忠実で冷酷な『猟犬』として、宮廷という腐臭に満ちた庭を嗅ぎ回ってきた。そして今、その高慢な美貌に酷薄な笑みを浮かべ、煙灰色(スモーキーグレー)の隻眼に猜疑の炎を宿しながらディアナの瞳を冷酷に射抜いた。


 彼の左眼を覆っている黒い眼帯は、かつて十代の頃に目覚めた、他者の欺瞞(ぎまん)を強制的に暴き立てる天恵【看破(インサイト)】――その強大すぎる魔力を物理的に封じるための絶対的な拘束具に他ならなかった。


「ようこそ最果ての地――ガザリアへ、アードラー騎士団長ディアナ=ヴァーテル殿。……皇都から十日も公道を揺られてきたというのに、その気高き銀髪は眩いほど美しく流れていらっしゃる――ですが、その十台の輜重からは、随分と悍(おぞ)ましい澱(よど)みが漂っているようですな……」

 ヴァイスは煙灰色(スモーキーグレー)の右眼を細め、胸元の『五本』の金のチェーンをきらめかせながら、芝居がかった一礼をした。その声には、法務尚書ブライアン=アシュレイ公爵の権威を背負った、傲慢な響きが満ちていた。


(――ブライアン様が星金貨三十枚もの工作資金を惜しみなく投じ、法務省や港湾局、魔人国の工作員まで総動員して敷いたこのアードラー処刑網……。その最高指揮権を委ねられたからには、私の天恵――【看破(インサイト)】の魔力(ちから)ですべてを白日の下に晒してやろう。貴女のその美しい貌が、絶望に歪む様を見るのが楽しみだ……)

 ヴァイスの脳裏には、叔父がすでに完璧な配置を終えた「必勝のチェス盤」が、絶対の自信と共に浮かんでいた。


「宮廷監査役ヴァイス=アシュラッド伯爵――軍務尚書ユリウス殿下のご命令に基づき、『ガザリア国境城塞』まで兵站輸送の任に当たっている我が騎士団の進軍を、何の権限があって臨検兵を動かしてまで阻むのですか?」

 ディアナが馬上から見下ろすように、冷淡に訊ねる。


「クククッ……。阻む、だなんて人聞きが悪い。私はただ、宮廷から下された公式な監査規則に従い、法と秩序の下で貴女たちの馬車を『検閲』に来ただけですよ。法務尚書ブライアン様のご下命に基づきね」

 ヴァイスが不気味に嗤った瞬間、ディアナのすぐ隣で手綱を握っていた参謀長バルハルトが、丸眼鏡を右手でクイッと持ち上げた。その黒灰色(こくかいしょく)の瞳の奥では、天恵【軍師(ストラテーガ)】による「深謀深慮の先読み」が数え切れないほどの勝利の計算式を導き出していた。


(兄たちを蹴落として当主に収まった簒奪者が、随分と張り切って網を張ってくれましたね。ですが、法務尚書(アシュレイ公爵)が星金貨をチラつかせて法務省を動かし、密輸の冤罪をデッチ上げようとしていることなど、我が「先読み」の前には筒抜けですよ)

 バルハルトは前ボタンを外した騎士服の胸元で『三本』の金のチェーンを揺らし、どこか喰えない大人の余裕を漂わせながら不敵に揺さぶりをかける。


「おやおや、アシュラッド監査役――我々が運んでいるのは、国境城塞の守備兵五百人が必要とする一ヶ月分の食料や水、および検閲封印された『上級回復薬(アドバンスド)』五千本だけですよ。すべて皇都を出発する際に書類の手続きは済んでいるはずですが?」

「ええ、書類の上ではね、バルトメウス参謀長。……ですが、あそこの国境港湾局に、極めて不穏な密告が上がっていましてね。どうも、アードラー騎士団が皇都を発つ際、この輜重馬車の中に『セリカ神国で厳格に禁止されている違法呪物や密輸品』を隠蔽しているという疑いがあるのです」

 ヴァイスの煙灰色(スモーキーグレー)の右眼が、酷薄な光を帯びて歪んだ。


「さあ、おとなしく城塞の内部へ輜重を運び込み、検閲を始めましょうか。もし不審な物資が少しでも見つかれば、どうなるか……。楽しみですね」

 ヴァイスがニヤリと嗤いながら冷酷に言い放ち、閉ざされた鉄格子門の奥にある要塞を親指で指し示した。


 広場に張り詰める、息の詰まるような精神的重圧――

 ザックが不敵な表情のまま、いつでも<フレイム・ハルバード>を振り下ろせるよう低く重心を落として控えていた。


(お前は心配せずに、その【氷姫(アイス・ドール)】の仮面を被っていろ。万一、バレたときには、俺がこの陰険な伯爵(ヤツ)を真っ二つにしてやる!)

 ザックが蒼い瞳に凄まじい蒼炎を燃やした。何よりも大切な団長(ディアナ)を守ることこそが、彼にとって至上にして唯一の仕事なのだ。

 そんなザックの内心に気づいているのかいないのか、ディアナは城塞内に向かって歩き出したヴァイスの背中を見据えたまま、愛馬アンヴァルの手綱を握り直した。


(――これが、アシュレイ公爵の仕掛けた第二の罠ね……。しかし、こちらも無策でここまで来たわけではないわ。それに、この『ガザリア国境城塞』には、ヴァーテル伯爵家(我が家)とも親交が深いラザフォード辺境伯家の宿老――バザード様がいらっしゃるはず。アシュレイ派の文官(アシュラッド伯爵)に好き勝手をさせるわけがないわ……)


 名門貴族の傲岸たる威光と、最果ての地に潜む武人の誇り――アードラーの命運を賭けた一歩も退けぬ騙し合いの秒針が、今まさに静かに動き出そうとしていた。



 重厚な鉄格子門が地響きを立てて左右へ開かれると、アードラー騎士団一千人は十台の輜重馬車と列をなして、ゆっくりと『ガザリア国境城塞』の内部――周囲を無骨な総石造りの巨壁に囲まれた『臨検広場』へと進み入った。


 海からの激しい潮風が絶壁を駆け上がり、広場の全域に吹き付ける。団員たちが身につけている鈍色(にびいろ)の総金属鎧が硬質な金属音を冷たく響かせる中、馬車列を包囲するように、法務尚書の徽章をその防具にあしらった国境港湾局の臨検兵たちが、隙間なく槍衾を巡らせていた。


「さあ、ヴァーテル団長。先ほど申し上げたとおり、これより貴女たちの馬車を『検閲』させていただきますよ」

 アッシュグレーの長い髪を風に翻し、宮廷監査役ヴァイス=アシュラッド伯爵が、酷薄な笑みを浮かべたまま先頭の大型装甲馬車へと歩み寄る。

 その煙灰色(スモーキーグレー)の隻眼は、まるで獲物を追い詰めた猟犬のように、底知れぬ猜疑の炎で爛々と輝いていた。


「これより臨検を開始する。各員、直ちに輜重馬車の荷台を開け、荷箱をすべて改めなさい。隠し扉や幻影魔法の痕跡も、絶対に見落としてはならない。……もし書類にない不審な物資が少しでも見つかれば、規則に基づいてその場でアードラーの進軍を差し止める。法と秩序に従い、厳格に進めなさい」

 ヴァイスの冷徹な命令を受けて、港湾局の役人たちが一斉に装甲馬車の荷台(チェスト)に手をかけ、食料が入った木箱や飲用水の丸樽を荒々しく広場へと引きずり出し始めた。


 ガタン、ゴトン――と、無骨な音が広場に響き渡る。

【氷姫(アイス・ドール)】の仮面を付けたまま、ディアナはその光景を馬上から無言で見下ろした。その隣でバルハルトは丸眼鏡をクイッと持ち上げながら、口元に不敵な笑みを浮かべていた。


(くッくッ……。好きなだけ、お探しなさい。この私が、強奪した『上級魔力回復薬(マナ・アドバンスド)』をそのまま運ぶとでも……? 噂の【看破(インサイト)】というのも、大したことなさそうですねぇ……)

 どれほど装甲馬車の荷台(チェスト)をひっくり返しても、出てくるのは正規の補給物資――『ガザリア国境城塞』の守備兵五百人が必要としている食料と水一ヶ月分と、検閲封印された『上級回復薬(アドバンスド)』が五千本だけである。


 東倉庫街で奪い返した『上級魔力回復薬(マナ・アドバンスド)』五千本は、すでに『初級回復薬(ビギナーズ)』の容器へと姿を変え、団員一千人の背嚢の中に収まっていたのだ。

 およそ三十分(タル)後――あるはずの『上級魔力回復薬(不審な物資)』を一本も発見できなかった臨検兵の隊長が、蒼白な表情でヴァイスの元へと駆け寄った。


「ほ、報告します! アシュラッド監査役! 荷台(チェスト)の物資はすべて、事前に提出された皇都の公式台帳と完全に一致しております! 違法呪物も、不審な密輸品も、何一つございません!」

「――何だとッ……!? そんなことは、あり得んッ!」

 ヴァイスの煙灰色(スモーキーグレー)の右眼が、驚愕と焦燥に大きく見開かれた。

 叔父のブライアン=アシュレイ公爵が周到に用意した「必勝のチェス盤」――そのチェックメイトは、思いも寄らぬ結果となってヴァイスの神経質なプライドを傷つけた。


「これほど大型の装甲馬車だ! 何か小細工が施されているに違いないッ! 必ずどこかに隠されているはずだッ! もう一度、一から探し直せッ!」

『怜悧な宮廷監査役』という取り繕った仮面をかなぐり捨てて、ヴァイスが激昂して叫んだ。そして、左眼を覆う黒い眼帯へと手をかけようとした、その瞬間だった――


「――随分と大きな声を張り上げてくれる。皇都の法がどれほど万能かは知らんが、この不落の要塞で通じるのは、誇り高き海賊の血を引く我がラザフォードの掟だけだ。他人の領地へと土足で踏み込んでわめき散らすのは止めてもらおうか、アシュラッド伯爵――」

 重厚な石造りの扉が押し開けられ、威風辺りを払って入ってきた男が腹の底に響き渡る声で告げた。


 短く刈り込まれた白髪交じりの髪に、鋭い眼光を湛える灰褐色(アッシュブラウン)の瞳を持つ屈強な老兵――

 漆黒の総革鎧の上から纏った臙脂色(えんじいろ)の外套(マント)の留め金には、海賊から興ったラザフォード辺境伯家の誇りを示す『羅針盤の徽章』が燻(いぶ)し銀の輝きを放っている。


 彼こそがマーティン=ラザフォード辺境伯の無二の友であり、『ガザリア国境城塞』の守護神とも言われる宿老――五十六歳の守備隊長バザードであった。


 その背後には、爛々と輝く濃紺色(ダーク・ブルー)の瞳に劫火を宿した黒茶色(ロイヤル・ブラウン)の髪の男が、文字通りバザードの盾となるべく、ダマスカス鋼の大盾を携えて立っていた。今年三十八歳になる『ガザリア国境城塞』の筆頭騎士アリスターである。

 彼の天恵――【鉄壁(アイゼン・シルト)】が威圧を放つと、ヴァイスの臨検兵たちは蒼白になって鼻白んだ。


「バザード守備隊長……! それに、筆頭騎士アリスター殿……」

 煙灰色(スモーキーグレー)の右眼を忌々しげに細め、胸元の『五本』の金のチェーンを掴みながらヴァイスが一歩退いた。しかし、バザードはヴァイスが縋り付く法務尚書の徽章さえ一顧だにせず、浅黒く日焼けした皺深い顔を昂然と上げた。


「『ガザリア国境城塞』の統括および指揮権は、すべてこの儂にあるッ! たかが法務省の小童役人が、この儂の天恵――【不屈城壁(ガード・ウォール)】を崩せると思ってかッ! 皇都リーアンからガザリア(ここ)まで兵站を運んでくれたアードラー騎士団に感謝こそすれ、不当な臨検など断じて認めんッ! お主の上司たる法務尚書殿(アシュレイ公爵)にそう伝えよッ!」

 幾多の戦場を戦い抜いてきた老将の一喝に、ヴァイスはその整った美貌を醜く歪めた。


「し、しかし――私はブライアン様のご下命を……」

「アシュラッド監査役、バザード守備隊長への無礼をこれ以上続けられるのであれば、我が『ガザリア国境城塞』、ひいてはラザフォード辺境伯家への明確な侮辱と見なしますが、よろしいですか?」

 鈴を転がすような美しさの中に、凛とした威厳さえ感じさせる美声が、男たちの不協和音を悠然と切り裂いた。


 バザードが前に出てヴァイスを睨み据える中、アリスターの隣から歩み出てきたのは、漆黒の髪と漆黒の瞳を持つ、絶世の美女――

 二十九歳という大人の色香を放つ彼女の胸元には、バザードたちと同じ『羅針盤の徽章』が鈍くきらめいていた。彼女の双肩には、この要塞の衛生と医薬の全権を握る医療隊長の肩章が、誇り高く据えられていた。

 東方の血を色濃く継ぐ、どこか神秘的な雰囲気を持つ女性――ラザフォード辺境伯の令嬢にして、『ガザリア国境城塞』の医療隊長であるカトリーナ=ラザフォードであった。


「ラザフォード医療隊長……」

 ヴァイスの貌が、さらなる屈辱と焦燥に歪む。

 如何に法務尚書であるアシュレイ公爵の庇護下にあるとは言え、ヴァイス個人はまだ若輩の伯爵に過ぎない。カトリーナの実父であるラザフォード辺境伯の名を突きつけられては、これ以上その傲慢な牙を剥くことなど今の彼には許されなかった。


 カトリーナはその漆黒の瞳でヴァイスの右眼を冷徹に射すくめると、騎士服の隠しから『ガザリア国境城塞』の公印が捺された『医療台帳』を静かに取り出した。そして、右手の人差し指をその台帳に添えると、自身の天恵――【調剤(ファルマキア)】の魔力をゆっくりと注ぎ始めた。

 眩いほどの純白の光輝が周囲を照らした瞬間、アードラー騎士団一千人が運んできた補給物資すべてが詳細な記録として一瞬で記載されたのである。


「私はただ、この要塞の負傷兵たちのために、アードラーが皇都から届けてくれた食料や水、および『上級回復薬(アドバンスド)』を、医療隊長としての私の権限で検収しているだけですわ」


 およそ三十分(タル)もの時間を費やした公式臨検――


 その空振りに加え、完璧な正論と、背後にある辺境伯家の圧倒的な権威――それらを同時に突きつけられたヴァイスは、もはや一言も言い返すことができなかった。完全に逃げ道を塞がれた彼の整った美貌は、屈辱と激しい憎悪の前に見る影もなく不気味に歪んでいく。


「……おのれ、おのれ不届きな辺境の叛逆者どもがッ!!」

 絶対的な自負を抱いていた「必勝のチェス盤」の崩壊を前に、彼の神経質なプライドが、ついに不気味な音を立てて内側から完全に決壊した。

 ヴァイスが血走った右眼を爛々と剥き出し、その白い指先を自らの左眼を覆う漆黒の眼帯へと狂暴にかけた瞬間――広場を支配していた空気が、一瞬にして荒れ狂う殺気の暴風へと変貌した。



『氷姫の旗を掲げよ~秘めたる愛影に抱かれて~』

 第2章「レウルキアの神槍」の開幕です!

 ここ数日、睡眠時間を削って書いているので、肩こりと頭痛に悩まされています(笑)

 やはり、ペースを落とさざるを得ないかなぁ。。。

 何はともあれ、それなりに面白く書けましたので、よろしければお楽しみください!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。