2.蜘蛛の網と蒼い影
【登場人物紹介】
・主人公:ディアナ=ヴァーテル
・163cm、48kg
・年齢:21歳
・ヴァーテル伯爵家の令嬢。天恵は【戦姫】
・アードラー騎士団長で、セリカ神国最高の知将
・氷属性魔法の使い手で、二つ名は【氷姫】
・神聖オリハルコンを鍛えた秘宝級のの片手剣<蒼月刀>を愛用する
・愛馬は白馬の<アンヴァル>
※【登場人物紹介】は、ネタが切れるまで続ける予定です(^_^;
ゴーン、ゴーン――
皇都リーアンの時計塔から、厳かに『朝の二つ鐘』の音が響き渡り、夜霧が立ち込める街を深く包み込んでいった。
同じ時刻、皇宮の最奥にある安全保障局長室では、微かな魔力光を放つ通信結晶盤を前にオーウェン=ヴァーテルが、無造作に濃茶色の髪をかき上げて蒼灰色の瞳を冷酷に細めていた。
ベロアで仕立てられた重厚なビターチョコレート色の礼服。その胸元で、大ぶりのルビーが妖しくきらめく。
「……やはり動いていたか。ユリウス殿下の最大の盾たるアシュレイ公爵家の周辺で、通常の経済ルートを無視した『数十枚の星金貨』の不審な動きを観測したぞ」
オーウェンが冷徹に呟いた瞬間、だらしなくボタンを外した金と黒の騎士服を揺らしながら、一人の男が部屋の暗がりから歩み出てきた。
アードラー騎士団参謀長、バルハルト=バルトメウス――
丸眼鏡の奥にどこか底知れぬ怜悧さを湛えた、今年で三十三歳を迎える気怠げな色気を纏う男である。その胸元には、知略の長を示す『三本』の金のチェーンが退廃的に揺れている。
「おやおや、アシュレイ公爵ともあろう御方が、随分と汚い金を回したものです。私が金を握らせておいた公爵邸の家内奴隷が、怯えながら教えてくれましてねぇ。その数、きっかり『星金貨三十枚』――アシュレイ家がこのタイミングで法務省の『国境港湾局』へそれだけの闇資金を回した意味を考えれば、答えは一つしかありません」
バルハルトは丸眼鏡の奥で黒灰色の瞳を歪め、昇り竜を象った『龍刻の長煙管』から不敵に紫煙を吐き出した。彼の手元にある魔力端末には、アシュレイ公爵邸の家内奴隷から入手した極秘の金の流れ――星金貨三十枚という莫大な資金が流れた闇の口座が、克明に映し出されていた。
「シルヴィアお嬢様のディアナ団長への嫉妬。それを利用し、遥か西方に君臨する魔人族の女王アスタロトが放った『工作員』と『密輸商の馬車』を、公爵家は港の検問を素通りさせて国内へ引き入れたのですよ」
『龍刻の長煙管』を右手で弄びながら、バルハルトがニヤニヤと不気味な笑みを浮かべる。
「その目的は、星金貨三十枚を元手にセリカ神国の裏社会を囲い込み、我が騎士団が西部沿岸の半島へ運ぶ予定の『上級魔力回復薬』を東倉庫街の周辺で強奪させること……。オーウェン局長、法務省の『国境港湾局』を抱き込むために回されたこの三十枚の星金貨は、アードラーを国境へ辿り着く前に干殺しにするための完璧な前準備――すなわち『兵站資金』ですよ」
バルハルトの天恵――【軍師】がもたらす「深謀深慮の先読み」は、敵の意図を冷徹に看破していた。
ユリウス第二皇子はアスタロトに唆され、西部沿岸での兵站輸送を終えたアードラー騎士団に、そのまま海を渡ってオーディンヴァルト大森林の<龍律の古代魔導輝晶>を奪還せよという過酷な密命を下している。公爵家はその計画をアスタロト側に漏らすことで輸送を失敗させ、軍務次官であるコルネウス=ヴァーテル伯爵を失脚に追い込もうと目論んでいるのだ。
「ユリウス殿下のチェス盤をひっくり返すには、十分すぎる証拠だな。バルハルト、現場の裏取りを頼むぞ」
「ええ、すでに我が騎士団の『鴉』を闇へ放ってありますよ」
オーウェンの言葉にバルハルトは再びニヤリと嗤い、ゆっくりと紫煙を吐き出した。
同時刻、下層街にひっそりと佇む冒険者ギルド・セデルキアス支部――
安酒の悪臭と、床にこびりついた残滓の饐えた異臭が漂う薄暗いカウンターに、一人の女冒険者が立っていた。
漆黒の総革鎧に身を包み、灰金色の長い髪を揺らすその者のギルド証は、中上級者である『D級』を表す銀色だ。だが、そこに刻まれたノーラという名は、彼女が夜の闇を纏う仮初めの名に過ぎなかった。
その正体はセリカ騎士団最強の騎士、【剣姫】と呼ばれる蒼薔薇騎士団長、ノア=ローゼンブルクその人であった。
「……これ、情報料よ」
ノーラがカウンターに、チリンと数枚の銀貨を滑らせる。
それを受け取ったのは、背中まで真っ直ぐに伸ばした深緑色の髪を持つエルフのベテラン受付嬢、エマだった。
エマは銀貨を手に取った瞬間、自身の天恵【直感】によって、目の前の「たかがD級」のはずの女から立ち上る、凍てつくような、そして圧倒的な威圧感を一瞬で察知した。
(――な、何この、凄まじい覇気は……!? D級なんて絶対に嘘……!)
エマは尖った長い耳をピクリと震わせ、蒼青色に輝くノーラの瞳を真っ直ぐに見据えた。
「……D級の依頼とは思えない不穏な情報ですが、貴女の実力に免じて、お売りしましょう。法務省の役人たちが裏社会の密輸商人と手を組み、アードラー騎士団向けの『上級魔力回復薬』を強奪する計画を立てています。場所はここから東の古い倉庫街……」
「助かるわ、エマ」
ノーラは表情ひとつ変えずに情報を受け取り、踵を返した。その時、ギルドの片隅の円卓で、銀貨数枚を囲んで頭を抱えている三人組の若い冒険者たちが視界の隅に入った。駆け出しのF級パーティ【黒猫同盟】のブレイズ、ノックス、そして黒猫族の少女ニナだった。いずれもまだ十代後半の若いパーティだ。
「クソッ、『初級回復薬』が金貨一枚なんて高すぎるよ……! これじゃ次の迷宮探索ができないじゃない!?」
ニナがフサフサとした黒猫の耳をペタンと寝かせて嘆いている。
それを見たノーラは、怜悧な美貌に一切の感情を揺らさぬまま彼らの円卓へ近づくと、コトッと数枚の金貨を木目の上に滑らせた。
「えッ……! これは……?」
ブレイズが目を丸くする。
「……これで『上級回復薬』でも買いなさい。その代わり――東倉庫街の周辺で不審な男たちを見かけたら、すぐにギルドのエマに報告すること。いいわね?」
「は、はいっ! ありがとうございます、ノーラ先輩!」
ニナが猫耳をピコピコと揺らし、狂喜して頭を下げる。
(くぅッ……! な、何なの、この子たち……。可愛い……じゃなくて! 私は調査のために彼らを利用するだけよ!)
ノアは内心の動揺をひた隠し、どこまでも冷徹な無表情を保ったまま、漆黒の革鎧を鳴らしてギルドを後にした。
夜風に舞い上がる灰金色の髪の中で、外見を変える魔法が付与された『幻影のイヤリング』がキラリときらめきを放った。
朝の二つ鐘を過ぎた頃、深い霧に包まれた皇都東方にある古い倉庫街の路地裏――
不審な物資の流れを追っていたアードラー騎士団副官シンディの前に、音もなく一人の影が降り立った。
「――そこを退きなさい、アードラーの黒鴉。これ以上進めば、私の<焔刀>が貴女の影ごと焼き尽くすわよ」
ウェーブがかった栗色の髪を揺らした蒼薔薇騎士団の女騎士――副官シェリーだった。
互いの間合いは、わずか五m。
シンディの鋭い切れ長の眼が、シェリーの姿を冷徹に見定める。その琥珀色の瞳と、たった今口にした<焔刀>の名――天恵【暗殺者】で掻き集めてきた情報の中に、その特徴と一致する女がいた。蒼薔薇騎士団長の副官にして、自分と同じ『元暗殺者』である。
シェリーが腰から引き抜いたのは、古代級の双刀<焔刀>――
抜刀と同時に一対のブレードから激烈な熱波が噴き出し、夜霧を一瞬で蒸発させた。火の精霊イフリートの加護が、陽炎とともに周囲の壁を真っ赤に炙り始める。
「ふん……。こちらのセリフよ。我が団長の歩みを遮るなら、容赦はしない」
シンディは黒銀の革鎧を鳴らし、腰から同じく古代級の双刀<冰刀>を逆手に引き抜いた。
刹那――路地裏の地面がピキピキと凍りつき、絶対零度の冷気が焔の熱波と真っ向から衝突して、激しく水蒸気を爆発させた。それは紛れもなく、水の精霊ウンディーネの加護を受けた驚異的な冷気であった。
「それは古代遺跡の<冰刀>……! 面白いわ、貴女の氷と私の炎、どちらが上か、試してみましょう!」
元暗殺者の二人は凄まじい速度で大地を蹴り、一瞬にして氷炎の双影が交差した。
死角を穿ち、シェリーが【隠密】による神速の斬撃を放つ。それをシンディの【暗殺者】が驚異的な速度で感知し、<冰刀>で跳ね上げた。
ガキィ――ン!!
激しい金属音とともに、熱波と冷気の火花が爆散した。
シンディが<冰刀>で完璧な軌跡を描くと、シェリーがそれを<焔刀>で相殺して、その猛攻を完全にいなしてみせる。
わずか数秒の間に、無数の剣戟が繰り広げられる、双刀と双刀の超高速の連撃――
だが、その熾烈極まる死線を、さらに冷たい別の『影』が音もなく包み込んだ。
「――そこまでにしなさい、二人とも」
路地裏の闇の奥から歩み出てきたのは、先ほどギルドを出たノーラだった。
「ノーラ様……!」
シェリーが即座に<焔刀>の火力を収め、一礼する。その完璧な主従の所作に、シンディは鋭く切れ長の眼をスゥッと細めた。
「……D級冒険者ノーラ。いいえ、その圧倒的な覇気……。貴女が、蒼薔薇騎士団長、ノア=ローゼンブルク様ですね?」
シンディは<冰刀>を構えたまま、冷徹にその正体を看破した。
ノーラがフッと不敵に微笑み、灰金色の髪をなびかせる。
「さすがはディアナの右腕、【黒鴉の眼】のシンディね。安心しなさい、貴女と戦う気はないわ……。アシュレイ公爵家が密かに動かした星金貨三十枚、そして、その裏で魔人族と繋がり、『上級魔力回復薬』をこの倉庫街で強奪しようとしている計画……。その陰謀の尻尾を、我が隠密組織<蒼い影>のライラがすべて押さえました」
(アードラーの物資を強奪ですって……!?)
ノアの言葉に驚愕しつつも、シンディは平静を装って表情を消した。
<蒼い影>のリーダー、ライラの名前は聞いたことがあった。暗殺者ギルドには所属していないが、超一流の諜報組織を率いる凄腕の工作員だ――
年齢、性別、国籍など、その実態は不明であり、【幻影】とも呼ばれている。
「我が蒼薔薇は、この薄汚い謀略に加担する気はありませんわ。……この物資、アードラーの力でそっくりそのまま奪い返しなさいな」
ノアの言葉に頷きながら、シンディは静かに<冰刀>を鞘へと収めた。そして、一礼すると大きく跳躍し、倉庫の屋根伝いに夜の闇へと消えた。
宮廷の男たちが裏で星金貨の闇を暴き、闇に生きる女たちが刃を交えて陰謀の全貌を共有した朝の二つ鐘の深淵――
アードラーと蒼薔薇。二つの騎士団による防諜同盟が、この凍てつく路地裏で誰にも知られず静かに結ばれた瞬間だった。
『氷姫の旗を掲げよ~秘めたる愛影に抱かれて~』の公開記念に、「第1章 払暁の出撃」は毎晩投稿いたします!!
第1章の構成は、第1話から第3話となっていますので、お楽しみください!
第2章以降は、少々お待ちくださいませ(^_^;




