21.極秘の潜入、最強の防盾
【登場人物紹介】
ブライアン=アシュレイ
・51歳。
・170cm、64kg。
・アシュレイ公爵家当主。法務尚書。
・バーバラ家、ドルース家に並ぶ三大公爵家のひとつ。
・天恵は【法統】。
・濃茶色の瞳。
※【登場人物紹介】は、ネタが切れるまで続ける予定です(^_^;
矢文が届いてから半時間と経たぬうちに、領館二階の執務室にはアードラーの幹部たちが集められた。
副団長デューク、参謀長バルハルト、そして筆頭騎士ザック。机の上には、矢文の書状と一振りの<冰刀>が置かれている。
キリアンは、ジギスムント伯爵からの言伝を告げた。
「伯爵より、こうお伝えするようにと。――『アードラーが兵を率いて国境を越えることは、ジギスムント領として断じて認めない。皇国をレウルキアとの戦に巻き込むことは許さない』と……」
それだけを告げると、キリアンは一礼して退室していった。
重い沈黙が、執務室を支配した。
最初にそれを破ったのは、ザックだった。
「……俺が行く」
包帯の巻かれた左腕を右手で押さえつけ、ザックは低く唸るように言った。
「兵を率いなきゃいいんだろ。俺ひとりで砦に乗り込んで、あいつを連れ戻してくる」
「ならん」
デュークの重々しい声が、それを即座に遮った。
「矢文が求めているのは、団長ご自身だ。条件に背いてお前が乗り込めば、奴らはそれを口実にシンディを始末しかねん。第一、罠と分かっている砦へ、手負いのお前ひとりで何ができる」
「副団長のおっしゃる通りですねぇ」
バルハルトが、『龍刻の長煙管』を指先で弄びながら淡々と言葉を継いだ。
「この矢文は、シンディの返還を求めるものではありません。狙いは二つに一つです。団長おひとりを砦に誘い出して始末するか、我々が兵を率いて国境を越えるのを待つか。後者なら、レウルキアは『ユピテルが神国の侵攻を許した』と言い立て、皇国と神国の同盟に亀裂を入れようとするでしょう。どちらに転んでも、レウルキアは自らの兵をほとんど損なわずに済む。そして、その責めを負うのは――」
「……アードラーと、ヴァーテル伯爵家ね」
ディアナが、その後を引き取った。
バルハルトは、小さく頷いた。
「ご明察です。アシュレイ公爵は、それを口実にヴァーテル伯爵家を断罪するでしょう。おまけに、ヴァイスが持ち去った写しで、我々の進軍ルートも補給計画もレウルキアに筒抜けです。――実に、よくできた罠ですねぇ」
皮肉めいた言葉とは裏腹に、バルハルトの声には一片の余裕もなかった。
「だったら、どうしろってんだ!」
ザックが、右の拳で壁を殴りつけた。
「あいつを見捨てろってのか! あいつは……あいつは、俺たちの身内なんだぞ!」
「……分かっているわ、ザック」
ディアナの声は、ひどく静かだった。
だが、机の上で組まれたその両手は、指の関節が白く浮き出るほどに力が込められていた。
(見捨てるなんて、できるはずがない……)
四年前、泣きそうな顔で自分に刃を向けてきた若き暗殺者。命を救われたその日から、侍女として、副官として、片時も離れずに自分の傍らに寄り添い続けてくれた。主君と臣下である前に、かけがえのない家族だった。
その彼女を、自分の命令が死地へと送り込んだのだ。
だが――
アードラーの騎士団長として、一千の騎士たちの命を預かる身として、兵を率いて国境を越えることは許されない。それはシンディひとりの命と引き換えに、騎士団とヴァーテル伯爵家、そして祖国そのものを戦火に投げ込むことを意味していた。かといって、矢文の求めに従って砦へ赴けば、待っているのは確実な死だ。騎士団長を失ったアードラーが、オーディンヴァルト大森林で生き残れるはずもない。
(騎士団長としての私と、シンディを家族と思う私――)
どちらを選んでも、何かを失う。その残酷な天秤の重さに、ディアナは唇を強く噛みしめた。
彼女は、執務机の上の<冰刀>にそっと手を伸ばした。
ひんやりとした柄の感触が、掌に伝わってくる。その冷たさが、今は主の不在を何よりも雄弁に物語っていた。
(待っていて、シンディ。必ず……必ず、助けるから)
蒼灰色の瞳に、揺るぎない決意の光が宿る。
ディアナは<冰刀>を握ったまま、ゆっくりと立ち上がった。
「デューク、バルハルト、ザック。今から言うことは、騎士団長としての命令ではありません」
三人の視線が、彼女の顔に集まる。
「私はこれから、A級冒険者『ディア』に戻ります。そして、ある騎士団長の依頼を受けて、ひとりの騎士を救いに行きます」
「団長……!」
デュークの灰青色の瞳が、険しく見開かれた。
「敵が待ち構える砦へ、団長ご自身が赴かれるおつもりか。それこそ、奴らの思う壺ですぞ」
「いいえ。兵を率いずに出向くのなら、矢文の条件の範囲内よ。しかも、国境を越えるのは騎士団長ではなく、依頼を受けた冒険者。レウルキアが侵攻だと騒ぎ立てる口実は、どこにもないわ」
「……依頼主と請け負う冒険者が同じ方とは、ずいぶんと風変わりな依頼ですねぇ。ですが、理屈の上では隙がありません」
バルハルトが、書状の封蝋を指先で軽く叩いた。
「それに、王家の紋章まで押してくるとは、よほど自信がおありのようで。生きて帰す気がないのでしょうが――この一枚、後々良い証文になりますよ」
「デューク。私に万一のことがあれば、貴方が騎士団を率いて軍令を完遂しなさい。アードラーを、オーディンヴァルトで死なせてはなりません」
長い沈黙の後、老将は重々しく頭を垂れた。
「……御意。ですが、軍令の完遂には団長が欠かせぬことを、くれぐれもお忘れなきよう」
「決まりだな」
黙って成り行きを聞いていたザックが、顔を上げた。
「俺も行く。文句はねえだろ」
「当然よ。……ただし、その腕のままでは連れて行けないわ」
ディアナは執務机の引き出しから小瓶を取り出し、ザックの前に置いた。琥珀色の液体が、朝の光を受けて揺れる。中級回復薬だった。
「この傷は、俺のけじめだ。治すつもりは――」
「――これだけは命令よ、筆頭騎士ザック。罪を償いたいのなら、シンディを無事に連れ帰ってからにしなさい」
ザックはしばらく小瓶を睨んでいたが、やがて乱暴に栓を抜くと一息に飲み干した。左腕の包帯の下で、短剣で穿った傷がみるみる塞がっていく。
癒えた左の拳を固く握り、ザックは獰猛な笑みを浮かべた。
「……これで、暴れられる」
騎士団長の制服を脱ぎ捨てたディアナが、夜陰に沈む領館の裏門に姿を現した。
首元から全身を覆う、唐草模様を浮き彫りにした漆黒の革鎧――
銀の留め具で留めた濃紺の外套と、腰の剣帯に結ばれた青い房飾り――
耳元で揺れる青い石の耳飾り――
それは、A級冒険者『ディア』の装いだった。その左腰には<蒼月刀>、右腰にはシンディの<冰刀>が佩かれている。
門の前では、デュークとバルハルトがそれぞれ馬の手綱を取り、無言のまま主君を待っていた。
傍らに立つザックの胸元で、黒革の外套を留める『一本』の銀のチェーンが、篝火を受けて鈍く光った。
彼はディアナの前に進み出ると、その蒼い瞳で真っ直ぐに見つめた。
「団長。この『一本』に懸けて誓う。俺が、あんたの<最強の盾>だ。この身が砕けようと、あんたとシンディは必ず連れて帰る」
ディアナの胸の奥が、小さく跳ねた。それを悟られぬよう、【氷姫】の仮面を被ったまま静かに頷く。
「……その誓い、確かに受け取ったわ」
ザックは口の端をわずかに吊り上げると、留め金を外し、外套ごと銀のチェーンをデュークへ差し出した。
「こいつを着けたままじゃ、アードラーの騎士だと名乗って国境を越えるようなもんだからな。おやっさん、預かっといてくれ」
「……必ず、取りに戻れ」
デュークは無骨な手で外套を受け取ると、灰青色の瞳で銀のチェーンを見据えた。
その傍らで、「漆黒の金属鎧」だけの姿となったザックが軽々と馬に跨った。
月のない夜だった。
『フェルゼン』の北の城壁を抜けると、二騎は荒野をひたすらに進んだ。蹄の音と、ザックの鎧が擦れる金属音だけが、規則正しく夜気を打っている。
手綱を握るディアナの指先は、冷たく強張っていた。
(ザックと、二人きり……)
出立を決めた時には、シンディのことしか頭になかった。だが、こうして並んで馬を駆っていると、否応なく隣の気配を意識してしまう。
――決して二人きりにはならない。そう誓ったのは、わずか一日前のことだった。
ふと、夜風に乗って、鉄と革の匂いが鼻先を掠めた。
その瞬間、あの夜の記憶が堰を切ったように溢れ出した。壁に縫い留められた手首の痛み。容赦なく押し入ってきた唇の熱さ。抗おうとするほどに、身体の奥でこじ開けられていった、自分でも知らなかった「女」の疼き――
(駄目……。こんな時に、何を思い出しているの……)
頬が、一気に火照った。闇夜でよかったと、ディアナは心の底から思った。
あれは、ヴァイスの術に操られての所業だった。そう分かっているはずなのに、隣を駆けるこの男の熱を、身体の方が覚えてしまっている。
怖いのは、ザックではない。あの熱を、もう一度知りたいと願ってしまう自分の方だった。
「……ディアナ」
不意に、低い声が届いた。
「怖えか」
「……誰に向かって言っているの」
努めて冷ややかに返した声は、自分の耳にも上ずって聞こえた。
「そうかよ」
ザックは短く笑うと、馬首を寄せてきた。並んだ鐙の金具が、かすかに触れ合う。
「お前の背中は、俺が守る。昔から、そうだったろ」
十五歳のあの日から、何度死線を越えても変わらなかった言葉。その不器用な響きが、凍えかけた胸の奥へとまっすぐに沁み込んでいく。
(ああ――そうだったのね)
ディアナは、ようやく悟った。
身分の壁を越えてはならないと、自分に言い聞かせ続けてきた。あの夜に怯え、目を逸らし続けてきた。けれど、本当はずっと前から分かっていたのだ。
(私は、この人を――ザックを、愛している)
胸の内でそっと名を呼んだだけで、張り詰めていた心がふわりと温かく解けていく。
だが、今はまだ、その想いを口にする時ではない。ディアナは手綱を握り直し、【氷姫】の仮面を静かに被り直した。
やがて、行く手に古びた標柱が浮かび上がった。
二騎はためらうことなく、国境を越えた――
荒野の先、なだらかな丘の上に、黒々とした砦が影を浮かべていた。城壁の上には松明が点々と灯り、歩廊を行き交う見張りの姿が揺れている。
丘の麓で馬を下りると、二人は岩陰から岩陰へと身を移しながら斜面を上った。城門を避け、砦の東側の壁の下へと回り込む。
「正面から乗り込んだら、待ち伏せの餌食だ。どうする」
「上から行くわ。私が先に登る」
ディアナは革鎧の身軽さを頼みに、石積みのわずかな凹凸へ指をかけた。冒険者として幾つもの遺跡の壁を這い上がった、慣れた動きだった。
城壁の縁に手が届くと、歩廊に立つ番兵の背後へ音もなく滑り込む。振り向きかけたその首筋に<蒼月刀>の柄頭を叩き込み、崩れ落ちる身体を抱きとめて石床へ横たえた。
外套の裏から縄を取り出し、城壁の石に結びつけて下へ垂らす。
金属鎧の重みを物ともせず、ザックが縄を二度、三度と手繰っただけで歩廊へと躍り上がってきた。
「何者だッ――」
駆けつけた別の歩哨の叫びが、<フレイム・ハルバード>の一薙ぎで松明ごと吹き飛ぶ。
砦の警鐘が、けたたましく鳴り響いた。
歩廊の両側から、レウルキア兵が雪崩れ込んでくる。城門の上の物見櫓からは、弓兵が一斉に矢をつがえた。
「ザック、右は任せたわ!」
そう叫ぶと同時に、ディアナは左から迫る兵の列へと踏み込んだ。<蒼月刀>の片刃が夜の闇に青白い弧を描き、槍の柄ごと兵を斬り払った。刃が触れた石床に霜が走り、後続の兵たちの足を凍りつかせていく。
背後で、空気が爆ぜた。
天恵【鬼神】――
ザックの振るう斧槍が、一秒の間に三度、大気を切り裂いた。火龍の宝玉から噴き上がった劫火が、押し寄せた兵の列を城壁の外へと薙ぎ払っていく。放たれた矢の雨さえ、焔の渦に呑まれて灰と化した。
「どうしたッ! もう終わりかッ!」
夜気をも揺るがす咆哮に、兵たちの足が竦んだ。
背中合わせに立つ二人の周りから、敵の影が見る見る減っていく。
かつて二人きりで数多の迷宮を駆け抜けた、言葉を交わさずとも通じ合う剣――その連携の前に、物見櫓の弓兵までもが武器を捨てて逃げ惑った。
ディアナは歩廊の縁から、中庭を見下ろした。
篝火に照らされた石畳の先に、兵舎らしき石造りの建物が見える。その脇には地下へと下る石段があり、行く手を鉄格子の扉が塞いでいた。
(あそこに、シンディが……)
「ザック、下へ降りるわ!」
「おうッ!」
二人は歩廊から中庭へと続く階段を、一気に駆け下りた。最後の数段を蹴り、地に降り立つ。
その刹那だった――
足元の石畳から、淡い紫色の光が一斉に噴き上がった。
<フレイム・ハルバード>に宿っていた劫火が、まるで水を浴びせられたかのように揺らいで細っていく。<蒼月刀>の青白い光もまた、霧のように薄れていった。
「――ようこそ、【氷姫】」
中庭の奥、篝火の前に、灰色の法衣を纏った男が佇んでいた。
「21.極秘の潜入、最強の防盾」をお届けします!
今回は、「気づき」がテーマです♪
これからの二人がどうなっていくのか、楽しみにお待ちください!




