16.双頭鷲の進駐、微熱の残滓
【登場人物紹介】
ブリュンヒルデ
・28歳。
・168cm、52kg。
・S級冒険者で、天恵は【戦乙女】。
・『緋の三聖』の一人。
・神話級の神剣<クラウ・ソラス>の使い手。
※【登場人物紹介】は、ネタが切れるまで続ける予定です(^_^;
深紺色の布地に高貴な金刺繍と精緻な意匠を施した、ヴァーテル伯爵家の軍旗が風を孕んで大きく靡く。その中心には、武門の絶対的な権威と知略の象徴である『双頭鷲』が、威風堂々と刻まれていた――
【氷姫】が率いるアードラー騎士団一千を迎え入れた瞬間、『交易都市フェルゼン』の民衆は大気を震撼させるほどの大歓声を放った。
皇都リーアンで上級魔力回復薬の交付を差し止められる「合法的な兵站封鎖」を跳ね除け、ヴェルグランツ辺境伯による補給線確約を武器に進軍する一千の精鋭――
その先頭で愛馬アンヴァルを駆る騎士団長――【戦姫】ディアナ=ヴァーテルの勇姿に、住人たちは大地を揺るがすような万雷の拍手を送り続けた。
だが、民衆の熱狂を背に領館の敷地へ足を踏み込んだ瞬間、その空気は一変した。
そこを支配していたのは、領民の狂熱が嘘のような底冷えのする静寂だった。
正面玄関の、精緻な装飾が施された大扉が、内側から外へと左右に押し開かれる。
現れたのは、ジギスムント伯爵領の主――ベアトリクス=フォン=ジギスムント女伯爵であった。年齢は二十九歳。右半分が漆黒、左半分が白髪という特徴的な長髪を揺らし、氷緑色に輝く双眸でアードラーの幹部たちを見据えていた。
彼女の全身からは、他者の魔力を一瞬で霧散させる天恵――【威風裁定】の圧倒的な覇気が放たれており、遠征軍に対する明確な値踏みの意図が透けて見えた。
そして、その背後には黒髪、黒瞳に黒縁メガネをかけた男性秘書官キリアンと、珍しい狐人族の美少女イルザが控えている。
「よくぞご無事に到着されました、ヴァーテル伯爵令嬢――いえ、アードラー騎士団長ヴァーテル殿とお呼びすべきですね。我がジギスムント領は、宮廷の理不尽な権力闘争に加担するつもりはありません。我々は辺境伯ヴェルグランツからの要請に沿って、貴女方を歓迎いたします」
慇懃な礼節の裏に、冷徹な一線を画した領主の挨拶――
黒金の騎士団長服に身を包み、ディアナは蒼灰色の瞳で真っ直ぐにベアトリクスを見つめた。回廊を吹き抜ける風に月の雫のような銀髪が舞い上がり、胸元に輝く『六本』の金のチェーンがチリンと涼やかな音色を奏でた。
「ご丁寧なお出迎えに感謝いたします、ジギスムント伯爵。また、我が騎士団への兵站の援助のみならず、領館の借り受けまでお認めいただいたこと、重ねてお礼申し上げます」
ディアナの右には、副団長として第二部隊を率いる子爵デューク=バトラーが『四本』の金のチェーンを誇り高く胸元に光らせ、実戦指揮官としての厳格な佇まいで控えていた。
その右後方には、副官シンディが肩で切り揃えられた漆黒の髪を風に揺らしていた。その鋭い切れ長の眼は、すでに館内に漂う魔力を天恵【暗殺者】で感知し終えている。
そして、ディアナの左隣には、『五本』の金のチェーンを鈍く光らせた、ヴァイス=アシュラッド伯爵が狐のような怜悧な笑みを浮かべて直立していた。
彼はアシュレイ公爵の命令により、監軍総官としてアードラー騎士団に同行している。その内情は工作員と言っても過言ではなく、『ガザリア国境城塞』ではザックに殺されかけている。
また、ディアナからは天恵【看破】の使用を禁止され、その職務もアードラー騎士団が正当に機能しているかの監査のみに制限されていた。
ヴァイスの左には参謀長バルハルトが『龍刻の長煙管』を指先で弄びながら、丸眼鏡の奥で黒灰色の瞳を冷ややかに光らせる。彼はディアナから注意されたにも拘わらず、普段どおりに騎士服の前を開いたまま着崩し、『三本』の金のチェーンをだらしなく垂らしていた。
さらにその背後には、「漆黒の金属鎧」に黒革の外套を羽織った巨漢――ザックが筆頭騎士の証である『一本』の銀のチェーンを胸元に揺らしている。その鮮烈な蒼い瞳は周囲のあらゆる動きを警戒し、ディアナを守るべく鋭い光を放っていた。
その巨躯は不穏な笑みを浮かべるヴァイスの左後方で、彼が少しでも怪しい動きを見せればいつでも斬りかかれるように佇んでいた。
ベアトリクスの氷緑色の双眸が、アードラーの首脳陣と監軍総官ヴァイスとの間に漂う、一触即発の暗闘をどこまで見抜いているのかは定かではない。だが、彼女はフッと表情を和らげると、背後に控える秘書官キリアンへとわずかに目配せをした。
「辺境伯からの要請にある通り、これからの遠征に備えるため、我が領としての兵站の援助、ならびにその保管倉庫を決めなければなりません。まずは最上階にある『金天秤の間』にて、詳細を詰めさせていただきましょう。――キリアン、アードラーの皆様をご案内しなさい」
「かしこまりました、ベアトリクス様」
黒縁メガネの奥の黒瞳に冷静な光を湛えたキリアンが、音もなく一歩前へ進み出てアードラーの一行に対して慇懃に一礼した。
「ヴァーテル騎士団長、ならびに幹部の皆様。これより交渉の間へとご案内いたします。それでは、こちらへどうぞ――」
キリアンが左右に押し開かれた大扉の奥へと手を差し伸べ、アードラーの首脳陣を館の内部へと迎え入れる。そのまま一行は、目指すべき最上階の部屋へと誘われた。
領館の最上階に位置する『金天秤の間』――展望が開けた広大な会議室の中央には、マホガニーの重厚な長机が据えられていた。
その長辺を挟み、両陣営の首脳たちがそれぞれの立場を誇示するように座を占めていく。
壁面全体に嵌め込まれた、天井の梁から床にまで達する巨大な硝子窓の向こうには、茜色の斜陽に照らされた『交易都市フェルゼン』の美しい夕景が広がっていた。
昼の三つ鐘の残響が街並みを震わせる中、地上三階から見下ろす庭園には整然と剪定された生垣や、夕風に揺れる白樺の木々が鮮明に浮かび上がっていた。その中央にある巨大な池では噴水が白い飛沫をあげて、水面の波紋までも臨場感をもって一望できた。
アードラー側は騎士団長のディアナを中心に、その左側へ監軍総官ヴァイス、参謀長バルハルトが順に着席し、右側には副団長デューク、副官シンディが並んで腰掛けた。
ザックは「着席するように」というディアナの指示を無視し、彼女とヴァイスの間の後方に立ちはだかっていた。「漆黒の金属鎧」を纏った巨躯そのものでヴァイスを威圧し、主君を守る盾となったのである。
対するジギスムント側は、領主ベアトリクスを中心に、彼女の右側――アードラーの左翼を担うように座るヴァイスと対面する位置に、保守派の巨頭ハルトマンがでっぷりとした身体を深く沈めている。そして、ベアトリクスの左側――アードラーの右翼に並ぶデュークと対面する位置には、黒縁メガネをかけた秘書官キリアンが静かに帳簿を携えて着席していた。
室内にはまだ、他者の魔力を霧散させるベアトリクスの天恵【威風裁定】の残滓が冷たく漂っている。
その張り詰めた沈黙の中、狐人族の侍女イルザは静かな所作で、白磁の茶器に淹れた紅茶を給仕していった。
すべての給仕を終えたイルザは一礼すると、亜麻色の耳をピンッと伸ばしてキリアンの左手にある扉から退出した。
「ヴァーテル騎士団長、これより会議を始めるにあたり、この部屋に防音の結界を展開してもよろしいでしょうか」
イルザの退出を見届けた後、ベアトリクスが氷緑色の双眸で正面に座るディアナを見つめた。
「承知いたしました。ご配慮に感謝いたします、ジギスムント伯爵」
月の雫のような銀髪を揺らしながら礼を言うディアナに、ベアトリクスが小さく頷いた。そして、左隣に座るキリアンに向かって、阿吽の視線を送った。
促されたキリアンが静かに席を立ち、入口の扉のすぐ横にある魔道具へと歩み寄る。壁面に埋め込まれた円盤状のそれは、精緻な銀の回廊彫刻が施されている。その中央に埋め込まれた魔導輝晶に、キリアンが白い手袋に包まれた手のひらを翳した。
その瞬間、微かな駆動音とともに、部屋全体を包み込むようにして不可視の障壁が展開されていく。防音の術式が稼動していることを確認すると、キリアンは再び席に戻って腰を下ろした。
ディアナは意を決したようにその美貌を上げると、蒼灰色の瞳に威光を映して正面に座るベアトリクスを見据えた。
「それでは、まずは私から我がアードラー騎士団がここに至るまでの戦況をご報告いたします。――<アドリア海域>を航行中に、私たちはレウルキア王国の大型鉄甲魔導艦隊による奇襲を受けました」
ベアトリクスの【威風裁定】さえ貫くような、凛冽な声色でディアナが報告を始めた。
「敵艦隊の先陣に立っていたのは、『緋の三聖』の筆頭――SS級冒険者の【雷神】アルヴィンでした。彼は神話級の神槍<エリュシオン>で紫電を放ち、一瞬のうちに我が艦隊を雷撃の嵐に呑み込もうとしました」
そこで言葉を切ると、ディアナは背後に立つ無骨な騎士を振り返った。その蒼灰色の瞳には単なる信頼ではなく、至純の誓愛さえ湛えていた。
「その雷撃を命懸けで食い止めたのが、ここにいる筆頭騎士のザックです。しかし、ムズンガルド大陸最強と言われるアルヴィンによって胸板を貫かれ、彼も重傷を負わされました。それほどまでにアードラーは危機的な状況に追い込まれたのです」
その瞬間、カチャッという音を立てて、ザックの『一本』の銀のチェーンが揺れた。それが主君を守りきれなかった彼の慚愧であることに気づいたのは、おそらくディアナだけであった。
でっぷりとした身体を揺らすハルトマンは、フンッと鼻で笑うようにしてその報告を聞いていた。その濃灰色の眼の奥には、「兵站を封鎖されて孤立無援になった負け犬どもが、ありもしない武勇伝を並べて虚勢を張っているだけだろう」という、侮蔑と嘲笑の念が渦巻いていた。
「ご挨拶が遅れました、ジギスムント伯爵。アードラー騎士団参謀長のバルハルト=バルトメウスと申します。――この先は、私の方から補足させていただきましょう」
右手で弄んでいた『龍刻の長煙管』をコトンッと机上に置くと、丸眼鏡の奥で黒灰色の瞳を光らせながらバルハルトがベアトリクスに一礼した。それに答礼するように、ベアトリクスが軽く顎を引く。
「筆頭騎士ザックが倒れ、戦線崩壊の危機に瀕したその時、我が騎士団長ヴァーテルが天恵【戦姫】を解放しました。セリカ神国の軍事機密でもありますので詳細は申し上げかねますが、その圧倒的な能力により、あの【雷神】アルヴィンを真っ向から迎撃することに成功しました。それによって、レウルキア海軍の艦隊はことごとく戦闘不能となり、我々は無事に『ヴェルグランツ軍港』へ辿り着くことができたのです」
バルハルトが淡々と、アードラーの圧倒的な武威と勝利の顛末を説明している間、ジギスムント側の視線は一時的に参謀長へと集まっていた。
だが、その最中、中心に座るディアナの脳裏には、バルハルトの語る戦況報告とは全く異なる、あまりにも生々しい『記憶の残火』が蘇っていた。
(このまま、ザックが死ぬかと思ったとき……。あの時、私は――)
脳裏に浮かび上がったのは、記憶ではなく、感覚――いや、感触だった。
あの甘くて苦い琥珀色の秘薬――『上級回復薬』を口移しに飲ませたときの生暖かさ……。
一度では足りず、二度、三度と、ザックの歯列を押し開き、濃密に舌を絡めたあの記憶――
あとから思い出せば、それは紛れもなくディアナにとって、生まれて初めての接吻だった――
(私、自分からザックに舌を絡めたんだ――)
緊迫した会議の場にあるまじき熱が身体の芯から迸り、ディアナはカアッと耳まで真っ赤に染まった。【氷姫】の仮面が、その猛烈な羞恥と官能の焔によって内側からドロドロに溶けていく。
「……以上が、アードラーがレウルキア王国の魔導艦隊を撃破し、<アドリア海域>における貴国の制海権確保に多大なる貢献をした顛末です」
バルハルトが言葉を終えると、水を打ったような静寂が『金天秤の間』を支配した。予想を超えるアードラーの武威に、ベアトリクスたちが言葉を失ったのだ。
バルハルトは自分の報告がもたらした成果に、満足げにニヤリとほくそ笑んだ。しかし、中央に座る主君に視線を移した瞬間、眉間に深い縦皺を刻み、黒灰色の双眸を怪訝そうに細めた。
【氷姫】が何故か俯いたまま拳をプルプルと握りしめ、耳の付け根から首筋に至るまで信じられないほど真っ赤に染まっていたのだ。
「――団長?」
バルハルトの低く、訝しげな声音が長机に響いた。
「……! バ、バルハルト……!? ほ、報告に感謝します――熱ッ……!!」
ディアナは上気した熱を必死で抑え込むように、目の前にある白磁の茶器を両手で掴んだ。そして、次の瞬間、湯気の立っている茶器から慌てて手を離す。
耳まで真っ赤になって動揺する彼女の異様さに、その場にいる誰もが不審の眼差しを向けた。
だが、ディアナの斜め後ろにいるザックだけは、すべてを察していた。そして、誰にも気づかれぬようにその口元をニヤリと小さく歪めた。
あの<アドリア海域>の洋上で秘薬とともに味わった、【氷姫】の小さな熱い舌先――
その拙くも必死な動きは、紛れもなく自分を救おうとする至純の愛執であった。
かつて迷宮の深層でお互いを無二だと認め合った相棒――
何があろうとも支え、命懸けで守ると誓った女――
白磁の茶器を相手に狼狽える彼女の後ろ姿を、ザックは至近距離から愛おしそうに見つめていた。
「16.双頭鷲の進駐、微熱の残滓」をお届けします!
物語は新たに「ジギスムント伯爵領」に移ります。
ここでは重要な事件が発生する予定です!
どうぞ、楽しみにお待ちください!




