15.金剛の咆哮、天秤の相剋
【登場人物紹介】
アルヴィン
・57歳。
・172cm、63kg。
・ムズンガルド大陸唯一のSS級冒険者。
・『緋の三聖』の筆頭で、天恵は【雷神】。
・神槍<エリュシオン>の使い手。
※【登場人物紹介】は、ネタが切れるまで続ける予定です(^_^;
皇都リーアンから北西に向かって馬で三日の位置にある街セデルキアス――
そこは皇都に次ぐ圧倒的な規模を誇るセリカ神国最大の商業都市であり、四方に走る主要街道からあらゆる富と物資――そして、多種多様な種族が行き交う巨大な坩堝であった。
だが、莫大な富を生む商業と産業の中心地たるその栄華の陰には、常に色濃い澱みが流れ込んでいる。世界中の欲望が渦巻き、犯罪が多発する伏魔殿――それこそがセデルキアスだった。
冒険者には多くの権限が与えられる一方で、その性格上、無法者の集団とも揶揄されている。彼らが有する最大の特権とは、冒険者登録をしてギルド証を携えてさえいれば、ムズンガルド大陸に存在するすべての国や都市、街、村への出入や通行が自由に認められることだった。
セリカ神国に限らず、この広大な大陸には無数の迷宮が存在している。
迷宮とは地下に形成される巨大な空洞で、そこに息づく異形たちの生態は地上とは大きく異なっている。
迷宮の奥深くには迷宮核があるとされており、そこから濃密な魔素が絶え間なく湧き出している。迷宮に棲むすべての生物は、その魔素から生まれると言われていた。
彼らは総じて魔獣と呼ばれ、冒険者ギルドではその危険度や兇悪さからSS級、S級、A級からF級までの八段階に区別している。
冒険者への依頼は人や物の捜索、要人の護衛など様々な種類があるが、最も多いのは迷宮での魔獣討伐であった。
魔素から生まれ出る魔獣は放置しておくと無数に増える。そして、ある一定数を超えると地上に溢れ出てくる。これを異常発生と言い、冒険者の最大の職務はあらかじめ魔獣を狩ってそれを防ぐことにあった。
どこの国においても、魔獣の氾濫は何を置いても防がねばならない。そのために魔獣を狩る冒険者に出入特権を与えているのである。
だが、その破格の出入特権こそが、今のセデルキアスに最悪の毒を呼び込んでいた。
酒場を併設したギルドの一階は、夜の四つ鐘の余韻が引く中、いつも以上の殺気と不浄な熱気で満ちていた。
にやついた薄汚い笑みを浮かべ、腰の得物に手をかける破落戸ども――
その懐で怪しく鈍い光を放つのは、セリカ神国の正規通貨ではない、見慣れぬ「不審な金貨」であった。
魔人国女王アスタロトの工作員――そして、アシュレイ公爵家の息がかかった国境港湾局の手先や、裏で繋がる密輸商人といった闇の勢力が、ギルド証という合法的な免罪符を悪用してこの伏魔殿へと潜伏し、静かに蠢動していた。
一階の薄暗い喧騒を背に、吹き抜けの階段を最上階まで上りきった突き当たり。三階の最も奥に位置する重厚なオーク材の扉の向こうに、この巨大なセデルキアス支部を統べるギルドマスターの執務室はある。
大きな執務机を前に無造作に腰を下ろし、書類に目を通しているのは、金髪の不敵な偉丈夫――ギルバード=ヴァルハイトだった。子爵位を持つ三十六歳の男で、かつてA級冒険者として名を馳せたその肉体は衰えを知らず、今なお鋼のように引き締まっている。
「……ギルマス。下の酒場で、さっきから酷く嫌な気配がします。肌がピリピリと粟立って、今にも何か起こりそうです」
部屋の隅で、買取カウンターから回されてきた高価値な魔獣の魔石――その最終検収をしていた二十五歳の受付嬢、エマが美しい眉をひそめた。
背中まで真っ直ぐに伸ばした艶やかな深緑色の髪の隙間から、エルフ族の象徴である鋭く尖った長い耳が覗いている。その深く神秘的な濃緑色の双眸には、天恵【直感】が告げる本能的な危機感――確かな警戒の色が浮かんでいた。
「……アシュレイの狸親父が放った鼠どもが、国境港湾局や密輸商人を丸め込んで巣作りに励んでやがるな」
ギルバードは藍色の瞳を不敵に細め、面白そうに鼻で笑った。
「ギルマス……、どうされるのですか?」
「決まってるさ。一階のバカどもを、直接叩き潰してくる」
ギルバードは総革張りの執務椅子からゆっくりと巨躯を起こすと、剣すら帯びずに不敵な足取りで部屋を出た。
一階の酒場では酒瓶と罵声が飛び交い、破落戸どもが大乱闘を繰り広げていた。ギルバードは周囲を睥睨すると、抜刀している大男の腕をおもむろに掴んで、硬質な樫材が敷き詰めてある床に叩きつけた。
「ぐはッ……!」
その衝撃で肺腑の空気を搾り出され、男の口から血の霧が噴き出す。だが、それには目もくれず、ギルバードは背後から襲いかかる男の顔面に、凄まじい拳圧の裏拳を叩き込んだ。百九十cmは優にある巨漢が吹っ飛び、酒場の壁に激突して床に沈み込む。
元A級冒険者としての桁外れの膂力と体術の前に、暴れていた連中は武器を握り締めたまま硬直し、文字通り一瞬にして酒場は静まり返った。
「お前ら、俺の顔を忘れたわけじゃねえよな? これ以上暴れるなら、ギルド証を取り上げてやろうか?」
転がる破落戸どもを見据えると、ギルバードが不敵な威圧感を放った。その壮絶な覇気を目の当たりにして、荒くれ者たちは恐怖に顔を歪めて逃げ惑うように後退りをした。
一階の暴動を瞬時にねじ伏せた後、ギルバードはエマを従えて再び執務室へと戻ってきた。
「さすがですね、ギルマス――格好良かったです……」
濃緑色の瞳に尊敬と揶揄が入り混じった悪戯っぽい光を湛え、エマが愉しげな微笑を浮かべた。そして、白皙の手で取っ手を回し、重厚なオーク材の扉を開けた。
その刹那――
あらかじめ執務室に侵入していた刺客が、凄まじい速度で必殺の刺突を放ってきた。
「――ひッ……!」
エマが驚愕に眼を見開き、声にならない悲鳴を上げる。
ガキィィーンッ……!!
凄絶な衝撃音が響き渡った瞬間、その刀身が弾け飛び、粉々に砕け散った。
眼にも見えぬ速度でエマを背に庇い、ギルバードはその巨体で襲撃者の剣を受け止めたのだ。
天恵【金剛石】――
土属性の魔力によって、自らの身体を最硬度を誇る金剛石に変貌させる。その絶対防御は相手の武器を、触れた瞬間に硝子細工のように粉々に砕き散らす――まさに『金剛石の咆哮』そのものであった。
「甘いんだよ、アシュレイの犬が」
呆然とする刺客の胸ぐらを右手で掴むと、ギルバードは圧倒的な膂力で男の身体を床へと叩きつけた。凄まじい衝撃音を響かせ、男が白目を剥いて意識を失う。
「エマ、安全保障局のオーウェンに連絡してくれ。この粗大ゴミは、ギルドに必要ねえ」
「分かりました、ギルマス……やっぱり、格好いいですよ」
濃緑色の瞳で魅惑的なウィンクを放つと、エマは執務机の上にある魔導通信機を起動し始めた。
ギルバードは床に転がる刺客を一瞥すると、ゆっくりと歩を進めて窓の外を見上げた。
そこに広がるのは、セデルキアスの街を覆う重苦しい鈍色の空だ。だが、彼の藍色の瞳は、その遥か先――ユピテル皇国の『交易都市フェルゼン』へと向かって進軍を続けるアードラーの軍旗を見据えていた。
「宮廷の狐どもがそこまで必死になって、あの【氷姫】さえも葬り去ろうとするくらいだ。あの大森林には、よっぽど大事なお宝が眠ってやがるらしいな」
ギルバードは窓枠に手をかけると、その精悍な顔にニヤリと不敵な笑みを浮かべた。
「背後の足枷は、俺たちがここで叩き割ってやる。お前は目の前の敵だけを見て進めばいい、ディアナ……」
かつて同じA級冒険者として、共に迷宮を走破した戦友への信頼が揺らぐことはない。
やがて夜の帳が下り、セデルキアスの街を深く包み込んでいった。
冒険者ギルド・セデルキアス支部にて、ギルバードがアシュレイ公爵家の放った刺客を一蹴し、安全保障局へと突き出した――それより数刻前、同じ日の昼下がり。
ユピテル皇国が誇る『交易都市フェルゼン』にあるジギスムント伯爵領の領館では、防音結界が張られた最上階の一室で激しい政略の火花が散っていた。
「――断固として反対いたしますぞ! ジギスムント伯爵!」
最高級のマホガニーの長卓を激しく叩いたのは、領内の保守派を率いる秘書官長、ハルトマン=フォン=クローネであった。
年齢は五十四歳。頭頂部が完全に禿げあがった焦げ茶色の髪を怒りで振り乱し、脂肪で弛んだ二重顎を震わせるその姿は、醜悪な貪欲さをそのまま体現している。
仕立ての良い重厚な外套をまとってはいるものの、でっぷりと醜く突き出た肥満体が布地を限界まで押し広げていた。首元や衣服の端からじっとりと滲み出る嫌な汗が、彼の陰険な気質を生々しく物語っていた。
ハルトマンの酷く濁った濃灰色の眼には、狡猾な企みと執念深い嫉妬が渦巻いている。彼は天恵【因習の盾】を発動し、他者の変革や干渉を一切拒絶するような土気色の粘着質な魔力をこれみよがしに放った。その行き場を失った澱みのような暴圧が、会議室の空気を重苦しく圧迫していた。
「ヴェルグランツ辺境伯から届いた、<アードラー騎士団>への協力要請など受ける必要はございません! アードラーは兵站を断たれた、実質的に見捨てられたも同然の部隊。セリカ神国の宮廷閣僚たる法務尚書アシュレイ公爵が裏で消したがっている厄介者どもですぞ!」
長卓の奥、総革張りの執務椅子に深く身体を預けた主は、その怒号を前に眉一つ動かさなかった。
ベアトリクス=フォン=ジギスムント――二十九歳の女伯爵は右半分が漆黒、左半分が白という鮮烈な対比をなす長髪を揺らし、濃紺に銀の刺繍を施した貴族用の軍服に身を包んでいる。
「ハルトマン。ヴェルグランツ辺境伯の要請は、大森林の魔人族を叩き潰して我が皇国の北方を永遠に安定させるための、大いなる国益よ。あなたは我が領の収益を守ることに眼を奪われ、隣国の公爵に取り入って、その大局をドブに捨てるつもりかしら?」
ベアトリクスが氷緑色の双眸を冷たく細めた瞬間、天恵【威風裁定】の圧倒的な波動が放たれ、ハルトマンの魔力を一瞬で霧散させた。
「これ以上の不毛な水掛け論は、我がジギスムント領の時間を無駄にするだけよ。――キリアン、この頑迷な老人に現実を教えてあげなさい」
「かしこまりました、ベアトリクス様」
ベアトリクスの背後から音もなく一歩前へと進み出たのは、黒髪に黒瞳、そして黒縁のメガネをかけた三十五歳の男――秘書官キリアンであった。
天恵【完全記憶】を持つ彼は、手元の書類を見ずともすべての兵站データを把握していた。
「ハルトマン秘書官長。アードラー一千の精鋭が大森林の魔人国女王アスタロトに対する『第一の防波堤』として機能した場合、我が領が独自に負担すべきであった北方の防衛予算は、実質的に星金貨五枚――五千万ゼナール分が削減されます。さらに彼らが持ち込む兵站すべて――荷馬車と軍馬の飼料、およびそれらを保管する倉庫費用などを鑑みれば、一時的な外交リスクという損失の十倍を上回ります」
「数字上の欺瞞だ! そんなものは帳簿上の絵空事に過ぎん! いくらアードラーが海上でレウルキアの魔導艦隊を破ったとて、これからは陸の戦いですぞ! わずか一千の軍勢が、魔境と言われるオーディンヴァルト大森林で生き残れるはずがない! 特にあの魔将軍ハザエルの軍勢を前に全滅は必至のはずだ! それこそ、我が領の貴重な公金をドブに捨てるようなものではないか!」
ハルトマンが顔を真っ赤にして食い下がったその時、部屋の隅に佇んでいた狐人族の侍女、イルザがピクリと美しい獣耳を動かした。
二十二歳の彼女が持つ天恵【微音傾聴】が、数km先から迫る強大な地鳴りのような響きを捉える。
「――ベアトリクス様。南城門の近くから、凄まじい軍勢の足音が響いています」
イルザの鈴を転がすような美声が、会議室の重苦しい静寂を瞬時に塗り替えた。
ハルトマンの肥満体がビクリと跳ね上がる。その動揺をベアトリクスは見逃さなかった。
「間違いないわ。ヴェルグランツ辺境伯の親書にあった通り、レウルキアの海軍を破ったアードラー騎士団が、今まさに我がフェルゼンの城門を潜ったのね。街の商人や冒険者たちが歓声を上げて出迎えているのが、ここからでもよく分かるわ」
ベアトリクスは氷緑色の双眸を冷酷に細めると、ニヤリと不敵な笑みを浮かべた。
ハルトマンの顔から、みるみるうちに血の気が引いていく。額から嫌な汗が滝のように流れ落ち、その肥満した指先がガタガタと目に見えて震え始めた。
いくらこの会議室で受け入れ拒否を叫んだところで、アードラーは民衆の圧倒的な支持を味方につけて威風堂々と進駐してしまった。
「……くっ、しかし……!」
なおも顔を歪めて引き下がろうとしないハルトマンを、ベアトリクスは冷徹な一瞥だけで完全に黙らせた。
「勘違いしないで、ハルトマン。ヴェルグランツ辺境伯からの要請を受けるか否か、その決定権を握っているのは私よ。これ以上は、我がジギスムント家への明白な不敬とみなすわ」
最大級に膨れ上がった【威風裁定】の覇気に気圧され、ハルトマンは屈辱に歯を噛み締めながら、無言で深く頭を垂れるしかなかった。アードラーの進駐という既成事実の前に、自らの不満と憎悪をどす黒く滾らせながら、倒れ込むように椅子の背にもたれた。
「キリアン、南城門の防衛隊へ伝達を。ヴェルグランツ辺境伯からの協力要請を正式に受けるわ。アードラー騎士団を迎え入れ、我が領のすべての補給網を開放しなさい。我が領は、彼らの遠征を全面的に支えるわ」
「かしこまりました、ベアトリクス様。ただちに手配いたします」
キリアンは黒縁のメガネを左手で押し上げると、事務的に書類を整え始めた。
静寂を取り戻した会議室の壁には、臙脂色の地に黒と銀の連鎖、そして中央には黄金に輝く天秤が刺繍された壁掛が掲げられていた。富を統べ、厳格にその価値を量るジギスムント伯爵家の『黄金の天秤』は、謀略に塗れた裏切り者に容赦のない審判を下すように静かに佇んでいる。
隣国の陰謀を嘲笑うかのように、『黄金の天秤』を掲げるジギスムント家は、【氷姫】率いるアードラー騎士団を全面的に支持することを裁定した。
「15.金剛の咆哮、天秤の相剋」をお届けします!
舞台はセリカ神国、ユピテル皇国と色々変わって忙しいです(^_^;
それにしても、アルヴィンさん。お年を召しているのに、怖いですねぇ。。。
次はいよいよ主役復活! ディアナとザックの活躍をお待ちください!




