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氷姫の旗を掲げよ~秘めたる愛影に抱かれて~  作者: 椎名将也
第3章 虚飾の夜会

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11.黒獅子の矜持、氷華の仮面

挿絵(By みてみん)


【登場人物紹介】

コルネウス=ヴァーテル

・49歳。

・174cm、63kg。

・ヴァーテル伯爵家の当主。軍務次官。

・ディアナとオーウェンの実父。

・ヘーゼルの瞳。


※【登場人物紹介】は、ネタが切れるまで続ける予定です(^_^;


 精緻な鉄細工が施(ほどこ)された観音開きの扉が、左右に直立していた二人の衛士の手によって恭しく押し開かれた。

 その瞬間、光と音が圧倒的な奔流となって、ディアナの五感に襲いかかってきた。


 天井に吊るされた無数の魔導水晶(シャンデリア)が、昼間と見紛うほどの眩い輝きを広大な大広間(グレート・ホール)に降り注いでいる。楽師(がくし)たちが奏でる重厚な宮廷交響曲の旋律と、最高級の香水や上質なワインの香りが夜気と混ざり合い、要塞の奥深くとは思えぬ絢爛豪華な社交の場がそこには広がっていた。


 アードラー騎士団副官兼専属侍女を務めるシンディを背後に従え、深い紺青色(プルシアンブルー)のドレスに身を包んだディアナは大広間(グレート・ホール)の床を踏みしめた。その足元には、結晶魔石(クリスタル)を贅沢に削り出して誂(あつら)えた氷色の靴がサファイアの如き深い煌めきを放っている。


 その姿を眼にした瞬間、入り口で彼女を待ち受けていたハインツ=フォン=ヴェルグランツは、弾かれたようにその場に硬直した。いつもは冷徹な余裕に満ちている双眸が、一瞬だけ息を呑んだように大きく見開かれる。


「――やはり、私の目に狂いはなかった。夜の闇を纏ったかのようなその美しい装い、言葉を失うほどに素晴らしい。今宵の夜会に集う誰もが、我が月の女神(ディアーナ)の輝きに目を灼かれて、ひれ伏すことになるでしょう、ヴァーテル騎士団長」

 ハインツは流れるような動作で歩み寄ると、ディアナに寄り添い、その細い腰を抱くように右手を回した。最高級の薄絹越しに伝わる男の体温に、ディアナの蒼灰色(ヘイズブルー)の瞳が極低温の光を宿して凍てついた。


「エスコートをいただけるのは光栄ですが、ヴェルグランツ閣下。いささか距離が近すぎるのではありませんか?」

「セリカ神国を代表する高貴な月の女神(ディアーナ)を、他の有象無象の視線から守るためには、これでもまだ遠いくらいですよ」

 ハインツはむしろ愉しげに目を細め、腰を支える手の力を僅かに強めて彼女を大広間(グレート・ホール)の中心へと導いていく。


(あのユリウス殿下でさえ、私に触れなかったのに。こんなところをザックが見たら……ッ!)

 ディアナの蒼灰色(ヘイズブルー)の瞳が大広間(グレート・ホール)の壁沿いに立つ大柄な騎士を捉えた瞬間、言い知れぬ居心地の悪さに激しく揺れた。

 そこに立っていたのは獰猛な表情を隠そうともしない【黒嵐の獅子】――アードラー騎士団筆頭騎士ザックであった。その胸元では、魔導水晶(シャンデリア)が放つ凍てついた星々のきらめきを受けて、筆頭騎士の証である『一本』の銀のチェーンが、まるで主への誓いを守るかのように静かに輝いていた。


(あの優男……、団長(ディアナ)に気安く触れてんじゃねえぞ……ッ!)

 黒銀の騎士服を着せられ、ただでさえ不機嫌極まりなかったザックは、美しいV字を刻んで大胆に露出した白皙(はくせき)の背中にハインツの指先が触れた瞬間、全身の血が逆流するほどの激しい怒りと嫉妬に襲われた。

 ザックの全身から立ち昇る天恵【鬼神(ダイモン)】の殺気が、周囲の空気をピリピリと肌を刺すような微細な火花で満たしていく。武器などなくとも、その一撃で人間の首を容易くへし折る肉体そのものが彼の凶器であった。


 だが、彼の暴発を寸前で圧し止めていたのは、隣に直立するデューク=バトラーの存在だった。

 アードラー騎士団副団長であり、名門子爵家の当主たるその宿将は、首元まで厳格にボタンを留めた黒金の騎士服に、副団長の証たる『四本』の金色のチェーンを毅然と輝かせている。

【百錬の死神】と畏怖される老練の双眸――灰青色(スチールブルー)の瞳で冷徹にハインツを見据えながら、デュークは天恵【金剛(アダマス)】の揺るぎない威圧感(プレッシャー)を密かに解放し、ザックの狂暴な殺気をその場に押さえ込んでいた。


「おやおや、物騒な牙を剥き出しにするのは感心しませんねぇ、ザック。団長はすでに、ヴェルグランツの盤面を綺麗に見据えておいでですよ」

 デュークの隣から、どこか喰えない大人の笑みを孕んだ声がザックの耳元へと落とされた。

 アードラー騎士団参謀長、バルハルト=バルトメウス――【戦場の毒蜘蛛】と渾名され、天恵【軍師(ストラテーガ)】を宿す、三十三歳の冷徹なる知将だ。


 普段の気怠げな着崩しは影を潜め、今宵は流石に辺境伯への礼法に従って、首元まで厳格にボタンを留めた黒金の騎士服に身を包んでいる。珍しく隙なく着用されたその胸元で、参謀長の証たる『三本』の金色のチェーンを静かに揺らし、愛用の『龍刻の長煙管』を白い指先で手持ち無沙汰に弄んでいた。


「ここでその浅はかな力を曝け出して、団長の描く美しいシナリオを台無しにでもするおつもりですか?……大人しく蜘蛛の巣にでもかかった振りをしておくのが、筆頭騎士としてのスマートな振る舞いというものですよぉ」

 皮肉の利いたバルハルトの飄々とした一言に、さしものザックも奥歯をギリッと噛み鳴らし、乱暴に視線を逸らして踏みとどまるしかなかった。


「あらあら……。さすがは皇国随一の『夜の貴公子』、女性を同伴されるのもお得意ですこと。あの【氷姫(アイス・ドール)】の仮面ごと、甘く灼き溶かしてしまいそうなほど熱い思い入れね」

 バルハルトの皮肉に調子を合わせるようにして、低く愉悦を孕(はら)んだ声が、ザックの耳元へと滑り込んできた。


 いつの間にかディアナの背後から離れ、音もなくザックの隣に寄り添っていたのは、シンディであった。

 アードラー騎士団副官であり、ディアナの右腕たる彼女は今宵、女性らしい艶(つや)やかな胸元から両肩までを大胆に露わにした漆黒の夜会服(イブニングドレス)に身を包んでいる。夜会のきらめきの中で、黒い薄絹の袖から覗く白い肌が妖艶に浮き立ち、普段の凛々しい騎士姿からは想像もつかない、棘のある一輪の黒薔薇のような美しさを放っていた。


「あの美しいドレス姿を、一番に見せつけられたのが他国の男だなんてねぇ。ディアナ様も【氷姫(アイス・ドール)】の仮面を被ってるけど、内心では満更でもなさそうよ。どこかの野蛮人と違って、貴婦人として接してくださるんだからね。もしかしたら、今夜はお二人でどこかに消えてしまわれるかも……」

 シンディは魅惑的な紅い唇をザックの耳元に寄せると、【黒鴉の眼(ヘヴンズ・アイ)】に妖しい光彩を走らせ、男の嫉妬心を煽る蠱惑(こわく)的な毒舌を漏らした。


「さらに言えば、ザック。ハインツ閣下と我らが麗しき団長の婚姻は、アードラーが皇国内で補給線を安定させるために最大の戦略的価値がありますねぇ。この選択を受け入れるのは、大局的に見て一寸の狂いもない絶対の最適解ですよ」

 シンディの容赦のない毒薔薇の棘に続き、今度は反対側の耳元から氷の塊を滑り込ませたかのような極寒の声が落とされた。


 普段の人を食ったような微笑を底冷えするような凄みに変え、丸眼鏡の奥にある黒灰色(こくかいしょく)の瞳を冷徹に明滅させているのは、参謀長バルハルトであった。

 彼は騎士服の襟元を僅かに正すと、愛用の『龍刻の長煙管』を弄ぶ指先すらもピタリと止め、一切の私情を排した政治的・軍事的な正論でザックの退路を完全に断ち切る追撃を放った。


「戦を司る我らにとって、これ以上の良縁などありませんねぇ。貴方の個人的な感情など、この冷徹な盤面の前には一ゼナールの価値もありませんよ」

 その刃のような正論が脳髄へと突き刺さった瞬間、ザックは怒りと嫉妬で奥歯が砕けんばかりに激しく歯ぎしりを鳴らした。


【黒嵐の獅子】が獰猛な双眸を血走らせたまま大広間(グレート・ホール)の中央へと視線を向ける。

 きらびやかな無数の魔導水晶(シャンデリア)の光が降り注ぐ大広間(グレート・ホール)の中心で、ハインツにしなやかな柳腰を抱かれながらステップを踏むディアナの姿が、いやが上にもザックの視界に飛び込んできた。



(ザックったら……凄い眼でこっちを睨んでるわ。ここを戦場と勘違いしてるんじゃないの? デューク、もう少し時間を稼いで。この曲が終わったら、すぐに行くから……)

 ただでさえ慣れないステップなのに、壁際からの狂犬の刺すような視線に気を取られ、ディアナはダンスに集中できずにハインツの右脚を結晶魔石(クリスタル)の硬質な踵で思いきり踏んでしまった。


「し、失礼しました、ヴェルグランツ閣下……」

「いえ、気になさらずに。羽のように軽い貴女ならば、痛みなど感じませんよ」

『夜の貴公子』に相応しい魅惑的な笑顔でそう告げると、ハインツはディアナの腰を抱く腕に一段と力を込めた。ドレスの薄絹越しに男の硬い胸板が押し当てられ、頬が触れ合うほどに密着される。


 ディアナは不快な嫌悪感がせり上がるのを必死に押し殺し、全身を彫像のように硬直させた。

 ハインツの双眸は至近距離から彼女の蒼灰色(ヘイズブルー)の瞳を捉えて離さず、華奢な首元から肩へとなだらかな曲線を描く白皙の鎖骨まで、その全身を愛撫するような視線を隠そうともしていなかった。まるで彼女を支配下に置いたと誇示するかのような不気味な熱量が、ディアナの肌をじっとりと粟立たせる。


 やがて、宮廷交響曲の重厚な旋律が最後の和音を響かせ、楽師(がくし)たちの演奏が静かに幕を閉じた。曲が終わったその瞬間、ディアナは待ちかねたようにハインツの胸を手で軽く押し、これ以上ない冷徹な距離を保って完璧な社交の辞儀を捧げた。


「素晴らしい一曲を感謝いたします、ヴェルグランツ閣下。ですが、今宵集った領内のご令嬢方も貴方様のお相手を待ち侘びておいでのようです。特に、先ほどからこちらをご覧になっている筆頭政務官殿は、何か仰りたいご様子ですよ……」

 一刻も早くこの場を離れたいという欲求を【氷姫(アイス・ドール)】の笑みの下に隠し、ディアナは引き留めようと伸ばしてきたハインツの手を躱して、壁際のザックたちの元へと足早に向かい始めた。


(……あの男は、夜会における礼法を厳格に弁えるべき場で、一曲を踊り終えてなお他国の騎士団長を相手に無礼な引き留めをしているのですか!?)

 ディアナの視線の先――大広間(グレート・ホール)の最奥にある高壇の傍ら。琥珀色(アンバー)の瞳の奥に冷徹さを湛え、次期当主の独善的な振る舞いを見つめる女性がいた。


 辺境伯家筆頭政務官、フランシスカ=ベルグ。流れるような赤茶色(マホガニー・ブラウン)の髪を揺らし、抜群のスタイルを真紅の夜会服(ドレス)に包んだ彼女は、夜会の熱気には興味すら示さず、天恵【天理律法(ジャスト・コデックス)】の法理に照らして目の前の不祥事を冷酷に査定していた。


 社交界の厳格な礼法において、同じ相手と二曲続けて踊ることは、互いが「婚約者」かそれに準ずる「特別な関係」だと周囲に公表する意味を持つ。いかに歓迎の夜会とはいえ、同意もなく二曲目のダンスを強いるハインツの暴挙は、名門の品格を著しく貶めるものだった。



【黒嵐の獅子】の二つ名に相応しい獰猛な殺気を放つザックの元へ辿り着くと、ディアナは静かに彼の正面に立ちはだかった。


「おい、団長(ディアナ)ッ……! 公衆の面前であんな優男(ヤツ)に気安く身体を触らせやがって! アードラーの騎士団長としての自覚が足りねえんじゃねえのかッ!」

 ザックは溢れ返る嫉妬心を隠そうともせず、ディアナが上官であることさえ忘れて罵倒した。


「……」

 だが、ディアナは彼の無礼な暴言を咎めることもせず、蒼灰色(ヘイズブルー)の瞳で静かにザックを見つめると、ドレスと同じ紺青色(プルシアンブルー)の長手袋に包まれた右手を無言で差し出した。


「……あァ? なんだよ、これは」

 怪訝な表情を浮かべてその手を睨みつけるザックに対し、【氷姫(アイス・ドール)】の仮面の下に激しい羞恥と戸惑いを押し隠して、ディアナが冷徹に言い放った。


「騎士団長命令です。ザック、今すぐこの場で私と踊りなさい」

「はあ!? おい、冗談じゃねえぞ! 俺がダンスなんて、できるわけねえだろ!」

 素っ頓狂な声を上げて本気で拒絶するザックだったが、ディアナはその答えを待たなかった。差し出した手でザックの頑強な腕をぐっと掴むと、周囲の視線も構わずに、大広間(グレート・ホール)の中央へと【黒嵐の獅子】を強引に引き連れていった。


 再び始まった宮廷交響曲の旋律の中、ザックのステップは無骨で、見るからにぎこちなかった。結晶魔石(クリスタル)で誂(あつら)えた彼女の靴を踏まないように、全身を不自然に強張らせて冷や汗を流すザックの姿は、戦場を駆ける黒獅子とは程遠い。


 そんな彼の戸惑いをすべて受け止めるように、ディアナは小さく身体を寄せた。ドレスの開いた素肌の背中にザックの大きな手のひらが恐る恐る添えられた瞬間、ディアナはハインツの時には決して見せなかった、心からの柔らかな笑みを浮かべて甘えたように囁いた。


「――嫉妬するなんて、意外と可愛いのね」

「……ッ! う、うるせぇ……」

【黒嵐の獅子】が初めて耳まで真っ赤になったことに気づき、ディアナは彼の胸の中でくすりと愉しげに微笑んだ。



第11話「黒獅子の矜持、氷華の仮面」をお届けします!

獅子や虎のような猛獣を可愛いと思える感覚、よく理解できません(笑)

好きな男の前で甘えるディアナの方が、よほど可愛いと思うのは私だけでしょうか?

何はともあれ、物語は進んでいきます。次は、第3章最大の山場となります!

楽しみにお待ちください!

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