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氷姫の旗を掲げよ~秘めたる愛影に抱かれて~  作者: 椎名将也
第3章 虚飾の夜会

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9.雨の慕情、魔の奸計

挿絵(By みてみん)


【登場人物紹介】

デューク=バトラー

・52歳。

・172cm、68kg。

・アードラー騎士団副団長。子爵。天恵は【金剛】。

・ディアナの補佐官兼前線を取り仕切る宿将。

・二つ名は【百錬の死神】。

・ロマンスグレーの髪に、灰青色の瞳。


※【登場人物紹介】は、ネタが切れるまで続ける予定です(^_^;


『双頭鷲(ドッペルアードラー)』の旗を掲げたアードラー騎士団の魔導装甲艦五隻は、国境の深い霧を引き裂いて、激しい土砂降りの雨が叩きつけるユピテル皇国(同盟国)の最前線要塞都市――『ヴェルグランツ軍港』へとその舳先を滑り込ませていった。


 眼前に迫り来るのは、<アドリア海域>の苛烈な波濤(はとう)を遮るように聳え立つ防魔鋼鉄の巨大な防波堤と、雨に濡れて黒光りする数百門の巨砲――それらの息を呑むような黒鉄の威容であった。


『ヴェルグランツ軍港』の港湾職員たちが次々と繋留索を投げ、海へと突き出た無数の突堤(さんばし)を挟み込むようにして、アードラーの五隻の魔導装甲艦がガチリと左右の岸壁へ横付けされていく。それと同時に、軍港全域へと告げる重厚な号鐘の音が、激しい雨音を割って埠頭に響き渡った。


 アードラーの装甲艦が入港したとの連絡を受けて雨の埠頭で出迎えたのは、ユピテル皇国北方の国境防衛を担うヴェルグランツ辺境伯の嫡男ハインツと、辺境伯家の筆頭政務官フランシスカ=ベルグであった。


「――お初にお目にかかります、アードラー騎士団長ディアナ=ヴァーテル殿。私はヴェルグランツ辺境伯が嫡男、ハインツ=フォン=ヴェルグランツと申します。かの有名な【氷姫(アイス・ドール)】にお目に掛かれたこと、これ以上の栄誉はありません。我がユピテル皇国は、貴方がたアードラーの来訪を心より歓迎します……」


「こちらこそ、お出迎えの栄を賜り、深く感謝いたします、ヴェルグランツ閣下。セリカ神国ヴァーテル伯爵家が娘、ディアナです。此度(こたび)の不躾な入港を寛大に受け入れてくださったこと、恐悦至極に存じます」

 黒地に金の装飾を施した騎士団長の制服を風に翻して、ディアナは舷梯(げんてい)を踏みしめながら雨の埠頭に颯爽と降り立った。降り注ぐ激しい雨に濡れた長い銀髪が、まるで白銀の滝のように荘厳な輝きを放つ。出迎えたハインツを真っ直ぐに見つめる蒼灰色(ヘイズブルー)の瞳は、玲瓏たる気高さと怜悧な冷たさを湛えていた。


「……ッ! これは……」

 氷晶を纏うように舞い降りてきたディアナを一瞥した瞬間、ハインツは差し出した右手を虚空で止めたまま驚愕に瑠璃色(コバルト)の瞳を大きく見開いた。二十五年の人生で初めて眼にした月の女神(ディアーナ)の美しさに、その魂のすべてを一瞬にして奪い去られてしまったのである。


「我が皇国の無作法な雨に、気高き【氷姫(アイス・ドール)】の銀髪を濡らさせるわけにはいかない」

 ハインツは我に返るや否や、自らが羽織っていた【海龍(リヴァイアサン)】の鱗皮(うろこがわ)を鞣(なめ)して作った『外套(マント)』をバサリと大きく広げた。海中に生息する魔獣の中で、唯一SS級に分類される【海龍】の外皮は、撥水性能に優れた高級素材だ。

 ハインツはその濃紺の外套を大きな翼のように開いて、ディアナの華奢な肩ごと内側に引き寄せたのである。


「ヴェルグランツ閣下……?」

「ハインツとお呼びください、我が月の女神(ディアーナ)……」

 戸惑うディアナに柔和な笑みを投げかけ、ハインツは外套の内で、彼女の細い左肩を抱く右手にそっと力を込めた。その様子を背後から見ていた二対の視線が、二人の背中に突き刺さる。


(……! この女狂い(バカ息子)はよりによって、かの名高き【氷姫(アイス・ドール)】に対しても、この有様ですか……!?)

 ハインツの斜め後ろで監査書類の束を抱えたフランシスカは、琥珀色(アンバー)の瞳に諦観を湛えて、雨滴を弾いている高価な外套(マント)を冷ややかに見つめた。

 その視線に気づく様子もなく、ハインツはそのまま埠頭に待たせていた一台の送迎馬車へとディアナを誘(いざな)う。そして、自らも同じ馬車へと乗り込み、降りしきる雨の中を辺境伯邸を目指して進み始めた。


 一方、第一装甲艦の甲板からその様子を見下ろしていたザックは、ハルバードの柄をギリッと握り締め、その精悍な顔に獰猛な不機嫌さを色濃く滲ませていた。

 生死の境を彷徨ってまで護った最愛の女(ディアナ)が、どこの馬の骨とも知らぬ男に連れ去られていく様子を見て、アルヴィンと対峙した時以上の殺意が彼の胸中を激しく焦がしていたのだ。


「あら……。さすがはヴェルグランツの『夜の貴公子』と呼ばれるお方、一分の隙もない洗練さと鮮やかな手際ですこと……。あのように熱烈な誘惑を受けたら、氷の華も溶け出してしまうかもしれませんね」

 いつの間にかザックの隣に立っていたシンディが、激しい雨音に紛れ込ませるようにして、愉悦を孕(はら)んだ声を耳元に囁いてきた。


 シンディは腰の鞘に収めた<冰刀(アイス・ダガー)>の柄に指先を滑らせながら、【黒鴉の眼(ヘヴンズ・アイ)】と呼ばれる切れ長の双眸を細め、苛立つザックの横顔をじっと盗み見て、確実に退路を断つ揶揄(からか)いの追撃を放った。


「降りしきる雨さえ灼き溶かすあの熱情……、どうやらディアナ様も、満更でもなさそうなご様子ね。身分も年齢も、これ以上なくお似合いの美しいお二人だわ。ねえ、そう思わない、野蛮人(ザック)?」

「チッ……、うるせえよ! 気取っただけの軟弱な優男が、【氷姫(ディアナ)】の氷を溶かせる訳がねえだろうッ……!?」


 シンディの高度な挑発の毒に、ザックはまんまと独占欲を白日の下に炙り出され、奥歯をガリッと鳴らした。その様子を特等席で観察しながら、シンディは満面に笑みを浮かべて「ククッ……」と愉しげな笑いを漏らすのだった。



 カチリ――


 ヴァイスの白い指先が『銀の懐中時計』の竜頭(りゅうず)を押し込んだ瞬間、盤面に刻まれた微細な魔導回路が不気味な燐光を放ち、【魔力秘印(マナ・コード)】――秘匿された指向性思念(マナ・パルス)を、アイゼンハイド司教の『秘匿魔導具(ロザリオ)』へと向けて放った。


 聖サマルリーナ教の教会関係者は、信者たちの信仰心や懺悔などの感情に干渉するため、自身の魔力を増幅させる魔法が付与されたロザリオを身につけている。そのロザリオに向けて指向性思念(マナ・パルス)を送れば、バルハルトの【軍師(ストラテーガ)】にも感知されずにアイゼンハイド個人と直接会話することが可能だった。


 何度かの魔光の明滅を経て、銀時計の盤面から老人特有の低く掠れた驚愕の声が聞こえてきた。


『……ッ!? 誰だッ……? まさか、この【魔力秘印(マナ・コード)】は……ブライアン=アシュレイ公爵閣下か……? な、何故、今になって公爵閣下が、私に連絡を下されるのだ……ッ!』


 通信の向こう側から、ゲオルグ=アイゼンハイド司教の激しい動揺が手に取るように伝わって来た。ヴァイスは先手を制するのに成功したことを実感し、ニヤリと満足げな笑みを浮かべた。

【魔力秘印(マナ・コード)】は本来、個人を特定するものであるため、他者が知っている可能性は極めて低い。それにも拘わらず、自分のロザリオに向けて指向性思念(マナ・パルス)が送られて来たことで、アイゼンハイドは動揺のあまり握りしめた司教杖(バクルス)を危うく床に取り落としそうになった。


「お久しぶりですねぇ、アイゼンハイド司教。いえ――アシュレイ公爵領の主任司祭でいらしたゲオルグ殿と呼ぶべきでしょうか?」

 彼の狼狽しきった声色を船底の監軍総官室で聞き届けたヴァイスは、眼帯で隠した金瞳(きんどう)を爛々と輝かせて、歪んだ愉悦を声に乗せて厳かに告げた。


『な……ッ! その声は……ヴァイス=アシュラッド伯爵か……ッ!?』


「クククッ、覚えていて頂き、恐悦至極……。当然ながら、私がブライアン様の寄付金台帳を管理していたことも、お忘れではありませんよね。……貴方が司祭時代に教会の修繕費として授かった星金貨二十五枚もの莫大な寄付金――いったい、どこに消えたのかも思い出して頂けましたでしょうか? そういえば、聖サマルリーナ教では、枢機卿(カーディナル)への上納献金はそれなりの額が必要らしいですね……?」


『……ッ!!』

 アイゼンハイド司教の息を呑む様子が、『銀の懐中時計』から思念波となって伝わって来た。


 故郷であるセリカ神国を捨て、ユピテル皇国へと潜逃(せんとう)までして、要塞都市の司教へと成り上がった。その時に、汚職に塗れた不浄の過去は完全に葬り去ったはずであった。

 それが今、アシュレイ公爵家の猟犬(いぬ)と言われたヴァイスによって、白日の下に晒されようとしている。そのようなことが露見すれば、莫大な資金を使ってまで手に入れた司教の地位を失うことは確実だった。それどころか、大罪人の烙印を捺され、火刑に処されるか、生涯を地下牢に幽閉される可能性が大きかった。


「勘違いしないでいただきたい。私は貴方の過去を、教皇聖下(サンクティタス)に告発するつもりはありません。ただ……、ブライアン様への恩返し(忠誠)の機会を差し上げようという、慈悲深い提案ですよ」

『銀の懐中時計』を掌で弄びながら、ヴァイスがもっともらしく嘯(うそぶ)いた。


『くッ……、私に、何をさせる気だ……?』

 震える声音で、生殺与奪の権を握られたアイゼンハイド司教が惨めな問いを投げかけてくる。

 ヴァイスは不気味な嘲笑とともに、アードラーを奈落へと引きずり落とす算段を脳内で冷徹に固めていった。

 彼の胸中を支配しているのは、ただ一つ――己の自尊心を踏みにじった野蛮人どもへの、腸(はらわた)が煮えくり返るほどの怨讐(おんしゅう)の狂気であった。


(ザックめ……! この私を脅し、怪我まで負わせたその代償、貴様の五体を寸分の隙なく切り刻んでもなお足りんわ! そして、ディアナ……! 伯爵令嬢の分際で、正式な伯爵たる私を愚弄した罪、その銀髪をすべて刈り取ってくれるッ! 貴様ら二人は、たとえ土下座して慈悲を乞おうとも、絶対に許さんぞッ!)

 首筋の包帯へと指先を食い込ませ、ヴァイスは血を吐き出すかのような憎悪を声へと変えた。


「司教の立場なら、隣国レウルキア王国の教会関係者とも定期的な連絡網が繋がっているはず……。これからオーディンヴァルト大森林までのアードラーの行軍経路と進軍計画を、貴方の【魔力秘印(マナ・コード)】に送ります。それをレウルキアの教会関係者を通じて、レウルキア王国軍へと極秘に流しなさい。彼らを動かして、その道中でアードラーを待ち伏せし、壊滅させるのです!」

 自分が直接レウルキアに向けて発信すればバルハルトに即座に探知される可能性が大きい。だが、聖サマルリーナ教の教会を経由させれば、アードラーの誰も気づくことはできない。


「思い知るがいい、ディアナ=ヴァーテル。そして、ザックめ……! 貴様らには必ず、冥府の女王(プロセルピーナ)の接吻を受けさせてやるッ! 貴様らの墓は、オーディンヴァルトのような未開の魔境こそ相応しい! アイゼンハイド司教、貴方には私の復讐に協力していただくッ!」


『あ、ああ……、分かった……ッ』

 破滅の恐怖に支配されたアイゼンハイド司教の声が、『銀の懐中時計』の盤面から燐光とともに浮かび上がっては消えていった。

 暗黒の船底で、ヴァイスは完璧な裏切りの道筋を確立したことに、狂気の微笑を浮かべながら竜頭(りゅうず)のネジを静かに戻した。



第9話『雨の慕情、魔の奸計』をお届けします!

ムズンガルド大陸本土に上陸したアードラーは、無事にオーディンヴァルト大森林にたどり着けるのでしょうか?

ディアナの純情さが、意外と可愛い今日この頃です(笑)

次話も楽しみにお待ちください!

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