黄色い掌
「……せいねんはもりをさまよううちに、いつのまにかさばくにでました。
そこではまじょに追放されたラプンツェルがくらしていました。目がつぶれ、あわれなかっこうでうごきまわっているひとにラプンツェルははなしかけました。
するとラプンツェルはそれはせいねんだとしって、だきつきました。
あえたことがうれしかったのですか、あわれなかっこうのせいねんをみるとかなしくてないてしまいました。
するとなみだがせいねんのめにはいりました。するとどうでしょう。せいねんの目がもとの光をとりもどしました。
そのご、ふたりは、永遠に、しあわせにくらしました。
それにしてもあのまじょは、どうなったでしょうか。それはだれもしりません」
ため息をついて、少女は何遍も読んだ絵本を畳んだ。あれから数日、暇なときはずっとこの談話室にいた。男は「ラプンツェル」がお気に入りの本らしく、子供のような口調で、だが必死な顔で「よんで、よんで」とせがむのだ。
機械の人差し指が、畳んだり開かれたりしてぎしりぎしりと鳴った。
「もういいでしょ、さすがに同じ話ばっかりは飽きないの」
男は頷いて、文字に指先を当てて必死になぞった。
少女は機械の指すべてをギシュギシュと鳴らして、その腕で「ラプンツェル」をさっと取り上げた。
その腕をじっと見つめてから、すっと本を棚へと放った。力が籠もったせいだろうか、棚から弾かれて白い床へとばさっと落ちた。少女は無表情に絵本を拾って、ねじ込むように棚へと収めた。よく見る絵本の表紙が指の形にへこんでいるようだ。
男は首をかしげてから、思いついたように口をぱくぱくさせ、もどかしげに歪んだ顔で言った。
「どうした、どうした」
なにかあったのか、心配事でもあるのか、自分に協力できることはないのか、そう言いたい。できればもっと洒落た言い回しで。
だが、彼の限界はこれだった。必死に探してもこんな言葉しか見つからない。男は自分を責めながら、少女の目を見た。くすんだような力のない茶色い瞳が見える。以前と別の目がはまってしまったようにも思えた。
「ごめん」
なぜ、謝るのだろう。謝るとしても踏み込んでしまったこちらが謝るべきなのに。
「違う」
必死に言葉を探してもこんなことだけが口から出て、男は思わず自分の頬と叩いた。力としまりない音だけがして、余計に情けなくなった。
少女は首を振って俯いた。足音がゆっくりとやってきたためか、ただ目を反らしたかったのか。男に見えるのは茶色い髪の毛のつやと、義手が反射した。ばたばたという看護婦の歩く音が響いた。看護婦は二人になんの関心も寄せず、ただ事務的に入ってきて花を変えた。今日は毒々しい赤い菜の花だった。これを選んでいる人間はどういうセンスをしているのだろうか。もしかしたら、ただひねくれているだけなのかもしれない。
しなびた花を持ち去る看護婦の姿が見えなくなるまで二人は口を開かない。
「いやなの」
義手を男の鼻先へ向けて少女は言った。目は合わせず、押し込めたような声を出した。
「ここにいると腕、変えられてしまう」
少女はこちらへ向かなかった。ただ、抑えた声でゆっくりと話した。
「父さんと母さんが、ね。変えろって。党の上層部も機械義手は禁止令が出るって」
つきだした機械の腕が白い光を反射し、細くよわよわしい年相応の腕に見えた。硬い顔のまま、それを見詰めた。指を結んで開く度に中の鉄骨ががちりがちりと動いた。
「ふたりとも党の政策通りしか動いてくれないの。庇ってなんてくれない。結婚だって子供を作ったのだって、党の方針だから」
鉄骨は何度も何度も悲鳴を上げているようだった。男はざらついた喉の痛みを感じながらも言う度、言う度に頷いた。
「いやだもの、そんなの」
そういって振り向いた顔は硬く、義腕と同じような光だけが目の奥で無機質に光っていた。男は前から、この頭がこんな風になる前から思っていたことを、端的に何の気負いもなく、呟いた。なら、逃げる。
返ってきたのはいつものくりくりとした茶色い視線と戸惑ったような声だった。男は顔をほころばせながら、偽物の花を指さした。
「黄色い、菜の花、見よう」
男は単語、単語をゆっくりと思い出すように言っていく。適切な言葉と、消えてしまった音を必死に掴もうと足掻く。
「外、出る、外の外出る。見る」
苦痛に耐えるように片目を瞑り、絞り出すように出た言葉を出した。痛みがあるわけではない。ただこんなことも言えない、少女一人の話にきちんと答えてやれない。胸の奥がじんわりと暖かくなる。苛立ちが心臓から流れてで来る。できることができなくなる、というのはここまで口惜しいものだったのか。
「これ、違う、もっと、暖かい」
ひたすら手を閉じては開き、頭を叩いた。少女は眉がすっかり下向きになっている。男は安心させるように一度首を振ってから、少女の右肩を叩くと、義腕の材質は思いの他固いようで、しばらく指先がひりひりした。手を押さえると、彼は祈るような風に彼女に言った。のどの痛みが増してすり切れるような感じがしている。
「あったかい、黄色」
少女は頷いた。行きましょう、外へ。小さく呟き、両腕で祈る拳を握った。鉄は皮膚を染み入るように冷やしていったが、それにも増して左手は温かいものだった。




