元クラスメイトとの再会
宿に戻ると、女将さんが「おや、おかえり。お湯と手拭い持っていきな」と声をかけてくれた。冒険者仕様の宿屋らしく、風呂はないが体を拭くくらいの気遣いはあるらしい。俺は「あ、ありがとうございます」と吃りながら、湯気の立つバケツを二つ受け取った。熱い湯の重みが、泥だらけの一日を少しだけ癒やしてくれるようだった。
部屋に入ると、俺はもう我慢できなかった。「やった! 体拭けるだけで気持ちいいよね!」ラノベの異世界なら銭湯か温泉イベントがありそうなものだが、現実はバケツのお湯だ。それでも十分だ。俺は早速、革の胸当てを外し、シャツを脱ごうとした。
「待てコラ!」
怒声と共に、俺の手が止まった。振り返ると、市橋さんが仁王立ちで俺を睨んでいた。
「お前は後だ! 私が先に拭くから出て行け!」
「ええー! お湯冷めちゃうよ! 交互に入ればいいじゃん!」
「うるさい! 男女同室でどう拭く気だ! 出て行けと言ったら出て行け!」
物騒な光を放つ彼女の瞳に、俺は一瞬で屈した。「す、すみません…」俺はしぶしぶ廊下に退避した。ドアの向こうから、ジャボジャボとお湯の音が聞こえる。想像してしまう。濡れた手拭いで肌を拭く白い肌。湯気に包まれた同級生の肢体。鼻の下を伸ばしてニヤついていると、ドアが勢いよく開いた。
「もういいぞ」
入ってみると、市橋さんは既に着替えていて、粗末な木の椅子に座っていた。桶のお湯は少しだけ濁り、温度も少し下がっていた。内心「残念」と呟きつつ、俺は冷めかけたお湯で体を拭いた。それでも、泥と汗が落ちていく感覚は天国だった。
さあ、寝ようか。俺は迷わずベッドに潛り込んだ。
「おい、オタク。お前床な」
市橋さんが冷たく告げた。
「嫌だ!」俺は初めて彼女に反逆した。「もうネズミがいる床で寝るのは嫌だ! 今日はベッドで寝る!」
「はぁ? お前な、私に抱きついてきたの忘れたわけじゃないだろうな!」
彼女はベッドの縁を掴み、威嚇するように身を乗り出した。昨日の朝の惨劇(おっぱい密着からのビンタ)を思い出し、俺は一瞬たじろいだ。だが、引くわけにはいかない。命がかかっているのだ。
「だったら市橋さんが床でネズミと寝てよ! 俺は絶対ベッドだ!」
俺たちの視線が空中で激突した。数秒の沈黙。彼女は「チッ」と大きく舌打ちをした。
「…半分だ。こっち側に来たら殴るからな」
「分かった! 絶対越境しない!」
こうして、俺は戦線突破ならぬ、ベッド半分の居住権を勝ち取った。俺たちは背中合わせに丸まるようにして横たわった。布越しに伝わる彼女の体温と、微かな香り。ドキドキしたが、極度の疲労がすぐに意識を泥の底へと引きずり込んだ。
次の朝の記憶は、いつも衝撃から始まる。
ドガッ!
「はよ、起きろ変態」
頬に走る鈍痛と共に、俺は目を覚ました。意識がハッキリする前に、感触があった。柔らかい。温かい。そして弾力がある。俺の顔は、市橋さんの胸に埋まっていた。寝ている間に越境し、しかも完璧なポジションで抱きついていたらしい。
「あっ、柔らかい…」
「は、や、く、は、な、れ、ろ!」
彼女の声が震えている。俺は本能的な危険を感じ、慌てて身体を離した。飛んでくる平手打ちをギリギリで受け止めることはできず、俺の頬は再び赤く腫れ上がった。暴力で起こされる朝。これが定着しそうだ。
俺たちはギルドには寄らず、城壁へ向かった。早朝から行動するのが、生き残るための鉄則だ。だが、城壁に着くと、そこには見覚えのある集団がいた。三十人ほどの集団。元クラスメイトたちだ。
一目で分かった。彼らの装備は、俺たちの革の胸当てとは別格だった。鎖帷子に金属の小手、見事な装飾の入った剣。間違いなく、城から支給されたものだ。
「お? オタクじゃないか。生きてたんだな」
声をかけてきたのは、クラスの中心人物だった男だ。俺がアビリティサイトを起動すると、『剣術LV3』の文字が見えた。俺たちより強い。彼はニヤニヤしながら近寄ってきた。
「俺たち期待されてるからな。こんないい装備貰ったぜ。すげーだろ?」
自慢話が始まった。俺は下を向いたまま、心の中で毒づいた。『どうせお前も使い捨てのコマだよ』。これだけの召喚者がいて、生き残ったという話を聞かない。LV3くらいじゃ、この世界の魔物の前では蟻みたいなものだ。彼らは自分が家畜ではなく、寵愛されていると勘違いしている。
男は俺の反応がないのを見ると、興味を失ったように視線を市橋さんに移した。
「お前、顔はキレイだよな。俺好みの性格になるって言うなら、俺が飼ってやるぞ。その方が生き残れるだろ?」
下卑た笑いが周囲から漏れた。市橋さんのこめかみがピクリと痙攣した。今にも剣の柄に手をかねばならない勢いだ。
「誰が! お前なんかに!」
彼女が爆発する前に、俺は動いた。俺は市橋さんの手を掴み、その場から引っ張った。
「行こう」
俺たちはクラスメイトたちの嘲笑を背に、城壁の門をくぐった。三十人でスライムを狩ったところで、魔石の分配なんて雀の涙だ。城から貰った金が尽きれば、あいつらは終わりだ。群れれば安心という幻想にしがみつく平和ボケした連中とは、早く縁を切るのが正解だった。
スライムの野原に着いて、俺はふと自分の手を見た。市橋さんの手を握ったままだ。
「あ、お前…そろそろ手を離してくれよ」
市橋さんの声は小さく、顔は真っ赤だった。
「あっ! ご、ごめん!」
俺は感電したみたいに手を離した。ずっと握ったままだった。手のひらに残る汗の感触と、彼女の体温が残念なような、恥ずかしいような。
「さ、さあ! スライムから異空間集めましょう!」
俺は誤魔化すように大声で言い、アビリティサイトを発動させた。
市橋さんは少しだけ黙っていたが、やがてスライムの方へ歩き出した。背中越しに、聞こえるか聞こえないかくらいの声が届いた。
「…ありがとな」
俺は胸がいっぱいになった。デレた。今度こそ、完全にデレた。俺はニヤつくのを必死で堪え、スライムの群れへと走り出した。




