スキル異空間
冒険者ギルドは朝早くから活気に満ちていた。筋骨隆々の戦士たちが、壁に貼られた依頼書を睨みつけ、あるいは酒を片手に豪快に笑っている。その中を、俺と市橋さんはまるで小学校の社会科見学のようにキョロキョロとしながら進んだ。受付カウンターには、冒険者とは思えない綺麗な笑顔のお姉さんが座っていた。こういうところは、異世界ラノベのテンプレ通りで少しホッとする。
もちろん、話しかけたのは市橋さんだ。俺は彼女の半歩後ろで、ただモジモジとしているだけだった。
「なあ、私たち駆け出しなんだが、どうすればいいんだ? 魔物を倒して魔石だけ回収してくればいいのか?」
市橋さんのストレートな質問に、受付のお姉さんは少し目を丸くしたが、すぐに「また召喚された子か」と察した顔つきになり、慣れた手つきでカウンターの下から一枚の表を取り出した。
「はい。魔物を倒して、体内にある魔石を回収してギルドに納めていただきます。その魔石の回収量と質によって、冒険者のランクが上がっていく仕組みです。今お二人は最下級のFランクです」
Fランク。この世界でも最底辺。地球の教室でモブだった俺に、実に相応しいランク付けだ。
「ランクが上がればどうなるんだ?」市橋さんが続ける。
「ランクが上がれば、ギルドからの特定の魔物の討伐依頼が受けられるようになります。そうなれば収入も安定しますよ。ただ、基本は魔石の回収だけで、普通の魔物には素材はありません。素材が有用な魔物は、もっとランクを上げてからの特別討伐依頼で、『この素材を取って来てくれ』と指定されるんです」
なるほど。素材剥ぎ取りは高ランクの特権というわけか。俺はラノベ知識で知っている「解体スキル」みたいなものが必要なのかと想像した。
「魔物については分かった」市橋さんが頷く。「それと、町の地図なんかはないのか? どこに何があるのか知りたい」
「地図はありません。この町は特殊でして」
受付のお姉さんは少し言いにくそうに説明を始めた。
「城の反対側に歩いていくと、大きな壁があります。そこから外に出られるんですが、出口はその時によって違うんです」
「どういうことだ? 出口が変わるのか?」
市橋さんの声に、俺も耳をそばだてた。
「この町は、城を中心にして渦巻き状に壁を作り続けて拡大しているんです。壁が今も伸びていって領土を広げているので、今の壁の終わりがどこか、その都度、人に聞かないと分からないんです」
これはラノベ知識にもないオリジナル設定だ。生きている町。拡張するフロンティア。ワクワクする響きだが、それはつまり、帰り道を間違えれば野垂れ死にしかねないということでもある。
「わかった。とりあえず壁に行ってみる」
市橋さんは簡潔に礼を言い、俺を促して歩き出した。俺は彼女の後ろを早足でついていった。
城の反対方向へ、ひたすら歩く。途中、露天商や物乞い、喧嘩をする男たちを横目に見ながら進んでいく。町並みはやがて粗末な小屋が増え、人通りも少なくなっていく。そして、ついに壁が見えた。
それは、高さ10メートルはあろうかという、巨大な石積みの壁だった。見上げると、壁の上部には歩哨が歩いている。壁に沿って歩いていくと、大きな門が開かれているのが見えた。衛兵が二人、退屈そうに立っている。
「ここから外に出られるんだな」
市橋さんが衛兵に軽く会釈すると、衛兵は無言で手を振って通してくれた。
門をくぐると、すぐに景色は一変した。背の低い草が一面に広がる草原。どこまでも続く青空。そして、ところどころに点在する、プヨプヨと震える半透明の塊。
スライムだ!
ついに来た。異世界の代表的な雑魚モンスター。ゲームやラノベでは最初に戦う定番の敵。俺は感動と同時に、これが現実なんだという緊張を覚えた。
「スキル、見てみる」
俺は自分に言い聞かせるように呟き、スライムの群体にアビリティサイトを発動させた。
【体液飛ばしLV1】
【溶解LV1】
【体液飛ばしLV1】
【溶解LV1】
【異空間LV1】!
「ほしい!」
ほとんど反射的に声が出た。
「体液飛ばし」や「溶解」は弱そうで、とても欲しいと思わなかったが、「異空間LV1」だけは別だ。何をするスキルかは分からないが、名前だけで俺のオタク魂が激しく震えた。アイテムボックスに違いない。ラノベの主人公が必ずと言っていいほど手に入れる、異次元収納。これがあれば、持ち運びの概念が変わる。
俺はアビリティサイトで異空間LV1の個体を特定し、ギフトテイカーを発動した。
ズルリ、と何かが俺の中に流れ込んでくる感覚。
ステータスを確認すると、『異空間LV1』が確かに追加されていた。
「よし、試してみよう」
俺は腰の剣を抜き、それを意識しながら「異空間に入れろ」と念じた。
すると、剣の先端が、空気の中に突然消えた。まるで、見えない水の中に沈めていくように、剣全体がスッと吸い込まれ、俺の手から完全に消え去った。
「うおおおお! 消えた!」
俺の興奮した声に、市橋さんが「うわ、何だそれ」と半歩引いた。
「アイテムボックスだよ! 異次元収納! 収納魔法! なんて呼ばれてるか分からないけど、手に持ってる物を別の空間にしまえるんだ!」
俺は再び「異空間から剣を出せ」と念じ、手を虚空に差し入れた。するりと指先に冷たい感触。掴んで引き抜くと、さっきの剣が現れた。何度か出し入れを繰り返す。完璧だ。これは便利すぎる。
「これなら重い荷物も持てるし、武器の持ち替えも一瞬だ!」
俺の興奮とは対照的に、市橋さんは首を傾げた。
「役に立つのか、それ?」
「めちゃくちゃ役に立つんだよ! ラノベじゃ定番の能力で…」
「はいはい、分かった分かった。つまり便利なんだな」
軽く流された。でも、リアルの戦闘に役立つかと言われれば、確かに今は微妙かもしれない。ただ、俺は確信していた。このスキルは絶対に将来、決定的な役割を果たす。
「なあ、市橋さん」俺は提案した。「今日はこのスライムを狩って、異空間LV1のスキルを集めよう。複数集めてレベルを上げれば、もっとすごいことになるかもしれない」
「…いいぜ。どうせ他に当てもないしな」
市橋さんはそう言うと、剣を構えた。『剣術LV2』を得た彼女の構えは、素人の俺が見ても洗練されているのが分かった。一方、俺は『殴るLV2』。正直、スライムにパンチってどうなんだ。
「じゃあ、やってみるか!」
市橋さんが先陣を切った。スライムに接近し、一閃。剣がスライムの身体を切り裂く。プチュッという音と共に、青い体液が飛び散った。スライムはその場で溶けるように崩れ、小さな青い石が残った。魔石だ。
「よし、次はオタクの番だ」
俺は深呼吸し、目の前の青くプヨプヨしたスライムに向かって拳を握りしめた。殴るLV2の力が、全身にみなぎる感覚。俺は一歩踏み込み、スライムの中心めがけてパンチを繰り出した。
バチュンッ!
思ったよりずっと柔らかい感触。拳がスライムの体内にめり込み、そのまま反対側まで突き抜けた。気持ち悪い! スライムは俺の腕を包み込んだまま、体液を飛ばそうとしたのか、表面がブツブツと泡立ったが、俺はそのまま腕を振り抜いた。スライムは千切れ飛び、魔石を残して消滅した。
「いけるな」
市橋さんの声には、少しだけ安堵が混じっていた。
俺たちはその後も協力して、草原に点在するスライムを狩り続けた。基本は彼女が剣で斬り、動きの鈍った個体を俺が殴りつける。その間、俺は常にアビリティサイトを起動し、宝探しのように異空間LV1の個体を探した。
三体目、四体目と狩るうちに、二つ目の異空間LV1を見つけた。俺はすかさずスキルを奪ったが、ステータスにはまだ『異空間LV1 2/3』と表示された。
「3つ集めないとレベル上がらないのか…あと何個でレベルが上がるか分かるのは便利だな」
俺たちは、日が傾き始めるまでそこに留まった。収穫は、異空間LV1のスキルがあと一つで三つになるところまで来たこと、そして少なくない量の魔石だ。スライムの魔石は小粒だが、数は多い。
「今日はこのくらいで戻ろう」市橋さんが剣についたスライムの体液を草で拭いながら言った。
「うん。宿に戻って、作戦を練り直そう」
俺は手に入れた魔石を異空間に放り込みながら、改めて彼女を見た。
「市橋さん、今日一日ありがとう。俺、一人じゃ何もできなかった」
「…別に」彼女はふいと視線を逸らし、城壁の方へ歩き出した。「あんたがスキルくれなきゃ、私も同じだった」
ツンデレだ。完全にツンデレのセリフだ。俺は口元が緩むのを抑えながら、彼女の半歩後ろを歩いた。ギルドに戻り、魔石を納品して、握りしめた銀貨と銅貨の重みを感じながら、俺たちは宿への道を急いだ。




