拓也の両親
森の入り口に転移すると、湿った空気と共にカビ臭い匂いが鼻を突いた。
俺はすぐに索敵を発動する。脳内に周囲の地図が展開され、赤い光点が点滅する。
「…いた。ゴブリンがウジャウジャいるな」
こっちにはあまり冒険者が来ないのか、反応が密集している。まあ、俺たちにとっては格好の的だ。
「沙希、行くぞ」
「おう」
近くにいたゴブリンから順番に、スキルを奪いながら倒していく。
「奪ったぞ」
「任せろ!」
もう完全に流れ作業だ。俺がゴブリンのスキルを根こそぎ奪い、無力化したところを沙希が剣で一撃。時々、俺も奪ったスキルで攻撃に参加するが、基本はこのパターンだ。
「なあ拓也、今日の夕飯何にする?」
「メリッサに任せるか、それとも…」剣を振るいながら沙希が言う。「たまには俺たちで作るか?」
「そうだな、たまにはいいかもな」
俺たちはこんな軽い会話を交わしながら、ゴブリンを駆除していく。かつての苦戦が嘘のように、今ではただの日常作業になってしまった。
一通り周囲のゴブリンを片付けたところで、俺はふと思いついたことを口にした。
「なあ、日本の物を買って持ってきたいんだけど、お金がないんだよね」
こっちの通貨はあっても、日本円を持っているわけじゃない。異空間にはこっちで手に入れた物はたくさんあるが、日本で使える金がない。
「こっちの物で日本で売れそうなのって何かないかな?」
沙希は顎に手を当てて考え込む。
「金は高く売れるだろうけど、売るのに身分証がいるぞ。宝石類も同じだな。質屋なんかだと怪しまれるかもしれないし」
「確かに…」
「それに、拓也は向こうでどういう扱いなんだ? 行方不明者になってるんじゃないか?」
その言葉に、俺は足を止めた。そうだ。俺たちが消えたのは教室の中で、いきなりみんなが帰ってきて大騒ぎになっているはずだ。もし俺が日本の街を歩いていたら、即座に警察に通報されるかもしれない。
「どうだろうな…行方不明者扱いか」
沙希がふと寂しそうな顔をした。
「…お前の両親は、心配してないのか?」
その問いかけに、俺の胸がチクリと痛んだ。俺が異世界に召喚されて、もう結構な日数が経っている。俺の親は、きっと泣いて探しているだろう。
「うーん、心配はしてると思う。だから、一度会って一言、言っておいた方がいいかな」
「そうか…」
沙希の声が少し小さくなる。彼女は俺が日本に帰ったきり、もう戻ってこないんじゃないかと心配しているんだ。
俺は沙希の手を取り、彼女の目を真っ直ぐに見つめた。そして、その唇に優しくキスをした。
「沙希がいない生活なんて耐えられないよ。絶対に帰ってくるからな」
沙希の表情が、パッと明るくなった。
「…私もだ。拓也がいないと嫌だ」
彼女はそう言って、俺の手を強く握り返してくれた。
ある程度森の奥まで歩いた所で、俺は周囲を見渡した。
「この辺で一度帰ろうか?」
「ああ、急ぐ必要も無いことだしな」
次の転移でイメージしやすいように、俺は近くの太い木に印をつけることにした。異空間から短剣を取り出し、目立つように木の幹にバツ印を刻む。
「よし、帰るぞ」
俺は屋敷のエントランスを強くイメージして、転移を発動した。
目を開けると、そこは見慣れた屋敷の広間だった。
「おかえりなさいませ、旦那様、奥方様」
リーリアがすぐに気づいて、駆け寄ってくる。彼女のふんわりした笑顔が、何よりだ。
「ただいま、リーリア。ちょっと汗を流してくるよ」
俺は沙希と共に軽く汗を流し、着替えた。
「沙希、ちょっと日本に行ってくる。すぐ戻るから」
「ああ、気をつけてな。帰ってこいよ」
「わかってるって」
俺は再び転移を発動する。目指すは、日本の学校の運動場。
次の瞬間、俺の足がアスファルトを踏みしめた。
夜の運動場だ。静寂に包まれている。遠くの道路を走る車の音だけが聞こえる。日本だ。
俺は深呼吸をした。湿った空気、車の排気ガスの匂い。これが俺のいた世界の匂いだ。
さて、どうするか。
まずは静香に連絡したい。無事に帰れたことを伝えたい。だが、俺は自分の額を叩いた。
「そうだった…俺、誰とも話さない陰キャだったんだ」
静香とは話したことも無かったし、そもそも異世界に来るまでは接点なんて皆無だ。家の住所も電話番号も知らない。こっちでの静香とは、当然関わっていなかったんだから。
スマホも異世界に来た時に鞄ごと失ってる。公衆電話なんて今時あるのか?
「はあ…情報弱者すぎるだろ、俺」
仕方ない。まずは実家に帰ってみることにした。
俺の家は、学校から自転車で20分くらいの住宅街にある。夜の道を歩きながら、俺は緊張で心臓が早鐘を打つのを感じていた。
父さんと母さん、元気かな?
俺が消えて、どれくらい悲しんだだろう。
もしかしたら、もう引っ越してるかもしれない。それくらいの覚悟はできている。
住宅街の街灯に照らされた道を歩く。見慣れた風景。でも、どこか異質だ。俺はもう、この世界の人間じゃない気がする。
それでも、足は勝手に動いた。
そして、見慣れた一軒家が見えてきた。
「…あった」
家はまだそこにあった。明かりは消えている。もう深夜だから当然か。
門の前に立ち、俺は深く息を吸った。
どうやって声をかける?「ただいま」?いや、いきなり息子が帰ってきたら、驚きすぎて倒れるかもしれない。
でも、会わなきゃ。
俺は意を決して、インターホンを押した。
ピンポーン
静かな夜に、チャイムの音がやけに大きく響いた。
しばらくして、家の中で物音がした。足音が近づいてくる。
「はい?」
ドアが開き、パジャマ姿の母さんが顔を出した。
俺と目が合うと、母さんの目が大きく見開かれる。口が半開きになり、顔から血の気が引いていくのがわかった。
「…た、くや?」
母さんの声が震えている。その目に涙が溢れ出した。
「ただいま、母さん」
俺がそう言った瞬間、母さんは「拓也!!」と叫んで、俺に抱きついてきた。
「拓也! 拓也! 本当に拓也なの!? 生きてたの!? どこに行ってたの!? 拓也ぁぁぁ!!」
母さんは俺の服を握りしめて、子供のように泣きじゃくった。その悲鳴のような泣き声が、近所の家の明かりを点けさせてしまいそうなくらい大きかった。
「ごめん、母さん。心配かけて」
俺は母さんの背中を抱きしめながら、小さく呟いた。
家の中に入ると、父さんも起きてきた。
「なんだ、どうした…拓也!?」
父さんも信じられないものを見る目で俺を見ていたが、すぐに駆け寄ってきて、俺の肩を強く掴んだ。
「生きてたのか…生きてたのか、拓也!」
無口な父さんの目にも、涙が光っていた。
リビングで温かいお茶を飲みながら、俺は二人に事情を説明した。




