アビリティリンク
人に話しかけるのが苦手だというのは、こういう時になって骨身に沁みる。宿屋を探すにしても、どこにあるのか分からなければ、誰かに聞かなければならない。だが、俺の喉は相変わらず頑固な貝のように閉ざされたままだ。「すみません」と一声かけるだけでいいのに、いざ見知らぬ通行人に近づくと、心臓が早鐘を打ち、視線が泳ぎ、結局何も言えずに通り過ぎてしまう。
結局、またしても市橋さんに任せっきりになってしまった。彼女は迷うことなく初老の男性に声をかけ、「宿屋はどこだ」と短く尋ねる。その度胸と行動力には、ただただ感服するしかない。
俺の作戦は、最初から崩れていた。ラノベやアニメの知識でこの異世界を生き抜き、「すごいな、大野くんは」と市橋さんに頼りにされる。そんな俺TUEEE展開を夢見ていたのに、現実は俺が彼女の荷物持ち以下の存在だ。情けない。だが、それ以上に、俺の中で渦巻く別の感情があった。
さっきの倉庫での光景だ。
男たちの前にて無理やり服を脱がされ、下着姿になった市橋さんの姿。白い肌、ブラジャーに包まれた胸の膨らみ、スレンダーな腰回り、そして細い脚。俺がこれまで二次元でしか見たことのなかった生身の女子の下着姿が、網膜に焼き付いて離れない。
おっぱい。お尻。女子の下着。
俺は、心臓が早鐘を打つのは恐怖だけではないことに気づいた。初めて見たリアルな女子の肌。その事実だけで、俺は彼女を好きになってしまいそうだった。いや、好きとかそんな高尚なものじゃない。ただの下心だ。オタクで陰キャのコミュ障でも、同じ釜の飯を食うような状況になった同級生の女の子に、ヤレるかもしれないという淡い期待を抱いてしまうのだ。
「おい、ボサッとすんな。行くぞ」
市橋さんの冷たい声に呼ばれ、俺はハッと我に返った。彼女は既に教えてもらった宿屋の方へ歩き出している。俺は慌ててその背中を追いかけた。
見つけた宿屋は、「鉄の枕亭」という名前だった。木造の古びた建物だが、それなりに清潔感がある。フロントには恰幅の良いおばさんがいて、俺たちを見るなり「また召喚された子かい?」と哀れむような目を向けた。
ここでも声を出したのは市橋さんだ。
俺は財布から奪った銀貨と銅貨が入った革袋を取り出し、彼女に手渡した。「お、お願いします」と吃りながら言うと、彼女は無言でそれを受け取り、カウンターに向かった。
金銭価値が分からない。これで足りるのか? 安宿じゃないと泊まれないぞ。
俺が冷や冷やして見守る中、市橋さんは手際良く交渉を進めた。
「銅貨100枚と銀貨1枚が同じ価値。銀貨100枚と金貨1枚が同じ価値だそうだ」
部屋に入る前の廊下で、彼女は俺にそう説明した。
つまり、銅貨が10円、銀貨が1000円、金貨が10万円といったところか。俺たちが持っている銀貨は20枚ほど。日本円で2万円弱。それなりの所持金だ。
「部屋はダブルしか空いてなかった。銀貨7枚だ」
7枚、7000円か。まあまあだ。それよりも気になったのは「ダブル」という言葉だ。
案内された部屋に入ると、予想通り狭い部屋にベッドが一つだけ置かれていた。ダブルベッドだ。他には粗末な木製の机と椅子があるだけ。俺たちは無言でそのベッドを見つめた。
俺は思わず市橋さんの顔を盗み見た。元の世界で言えば、クラスメイトの女の子とホテルに入るようなものだ。しかも、ダブルベッド一つしかない部屋に二人きり。ヤレるのか? やってもいいのか? そんな下世話な妄想が頭をよぎる。
「おい」
ドスの効いた声に、俺の妄想は氷解した。振り返ると、市橋さんが鬼のような形相で睨んでいた。
「変なことしようとすんなよ!」
「す、すみません!」俺は反射的に謝り、視線を逸らした。やはり、この女子は怖い。
俺たちは気まずい空気の中、恐る恐るベッドに並んで座った。スプリングの効かない硬いベッドがギシと鳴る。これからどうするか。まずは情報共有だ。俺は改めて自分のステータスを確認し、彼女に説明を始めた。
「俺のスキルなんだけど…ギフトテイカーは、相手のレベル1のスキルを奪える。アビリティサイトは相手のスキルが見える。それから…アビリティリンクはスキルを譲渡出来るんだ」
そこでふと言葉を切った。ステータスを見直すと、奇妙な変化が起きていた。
「ギフトテイカーが…レベル2になってる」
「は?」市橋さんが眉をひそめた。「王様がレベルは成長しないって言ってただろ?」
「うん。でも、レベル2になってるんだ」
俺は吃りながら報告した。すると、彼女は腕を組み、少し考える素振りを見せた。
「…さっきの倉庫で、レベル1の剣術スキルを持った男が3人いたよな? お前、その3人分のレベル1を奪ったんだろ?」
「あ…」
「3つ集めたからレベル2になったんじゃねえか?」
彼女の推測は、俺の曖昧な知識を補って余りある鋭さだった。成長しないんじゃなくて、必要な経験値(この場合は同レベルのスキル)を満たせば上がるのか、あるいは単に1+1+1で2になったのか。どちらにせよ、彼女の方が頭が回る。俺の異世界知識でリードするどころか、彼女の推察力に頼りっきりだ。俺の優位性なんて、もう欠片も残っていない。
「すごいな」市橋さんがボソッと言った。「そのスキルがあれば、この世界で上手くやれば生き残れるかもな」
彼女の瞳に初めて、俺に対する少しの信頼らしきものが宿った気がした。これだ。俺は必要とされている。この世界でこそ、俺は価値があるんだ。
「あのさ」彼女が前のめりになった。「私にもスキルを与えてくれよ。『アビリティリンク』とかいうのでできるんだろ?」
いよいよ来た。俺は唾を飲み込んだ。
「えっと…その…」俺は視線を彷徨わせた。「粘膜接触しないと与えられないんだ」
一瞬の沈黙。
その言葉の意味を理解するまでに、数秒の時を要したようだ。粘膜接触。つまり、キスだ。
市橋さんの目がスッと細められた。今日一番の、いや人生で見た中で一番鋭い睨みが飛んできた。殺気だ。純度100パーセントの殺意が俺に突き刺さる。
「へぇ…」彼女の声が低く震えていた。「粘膜接触ねぇ…」
「ち、違うんだ! 俺が決めたんじゃなくて、スキルがそうなってるだけで!」
「お前さっき私の下着姿見てニヤついてただろ! 狙ってたな!?」
「ニヤついてない! 涙目だっただけだ!」
「嘘つけ! このムッツリ野郎!」
彼女がベッドの上で身を乗り出し、俺の胸ぐらを掴み上げた。「殴る」LV2の怪力だ。俺の背中はベッドに沈み込んだ。
「ちょっと待って! 暴力反対! 話し合おう!」
「話すことなんかねえよ! レイプしようとした男と同じ目をしてる!」
「してない! するわけないだろ! 純粋にスキル発動の条件として!」
「条件としてキスとか、どこのエロゲだよ! さっさとその変態スキルを返上しろ!」
「返上できないんだよ! 死ぬよりマシだと思ってくれ! 魔物と戦うにはスキルが必要なんだろ!?」
俺の必死の弁明に、彼女の手が止まった。荒い息遣いが顔にかかるほどの距離で、彼女は俺を睨みつけていた。その瞳には怒りと軽蔑、そして微かな葛藤が見えた。
「…本当に、それしか方法がないんだな?」
「な、ない。信じてくれ」
俺は涙目で訴えた。嘘じゃない。ただの変態仕様なだけだ。
彼女は俺を離し、「チッ」と舌打ちをしてベッドの端に戻った。
「…チョットだけだぞ」
「え?」
「キス。一秒だけだ。舌なんか入れてきたら噛み切るからな」
市橋さんの顔が赤い。怒りだけじゃない、明らかな恥じらいがそこにはあった。俺も心臓が破裂しそうだ。初キスが、こんな状況で、しかもスキル譲渡のためとはいえ、同級生のヤンキー女子ととは。
「わ、分かってる」
俺は震える手で彼女の肩に触れようとして、「殴る」のスキルが発動しそうな気配を感じて慌てて止めた。お互いに顔を近づける。彼女は目をギュッと閉じ、唇を突き出していた。
実は粘膜接触だから舌を絡めないと、スキル譲渡出来ないことにすぐに気づくことになる。




