デート
朝。俺が先に目を覚ました。隣で眠る沙希の寝顔を見つめる。いつもなら俺が彼女の胸に顔を埋めてビンタで起こされるところだが、今日は珍しく俺の方が早起きだった。彼女は穏やかな表情で、小さな寝息を立てている。口元が少し緩んでいて、まるで赤ん坊のように無防備だ。起こさないように静かにベッドを抜け出し、身支度を整えた。
しばらくして沙希が起きてきた。「おはよう、早いな」
「おはようございます。今日は俺の勝ちです」
「何の勝負だよ」彼女は少し照れたように笑い、寝ぐせを手で直した。
朝食を軽く済ませ、俺たちはスケルトンの剣を異空間から取り出した。三十本もあると結構な重さと嵩だ。異空間がバレないように、二人で十五本ずつ抱えてギルドへ向かう。道行く冒険者や商人たちが、俺たちの抱える錆びた剣の束に驚いた顔を向けてきた。
「おはようございます。換金をお願いします」
受付のお姉さんは、カウンターに置かれた三十本の剣を見て目を丸くした。
「こ、これを全部、あなたたちが?」
「はい! 遺跡から担いで帰ってきました」
俺と沙希は声を揃えて元気よく答えた。受付嬢は剣を一本一本検めてから、電卓のような魔道具をパチパチと叩いた。
「スケルトンの剣、一本銀貨二十枚。三十本で銀貨六百枚。それからお持ちいただいた魔石の買取が銀貨三百枚。合わせて銀貨九百枚です。金貨にお換えしますか?」
「お願いします!」
差し出されたのは、キラリと光る金貨九枚。俺の手のひらにずっしりと重い。一日の稼ぎとしては上等どころじゃない。これまでの貧乏生活が嘘のようだ。でも、この金貨九枚は俺たちが命懸けで手に入れたものだ。決して無駄遣いはできない。沙希がニヤリと笑いながら言った。
「拓也、今日は休みにして買い物しようぜ」
「いいんですか?」
「ああ、これだけ稼いだんだ。少し骨休めしねえと、逆に効率が落ちる」
俺は心の中でガッツポーズをした。やった。また沙希さんと買い物デートだ。しかも今回は時間を気にせず、町をゆっくり見て回れる。
まずは武器屋へ向かう。沙希の剣は最初に男たちから奪った物だ、新しいものを選びたいと言っていたからだ。
店内には様々な武器が並んでいる。剣、槍、斧、弓。壁一面に掛けられた武器を見ているだけで、ワクワクしてくる。
「なあ拓也、これどう思う?」
沙希が手に取ったのは、細身でしなやかな剣だった。刃紋が美しく浮かび、柄には滑り止めの革が巻かれている。値段は銀貨五十枚。昨日までの俺たちなら手が出なかった金額だ。
「沙希さんに似合いそうです。軽そうだし、沙希さんはスピードタイプの剣士ですからね」
「だよな。決めた、これにする。」
彼女は剣を購入し、腰の左に差した。これで剣術LV3の彼女の戦闘力はさらに上がったはずだ。
次に向かったのは、日用品を扱う雑貨屋だ。石鹸、歯を磨くための木の枝と塩、それから履き心地の良さそうな革のブーツ。今までは我慢してきたが、これくらいは贅沢ではない。
俺は沙希にヘアブラシをプレゼントしたくて、こっそり店主に値段を聞いた。銀貨五枚。少し高いけど、毎日寝ぐせと格闘している彼女にちょうどいい。木製で持ち手に花の彫刻がされているものを選び、彼女に見えないように購入した。
昼時になり、俺たちは前から気になっていた食堂に入った。冒険者向けの大衆食堂とは違い、ここは商人や家族連れも使うような少し落ち着いた店だ。
「好きなもの頼んでいいぞ」沙希がメニューを見ながら言った。
俺はハーブで味付けした鶏肉のグリルと、ふわふわの白パン、野菜たっぷりのスープを注文した。沙希は肉厚のステーキと、デザートに焼き菓子の盛り合わせも頼んでいる。
「贅沢すぎるかな?」彼女が少し不安そうに言った。
「大丈夫ですよ。たまにはこういう日があっても」
料理はどれも美味かった。特にグリルの香ばしさと、パンの小麦の甘みがたまらない。沙希が焼き菓子を一つ摘まみ、俺の口元に差し出した。
「食ってみろ。これ、すげえ美味い」
「え、あ、はい」
照れながらパクリと食べると、蜂蜜の優しい甘さが口いっぱいに広がった。間接キス。間接キスだよなこれ。俺の顔が赤くなっているのを見て、沙希も一瞬赤くなり「バカ、深い意味はねえからな!」と急に早口で言い訳した。
宿に戻り、荷物を置く。そこで俺は沙希に言った。
「沙希さんは部屋で休んでいてください。俺、ちょっと行ってきます」
「どこ行くんだ?」
「スライムです。異空間スキルを集めたいんです。LV3にすれば、もっと色々運べるようになるかも」「それなら私も行くよ」
「でも今日は休みの日じゃ…」
「一人で行かせるわけねえだろ」
彼女は腰に新しい剣を差しながら立ち上がった。その顔には有無を言わせない決意があった。すでに俺たちはそういう関係になっていた。なんというか、もう夫婦みたいじゃないか? 妻が「一人で行くの?」と心配してついてくる構図。俺は心の中で小躍りするくらい嬉しかったが、顔を引き締めて「ありがとうございます」とだけ言った。
町の外れの草原に出る。スライムがプルプルと跳ねている平和な風景だ。アビリティサイトを使うと、今日は異空間LV1持ちが何匹かいる。俺はスライム二匹から異空間LV1を奪い取った。
「沙希さんの異空間と合わせましょう」
草原の真ん中。人気はない。風が草を揺らし、遠くで鳥が鳴いている。絶好のロケーションだ。
「じゃあ、頼む」
沙希は素直に目を閉じた。その唇にそっと自分の唇を重ねた。いつものように、舌を絡める。スキルが混ざり合い、融合し、昇華されていく感覚。沙希の口の中は温かくて、少しだけ昼に食べた蜂蜜の甘さが残っている気がした。スキルの移動が終わっても、俺たちはしばらくそのままだった。
ようやく唇を離し、沙希が自分の手を見つめた。
「凄いな…異空間LV2か。広くなった感覚がする。すげえよ、これなら剣百本は入りそうだ」
「良かったです」
「デートの最後はキスか」沙希はポツリと呟いて、うっすらと笑った。
二人で並んで歩き出す。手が触れ合いそうで触れ合わない。微妙な距離。
帰り道、俺は索敵スキルを軽く発動させていた。すると、草原の少し奥まった方から、複数の生物の気配を感じ取った。ゴブリンや狼ではない。もっと弱々しく、まとまりのない気配。
「沙希さん、あっちに何かいます」
「行ってみるか」
気配を辿っていくと、草原のくぼ地で、数人の若者が何かと格闘していた。いや、格闘と言うより、泥まみれになりながら素手でスライムを叩いている、という方が正確だ。服はボロボロで、痩せ細っている。元クラスメイトたちだった。五、六人ほどが、声も出さずに必死でスライムに殴りかかっていた。手には何も持っていない。武器はおろか、棍棒すらない。ただ拳を固めて、スライムを潰しているのだ。
スライムは弱い魔物だが、素手で戦えば無傷では済まない。彼らの手は真っ赤に腫れあがり、スライムの体液と自分たちの血でグロテスクな色になっていた。
沙希は物陰からそれを見つめながら、静かに言った。
「アイツら、LV2のスキルだって持ってるんだろ。剣術とか短剣術とかな。なのにあれか。最初からスライムを狩って、ちゃんとギルドに通っていれば、Eランクにはなれたのに」彼女の声には、怒りとも哀れみともつかない感情が混ざっていた。「あそこまで落ちないと、自分たちが甘かったって気づけなかったのか」
俺は何も言えなかった。
寝る場所は親が用意してくれる。テーブルに座れば親が食事を出してくれる。そんな生活を、ついこの前まで俺たちも送っていた。でも、沙希にはそれすらなかった。彼女は毒親から逃れるために学校をサボり、バイトに明け暮れていたという。だから彼女は、この厳しい異世界に放り出されても、誰にも頼らずに生きていく術を本能的に身につけていたのだろう。俺は、沙希がいたから生き残れた。彼女という道標があったから、道を間違えずに済んだ。
「俺も、沙希さんがいなければ、ああなっていた自信があります」
俺が正直にそう言うと、沙希は少し驚いた顔をして、それから優しく笑った。
「拓也は大丈夫だろ。お前、私たちが追い出された時、すぐにギフトテイカーの使い道を考えたじゃねえか。あれ、すげえと思ったよ」
「沙希さんが一緒に来てくれたからですよ」
「…そっか」
彼女の手が、ほんの少しだけ俺の指に触れた気がした。
俺たちはバレないように、そっとその場を離れた。彼らがこちらに気づくことはなかった。
宿に戻り、俺は部屋で沙希に例のブラシを差し出した。
「沙希さん、これ、今日買ってたんです。プレゼントです」
「…何これ。ブラシか?」
「寝ぐせひどい時あるんで。使ってください」
沙希はブラシを受け取り、しばらく無言でそれを見つめていた。それから、ぽつりと「ありがと」と言って、さっそく髪を梳かし始めた。
彼女の艶やかな茶髪が、さらさらと整っていく。俺はその様子を、ベッドに座りながらじっと見つめていた。
「な、なに見てんだよ」
「綺麗だなと思って」
「ば、バカ!」
沙希は真っ赤になって、ブラシを投げつけてきた。でも彼女の目は笑っていた。
夜、布団の中で俺は考えていた。この世界に来て、良かったと思える日が来るなんて想像もしなかった。明日からまた遺跡に通う。装備も整った。スキルも増えた。何より、沙希との絆がどんどん強くなっている。
今日はデートだった。手を繋ぐまではいかなかったけれど、確実に距離は縮まっていると思う。このまま、少しずつでいい。彼女が「心の準備が出来るまで」と言ったその日を、俺はいつまでも待てる気がした。
「拓也、寝たか?」
暗闇から沙希の声がした。
「まだです」
「…明日も頑張ろうな」
「はい、おやすみなさい」
「おやすみ」
彼女の寝息が聞こえ始める。俺も目を閉じた。今日一日、本当に良い日だった。明日はもっと良い日になると、不思議と確信できた。




