スケルトンの巣窟
パァン!
いつもの乾いた音が頬に走り、俺の意識は強制的に現実へと引き戻された。
「朝だぞ、変態。いつまで私の胸を枕にして寝てるんだ」
目を開けると、怒ったような、でもどこか呆れたような沙希さんの顔が目の前にある。俺の顔は彼女の胸元に埋もれていた。温かくて柔らかくて、どうしても無意識に寄ってしまうのだ。これはもはや生理現象に近い。
「い、いや! これは不可抗力というか! 自然の摂理というか!」
「摂理で他人の胸に顔を埋めるな!」
もう一度軽くビンタを食らい、俺は慌ててベッドから転がり落ちた。
「おはよう、沙希さん」
「おう、おはよう。さっさと準備しろよ、今日は遺跡まで遠出だぞ」
俺たちは身支度を整え、街を出た。ギルドの情報によれば、遺跡までは片道半日かかるという。徒歩だ。日本にいれば自転車で一時間とかいう距離だろうか。自転車…そういえば、異世界知識チートで自転車を作って一攫千金、みたいな展開もありえるかもしれない。一瞬思考が飛んだが、すぐに思い直した。チェーンの構造とか、ギアの仕組みとか、サドルの素材とか、素人の俺が知っているはずもない。商人相手に商売する度胸もないし、ここは大人しく魔物を狩るのが一番だ。
「野外での宿泊も視野に入れて、食料と水は多めに持っていきますね」
「ああ、頼む。異空間便利すぎるな」
俺はパンと干し肉、それに水の入った皮袋を次々と異空間LV2に放り込んだ。ラノベの定番、アイテムボックス。これがあるだけでサバイバルの難易度は劇的に下がる。
街道を外れ、森の中の獣道を歩く。木漏れ日が揺れ、鳥のさえずりが聞こえる。平和な光景だが、気を抜けない。
「拓也、来るぞ」沙希さんが短剣を構えた。
木陰から、一頭の狼のような魔物が飛び出してきた。毛並みは黒く、目は赤く爛々と光っている。俺は即座にアビリティサイトを発動した。
【噛みつきLV2】【索敵LV1】
「沙希さん、噛みつきLV2と索敵LV1です! 索敵奪います!」
「おう!」
俺はギフトテイカーを発動。ズルリとした感触と共に、狼の魔物の動きが一瞬止まる。索敵LV1が俺のものになった瞬間、俺は沙希さんに合図を送った。
「もう大丈夫です!」
沙希さんは距離を一気に詰め、銀色の閃きを走らせた。二刀流の短剣が正確に急所を突き、魔物は悲鳴を上げる間もなく崩れ落ちた。
「やったな」沙希さんが魔物から魔石を抉り出す。「デカいな、これ。いい金になりそうだ」
「ですね。索敵LV1、使ってみますね」
俺は目を閉じ、意識を集中してみた。すると、ぼんやりとだが、周囲の気配が感じられるようになった。「あっちに何かいるな」とか、「こっちは何もいないな」という程度の大雑把なものだが、何も感じないよりは遥かにマシだ。レベルが上がれば、もっと詳細な位置や数まで把握できるようになるかもしれない。背後から迫る敵の気配を察知できるだけで、生存率は跳ね上がるはずだ。
半日ほど歩き、昼過ぎには遺跡に到着した。
それは鬱蒼とした森の中にポツンと佇む、古ぼけた石造りの遺跡だった。苔むした壁、崩れかけた柱。そして、その奥からカツカツという乾いた足音が聞こえてくる。
俺はアビリティサイトを遺跡の奥へ向けた。
「うわ…」思わず声が出た。
遺跡の中は、スケルトンがウジャウジャいた。白い骨が、剣や盾を持って、のっそりと歩き回っている。まさにRPGのお家芸、アンデッドの巣窟だ。
「沙希さん、凄いですよ! あいつら、剣術LV2を持ってます!」
俺は興奮して沙希さんに伝えた。ゴブリンや狼と違い、人型で剣術LV2持ちとは良いスキル源だ。だが、同時に俺は悟った。なぜこの依頼がいつまでも掲示板に貼られていたのか。そして、なぜこの世界の人たちがスケルトンを狩らないのか。
この世界の一般人のスキルレベルは、LV1がほとんどだ。LV2になれば「凄い」と言われるレベル。そんな人たちが、LV2の剣術を持つスケルトンと戦えば、それは命懸けの戦いになる。相手は痛みを感じず、疲れを知らない骸骨だ。数が多い上にスキルまで高い。一般人が手を出せるわけがない。
だが、俺たちは違う。
「沙希さん、俺がスキルを奪えば、あいつらはただの剣を持ったガイコツです」
「ああ、そうだな。ならやるぞ」
俺は遺跡の入り口から、片っ端からスケルトンに向かってギフトテイカーを放った。視界に入るスケルトン、十体、二十体。次々とスキルを奪い取っていく。ズルズルという感覚が何度も脳を走り、スケルトンたちの動きが鈍くなっていく。
スキルを奪われたスケルトンは、ただ骨をガクガク震わせるだけの的だ。そこへ沙希さんが突っ込む。二刀流の短剣が骨を断ち切り、頭蓋を砕く。
「気持ち悪いからさっさと行くぞ!」
沙希さんはそう言いながらも、手は止まらない。俺も棍棒でスケルトンを粉砕していく。LV3の棒術のおかげで、骨は崩れるように倒れていく。
三十分もしないうちに、遺跡の入り口付近は片付いた。三十体ほどのスケルトンを倒し、魔石と剣三十本を回収する。剣は錆びているものも多いが、それでも三十本あればそれなりの金になるだろう。魔石もゴブリンのより一回り大きい。
「よし、今日はこのくらいにして急いで町に戻りましょう。換金は明日になりそうですが」
「だな。暗くなる前に戻らないと、野宿になっちまう」
俺たちは急いで来た道を引き返した。索敵のおかげで、魔物との遭遇戦は避けられたが、街に着いた頃には完全に日が落ちていた。夜の街は灯りが少なく、薄暗い。
「換金は明日だな」沙希さんが言った。「腹減ったし、宿に戻ろうぜ」
「ですね。今日は特に疲れました」
宿に戻り、夕食を済ませて、部屋に戻った。バケツのお湯で体を拭きながら、俺は沙希さんに言った。
「沙希さん、剣術渡しますよ。今日奪ってきたやつ」
俺のステータスには『剣術LV3 3/20』とある。十分すぎるほどのスキルだ。
沙希さんは手ぬぐいを止め、少し躊躇うように視線を落とした。
「いいのか? 私ばかりスキルを貰ってるぞ。拓也も剣術欲しいんだろ?」
彼女の言葉は真剣だった。俺たちは対等なパートナーだ。一方が一方に依存しすぎるのは良くないと、彼女も感じているのだろう。
俺は笑って答えた。
「大丈夫ですよ。沙希さんがケガしないように強くなってくれた方が、俺としても嬉しいですから。それに俺、棒術結構気に入ってるんですよ。カンフー映画みたいでカッコイイじゃないですか」
棒をクルクル回す動作を真似ると、沙希さんはフッと笑った。
「変な奴だな」
そして、彼女はゆっくりと俺に顔を近づけてきた。
俺がいつものように顔を寄せようとすると、沙希さんが先にキスをしてきた。
柔らかい唇が重なる。いつものスキル移動のためのキスではなく、もっと情熱的な、熱を帯びたキスだった。
俺は驚きつつも、彼女の背中に手を回し、深く唇を重ねた。舌を絡め合い、互いの唾液を飲み下す。スキルが移動していく感覚があっても、沙希さんは唇を離さなかった。数秒、あるいは十秒以上だろうか。長く、深い口づけ。
ゆっくりと唇が離れると、沙希さんは潤んだ瞳で俺を見つめ、小さな声で言った。
「ありがとう」
その声と表情が、俺の胸を締め付けると同時に、熱くさせた。俺はニヤつきそうになるのを必死で堪え、笑顔で答えた。
「はい!」
今日の沙希さんは、いつもよりもっと可愛く見えた。俺たちの関係が、少しだけ前進した夜だった。




