達人の域のレベル3
朝の空気はひんやりと澄んでいて、深く息を吸い込むと肺の奥まで洗われるようだった。城壁の門をくぐりながら、俺は隣を歩く沙希さんの横顔をちらりと見た。彼女は異空間から剣を取り出してはしまい、その動作を無意識に繰り返している。どうやら少し退屈しているようだった。
「沙希さん、棒術と短剣術と投擲がレベル3になったら、装備を整えて次の場所に行きましょうか」
俺の提案に、沙希は肩をぐるりと回しながら応じた。
「そうだな。さすがにゴブも飽きたしな」
森の手前に着くと、早速三匹のゴブリンが顔を出した。俺はアビリティサイトを起動し、スキルを確認する。棍棒術LV1、短剣術LV1、投擲LV1。俺はギフトテイカーでそれらを奪い、沙希が一瞬で切り伏せる。もう何十回と繰り返した流れだった。
昼休憩。大きな岩に腰掛け、水筒の水を飲んでいると、沙希が不意に口を開いた。
「なあ拓也、お前のそのスキルさ、ギフトテイカーって言ったか。それを使えばさ、クラスの女子を言いなりにしてハーレム作ることもできるんじゃねえか?」
俺はむせそうになった。
「な、何言ってるんですか沙希さん!」
「いや、だってスキル渡す時にキスしなきゃいけねえんだろ? お前が『スキルあげるから俺の女になれ』って言えば、断れない奴もいるんじゃねえか?」
沙希の声はからかうような調子だったが、俺は真面目に答えた。
「知らない人はいらないですよ。俺は沙希さんが一番可愛いし、二人が気が楽でいいです。それに…」
俺は言葉を詰まらせた。それに、沙希さん以外の女の子とキスなんてしたくない。そう続けようとしたが、言い淀んでいると、沙希がニヤリと笑った。
「お前、今エロいこと考えただろ!」
「ち、違いますよ! おっぱいが柔らかいなんて思ってないです!」
言ってから、墓穴を掘ったことに気づいた。やっぱりエロいこと考えてたんじゃねえか、と沙希のパンチが飛んでくる。軽いジャブだが、当たればそれなりに痛い。
「いって!」
「自業自得だ」
沙希は拳を引っ込めると、急にモジモジと指を組み合わせ始めた。視線はあらぬ方向を向いている。
「なあ、拓也」
「はい?」
「その…心の準備が出来るまで、ちょっと待っててくれよな」
顔が真っ赤だ。耳の先まで赤くなっている。心の準備? 何のだろう。俺が聞き返そうとすると、沙希は「なんでもねえよ!」と一蹴し、さっさと立ち上がってしまった。
午後の狩りは順調だった。投擲スキルを持ったゴブリンを集中的に狩り、ついに投擲LV2が10/10に達した瞬間、感覚が変わった。腕に何かが流れ込む感覚。
『投擲LV3』。
俺はそこらに落ちている拳大の石を拾い上げ、適当な木に向かって投げてみた。ピュッという鋭い空気の裂ける音。石は一直線に飛び、幹に命中した瞬間、バキバキバキッと派手な音を立てて、直径二十センチはあろうかという木が根元からへし折れた。
「うっそ…」
「マジかよ…」
二人同時に声が漏れた。これが達人の域、レベル3。雑に投げた石ころが、軍隊の弩弓並みの威力を発揮している。
「拓也、お前それ連射できたら無敵じゃね?」
「いや、石のストックが必要ですし、連射はさすがに…でも、すごい。これがレベル3」
俺たちは顔を見合わせ、そして笑った。手応えがあった。
夕方までに、棒術LV2も10/10に達し、短剣術LV2も10/10になった。
「これで全部レベル3ですね」俺はステータスを見ながら言った。「短剣術、沙希さんに渡しますよ」
「ああ、頼む」
沙希は素直に目を閉じた。長いまつ毛が、夕日に照らされて金色に光っている。俺はゴクリと唾を飲み込み、彼女の唇に自分のそれを重ねた。舌を差し入れると、沙希の舌が応えてくれる。唾液が混ざり合い、スキルが移動する感覚。柔らかくて、温かくて、いつまでもこうしていたい。
「ん…」
沙希が小さく息を漏らした瞬間、スキルが完全に移動した。俺たちはゆっくりと唇を離した。
「…終わったか」
沙希は目を開け、自分の手を見つめた。ステータスを確認しているのだろう。
「剣術LV2、短剣術LV3か…なんか、力が漲ってくるようだ」
彼女は腰の短剣を抜き、軽く素振りをした。その動きは以前とは段違いで、素人の俺が見ても洗練されている。
スキルがLV3になった事でギフトテイカーとアビリティリンクもLV3に上がっていた、これでLV3のスキルを持った敵でも奪えることが出来る
町に戻り、俺たちは武器屋へ直行した。店の主人は無愛想なオヤジだったが、金を払えばきちんとした品を出してくる。
「沙希さん、俺は棍棒を買います」
「私は短剣をもう一本。二刀流にする」
沙希は良質な短剣を1本選び、腰の両側に差した。俺は頑丈そうな鉄芯入りの棍棒を手に取る。ずっしりとした重み。異空間LV2の収納力なら、武器の予備も十分に入れられる。
棍棒をくるくると回してみると、まるで昔から使い続けているかのように、手に馴染む。
「沙希さん、すごいですよ。体が使い方を知ってるみたいに、自在に棒が動かせます」
「こっちもだ。短剣が手の延長みたいな感覚だ」
ギルドに魔石を換金しに行くと、受付嬢が俺たちのカードを見て目を丸くした。
「お二人とも、規定の魔石納品数に達しています。FランクからEランクに昇格できますが、いかがなさいますか?」
「お願いします!」
俺は即答した。Eランクになれば、掲示板の依頼から選べるようになる。これで稼ぎの幅が広がる。
新しいランクのカードを受け取り、俺たちは掲示板の前に立った。様々な依頼書がピンで留められている。薬草採取、害獣駆除、護衛任務…その中で、一際古ぼけた羊皮紙が目に留まった。
『遺跡のスケルトンが持つ剣の回収。一本につき銀貨20枚。』
沙希が依頼書を指差した。
「これ、ずっと貼ってあるな。誰もやりたがらないのか」
「スケルトンって、アンデッドですよね。普通の武器じゃ倒しにくいのかも」
「でも剣を持ってるってことは、剣術スキルを持ってるかもしれないな」
沙希の目が輝いた。
「いいな、それ。私、短剣だとリーチがなくて怖いんだよ。ちゃんとした剣術スキルが欲しい」
「じゃあ、明日は遺跡でスケルトン狩りですね」
俺たちはそう決めて、宿に戻った。今日の夕食は奮発して、大盛りのシチューと焼きたてのパン。バターの香りが食欲をそそる。
食事を終え、女将さんに声をかけてお湯をもらう。部屋に戻ると、沙希がバケツを指差して言った。
「拓也、背中拭いてやるよ」
「えっ」
俺は固まった。沙希の顔が、湯気のせいだけではない赤みを帯びている。
「そのかわり、私の背中も拭いてくれ」
「は、はい! 喜んで!」
俺は首をブンブンと縦に振り、鼻の穴を大きくふくらませていたと思う。沙希は「あまり見るなよ」と警告してから、意を決したように上のシャツを脱いだ。
現れたのは、想像を遥かに超える光景だった。白い肌。鎖骨のライン。そして、布に包まれた豊かな乳房。俺は呼吸を忘れて見つめてしまった。
「こら、見るなって言ってるだろ!」
沙希が背を向けた。その背中は思ったより細くて、肩甲骨が綺麗なラインを描いている。俺は手ぬぐいを湯に浸し、絞ってから、恐る恐る彼女の背中を拭き始めた。
「ん…」
沙希が小さく身を捩る。あったかい、と呟く声が、いつもの強気な彼女とは別人のようだった。俺は丁寧に、傷つけないように、宝物を扱うように、彼女の背中を拭いた。
「よし、次は拓也の番だ」
俺がシャツを脱ぐと、沙希は無言で俺の背中を拭き始めた。彼女の指先が時折触れて、その度に背筋がゾクゾクした。
「…ありがとう沙希さん」
「これくらい、いいって。レベル3のご褒美だ。終わり!」
沙希はそう言うと、パッと手を離してシャツを着込んだ。
「ちょっとずつな」
彼女はボソッと呟き、俺を部屋から追い出した。廊下に出された俺は、壁にもたれて大きく息を吐いた。心臓がうるさい。沙希さん、いま「ちょっとずつ」って言ったよな。ちょっとずつ何なんだ。これから何が起こるんだ。
俺はニヤつく顔を手で隠しながら、しばらく廊下で待機した。沙希に呼ばれて部屋に戻ると、彼女はもうベッドにもぐりこんでいた。
「さっさと寝ろよ。明日は遺跡だ」
「はい。おやすみなさい、沙希さん」
「…おやすみ、拓也」
ベッドに橫になり、天井を見つめる。今日一日を振り返る。投擲と棒術がレベル3に。沙希さんの背中。遺跡のスケルトン。明日への期待と緊張で、なかなか寝付けなかった。
でも、隣から聞こえる沙希さんの寝息が、不思議と俺を落ち着かせた。この人と一緒なら、どんな敵が来ても大丈夫な気がする。
俺は静かに目を閉じた。今度こそ、越境しないように気をつけながら。
夜が明けたら、新たな冒険が始まる。遺跡のスケルトン。剣術スキル。そして、俺たちの関係もまた、少しずつ変わっていくのだろう。それが怖くもあり、何よりも楽しみだった。




