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3-10話:最後のお願いをする時点で、だいたい相手は何か企んでいる

「や、やめてくださいっ!!」


 コハルの叫びが、夜の道路へ響いた。


 トキヤの指先で膨れ上がっていた黒い魔力が、ぴたりと静止する。

 極限まで圧縮された闇色の塊が、不穏な唸りを上げながら揺らめいていた。


「私、行きますから……!」


 眠気のせいで舌が回らない。

 呼吸も乱れている。

 肺が熱い。

 喉の奥が、焼けるように苦しかった。

 それでもコハルは、声を絞り出した。


「どこにでも……行きますから……! だから……!」


 涙が頬を伝う。

 肩が震える。


「みんなを……マナトさんを……殺さないでください……!」


 ぼろぼろだった。

 声も。

 表情も。

 何もかもが、ぐちゃぐちゃだった。


「あーあ」


 ミクルが肩を落とした。


「泣いちゃった」


 その声音には、本当につまらなそうな響きが混ざっていた。


「トキヤ先輩、やめてあげましょう」


「……」


「コハルさんが泣いてるの、ちょっと可哀想です」


 トキヤが、胡散臭そうに眉を寄せる。


「何だ、てめぇ。女なら誰でもいいのか?」


「そういうんじゃないですけど!?」


 ミクルは即座に否定した。


「ちゃんと好みはありますし!」


「聞いてねぇよ」


「失礼ですねぇ」


 ミクルは頬を膨らませた。

 その直後。

 コハルが、息を吸い込む。


「あの……」


 震える声だった。


「一つだけ……お願いがあるんです」


 ミクルが、ぱちりと瞬きをする。


「何でしょう?」


「私……」


 コハルは唇を噛んだ。

 傷口が開き、口の中へ鉄の味が広がっていく。


「もう……二度と……マナトさんに会えないから……」


 何度も声が掠れた。

 言葉の途中で、息が詰まる。


「最後に……お別れのハグをしたいんです……」


 夜の道路へ、沈黙が落ちた。


「んー」


 ミクルが考えるように首を傾げる。


「まあ、いいでしょう」


 トキヤが即座に睨んだ。


「勝手に許可してんじゃねぇよ」


「いいじゃないですかぁ」


 ミクルは、けらけらと笑った。


「涙がちょちょぎれちゃう、ドラマチックなお別れが見られますよ?」


「悪趣味だな、お前」


「褒め言葉ですか?」


「死ぬほど違ぇ」


 ミクルはまったく気にした様子もなく、コハルを拘束していた腕を解いた。


「はい、コハルさん。どうぞ」


「……ありがとうございます」


 コハルは、ふらつきながら歩き出した。

 一歩。

 また一歩。

 足が重い。

 眠気で視界が揺れている。

 アスファルトが、波打つように歪んで見えた。

 今にも意識が途切れそうになる。

 それでも。

 止まるわけにはいかなかった。


 マナトは、まだ立っていた。

 青白い電撃が、全身で不規則に弾けている。

 筋肉は痙攣し、呼吸も荒い。

 感電を繰り返した皮膚の一部が赤黒く焼け、焦げた臭いが漂っていた。

 立っていること自体が、奇跡に近い状態だった。


 それでも彼は。

 コハルだけを見ていた。


「……コハルさん」


 掠れた声。

 身体を覆う雷光が、弱々しく揺れる。

 コハルは、その胸へ飛び込んだ。


「マナトさん……!」


 強く抱き締める。

 マナトの身体は、異様なほど熱かった。


 電撃の熱。

 無理やり肉体を動かし続けている熱。

 壊れかけた身体が放つ熱。


 コハルの瞳から、さらに涙が溢れた。


「ごめんなさい……」


 震える声で呟く。


「私のせいで……」


 マナトは何も言わなかった。

 ただ、震える腕をコハルの背へ回した。

 力は弱い。

 けれど、確かに抱き返してくれた。

 コハルは、その胸元で唇を結ぶ。


 そして。

 そっと顔を上げた。

 マナトの目が、わずかに見開かれる。

 コハルは彼の頬へ手を添え、そのまま唇を重ねた。


「――っ」


 一瞬。

 世界から音が消えた。


 唇の傷から流れていた血が、マナトの口元へ触れる。


 熱い。

 鉄の味がする。

 生温かな液体が、唇の隙間から流れ込んだ。


 マナトの瞳が揺れる。

 だが。

 すぐに、その意味を理解した。


(コハルさん……そういうことですか)


 勇者の血。

 女神の加護と、高純度の魔力を宿した特異な媒体。

 他者が摂取すれば、その魔力を一時的に増幅させることがある。

 そして何より。

 コハルの体内には、膨大な魔力が満ちている。

 ほんの一滴でも、眠気を吹き飛ばすには十分すぎる起爆剤だった。


 コハルは最初から。

 自分の血を、マナトへ飲ませるつもりだった。


 血が喉を通る。


 途端に。

 頭の奥へ張り付いていた眠気が、強引に引き剥がされた。

 沈みかけていた意識が、一気に浮上する。

 霞んでいた視界が鮮明になる。


 マナトの瞳へ、青白い光が灯った。

 空気が変わる。


「……あれ?」


 ミクルが、初めて違和感を覚えたように瞬きをした。

 マナトはコハルの肩を抱き、自分の背後へ下がらせる。


「コハルさん」


 声には、まだ掠れが残っていた。

 だが、その奥には明確な力が戻っている。


「下がっていてください」


「……っ」


 コハルは涙を浮かべたまま、頷いた。


 直後。

 バチバチバチバチッ――!!!!

 青白い稲妻が、周囲へ爆ぜた。


 空気が裂ける。

 アスファルトが焼け焦げる。

 街灯が明滅し、道路脇のガードレールへ電流が走った。

 マナトの全身を覆う雷光が、急激に密度を増していく。


 先ほどまでとは、比較にならない。

 眠気を打ち消しただけではなかった。

 魔力出力そのものが、明らかに跳ね上がっている。


 雷光が、夜を青白く染めた。

 トキヤの眉が動く。


「……ほぉ」


 その右腕を覆う黒い魔力が、低く唸った。

 ミクルも笑みを消し、マナトを見つめている。


「うわぁ……」


 その声には、本物の驚きが混ざっていた。


「それ、想定外なんですけど」


 マナトが顔を上げる。

 もう、その目は眠っていなかった。


 怒り。

 殺気。


 そして。

 コハルを守り抜くという、揺るがない意志。

 残っているのは、それだけだった。


「――お待たせしました」


 マナトの足元で、青白い稲妻が弾ける。


「もう二度と、コハルさんには触れさせません」

*お知らせ

ここまで読んでくれた方、誠にありがとうございます。

3章はすでに執筆完了しておりますが、大幅な執筆修正を行うため暫くの間休載といたします。(再開は9月頃予定)

納得するかたちで執筆したいので、お待ちいただけると幸いです。


また、励みになるのでおもしろかったら評価・ブクマ等していただけると嬉しいです。

これからも頑張りますので、引き続きよろしくお願いします。

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