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3-8話:目が覚めた時点で、だいたい状況は最悪になっている

「うわっ……!」


 突然の衝撃で、コハルは目を覚ました。

 身体が跳ねる。


 背中を座席へ叩きつけられ、頭の中がぐわんと揺れた。


「ぎゃああああっ!!」


 すぐ近くで、ミクルの悲鳴が上がる。

 それにつられるように、コハルも叫んだ。


「うわぁぁぁぁっ!!」


 車内が激しく揺れている。


 右へ。

 左へ。

 シートベルトをしていなければ、座席から転げ落ちていただろう。


 だが、それ以上に。

 強烈な違和感があった。


(……あれ?)


 ここは、リムジンではない。

 先ほどまで乗っていた、ヘリオスの黒いリムジンとは明らかに違う。


 座席の感触。

 車内の匂い。

 窓の位置。

 何より、隣にいるはずの人たちがいない。


「うるせえな、お前ら。黙れ」


 低く、嗄れた声が飛んできた。

 知らない男の声だった。

 コハルの背筋が、一気に冷える。


「えっ!? ここ、どこですか!? ミクルさん!?」


「あっ、目を覚ましちゃいましたぁ!?」


 激しく揺れる車内で、助手席のミクルが振り返った。

 そして、コハルを見る。

 にこにこ、と笑っていた。


 けれど。

 それは、先ほどまで怯えていたミクルの笑顔ではない。

 外側だけが同じで、中身を別の何かへ入れ替えられたような。


 奇妙で。

 不気味な笑みだった。


「大丈夫ですかぁ? コハルさん」


「だ、大丈夫……ですけど……」


 コハルは視線だけを動かした。

 運転席には、知らない男。

 助手席には、ミクル。

 後部座席には、自分一人。


 マナトはいない。

 レンマもいない。

 ソウイチロウもいない。

 別行動のアスミもいない。


 つまり。


(あ、これ終わってる)


 思考が一瞬で結論へ辿り着いた。


「マナトさんとレンマさんとソウイチロウさんは……?」


「三人とも、敵を殲滅しに行きました!」


 ミクルは即答した。


「なので、私たちがコハルさんを迎えに来たんですよ!」


「えっ?」


「この人はヘリオスの賢者です! 応援に来てくれたんですっ!」


「そ、そうなんですね」


 コハルは頷いた。

 頷くしかなかった。


(いや、絶対に嘘じゃん! ものすごく雑な嘘じゃん!)


 心の中では、即座に否定していた。


(これ、完全に拉致じゃん。ミクルさん、スパイじゃん。応援に来たヘリオスの賢者が、こんなチンピラみたいな空気を出すわけないじゃん)


 運転席の男が、バックミラー越しにこちらを見る。


 目が合った。

 冷たい。

 かなり冷たい。

 しかも、明らかに面倒くさそうだった。


(この人、絶対に危ない)


 コハルは即座に判断した。


(私が今ここで「助けてください」とか「騙しましたね」とか言ったら、普通に殴ってくるタイプだ。たぶん。いや、絶対)


 車が大きく跳ねた。


 直後。

 バキンッ!!!!

 何かが爆ぜる音が響く。

 車体が横へ大きく振られた。


「きゃっ!?」


「うわっ、コハルさん、大丈夫ですか!?」


 ミクルが心配そうな声を出した。

 声だけは。


「だ、大丈夫です……」


「よかったぁ」


 ミクルは嬉しそうに笑う。

 その反応が、逆に怖かった。


「トキヤ先輩、タイヤをやられましたよ」


「言われなくても分かる」


 運転席の男――秋馬トキヤが、低く吐き捨てる。

 車体は激しく振動しながらも、まだ止まっていない。

 後輪の一つを失った状態で、無理やり走り続けている。


「やっぱりアスミ先輩ですねぇ。さすが、元一級賢者」


「感心してる場合か」


「してますよ。だって、優秀な人って素敵じゃないですか」


「黙れ」


「怖ぁい」


 ミクルは楽しそうに笑った。

 コハルは二人の会話を聞きながら、必死に思考を巡らせる。


(どうする? どうする? どうする?)


 逃げる。

 それが最優先。


 しかし、今は走行中だ。


 前にはトキヤ。

 助手席にはミクル。

 車外では、おそらくマナトたちが追ってきている。


 下手に動けば、人質として利用される。

 殺されはしないとしても、痛めつけられる可能性は十分にある。


(落ち着け、月岡コハル)


 コハルは心の中で自分へ言い聞かせた。


(こういう時は、まず情報。相手に合わせる。何も分かっていないふり。できるだけ無害なふり)


 コハルは恐る恐るミクルを見る。


「あ、あの……ミクルさん」


「はい?」


「これ……何が起きているんですか?」


 ミクルは何度か瞬きをした。

 それから、にっこりと笑う。


「コハルさんを、安全な場所へ避難させているんです」


「安全な場所……」


「はいっ」


(嘘が雑すぎる)


 コハルは思った。

 だが、表情には出さない。


「そ、そうなんですね……ありがとうございます……」


「いえいえ。コハルさんは大事な方ですから」


「大事……?」


「はい」


 ミクルの笑みが深くなる。


「とっても」


 コハルの胃が、きゅっと縮んだ。

 この“大事”は、守りたいという意味ではない。


 道具。

 材料。

 鍵。

 そういった意味の“大事”だ。


「ミクル」


 トキヤが低く呼ぶ。


「遊ぶな。意識が戻ったなら、もう一度眠らせろ」


「あら。せっかく起きたのに」


「うるせぇ。喚かれたら邪魔だ」


「コハルさん、喚いたりしませんよね?」


 ミクルが笑顔のまま問いかけてくる。

 コハルは全力で首を縦に振った。


「しません! 全然しません! 私、静かにできます!」


「だそうですよ」


「信用できるか」


 トキヤが吐き捨てた。


 その時。

 後方から、眩しいヘッドライトが迫る。


 黒いリムジン。

 アスミたちの車両だった。


 さらに、その車内。

 青白い雷光が弾けた。


 マナトだ。


 コハルの胸が強く跳ねた。


「マナトさん……!」


 思わず声が漏れる。

 ミクルの手が、すぐにコハルの口元へ伸びた。


「だーめ」


 ぞっとするほど優しい声だった。


「呼んじゃ駄目ですよ」


「……っ」


「コハルさんが呼んだら、あの人たち、無茶しちゃいますから」


 それは、コハルにも分かっていた。

 分かってしまった。

 だから、息を呑む。


 叫びたい。

 助けてほしいと叫びたい。


 けれど。

 叫べば、マナトが無理をする。

 レンマも無理をする。

 アスミも。

 ソウイチロウも。

 全員が、自分を助けるために危険へ飛び込んでくる。


(……最悪)


 コハルは唇を噛んだ。


(助けてほしいのに、助けを呼ぶのも怖いって、何これ)


 車体が、さらに大きく傾いた。

 破壊された後輪が悲鳴を上げ、黒い車が横滑りを始める。


「チッ」


 トキヤが舌打ちした。


「止まるぞ。降りる準備をしろ」


「はぁい」


 ミクルが明るく返事をする。

 その手が、コハルの腕を掴んだ。

 柔らかな手だった。

 けれど、力は強い。


「コハルさん」


「は、はい」


「ここから、ちょっとだけ走ります」


「えっ」


「転ばないでくださいね?」


「あの、私、運動神経はそんなに――」


「大丈夫です」


 ミクルは笑顔を崩さない。


「転んだら、そのまま引きずりますから」


「大丈夫じゃないですね!?」


 直後。

 車が横向きになりながら停止した。

 タイヤが路面を削る。

 焦げたゴムの匂いが、車内へ流れ込んできた。


 ドアが乱暴に開く。

 冷たい夜気が入り込んだ。

 そして、その向こうから。


「コハルさん!!」


 マナトの声が聞こえた。

 はっきりと。

 すぐ近くから。


 コハルは反射的にそちらを見る。

 割れたリアガラスの向こう。

 青白い雷光をまとったマナトが、こちらへ走ってくる。

 その後ろでは、レンマが風をまといながら片手を伸ばしていた。

 さらに後方には、アスミの召喚体たち。


 追いついている。

 もう、すぐそこまで。


「……っ」


 コハルの目に希望が宿る。

 だが。


 トキヤが車外へ降りた。

 その背中だけで、周囲の空気が変わる。


「来るな、クソ勇者ども」


 低い声。

 トキヤの右腕へ、黒い魔力が集まり始める。


 その時、コハルはようやく気づいた。

 トキヤの首筋に走る、一本線の傷。

 ――朱雀商会の番犬。


「マナトさん!!」


 今度は我慢できなかった。

 コハルは叫ぶ。


「来ちゃダメです!!」


 マナトの視線がコハルへ向く。

 ほんの一瞬。

 その表情が揺れた。


 だが、足は止まらない。


「トキヤ先輩」


 ミクルが楽しそうに呼びかける。


「殺しちゃ駄目ですよ。あの人たちにも使い道がありますから」


「知るか」


「もう。短気ですねぇ」


 ミクルがコハルの腕を引き、車外へ引っ張り出した。


「痛っ……!」


「ごめんなさい。でも、急いでいるので」


「ミクルさん……!」


「はい?」


 コハルは震える声で尋ねる。


「どうして……こんなことをするんですか」


 ミクルは、きょとんとした顔をした。

 それから。

 これまでで一番楽しそうに笑った。


「え?」


 そして、何でもないことのように答える。


「だって、最初からそのために近づいたんですもん」


 コハルの血の気が引く。


「……最初から?」


「はい」


 ミクルは優しく頷いた。


「三年ほど、ずっとヘリオスへ潜伏していました。私は朱雀商会の人間です」


 その言葉は、どんな攻撃よりも冷たかった。

 コハルは何も言えなくなる。


 その間にも。

 マナトが迫る。

 レンマが風を走らせる。

 アスミの召喚体が包囲へ動く。


 そして。

 トキヤの指先へ、黒い魔力が限界まで圧縮された。


「邪魔だ」


 トキヤが呟く。

 発射される。

 そう思った時。


 ――ヒュン。


 風が鳴った。

 不可視の刃が、トキヤの右腕を狙って走る。


「させないよ」


 レンマの声だった。

 トキヤの眉が動く。

 右腕を引いた。

 魔弾の照準が逸れる。

 放たれた黒い一撃はマナトのすぐ横を通過し、背後の倉庫壁を抉り飛ばした。


 轟音。

 破片。

 砂埃。

 それでも。

 マナトは止まらない。


「コハルさんを」


 青白い雷光が夜を裂く。


「離してください」


 静かな声だった。

 だが、その声には。

 怒りがあった。

 焦りがあった。

 そして、明確な殺意に近いものが混ざっていた。


 ミクルがコハルの背中へ腕を回す。

 まるで、親しい友人へ触れるように。

 優しく。

 親しげに。

 後ろから抱きしめられる。

 けれど、その腕には逃げ出せないほどの力が込められていた。


「困りましたねぇ」


 ミクルは笑う。


「ものすごく怒っています」


 コハルは震えながら思った。


(いや、そりゃ怒るよ……!)


 だが、口には出せない。

 言えば、おそらく。

 さらに状況が悪化する。


 夜の道路。

 壊れた車。

 追いついた勇者たち。

 裏切った賢者。

 そして、黒い魔力を纏う朱雀商会の番犬。


 コハルは、ようやく理解した。


 目が覚めた時点で、状況はすでに最悪だった。

 けれど。

 最悪の底には、まだ続きがあった。

 ミクルがコハルの耳元へ顔を寄せる。


「それじゃあ、コハルさん」


 甘い声。

 優しい声。

 眠りを誘う、あの声。


「今度こそ、静かにしていてくださいね」


 歌が、始まった。

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