3-7話:追いついた瞬間に撃ってくる相手は、だいたい最初から待ち構えている
「追いついたねぇ」
「止めます」
二人がそう口にした――まさに、その時だった。
『――伏せてくださいッ!!』
通信端末から、アスミの叫び声が弾けた。
普段の柔らかな声色からは想像もつかない、鋭い警告だった。
直後。
前方を走る黒い車のリアガラスが、内側から爆散した。
砕けた強化ガラスが、火花のように夜道へ散っていく。
その奥。
運転席に座る秋馬トキヤが、バックミラー越しにこちらを見ていた。
表情は変わらない。
獲物を照準へ収めた猛獣の目。
トキヤの右腕が、ゆっくりと後方へ向けられる。
拳銃ではない。
だが、それ以上に危険なものだった。
伸ばされた指先。
その周囲へ、黒い魔力が異常な密度で圧縮されていく。
空気そのものが、ミシミシと悲鳴を上げていた。
あれは、防御する類いの攻撃ではない。
当たれば終わる。
「っ……!」
マナトの瞳が細くなる。
空間が歪んだ。
轟音より先に、衝撃が来る。
「何あれ、やば――!!」
レンマが反射的にマナトの襟元を掴んだ。
そのまま横方向へ強引に引き倒す。
二人の身体が勢いよくアスファルトを滑った。
肩が削れる。
肘が焼ける。
アウターの布地が一瞬で擦り切れ、摩擦で火花が散った。
だが、痛みを気にしている余裕はない。
ドォォォォォンッ!!!!!!
夜道が吹き飛んだ。
コンクリートが砕けるなどという次元ではない。
二人が立っていた左車線そのものが、丸ごと抉り取られていた。
直径三メートルを超える大穴。
巨大な杭でも叩き込まれたかのように、道路が消失している。
砕けたアスファルト片が宙を舞い、雨のように降り注いだ。
衝撃波だけで街灯が大きく揺れる。
遅れて、周囲の空気が震えた。
「……っ、はぁ」
レンマが浅く息を吐く。
肩を押さえながら立ち上がるが、いつもの軽い笑みは消えていた。
「今の、普通に死ぬやつだったでしょ……」
「くっ……」
押し倒されたマナトが苦しげに呻く。
「レンマさん……助かりました」
悔しさを滲ませながら礼を告げる。
片膝をついたまま、それでも黒い車から視線を逸らさない。
「まあね。運動神経だけはいいから……って言いたいんだけどさ」
レンマが乾いた笑みを浮かべる。
「ごめん。今の、ほとんど反射だった。かなり強引に引っ張った」
「いえ、問題ありません」
マナトが短く返す。
アスファルトの破片を振り落としながら、二人は立ち上がった。
睡眠を誘発する歌の影響は、まだ身体に残っている。
視界の端が揺れる。
頭が重い。
身体の動きも鈍い。
全身へ鉛を流し込まれたような感覚だった。
だが。
その不快感ごと焼き尽くすように、マナトの全身から青白い雷光が弾け始める。
バチ、バチ、と。
怒りそのものが、魔力となって漏れ出しているようだった。
黒い車はリアガラスを失ったまま、さらに加速していく。
逃げ切るつもりなのだろう。
しかし、その背後から。
凄まじいエンジン音が迫っていた。
ヘッドライトが、マナトとレンマの影を長く前方へ伸ばす。
黒いリムジン。
アスミの車両だった。
タイヤを軋ませながら、二人の横へ滑り込む。
「乗ってください!!」
助手席のアスミが叫ぶ。
その目は完全に据わっていた。
マナトとレンマは無言で車内へ飛び込む。
ドアが閉まり切るより先に、運転席の召喚体がアクセルを踏み込んだ。
リムジンが急加速する。
二人の身体がシートへ叩きつけられた。
普通の車両なら、とっくに制御を失っているような速度だった。
「助かったよ、アスミちゃん……」
レンマがシートへ身体を預け、呼吸を整える。
「いえ〜。本当にギリギリでしたねぇ」
アスミの声は柔らかい。
だが、その両目は完全に戦闘へ切り替わっていた。
召喚体との視界共有。
複数体への指示。
追跡ルートの把握。
いくつもの処理を同時に行っているのだろう。
額には汗が滲んでいる。
それでも指示には一切の迷いがない。
「右へ。その先の交差点を直進してください〜」
アスミの命令を受け、運転席の召喚体がハンドルを切る。
巨大な車体が、あり得ない速度で夜道を滑っていった。
「トキヤさん、完全に気配だけで撃っていますねぇ。視認していません」
「厄介だなぁ……」
「当たったら死んじゃいますよぉ」
「うん、それは見たら分かる」
軽口を交わす二人。
だが。
後部座席のマナトだけは、一言も発していなかった。
窓の外を見つめている。
高速で流れる街灯。
夜の街並み。
その先を逃げる黒い車。
そして。
後部座席へ横たえられている、眠ったままのコハル。
「……コハルさん」
掠れた呟き。
その声に混ざった焦燥を、レンマは聞き逃さなかった。
「マナト」
「……」
「作戦、ある?」
数秒の沈黙。
やがて、マナトが顔を上げた。
「……あります」
その目は冷え切っていた。
怒りで熱くなるどころか、凍りついている。
「アスミさん」
「何でしょう?」
「召喚体は、まだ残っていますか?」
「二体潰されましたけど、残りは健在ですよ〜」
「なら、相手車両へ送り込みましょう」
アスミが片眉を上げる。
「おや」
「ソウイチロウさんへ通信を」
すぐに回線が繋がった。
『は、はいっ!!』
ソウイチロウの荒い息遣いが聞こえる。
残った魔力を、どうにか掻き集めているのだろう。
「相手車両の後部へ、召喚体を転移させられますか? タイヤを潰します」
『……可能です。ですが、極めて危険です!』
強い声が返ってくる。
『走行中の車両です! 座標に誤差が出れば、路面へ激突する可能性があります! それに、攻撃の衝撃が車内へ伝われば、月岡様の安全も保証できません!!』
「問題ありません」
『問題あります!!』
珍しく、ソウイチロウが強く言い返した。
レンマが思わず吹き出す。
「怒られてるじゃん」
「時間がありません」
「それはそうだけどねぇ」
マナトは視線を前方へ戻した。
「車両を止めます」
「どうやって?」
「召喚体を車体の下へ潜り込ませ、後輪を破壊します」
静かな声。
だが、その内容はかなり物騒だった。
アスミが笑う。
「……なるほど」
柔らかな笑み。
しかし、目は笑っていない。
「嫌いじゃないですよ、そういうの」
その時だった。
前方を走る黒い車の窓が開く。
そこから、ミクルが顔を出した。
「あっ、追いつかれてる」
楽しそうだった。
まるで夜景でも眺めているかのように。
「本当に、勇者ってしつこいですねぇ」
ミクルが拡声器を持ち上げる。
レンマの表情が変わった。
「っ、来る!!」
歌声が流れた。
優しい。
甘い。
耳へ直接触れてくるような旋律。
眠気を、無理やり脳へ流し込んでくる。
「アスミちゃん!! 何か音を流して!!」
「はいっ!!」
アスミがラジオを起動する。
去年流行したアイドルソングが、大音量で車内へ流れ始めた。
だが、防ぎ切れない。
頭が重くなる。
視界が滲む。
意識が沈んでいく。
レンマの身体がぐらりと揺れた。
「……っ、これ、本当に嫌だなぁ……」
運転席の召喚体も、反応が鈍り始めている。
ハンドルがわずかに揺れた。
「起きてください〜。まだ寝る時間じゃないですよ〜」
アスミが呼びかける。
だが、召喚体とはいえ人間と同じ精神を持つ。
歌の影響を完全には免れられない。
普通の人間なら、すでに意識を失っていただろう。
その中で。
後部座席のマナトだけが、前を見続けていた。
バチバチッ!!!!
青白い雷光が全身を駆け抜ける。
自分自身を感電させていた。
神経を強制的に刺激し、眠気を焼き潰している。
あまりにも無茶な方法だった。
「マナト!?」
「……俺は眠りません」
低い声。
静かだった。
静かすぎるほどに。
その奥には、恐ろしいほどの怒りがあった。
「何をされても」
雷光が車内を照らす。
「絶対に、コハルさんを取り返します」
◇
『今そちらにいる召喚体を送ってもらって大丈夫ですよ〜』
「あの、どの個体でもよろしいですか?」
『ん〜。タイヤを破壊するなら、大柄な男性型がいいですねぇ』
「あ! それなら、適任がいます!」
ソウイチロウが手を振り、召喚体を呼び寄せた。
大柄で、筋肉質な男性型。
片手には、戦闘用の大型ナイフが握られている。
『はい。その子でお願いします〜』
「座標をいただけますか?」
『はーい』
アスミが指を鳴らした。
召喚体が捉えている視界映像が、通信端末へ共有される。
夜道を駆ける黒い車。
高速で回転するタイヤ。
火花を散らす路面。
激しく上下する車体。
ソウイチロウが息を呑んだ。
「……速いですね」
『できますか?』
「やります」
高速で移動する物体へ、正確に転移させる。
それだけでも難しい。
しかも、ソウイチロウの魔力は枯渇寸前だった。
残った力を掻き集めて、どうにか形にしている状態。
おそらく、これが今日行える最後の転移になる。
すなわち。
失敗は許されない。
ソウイチロウは呼吸を整え、短剣を抜いた。
刃へ魔力が収束する。
「移送転移!!」
空間が歪む。
召喚体の姿が消えた。
直後。
走行中の黒い車。
その後部へ、大柄な召喚体が出現した。
召喚体は両手でトランクの縁を掴み、激しく揺れる車体へしがみつく。
ガァァァァァッ!!!!
靴底がアスファルトを削り、凄まじい摩擦音が響いた。
火花が散る。
それでも召喚体は手を離さない。
腕の力だけで身体を引き寄せると、車体後部へ腹這いになり、そのまま片腕を後輪へ伸ばした。
両手で大型ナイフを握り直す。
狙いは、回転するタイヤ。
「えっ」
ミクルの顔色が変わる。
「トキヤ先輩――」
「チッ」
初めて。
トキヤが明確な苛立ちを見せた。
バキンッ!!!!!!
大型ナイフが後輪を貫く。
タイヤが爆ぜ、黒い車の後部が大きく跳ね上がった。




