3-6話:通信越しに歌う時点で、だいたい敵も味方も危ない
黒い車の中。
ミクルは後部座席で眠るコハルを見下ろし、息を吐いた。
「ああ、そういえば」
わざとらしく肩を落とす。
「あの人が残っていましたね」
サイドミラーには、離れた位置から追ってくるリムジンの影が映っていた。
ヘリオスのリムジン。
運転席にいるのは、おそらくアスミの召喚体。
そして助手席には、アスミ本人が座っているはずだった。
「アスミ先輩とは何度かご飯もご一緒しましたし、かわいいし、殺すのは可哀想なんですよねぇ」
ミクルが困ったように笑う。
運転席の男――秋馬トキヤは、前を見たまま吐き捨てた。
「てめぇの性癖に付き合うつもりはねぇぞ。さっさと殺してこい」
「声が届かなきゃ、私のスキルは使えませんよ」
「じゃあ、お前が運転を代われ」
「私、さっきイグニッション・ジンを飲んだばかりなんですけど。飲酒運転でお巡りさんに捕まったら、どうするんですかぁ?」
「黙れ、カス」
「怖ぁい」
ミクルは楽しそうに笑った。
そして通信端末を手に取る。
「んー……とりあえず、揺さぶってみますか」
通信を繋いだ。
「アスミ先輩! 大変ですっ! 私とコハルさんが番犬に攫われちゃいました!」
数秒の沈黙。
やがて、通信越しにいつもの柔らかい声が返ってきた。
『……ミクルさん』
「はいっ」
『さすがの私でも、騙されませんよ〜』
「あら」
ミクルは残念そうに唇を尖らせた。
「ひどいです。私、こんなに困っているのに」
『声が楽しそうですからねぇ』
「えへへ。バレました?」
『バレますよ〜』
声は柔らかい。
けれど、その奥にある温度が違う。
いつものふわふわしたアスミではなかった。
『明らかな敵対行為です。投降を勧めますよ〜』
「えぇ、怖い」
ミクルが笑う。
「アスミ先輩とは、何度もご飯をご一緒したのに」
『関係ありませんよね』
返答は迷いがなかった。
『コハルさんを返してください』
「嫌です」
『そうですか〜』
通信の向こうで、空気が変わった。
『じゃあ、遠慮はいりませんね』
「アスミ先輩、かわいいから、一回くらいは抱いてあげてもいいなって思ってたのになぁ」
『私は気になる人がいるので〜』
「あらあら、残念」
ミクルは息を吸った。
「じゃあ――」
歌い始める。
先ほどと同じ、眠りを誘う歌。
優しく。
甘く。
耳の奥へ絡みつくような旋律。
だが。
『――通信、切断しますね〜』
ぷつん。
音が途切れた。
「……あっ」
ミクルが瞬きをする。
「あっさり切られちゃった」
「当たり前だろ。危ねぇな」
トキヤが舌打ちした。
「俺が隣にいることを忘れんな」
「大丈夫ですよ。トキヤ先輩には効きにくいように歌いましたから」
「信用できるか」
「ひどいなぁ」
ミクルは笑顔のまま、サイドミラーを見る。
リムジンはまだ追ってきていた。
しかも、先ほどより距離が縮まっている。
「……アスミ先輩、やっぱり優秀ですね」
「なら潰せ」
「だから、声が届かないんですって」
「じゃあ、どうする」
「決まっているじゃないですか」
ミクルは、眠るコハルの頬へ指を伸ばした。
指先でそっと撫でる。
「人質を使います」
◇
リムジンの中。
アスミは通信を切ると、笑顔を消した。
「……最悪ですねぇ」
声はいつも通り柔らかい。
けれど、目は笑っていない。
「ミクルさんがスパイ。コハルさんは拉致。マナトさんとレンマさんは、睡眠系の能力で一時行動不能。ソウイチロウさんも巻き込まれた可能性が高い」
アスミは淡々と状況を整理する。
「……やられましたねぇ」
そのまま、リンカへ通信を繋いだ。
「リンカさん」
『分かっている』
返ってきた声は低い。
『コハルを取られたな』
「はい。ミクルさんが裏切りました」
『三年潜伏か』
「たぶん、もっと前から仕込まれていますねぇ」
『追えるか』
「追っています」
『殺すな。情報を取る』
「努力します〜」
『アスミ』
「はい」
『笑ってる場合じゃねぇぞ』
アスミは黙った。
やがて、静かに答える。
「笑っていませんよ」
その声に、リンカも沈黙した。
「私、けっこう怒っています」
アスミが髪の毛を数本引き抜き、車内へ放った。
毛髪が淡い光に包まれ、瞬く間に人の姿へ変わっていく。
背の高い男。
細身の女。
筋肉質な青年。
どの召喚体も表情は薄く、命令を待つ人形のように静かだった。
リムジンのドアが開いた途端、彼らは夜の道路へ滑り降り、黒い車へ向かって駆け出した。
人間離れした速度。
それでも姿だけは、どこまでも人間だった。
「逃がしませんよ〜」
声だけは、いつものアスミのまま。
だが、その瞳は冷え切っていた。
「後輩を三年もやって、裏切って、コハルさんまで持っていくなんて」
運転席の召喚体がアクセルを踏み込む。
「それは、さすがにかわいくないです」
黒いリムジンが夜道を切り裂いた。
その先で、ミクルを乗せた車が交差点を曲がる。
アスミは笑う。
「見えていますよ」
召喚体の視界が、彼女の瞳へ重なる。
「どこへ逃げても」
その声は、完全に戦う者のものへ変わっていた。
「私の子たちが見つけますから」
◇
「……うぅ」
頬を叩かれる感覚で、レンマは目を開けた。
ぼやけた視界いっぱいに、無表情な男の顔が映っている。
「うわっ!!」
反射的に飛び退こうとする。
だが身体がうまく動かず、その場で肘をついた。
男は何も言わない。
ただ、じっとレンマを見下ろしている。
「……あぁ」
レンマは数秒遅れて理解した。
「アスミちゃんの召喚体か……」
そこで意識が一気に覚醒する。
「ええっ!?」
レンマは周囲を見回した。
倒れているマナト。
同じく倒れているソウイチロウ。
そして。
コハルがいない。
「……最悪」
レンマの声から、いつもの軽さが消えた。
「マナト! ソウイチロウくん!」
身体を引きずるようにして、マナトの元へ向かう。
肩を掴み、強く揺らした。
「起きて、マナト。やばいよ」
「……っ」
マナトの眉が動く。
目が開いた。
焦点が合うまで、ほんの数秒。
その数秒後には、マナトの顔から血の気が引いていた。
「コハルさんは?」
「いない」
レンマが短く答える。
マナトの表情が凍りついた。
「……どこへ」
「ミクルちゃんが連れて行ったんだ。たぶん、アスミちゃんが追ってる」
「……」
マナトの指先に、青白い電撃が走る。
だが、身体はまだ完全には動かない。
歯を食いしばる音が響いた。
「俺は……」
「分かってる」
レンマが先回りする。
「悔しいのは分かってる。でも今、無理に動いたらまた倒れる」
「そんなことを言っている場合ですか」
「言ってる場合だよ」
レンマの声が低くなる。
「ここで倒れたら、今度こそ追えない」
マナトは何も言えなかった。
正論だった。
腹が立つほど、正しい。
「……ソウイチロウくんも起こす」
レンマがソウイチロウの元へ移動する。
召喚体の一人が、無言で彼の肩を揺すった。
「……う……」
ソウイチロウが目を開ける。
そして、すぐに状況を悟った。
「月岡様は……?」
「取られた」
レンマが答える。
ソウイチロウの顔が青ざめた。
「私が……」
「今、それを言うのは禁止」
レンマが遮る。
「俺もマナトも同じ。全員やられた。反省は後」
「ですが……!」
「後」
レンマの声がさらに低くなった。
珍しく、はっきりと怒っている。
「今は追う」
その時、通信端末からアスミの声が入った。
『皆さん、起きました〜?』
「起きたよ。最悪の目覚めだったけどね」
『ごめんなさい。召喚体、ちょっと顔が近かったかもです〜』
「そこじゃないかな」
『現在、私が追跡中です。ミクルさんと、秋馬トキヤ――通称、番犬と思われる男が、コハルさんを乗せて逃走中。車両は黒。ナンバーは偽装済み。進路は臨海方面から、市街地外縁へ向かっています』
マナトが通信へ割り込んだ。
「アスミさん、距離は?」
『詰めています。でも、相手も足止めを用意していますねぇ』
「足止め?」
『はい』
アスミの声が冷える。
『私の召喚体が二体、接近する前に潰されました』
「……分かりました」
マナトが立ち上がろうとする。
だが、足元が揺らいだ。
レンマが身体を支える。
「無理しすぎ」
「離してください」
「離したら倒れるでしょ」
「倒れません」
「今、倒れかけたよ」
「倒れません」
「頑固だなぁ」
レンマはため息をつきながらも、支える手を離さなかった。
マナトは奥歯を噛みしめる。
「……俺が、止めなければならなかったのに」
「それは俺もだよ」
レンマが静かに言う。
「俺も気づけなかった」
いつもの軽い口調ではない。
声には、はっきりと悔しさが滲んでいた。
「コハルちゃんを守るって言ったのにね」
マナトは黙った。
レンマも口を閉ざす。
その沈黙を破ったのは、ソウイチロウだった。
「……私が転移させれば、追いつけます」
「できるの?」
「距離が開きすぎています。正確な座標が必要です」
ソウイチロウは震える手で短剣を握る。
「ですが、アスミ先輩が召喚体と視界を共有しているのであれば……座標の補助になるかもしれません」
『できますよ〜』
アスミが答えた。
『私の子たちの視界を送ります』
通信端末へ映像が流れ込む。
夜の道路。
黒い車。
車内に見える、眠るコハルの姿。
マナトの表情が変わった。
「……コハルさん」
足元に青白い電撃が散る。
怒りで魔力が漏れていた。
レンマも、珍しく茶化さなかった。
「ソウイチロウくん」
「はい」
「俺たちを飛ばせる?」
「……かなり危険です」
「分かってる」
「移動先がずれれば、車道の中央、あるいは敵の目の前へ出る可能性があります」
「敵の目の前なら当たりだよ」
レンマが笑った。
けれど、目は笑っていない。
マナトも頷く。
「俺を飛ばしてください」
「金色様、まだ身体が……!」
「関係ありません」
迷いのない返答だった。
「コハルさんが連れて行かれた」
その一言で、周囲の空気が変わった。
「なら、動きます」
レンマが肩を回す。
「じゃあ、俺も」
「レンマさんは残ってください」
「嫌だよ」
「危険です」
「知ってる」
「足手まといになります」
「それはマナトも同じでしょ」
「……」
「今の俺たちは、どっちも万全じゃない。でも、二人なら少しはマシ」
レンマはソウイチロウを見る。
「飛ばして」
ソウイチロウは迷った。
けれどすぐに、短剣を構える。
「……分かりました。ただし、飛ばせる範囲が限られています。お二人とも、もう少し近づいてください」
「このくらいですか?」
マナトがレンマとの距離を詰める。
「いえ、申し訳ありませんが、もっとです」
「えぇ!? もうかなり近いけど!?」
レンマが思わず声を上げる。
ソウイチロウは真剣な表情で言った。
「すみません……抱き合ってもらってもよろしいですか?」
二人が固まった。
「一人ずつ飛ばせませんか?」
「距離があるため、かなりの魔力を消費します。二回目まで持つかどうか……」
「マジかよ……」
レンマが深く息を吐く。
「嫌なのは俺も同じです」
「本当に嫌だねぇ」
マナトとレンマは、渋々向かい合った。
互いの肩へ腕を回す。
「マナト、惚れないでね?」
「百二十パーセントあり得ませんので、ご安心ください」
「即答がひどい」
「余裕がないので」
「それはそう」
通信越しに、アスミの声が響く。
『座標を送ります。三秒後、相手車両の後方二十メートル。道路左側です』
「助かるよ」
『飛んだ後、すぐに伏せてくださいね〜。トキヤさん、たぶん来ます』
「了解」
ソウイチロウの足元に、魔法陣のような光が広がる。
「移送転移――」
空間が歪んだ。
レンマが息を吐く。
「今度は」
マナトが目を細める。
「絶対に」
二人の姿が、夜の闇へ溶けていく。
「取り返します」
視界が反転した。
二人は、走行する黒い車の後方へ転移する。
強烈な夜風が身体へ叩きつけられた。
タイヤがアスファルトを削る音。
流れていく街灯の光。
そして前方には、コハルを乗せて逃げる黒い車。
レンマが笑った。
「追いついたねぇ」
マナトの全身を、青白い電撃が走る。
「止めます」
その声は静かだった。
静かすぎるほどに。
彼は怒っていた。




