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3-3話:後方支援と言われた時点で、だいたい安全地帯ではない

「今夜って……今日の夜ってことですか!?」


 コハルの声が、訓練室に響いた。

 自分で聞いておいてなんだが、確認するまでもない。


 今夜。

 つまり、今日の夜である。

 だが、人は信じたくない現実を前にすると、分かりきったことでも聞き返してしまう生き物なのだ。


「そうだね」


 レンマが軽く答えた。


「今日の夜だねぇ」


「言い直されると、さらに逃げ場がない……!」


「コハルさん、落ち着いてください」


 マナトが宥めるように言った。


「あなたは前線ではありません」


「前線じゃない……」


「はい」


「後方なら安全なんですか?」


 沈黙。


「今、沈黙しましたよね!?」


「嘘はつけません」


「そこは嘘でも安心させてください!」


 マナトは困ったように眉を寄せた。


「安全とは言い切れません。ただ、前線よりは危険度を下げられます」


「現実的!」


「現実ですので」


「知ってますよ!」


 その横で、リュウスケが口を開いた。


「前線は僕らがやるから」


「リュウスケさん……」


「コハルさんは、支援をお願い」


「支援……」


 言葉だけ聞けば、まだまともに思える。

 けれど、ここで言う後方支援が、一般的な意味での安全地帯ではないことくらい、もうコハルにも分かっていた。


 たぶん、普通に危ない。

 ただ、前線よりはマシ。

 その程度である。


「前線組が全員出れば、仙台支店が手薄になるからな。あたしはここに残る」


 リンカが車椅子の上で腕を組んだ。


「あたしは後方からお前たちを支援する。シグレとカイリも支店防衛だ。アスミは移動と偵察のために現場へ出てもらう」


「その方がいい」


 ジュンタが頷いた。


「リンカが現場に出たら、たぶん現場より支店側が荒れる」


「どういう意味だ」


「そのままの意味」


「お前、あとで本当に続きな」


「はい……」


 ジュンタは素直に黙った。

 コハルはその光景を見ながら思う。

 この人、リンカにはわりと弱い。

 そしてたぶん、本人も隠す気がない。


「俺は――好きなように暴れていいか?」


 クニヒロが低く言った。

 もう完全に戦闘の顔だった。


 怖い。

 普通に怖い。

 さっきまで重力に耐える方法を教えてくれていた人と、同一人物とは思えない。


「クニヒロは好きにやれ」


 リンカが言った。


「どうせ言っても聞かねえからな」


「分かってんじゃねえか」


「ただし、民間人は巻き込むな。建物も必要以上に壊すな。帰還者の檻を潰すな。証拠品も潰すな。ジュンタも潰すな」


「最後は別によくないか?」


「よくねえよ」


「俺、今なんで潰されかけた?」


 ジュンタが苦笑する。

 リンカは全員を見渡した。


「マナトとレンマはペア。リュウスケとジュンタも組んで動け。クニヒロは遊撃だ。単独で敵の足を止めろ」


「はーい」


 レンマが軽く手を上げる。


「承知しました」


 マナトが頷いた。


「……うん」


 リュウスケも短く返した。

 クニヒロは無言で肩を回した。

 それだけで、周囲の空気が重くなる。


(この人、本当に重力の勇者なんだな……)


 妙なところで納得してしまった。

 リンカは最後にコハルへ視線を向ける。


「コハルには、賢者を二人つける」


 その瞬間、マナトの表情が変わった。


「俺が守ります。賢者は必要ありません」


 即答だった。

 早い。

 あまりにも早い。

 コハルが反応するより先に、リンカが目を細める。


「あたしの指示に従えねえのか?」


「そういう意味ではありません」


「じゃあ、どういう意味だ」


「コハルさんが敵に狙われている以上、勇者がそばで守るべきです」


「それだと、コハルの自立を妨げる」


「……」


 マナトが言葉を詰まらせた。

 リンカの声は冷静だった。


「それに、コハルに何も起こらないよう立ち回るのがお前の仕事だ。前線で敵を潰せば、後方まで来ることもない」


「それは、そうですが……」


「あと、お前の戦力が前線に必要だ」


 リンカは言い切った。


「あたしが出られねえ以上、お前には出てもらう」


「……分かりました」


 マナトはようやく頷いた。

 ただし、ひどく不服そうだった。


 表情は変わらない。

 声も落ち着いている。

 けれど、放つ圧がすごい。


(マナトさん、全然納得してない顔……!)


 コハルにも分かるほど、納得していなかった。

 レンマがその肩を軽く叩く。


「俺たちは、俺たちにできることをやろう」


「……分かっています」


「分かってる顔じゃないけどねぇ」


「分かっています」


「二回言った」


「茶化さないでください」


 レンマは小さく笑った。

 けれど、その目は真剣だった。


「コハルちゃんが心配なのは分かるよ。でも、リンカさんにはリンカさんの考えがあるんだと思うんだよね」


「……」


「それに、あの人が適当に人員配置するわけないでしょ」


 マナトは黙り込み、やがて息を吐いた。


「……そうですね」


 リンカが鼻を鳴らした。


「当然だ」


「でも、コハルさんは無茶をします」


「それはそう」


「俺だって……もっと……」


 マナトが額に手を当てた。

 何かを言いかけて、飲み込んだのが分かった。

 その絶妙な表情に、コハルの胸がかすかに跳ねる。


 怖い話をしているのに。

 出撃前なのに。

 この人たちは、ちゃんと会話をしている。

 それだけで、息がしやすくなった。


          ◇


 訓練室の扉が開いた。


「失礼します」


「失礼します!」


 入ってきたのは、二人の若い賢者だった。


 一人は、小柄な女性。

 淡い水色の髪を肩で切り揃え、丸い眼鏡をかけている。

 表情は柔らかいが、緊張で背筋が伸びきっていた。


 もう一人は、背の高い青年。

 栗色の髪を短く整え、真面目そうな顔をしている。

 こちらも緊張を隠せていない。


「雪原(ゆきはら)ミクルです」


 女性がぺこりと頭を下げた。


「明石(あかし)ソウイチロウです」


 青年も続いて頭を下げる。

 どちらも二十代前半くらいに見えた。


(若い……)


 こんな若い人たちも、異世界案件の現場へ出るのか。

 その事実が、妙に胸に引っかかった。


「二人とも二級賢者だが、その中でもかなり上位だ」


 リンカが説明する。


「一級になるのも、そう遠くはねえ。こいつらの成長も兼ねて、今回は同行させる」


「月岡コハルです。よ、よろしくお願いいたします」


 コハルは慌てて頭を下げた。

 すると、ミクルがぶんぶんと首を振る。


「こ、こちらこそです! あの、私なんかがこんな重大任務に参加できるなんて、恐れ多くて……っ!」


「えっ」


「わ、私、頑張るので……頑張りますっ!」


「……ありがとうございます」


 すごく謙遜する子だった。

 しかも、コミュニケーションが若干ぎこちない。


 対して、ソウイチロウは――


「私がそばにいる限り、月岡様には指一本触れさせません! お任せください!」


 超自信満々系だった。


「あ、どうも……ありがとうございます……?」


 自分が護衛される側。

 まだ慣れない。

 慣れたくもない。

 けれど、守ってもらうことを拒み、足を引っ張る方がいけないのだと、少しずつ分かってきた。


「リンカさんはすごいよね」


 レンマが言った。


「こんなイレギュラーな時でも、若手を育てるって発想になるんだから」


「それは大事なことですが……」


 マナトは複雑そうに二人を見た。


「今回のような大きな事件を前にして、そんな余裕があるとは思えません」


「コハルちゃんが心配なのは分かるよ」


 レンマは落ち着いた声で返す。


「でも、たぶんそれだけじゃない」


「それだけじゃない?」


「うん」


 レンマはミクルとソウイチロウへ目を向けた。


「後方に、本当に信頼できる賢者を置きたいんだよ。コハルちゃんを守るためでもあるし、この二人に経験を積ませるためでもある。あと、たぶん――」


 そこで一度、言葉を区切る。


「コハルちゃんに、“勇者だけが特別じゃない”って知ってほしいんじゃない?」


 コハルは目を瞬かせた。


 勇者だけが特別じゃない。

 その言葉が胸に残った。

 リンカは何も言わなかった。

 ただ、口元をわずかに持ち上げた。

 マナトも、それ以上は反論しなかった。


 代わりに、コハルの後ろに控える二人の二級賢者――ミクルとソウイチロウを、射抜くような視線で見つめる。


「……もしコハルさんに何かあれば、俺は前線を放棄してでも戻ります」


「マナト、お前なぁ……」


 ジュンタが呆れたように額を押さえたが、マナトの目は大真面目だった。


「よし、人員配置は以上だ」


 リンカの低い声が、訓練室の空気を引き締める。


「各自、装備を整えろ。出発は一時間後。ヘリオスの地下駐車場に集合だ」


 その瞬間、誰もが日常の顔を消し去った。

 異世界を生き抜いた化け物たちの顔へと、切り替わっていく。


          ◇


 一時間後。

 ヘリオス仙台支店、地下駐車場。

 黒のリムジン二台を前に、一同が集結していた。


 コハルはスキルを解き、女性の姿に戻っている。

 身に着けているのは、支給された黒い防刃仕様のアウター。

 背中には、赤い文字で「HELIOS」のロゴが入っている。

 男体化にも耐えられるよう、かなり伸縮性に優れた素材らしい。


 全員、同じアウター姿だった。


「チッ、ダセェな、これ。落ち着かねえ」


 クニヒロが文句を飛ばす。


「お前らとお揃いってのも気に食わねえ。今から部活の遠征かよ」


「あっ? あたしのセンスに今、茶々入れたんか?」


「いや……何でもねえ」


 リンカに睨まれ、クニヒロは即座に口を閉じた。

 賢明な判断だった。


「お揃い、いいじゃないですか〜! かわいいですよ」


 アスミが明るく言う。


「お、おう。そうだな」


 クニヒロの口元が緩んだ。

 ジュンタがその様子をニヤニヤしながら見ていた。


「何見てんだ」


「いや、別に」


「潰すぞ」


「やめろよ。任務前だぞ」


「任務後ならいいのか?」


「いい要素どこ?」


 普通に会話しているのに、物騒だった。


「みんな、そこまでにして。時間ないから、行こう」


 リュウスケが車を指さした。

 一号車はリュウスケが運転する。

 後部座席には、クニヒロとジュンタが乗り込んだ。


 二号車は、アスミの召喚体が運転を担当する。

 助手席にはアスミ。前方確認と偵察役だ。

 後部座席には、コハル、マナト、レンマ、ミクル、ソウイチロウが乗ることになった。


「コハルさん、私たちは後ろの席へ」


 ミクルが緊張で体を強張らせながら、シートの奥を指さした。


「月岡様、足元にお気をつけください!」


 ソウイチロウが、過剰なほど手際よくエスコートしてくる。


「あ、ありがとうございます……」


 コハルは戸惑いながら乗り込んだ。

 仙台支店へ来る時にもリムジンを使ったので、もう驚きはしない。

 しないが、やはり落ち着かない。


 高級感のある革張りのシート。

 広すぎる車内。

 異世界犯罪組織を潰しに行くには、妙に豪華な移動手段である。


 コハルの左隣にはミクル。

 右隣にはソウイチロウ。

 向かいには、マナトとレンマが座った。


 マナトの視線が、先ほどからミクルとソウイチロウに突き刺さっている。

 ものすごく刺さっている。


「……マナトさん」


「はい」


「そんなに見たら、お二人が萎縮しますよ……」


「任務への覚悟を確認しているだけです」


「それ、見つめるだけで確認できるんですか?」


「できます」


「できるんだ……」


 ソウイチロウが勢いよく背筋を伸ばした。


「ご安心ください! 私は覚悟できています!」


「声が大きいです」


「す、すみません、金色様!」


 威勢とやる気と自信に関しては満点だった。

 対して、ミクルは隣で小さくなっている。


「あの……私も、覚悟は……あります……」


「歯切れが悪いですね」


「い、いえ! ちゃんとあります! ありますけど、怖くないと言えば嘘になります!」


「本当に大丈夫ですか?」


 マナトの目がさらに鋭くなる。

 ミクルは一瞬ひるんだ。

 それでも、目を逸らさなかった。


「大丈夫です。怖いですけど、やります」


 その答えを聞き、マナトは口を閉ざした。


「……分かりました」


 そして、二人に向かって頭を下げる。


「コハルさんに何かあれば、俺は持ち場を放棄してでも戻ります。これは宣告です」


「宣告なんですね……」


 コハルが呟く。


「そうさせないためにも、お二人の力が必要です。どうか、よろしくお願いします」


 マナトは真剣だった。

 重い。

 かなり重い。


 レンマが肩を震わせて笑う。


「マナト、怖いし重いし、不器用すぎ」


「笑い事ではありません」


「笑わないと、車内の空気が潰れるんだよねぇ」


「潰れません」


「いや、今ちょっと潰れてたよ」


 レンマは笑ってから、ミクルとソウイチロウへ向き直った。


「まあ、怖いなら怖いでいいと思うよ。怖いって分かってる人の方が、現場では無理をしないし」


 マナトも頷く。


「相手を深追いしなくていい。攻撃しようとしなくていい。最優先は生き残ることです」


 ミクルが目を瞬かせた。


「……はい」


「恐怖に飲み込まれないでください」


「はいっ!」


「声が震えています」


「す、すみません!」


 やはり緊張していた。


 車のドアが閉まる。

 直後、通信端末からリンカの声が響いた。


『全員、聞こえるな』


「聞こえています」


 マナトが答える。


『現場周辺には、すでに認識阻害を張ってる。一般人の避難誘導も進めてるが、完全じゃねえ。派手にやるなよ』


『派手にやるなって、誰に言ってんだ?』


 一号車からクニヒロの声が混ざった。


『主にお前だよ』


『柄じゃねえ』


『柄じゃねえじゃねえ。守れ』


『分かったよ』


 分かっていない返事だった。

 ジュンタのため息が、通信越しに聞こえる。


『俺とリュウスケさんでフォローするよ』


『頼んだ』


 リンカの声が低くなる。


『今回の目的は主に四つだ。遺物の押収。捕らわれた帰還者の救出。月船への供給ルートの破壊。可能なら幹部格の確保』


「可能なら、ですか」


 マナトが尋ねた。


『ああ。無理なら潰せ。だが、情報源は欲しい』


「承知しました」


『あと、コハル』


「は、はい!」


 急に呼ばれ、コハルは背筋を伸ばした。


『お前は後方支援だ。無茶するな』


「分かってます!」


『本当に分かってんのか?』


「分かってますよ!?」


『お前、分かってる時ほど変なことするからな』


「信頼がない!」


『信頼はしてる。信用は別だ』


「ひどい!」


 通信の向こうで、リンカが笑った気がした。


『いいか。お前がやるべきことは、前線に出ることじゃねえ。周囲の状況を見ることだ。必要なら、万能の心得を使って補助しろ。ただし、単独行動は禁止。ミクルとソウイチロウから離れるな』


「はい」


 その言葉に、マナトが目を伏せた。

 何か言いたそうだったが、口にはしなかった。

 代わりにレンマが、いつもの軽さで言う。


「大丈夫だよ。後方に何か来る前に、前線で片付けるから」


「軽い……」


「軽く言ってるだけ。中身は本気」


 レンマの目が鋭くなる。

 その瞬間、コハルは気づいた。

 この人も、もう戦う顔をしている。


 笑っていても。

 声が軽くても。

 中身はすでに、切り替わっていた。


『出発しろ』


 リンカの号令と同時に、二台のリムジンが動き出した。


 街は、いつも通りだった。

 けれど、コハルはもう知っている。

 こういう時の「いつも通り」ほど、信用できないものはない。


 黒いリムジンは、夜の街へ静かに滑り出した。

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