3-1話:作戦会議が始まった時点で、だいたい平穏はもう終わっている
病室には、張り詰めた沈黙が漂っていた。
誰も軽口を叩かない。
つい先ほどまでジュンタを殴っていたリンカでさえ、今は完全にヘリオス副社長の顔へ戻っている。
「まず確認する」
リンカが切り出した。
「朱雀商会は、ただの闇商人じゃない」
壁にもたれていたレンマが目を細める。
「異世界遺物専門の流通組織、だったよね」
「ああ。だが、それだけならまだマシだった」
リンカの眼差しが鋭さを増す。
「問題は、あそこが“回収”までやってることだ」
「回収?」
コハルが聞き返す。
答えたのはジュンタだった。
「帰還者だよ」
「……え?」
「行き場をなくした帰還者。力を制御できず、暴走しかけてる奴。裏社会に入り込んだ奴。研究機関に捕まりかけてる奴。そういう連中を拾って、囲い込んでる」
コハルの背筋を冷たいものが走る。
「それって……保護じゃないんですか?」
「半分はね」
ジュンタは苦い笑みを浮かべた。
「でも、もう半分は“商品”だ」
誰も言葉を挟まなかった。
「帰還者は貴重なんだよ。魔力への耐性がある。異世界遺物を扱える。普通の人間より身体能力も高い。だから、欲しがる奴はいくらでもいる」
リンカが後を引き取る。
「研究機関。企業。軍。宗教団体」
レンマが指を折りながら付け加えた。
「あと、頭のおかしい金持ち」
「やめてください。怖いです」
「怖い話をしてるからね」
平然と返され、コハルの胃がきゅっと縮む。
「朱雀商会は、その全部にコネを持ってる」
マナトが口を開いた。
「異世界遺物の横流し。違法な研究への協力。帰還者の売買。情報操作。かなり根の深い組織です」
「警察は動かないんですか?」
「動いてるよ」
ジュンタが肩をすくめる。
「でも、証拠が消える」
「……消える?」
「遺物絡みは特にね。現代科学じゃ説明できないものが多すぎる。映像も記録も改竄される。ようやく証拠を押さえても、まともな形では残らない」
リンカが苛立たしげに舌を鳴らした。
「しかも、向こうには賢者級に匹敵する力を持った帰還者までいる」
「賢者級……」
「あたしたちは、そいつらを“特異帰還者”と呼んでる」
聞き慣れない言葉に、コハルは眉を寄せる。
「特異帰還者……?」
リュウスケがぼそりと答えた。
「勇者になれたかもしれない人たち」
「え?」
「勇者になる素質があった。でも、勇者にはならなかった人たち」
リンカが頷く。
「女神に選ばれながら魔王討伐を拒否した。旅の途中で放棄した。あるいは、女神そのものに反発した」
「えっ……そんな人がいるんですか?」
「いる」
リンカの声には、冗談の入り込む余地がなかった。
「中には、女神を殺そうとした奴もいるらしい」
「怖っ……!」
コハルは反射的に一歩下がった。
マナトが説明を続ける。
「正式な勇者ではない以上、女神から与えられた加護は、俺たちより少ないはずです」
「“はず”……?」
「はい」
マナトの目が険しくなる。
「ですが、彼らの中には、女神の管理を外れた危険なスキルを持ち帰っている者がいます」
「女神の管理を外れた……」
「言い換えるなら」
ジュンタが笑みを消した。
「女神ですら制御できなかった失敗作、ってことだね」
その言葉だけで、肌が粟立った。
「見分ける方法はあるんですか?」
「ある」
リンカが答える。
「首の傷だ」
「首……?」
「ああ。女神が危険と判断し、強制帰還させた奴には、首に傷が残る」
「どんな傷なんですか……?」
「刃物で一度、首を裂かれたような痕だ」
コハルは無意識に自分の首へ触れた。
指先がひどく冷たく感じる。
想像しただけで息が詰まりそうだった。
「それが、女神の印なんですか?」
「そう言われてる」
レンマが口を開く。
「勇者になれたのに、ならなかった者。でも、普通の帰還者でもない。女神に危険視された存在」
リュウスケも続けた。
「普通の途中帰還者より、ずっと厄介」
「……朱雀商会には、その特異帰還者がいるんですか?」
コハルの問いに、リンカは頷いた。
「少なくとも三人は確認されてる」
「三人……」
「一人目は朱雀商会の会長だ。滅多に表へ出てこない。能力も、スキルも、戦闘経験も不明。だが、特異帰還者たちを束ねてる以上、ただの商人とは考えない方がいい」
リンカは指を一本立てる。
「二人目は、遺物の鑑定と調整を担当してる。危険物を“使える形”へ加工する技術屋だ」
さらに一本。
「三人目が、一番厄介だ」
室内から、わずかな物音さえ消えた。
「朱雀商会の護衛役。通称――“首傷の番犬”」
「番犬……」
「重要拠点には必ず現れる。過去にヘリオスの一級賢者が一人、二級賢者が三人、そいつにやられてる」
コハルは息を呑んだ。
一級賢者。
ヘリオスの中でも、最高戦力に数えられる存在だ。
カイリほどの実力者さえ含まれる、その階級の賢者が一人。
さらに二級賢者が三人。
それだけの戦力が、一人の相手に倒されている。
「勇者とは戦ったことがあるんですか?」
マナトが尋ねた。
リンカは一拍置いてから答える。
「ある」
「誰ですか」
「あたしだ」
全員の視線がリンカへ集まった。
ジュンタの表情からも、完全に軽さが消えている。
「二年前、一度だけやり合った」
「結果は?」
レンマが問う。
リンカは口元を歪めた。
「引き分けだ」
「リンカさんと……?」
コハルの声が震える。
暁光の勇者。
この場にいる誰もが、その強さを知っている。
規格外としか言いようのないリンカと、互角に戦った存在。
そんな人物が、朱雀商会の側にいる。
「あたしが賢者を庇いながら戦ってたって事情はある」
リンカは淡々と言った。
「それを差し引いても、ヤバい相手なのは間違いない」
ジュンタが口を開く。
「リンカ。今回は待機しな」
「あ?」
「その身体で前線に出たら、本当に死ぬぞ」
「うるせえな」
「足手まといになるって言ってる」
ジュンタは引かなかった。
「副社長としての指揮は必要だ。でも、前線は駄目だ」
「……言うようになったじゃねえか」
リンカは舌打ちした。
しかし、否定はしなかった。
それだけで、今回の作戦がどれほど危険なのか分かる。
「じゃあ、前線には誰が行くの?」
レンマが尋ねる。
「まあ、当然、この中のメンバーでしょ」
ジュンタが肩をすくめた。
「俺とマナトは行くよ」
レンマが即答する。
「ね、マナト」
「当然です」
マナトも迷わず頷いた。
「僕も」
リュウスケも短く告げる。
「――俺も行く」
病室の扉が開いた。
重い足音が響く。
空気まで押し込まれたような威圧感に、コハルは肩を強張らせた。
扉の前に立っていたのは、土門クニヒロだった。
「……遅ぇぞ」
リンカが鼻で笑う。
「うるせえ」
クニヒロはぶっきらぼうに返した。
相変わらず目つきが鋭い。
部屋へ足を踏み入れただけで、圧迫感が増したように感じる。
「話は聞いた」
クニヒロの目は真剣だった。
「朱雀商会、潰すんだろ」
「ああ」
「なら、俺も行く」
迷いのない返答だった。
ジュンタが口元を緩める。
「珍しくやる気じゃん」
「うるせえ」
「首傷の番犬、気になってる?」
「……まあな」
クニヒロの口元が歪む。
「強ぇ奴なら、試してみてえ」
獲物を見つけた戦闘狂の目だった。
だが、その奥には別の苛立ちも浮かんでいる。
リンカはそれを見逃さなかった。
「何だ。別件でもイラついてんのか?」
「別に」
「顔に出てるぞ」
「……朱雀商会の連中」
クニヒロが吐き捨てる。
「帰還者を商品扱いしてるって話が、気に食わねえ」
皆がクニヒロを見た。
コハルも目を丸くする。
ただ強い相手と戦いたくて参加するのだと思っていた。
けれど、そうではなかった。
「好き勝手壊して、使い潰して、いらなくなったら捨てる。そういう連中は嫌いだ」
クニヒロの声には、隠しようのない怒りが滲んでいた。
「胸糞悪ぃ」
レンマがふっと笑う。
「なんだ。ちゃんとヒーローじゃん」
「殺すぞ」
「はいはい」
いつものやり取りに、張り詰めていた空気がわずかに緩む。
リンカは全員を見渡した。
「これで戦力は揃ったな」
その一言で、全員の表情が引き締まった。
「作戦は三段階だ」
視線がリンカへ集まる。
「第一段階。朱雀商会の表向きの取引場へ潜入し、顧客情報と遺物の流通経路を押さえる」
「第二段階」
ジュンタが引き継ぐ。
「裏倉庫の制圧。そこに回収された帰還者がいる可能性が高い」
“回収された帰還者”。
その言葉だけで、コハルの胸が詰まる。
どのような扱いを受けているのか。
想像したくなくても、嫌な光景ばかりが浮かんでしまう。
「第三段階」
リンカの眼光が鋭くなる。
「首傷の番犬が現れた場合、そいつを足止めする」
「倒すんじゃなく?」
レンマが聞いた。
「倒せるなら倒せ」
リンカは即答する。
「ただし、無理はするな。目的は朱雀商会の壊滅だ。番犬にこだわって、月船の探究者に隙を見せるな」
月船の探究者。
その名を聞いた途端、胸の奥へ重いものが落ちた。
あの六人との戦いは、まだ終わっていない。
きっと今も、どこかでこちらを見ている。
「……私は」
コハルが口を開く。
「私は、何をすればいいですか?」
マナト、レンマ、リュウスケの視線が一斉に動いた。
三人とも、何か言いたそうな顔をしている。
だが、先に答えたのはリンカだった。
「お前は後方支援だ」
「……ですよね」
「ただし」
リンカの眼差しがコハルを射抜く。
「守られてるだけじゃ駄目だ」
「え?」
「どうやら、月船の探究者はお前を特別視している」
コハルの心臓が跳ねた。
「なら、朱雀商会もいずれお前の存在に気づく」
「……」
「だから、お前自身が自分の力を理解しろ」
マナトが頷く。
「戦うためではありません」
「生き残るためだよ」
レンマが続けた。
「逃げる力。守る力。危険を見極める力。少しずつ覚えていこう」
リュウスケも言葉を重ねる。
「無理はしなくていい。でも、何もしないままなのは危ない」
コハルは拳を握った。
怖い。
けれど、逃げ続けているだけでは、恐怖は大きくなるばかりだ。
「……分かりました」
声は震えていた。
それでも、言葉にする。
「私、覚えます」
リンカが口元を緩めた。
「いい返事だ」
そして、告げる。
「明日の夜、朱雀商会に仕掛ける」
「え!? 明日の夜ですか!?」
コハルは思わず声を上げた。
「当たり前だろ。お前たち、有給使って来てるんだろ? また日を改めて、なんて簡単にはいかねえだろうが」
「それは、そうですが……」
「それに、うかうかしてたら、また危険な異世界遺物が月船の探究者へ渡るかもしれねえ」
「……はい」
リンカの全快を待てない戦い。
準備が整うまで、時間をかけられない戦い。
日常へ戻る前に、次の火種を潰しに行くための戦い。
「覚悟は決まったか?」
その問いが、部屋にいる全員の意識を切り替えた。
もう、これは単なる事件ではない。
帰還者同士の抗争に、限りなく近かった。
「目的は三つ」
リンカの目が冷たく光る。
「遺物の押収。帰還者の救出。月船への供給ルートの破壊」
一度、全員の顔を見渡す。
「邪魔する奴は叩き潰せ。月船の探究者の妨害もあるだろうが、全部振り払え」
リンカの声に、容赦はなかった。
「現場で武器を向けてくる奴は、全員敵だ」
コハルは息を吸った。
怖い。
それでも、一人ではない。
その事実だけが、今の自分を支えていた。
同時に、否応なく理解する。
たぶん、もう。
本当に、戻れないところまで来てしまったのだ。
月岡コハルは、帰還者たちの戦場へ、また一歩踏み込んでいた。




