【番外編】土門クニヒロの秘密
ヘリオス・サービス仙台支店。
その社員食堂の一角に、巨大なハンバーガーを頬張る女子がいた。
「うまあ……」
幸せそうに目を細めているのは、砂山アスミ。
一級賢者――だった女である。
現在は二級賢者へ降格済み。
理由は、いたって単純だった。
サボる。
寝る。
やる気がない。
報告書を出さない。
会議中にポテトチップスを食べる。
危険地帯で昼寝をする。
これだけやらかしても二級にとどまっている時点で、実力が頭一つ抜けている証明でもあった。
実際、アスミは強い。
異世界帰還者の中でも、かなりの上位に位置する。
どれくらい上位かというと――
「普通なら死んでいる」
そう評される案件から、毎回なぜか生還してくる程度には強かった。
そんなアスミが今、全力で取り組んでいるのは、一日五個限定のスペシャルキングバーガーである。
「うまあ……」
実に幸せそうだった。
肉汁。
チーズ。
ベーコン。
分厚いパティ。
大量のソース。
カロリーという概念に真正面から喧嘩を売ったようなバーガーを、アスミは頬を膨らませながら、夢中でもぐもぐと食べている。
その姿を、やや離れた席から見つめている男が一人。
土門クニヒロ。
勇者。
その中でも、かなり危険な部類に入る男として知られていた。
目つきが悪い。
態度も悪い。
口も悪い。
だが、本人に悪気はない。
生まれつき、顔と声と態度がすべて怖いだけである。
ちなみに、戦闘になるとさらに怖い。
敵対する帰還者からは、
『人型の災害』
『歩く暴力』
『威圧感だけで胃が痛くなる男』
などと評されていた。
そんな男が、今。
(かわいい……)
などと思っていた。
終わっている。
本人も薄々気づいている。
だが、止められなかった。
アスミがハンバーガーを食べるたび、柔らかそうな頬がもぐもぐと動く。
(かわいい……)
ポテトを摘まむ。
(かわいい……)
コーラを飲む。
(かわいい……)
口元にケチャップがつく。
(かわいい……)
もはや重症だった。
その時。
アスミの肘が、テーブルの紙コップに当たった。
コーラが宙へ傾く。
クニヒロの身体が反射的に動いた。
ピタリ。
落下する直前、紙コップが空中で静止する。
「あっ、やば」
アスミが慌てて手を伸ばす。
「ん?」
宙に浮かぶ紙コップを見て、不思議そうに瞬きをした。
クニヒロは無言で立ち上がる。
周囲にいた賢者たちがざわめいた。
「土門さんだ」
「なんか怒ってる?」
「違う。歩いてるだけだ」
失礼である。
クニヒロはアスミの元まで歩き、宙に浮かせた紙コップを掴んでテーブルへ戻した。
「フン。気をつけろよ」
「あっ……クニヒロさん。ありがとうございます」
「おう」
短い返事。
ただ、それだけ。
それだけなのに、アスミが笑った。
「助かりました〜」
にこり。
その笑顔で、クニヒロの脳内が爆発した。
(やばい)
何がどうやばいのか、本人にも分からない。
だが、とにかくやばかった。
クニヒロは片手を上げると、そのまま立ち去った。
いつもより歩幅が大きかった。
◇
(アスミ、かわいい……。やべえ……。今日、やっと話せたぜ)
ヘリオス・サービス仙台支店。
喫煙所。
土門クニヒロは、壁に額を打ちつけていた。
ゴン。
ゴン。
ゴン。
「何してんだ、お前」
呆れた声が飛んでくる。
振り返ると、ジュンタが立っていた。
片手には缶コーヒー。
顔には、完全に面白がっている笑みが浮かんでいる。
「……別に」
「いや、別にじゃねえだろ。壁に頭を打ちつけている時点で、だいぶやべえ奴だぞ」
「うるせえ」
「怖っ」
ジュンタは楽しそうに口元を緩めた。
「で? どうした。アスミちゃん関係?」
クニヒロの動きが止まる。
「……」
「うわ、図星だ」
「殺すぞ」
「恋愛相談で殺害予告されたの、初めてだな」
クニヒロは舌打ちした。
だが、否定はしない。
ジュンタは察した。
(あー……重症だ、これ)
クニヒロは昔から分かりやすい。
本人だけが、それを隠せていると思っている。
「話しかけられたのか?」
「……まあ」
「進歩じゃん」
「紙コップを落としそうになってた」
「なるほど。スキルで助けたと」
「……」
「お前さあ」
ジュンタがにやりとする。
「好きな女相手だと、マジで優しいよな」
「違う」
「いや、絶対好きじゃん」
「違う」
「その顔で否定されても、説得力がねえんだわ」
クニヒロは黙り込んだ。
だが、耳が赤い。
怖い顔で照れるな。
圧がすごい。
「ちなみに、どこが好きなの?」
「……」
「言えよ」
「……食ってるところ」
「は?」
「うまそうに食ってる」
「そこ?」
「あと、寝る」
「幼児じゃねえんだぞ」
「あと、危機感がない」
「それは褒めるところじゃねえだろ」
「抱き締めたら……安心しそう」
「いや、変態かよ!」
「あと、なんか……」
クニヒロが言葉に詰まる。
「……放っとけねえ」
ジュンタが目を丸くした。
そして、納得する。
ああ。
これは本気だ。
クニヒロは普段、他人にほとんど興味を示さない。
強い奴か。
敵か。
邪魔か。
基本的には、その三択である。
そんな男が、『放っとけねえ』と言った。
それは、かなり重い。
「告白しないのか?」
「無理だろ」
「なんで?」
「怖がられる」
「まあ、怖いけど」
「殺すぞ」
「すぐ殺すじゃん」
ジュンタは肩を揺らした。
「でもアスミちゃん、お前のことをそこまで苦手そうにはしてないぞ」
「……そうか?」
「少なくとも、リンカほど警戒してない」
「あいつと一緒にすんなよ」
「まあ、リンカは賢者たちのトップだからね」
クニヒロは煙草を咥えた。
「ライターねえから、火くれ」
「はいよ」
ジュンタが指先を動かす。
小さな炎が生まれ、クニヒロの煙草に火をつけた。
クニヒロは深く煙を吸い込み、ゆっくりと吐き出す。
「……アスミは」
「うん」
「俺のこと、怖くねえのかな」
珍しく弱々しい声だった。
ジュンタの表情から、からかう色が消える。
「怖いとは思ってるだろ」
「……」
「でも、嫌ってはないんじゃねえか?」
クニヒロは黙った。
白い煙が、ゆっくりと空へ溶けていく。
「年が離れてる」
「あー、お前、今いくつだっけ?」
「お前と同い年だろうが」
「知ってる」
「なんで聞いたんだよ」
「アスミちゃんは何歳?」
「二十四だったはずだ」
「ちょうど十個下かあ」
「そうなんだよ」
クニヒロが自嘲気味に口元を歪める。
「十個も下の女に熱上げてる勇者ってのも、なかなかに滑稽だな」
「殺すぞ」
「何回目だよ、それ」
ジュンタが缶コーヒーに口をつける。
「でもさ、お前みたいなのって、案外モテると思うけどな」
「は?」
「ギャップがあるし」
「ねえよ」
「いや、あるある。普段は怖いくせに、好きな女には激甘じゃん。顔は怖いけど、そこそこ整ってる方だろ」
「……」
「今だって、アスミちゃんがジュースを落としそうになっただけで、反射的に能力を使ったんだろ?」
「……勝手に身体が動いただけだ」
「それを世間では、好きって言うんだよ」
クニヒロは顔をしかめた。
だが、反論はできない。
ジュンタは考えるように缶を揺らしたあと、軽い口調で提案した。
「カイリくんあたり、アスミちゃんと仲いいだろ? どんなタイプが好きなのか、聞いてみたら?」
「カイリ……」
その名前を聞いた瞬間、クニヒロの目が細くなった。
「あいつ、アスミと最近仲いいんだよな。今回、東京本社から選抜されたのも、あの二人だしな」
「あの二人、普通に相性がいいからじゃない?」
「おい」
低い声が響く。
喫煙所の空気が、一段重くなった。
「アスミとカイリがくっつく世界線って、あるか?」
ゴゴゴ、とクニヒロの周囲の重力が増していく。
「うわ、喫煙所を壊すなよ」
ジュンタが慌てて制止する。
「カイリくんはリンカが大好きだから、大丈夫じゃない?」
「お前だって、リンカにプロポーズしてるだろうが」
「さすがにカイリくんに負ける要素はないからね、俺」
「じゃあ、リンカに振られたあとのカイリが、アスミのかわいさに気づいて惚れて、付き合う世界線もあるだろうが」
「飛躍しすぎだろ」
「可能性はゼロじゃねえ」
「恋愛になると、急に理論が雑になるな、お前」
「うるせえ」
その時。
喫煙所の外から、のんびりとした足音が近づいてきた。
「あれ? ジュンタさん」
間延びした声に、二人が振り返る。
アスミだった。
片手には追加のポテト。
もう片方にはシェイク。
まだ食べるらしい。
「あっ、アスミちゃん。こんにちは」
「こんにちはー」
アスミはぺこりと頭を下げる。
それから、隣にいるクニヒロを見た。
「あ、クニヒロさん。また会いましたね」
「お、おう」
クニヒロが固まる。
明らかに挙動がおかしい。
ジュンタは横で、にやにやしていた。
アスミはそんな空気に気づかないまま、何かを思い出したように眉を上げる。
「あ。そういえば、ジュンタさんとクニヒロさん」
「ん?」
「この前、私の万象代行の召喚体を消したこと、まだ謝ってもらってないんですけど」
空気が止まった。
コハルの部屋の前に配置されていた召喚体のことである。
クニヒロが即座に口を開いた。
「いや、あれはジュンタだ! 俺はやめとけって必死に言った! 俺じゃない!」
必死だった。
あまりにも必死だった。
普段の威圧感が嘘のようである。
ジュンタは笑いを堪えながら頷いた。
「そうだね。ごめんね、アスミちゃん。俺が倒しちゃったから」
「ひどいです。次に召喚した時、美味しいものを食べさせてあげないと、言うことを聞いてくれなくなります」
「悪かったって。今度、お詫びに三人でご飯を食べに行かない?」
「え、本当ですか?」
アスミの目が輝いた。
「うん。高級焼き肉でも行く?」
「行きますっ! 召喚体にも食べさせてあげていいですかっ!?」
即答だった。
食に対する反応が速すぎる。
「全然いいよ。あとで連絡するね」
「はい!」
アスミは嬉しそうに頷いた。
そして、何かに気づいたようにジュンタを見る。
「あ! コハルさんには、ちゃんと謝ったんですか?」
「和解したよ。大丈夫」
「本当ですか?」
「本当、本当」
「今度コハルさんを泣かせたら、許さないですからねっ!」
アスミは小さく拳を握った。
迫力はあまりない。
だが、目は本気だった。
ジュンタは両手を軽く上げる。
「はいはい。気をつけます」
「本当にですよ」
「分かってるって」
アスミはそれで納得したのか、ポテトを一本口に運んだ。
「じゃあ私、戻りますね」
「うん。またね」
「クニヒロさんも、また」
「……おう」
クニヒロは、それだけ返すので精一杯だった。
アスミはのんびりと手を振りながら、廊下の向こうへ消えていく。
残された男二人。
しばしの沈黙。
やがて、ジュンタが口を開いた。
「高級焼き肉、一緒に行けることになってよかったな」
「お、おう……」
クニヒロは、まだ固まっている。
「俺は用事で行けないことにしておくから、デートしてこいよ」
「で、デート……」
その単語を聞いた瞬間、クニヒロの顔が露骨に強張った。
「お前、勇者だよな?」
「うるせえ」
「敵には平気で突っ込むくせに、女の子と焼き肉に行くだけで、その顔になるの面白すぎるだろ」
「殺すぞ」
「はいはい」
ジュンタは缶コーヒーを飲み干した。
「まあ、アシストしてやったんだから感謝しろよ」
「……」
「ちゃんとしゃべれよ。怖い顔で肉を焼いているだけだと、ただの反社みたいになるから」
「誰が反社だ」
「あと、最初から高い肉ばかり頼むなよ。アスミちゃんは遠慮できないタイプだから」
「じゃあ、食わせればいいだろ」
「そういうところだぞ」
「何がだよ」
「激甘」
クニヒロは黙った。
否定できなかった。
代わりに、もう一本煙草を取り出そうとする。
だが、その指先はわずかに震えていた。
ジュンタは見逃さない。
「緊張してる?」
「してねえ」
「してるじゃん」
「してねえ」
「アスミちゃんと焼き肉だもんな」
「うるせえ」
「デートだもんな」
「黙れ」
「楽しみだな」
「……」
クニヒロはしばらく黙り込んだあと、低い声でぼそりと呟いた。
「……変なこと、言わねえかな。俺」
ジュンタが目を丸くする。
珍しい。
クニヒロが、本気で不安そうな顔をしている。
普段は人を脅すような顔しかしていない男が、今は二十四歳の女子との食事を前に、完全に挙動不審になっていた。
ジュンタは笑いそうになった。
だが、なんとか堪える。
「大丈夫だろ」
「根拠は」
「お前、アスミちゃん相手だと、ちゃんと優しいし」
「……」
「怖いのは顔だけ」
「殺すぞ」
「そういうところ」
ジュンタは肩をすくめた。
「まあ、最初は飯を食わせておけばいいよ。アスミちゃん、うまいものを食べている時が一番幸せそうだし」
「……それは分かる」
「それから、ちゃんと謝る。召喚体の件」
「俺は消してねえ」
「でも、同席はしてただろ」
「……まあな」
「そこからでいいんじゃねえか?」
クニヒロは煙草を指先でしばらく転がした。
やがて、息を吐く。
「……高級焼き肉か」
「うん」
「店を選ばねえとな」
「本気じゃん」
「当たり前だろ」
「アスミちゃん、多分、牛タンが好きだよ」
「仙台だからか?」
「いや、勘」
「雑だな」
「でも、当たりそうじゃない?」
「……確かに」
クニヒロは、真剣な表情で考え始めた。
高級焼き肉。
個室。
煙が少ない店。
肉がうまい。
デザートもある。
アスミが腹いっぱい食べられる。
できれば、自分も緊張せずに済む場所。
完全に本気だった。
ジュンタはその横顔を見て、再び笑いを堪える。
(怖い勇者が、好きな子のために焼き肉屋を真剣に選んでる……)
平和だった。
あまりにも平和だった。
そして。
「ジュンタ」
「ん?」
「店、三つくらい候補を出せ」
「自分で探せよ」
「お前の方が、そういう店を知ってるだろ」
「まあ、知ってるけど」
「頼む」
その一言に、ジュンタが固まった。
頼む。
土門クニヒロが。
頼む、と言った。
恋は人を変える。
怖い。
ジュンタは、しみじみと思った。
「……分かったよ。出してやる」
「助かる」
「ただし」
「あ?」
「当日、怖い顔でアスミちゃんを威圧しないこと」
「してねえ」
「してる」
「してねえ」
「あと、肉を焼く時に、無言で皿へ積みすぎないこと」
「……」
「やるつもりだったな?」
「食うだろ」
「食うけど、限度がある」
「腹が減ってたらどうする」
「本人に聞け」
「……なるほど」
「なるほどじゃねえよ。普通の会話を覚えろ」
クニヒロは、真剣な顔で頷いた。
ジュンタは頭を抱える。
これは先が長い。
かなり長い。
だが。
面白い。
ものすごく面白い。
◇
その日の夕方。
仙台支店の廊下に、不穏な音が響いていた。
ゴン。
ゴン。
ゴン。
「……土門さん、また誰か脅してる?」
賢者たちが怯える中、通りかかったジュンタが笑いながら答えた。
「違うよ」
「え?」
「恋してるだけ」
廊下の角。
土門クニヒロは、壁に額をつけたまま呟いていた。
(高級焼き肉……アスミと……二人で……)
厳密にいえば、二人ではない。
召喚体が数体、同席する可能性は高い。
予約人数を何人にすればいいのかは、まだ分からない。
顔は怖い。
空気も怖い。
近くを通る賢者たちは、全員が自然と距離を取っている。
だが、その内心は。
(何を着ていけばいいんだ……?)
ただの恋する男だった。




