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2-29話:病室に入ってきた時点で、だいたい悲鳴で迎えられる

 翌日。


 コハルは、未だ安静を言い渡されていた。

 現在地は、ヘリオス・サービス東北支部の医療棟。


 個室。

 白いシーツ。

 消毒液の匂い。

 窓の外には、穏やかな午前の空が広がっている。

 コハルはベッドの上で、小さく唸った。


「うーん……」


 包帯が多い。

 腕。

 脚。

 頬。

 肩。

 身体のあちこちに巻かれている。

 確かに傷はある。

 擦り傷も切り傷も、それなりに痛む。


 だが。


(いや、ここまで大惨事みたいな見た目になるほどではなくない……?)


 本人としては、その程度の感覚だった。

 むしろ問題なのは、見た目の方だ。


 なんというか。

 重傷患者感がすごい。

 見舞いに来た賢者たちが、「月岡さん……!」と、今にも泣き出しそうな顔をするたび、


(いや、そこまでではないです)


 という気持ちになる。

 しかも昨日から、やたらと感謝されていた。


「ありがとうございました」


「助かりました」


「本当に無事でよかったです」


 何度も頭を下げられた。


 マナトとレンマも、相変わらず心配性だった。


 特にマナトは、


「歩けますか?」

「痛みはありませんか?」

「熱は?」

「本当に大丈夫ですか?」


 と、定期的に確認してくる。


 レンマはレンマで、


「コハルちゃん、今ならたぶん国宝級に保護されてるよ」


 などと、意味の分からないことを言っていた。


 でも。

 その全部が、どこか嬉しかった。


(……心配してもらえるのって、こんな感じなんだ)


 漫画家時代は、締切と修羅場に追われるばかりだった。


 倒れても、


「先生、締切に間に合いますか!?」


 の方が先に飛んできた。


 いや。

 あれはあれで、ありがたいことなのだ。

 ただ、今とは少し違う。


 そんなことを考えながら、コハルは病室のテーブルへ視線を向けた。

 先ほどまで並んでいたランチプレートは、綺麗に空になっている。

 アスミの召喚体が運んできたものだった。

 病人食のはずなのに、妙に美味しかった。


(あの召喚体の人たち、すごく便利だなぁ……)


 コハルはベッドから降りた。

 足元がわずかにふらつく。

 それでも、昨日よりはかなりマシだった。


「よし……着替えよう」


 いつまでも病衣のままというのも落ち着かない。

 コハルは備え付けの棚から服を取り出し、包帯に引っかからないよう慎重に腕を通し――


「失礼する」


 突然、男の声がした。


「きゃああああああっ!?」


 反射だった。

 コハルは枕を掴み、全力で投げた。

 ボフッ。


「ぐふっ」


 入口で、クニヒロが枕を顔面に受けていた。


「わ、悪かった!」


「外に出ていてください!!」


「了解!」


 クニヒロは即座に病室の外へ消えた。

 扉が閉まる。

 静寂。


「…………」


 コハルは荒れた呼吸を整えた。


(びっくりした……!!)


 心臓に悪い。

 数分後。


「……もう大丈夫です」


 病室の外へ声をかける。

 扉が慎重に開いた。


「お、おう……」


 クニヒロが、気まずそうに入ってくる。

 やけに姿勢が低い。

 怒られた大型犬のようだった。


「さっきは、その……悪かった」


「見ました?」


「いや、まあ……見てない」


「見た人の挙動不審ですよね!?」


「黙っていてくれないか……? マナトとレンマに殺される」


「それは、ちょっと目に浮かぶ……」


 特にマナト。

 静かな顔のまま、とんでもない圧を出してきそうで怖い。

 レンマは笑顔を崩さず、風の刃を飛ばしてきそうだ。

 どちらも普通に怖い。

 クニヒロは誤魔化すように咳払いした。


「……身体は大丈夫なのか」


「思ったよりは平気です」


「そうか」


 そこで会話が途切れた。

 気まずい沈黙が落ちる。

 コハルは、改めてクニヒロを見た。


 昨日とはまるで違う。

 威圧感もない。

 敵意もない。

 ただ、疲れの残る男がそこにいた。


(……なんで来たんだろう)


 コハルには分からなかった。

 リンカと自分を交換しようとした。

 散々、嫌なことも言われた。

 敵だったはずだ。

 少なくとも、昨日までは。

 やがてクニヒロは視線を逸らし、ぽつりと言った。


「……礼を言いに来た」


「え?」


「リンカを助けてくれて、ありがとう」


 コハルは目を瞬いた。

 クニヒロは、そのまま言葉を続ける。


「それと……俺たちを止めてくれて助かった」


 低い声だった。

 昨日の、あの場所を思い出しているようだった。


「正直、あのまま進んでいたら、俺たちは戻れなくなっていた気がする」


 コハルは、何も返せなかった。

 クニヒロは困ったように頭を掻いた。


「……だから、まあ。その」


 言い慣れていないのだろう。

 不器用に。

 本当に不器用に。


「悪かった」


 そう言って、頭を下げた。


「いや。謝ったくらいで、簡単に許してもらえるとは思っていない。お前を犠牲にしようとした時点で、許せないのは当然だ」


 クニヒロは顔を上げる。

 それから迷うような間を置き、懐へ手を入れた。


「それで……これを渡したくてな」


 差し出されたのは、細いブレスレットだった。

 銀色の輪に、小さな透明の石がいくつも埋め込まれている。

 光を受けると、淡く輝いた。


「わ……綺麗」


 思わず声が漏れる。

 クニヒロは落ち着かない様子で視線を逸らした。


「言っておくが、変な意味じゃないぞ。俺には別に、そういう相手がいる」


「え?」


「いや、その……とにかくだ。マナトとレンマには言うなよ。俺がお前に何か渡したと知ったら、殺されかねん」


「そんなに……?」


「あいつらが、お前を好いているのは分かっているだろう?」


「ええ!? お二人は、お友達ですけど……!」


「そ、そうか」


 クニヒロは苦笑した。

 どこか気の毒そうな顔をしている。


「まあ……それはいい」


 もう一度咳払いをすると、クニヒロはブレスレットへ目を向けた。


「これは異世界遺物だ。統制の腕輪と呼ばれている」


「統制……?」


「ああ。装着者の魔力の乱れを抑える。力が暴走しそうになった時、その流れを整えてくれるものだ」


 コハルは、手の中のブレスレットを見つめた。

 細くて、軽い。

 けれど、ただのアクセサリーではないのだと分かる。

 石の奥で、淡い光が揺れていた。


「お前の力はすごい」


 クニヒロの言葉に、力がこもった。


「だが、まだ調整が不完全に見えた。発動も解除も、感情にかなり引っ張られているだろう」


「うっ……」


 否定できない。

 安心したら元に戻る。

 焦ったら変わる。

 危険が迫ると、勝手に力が出る。

 ほとんど感情任せである。


「だから、しばらくは身につけておけ。完全に制御できるようになったら、破棄して構わん」


「破棄していいんですか?」


「ああ。道具は道具だ。お前の力を縛るためのものじゃない。扱えるようになるまで、支えるためのものだ」


 その言葉に、コハルは目を見開いた。


 クニヒロは不器用だった。

 昨日もそうだ。

 言い方はきつい。

 態度も怖い。

 何を考えているのかも分かりづらい。


 けれど、今の言葉は違った。

 コハルの力を否定しているわけではない。

 怖がって、押さえつけようとしているわけでもない。


 使えるようになれ。

 そう言っている。


「……ありがとうございます」


 コハルは素直に受け取った。

 ブレスレットを右手首に当てると、石が小さく光った。


「キラキラしていて、綺麗ですね」


「ジュンタと一緒に選んだ」


「ジュンタさんと?」


「ああ。あいつは、もっと実用一点張りのものを持ってきたが、見た目が物騒すぎた」


「物騒」


「腕輪というより、拘束具だった」


「それはちょっと嫌ですね!?」


「俺もそう思った」


 クニヒロは真顔で答えた。

 あまりにも真剣な表情だったため、コハルは思わず笑ってしまう。


「ジュンタさんは?」


「リンカに、こってり絞られている」


「あ……」


「お前への暴言について怒られている。俺は逃げてきたが、ジュンタはああ見えて真面目だから、きちんと説教を受けている」


「そ、そっか……」


 目に浮かぶ。

 リンカに静かに詰められるジュンタ。

 たぶん、かなり怖い。

 クニヒロは口を閉ざした。

 やがて、真っ直ぐにコハルを見る。


「……お前は、すごいやつだな。コハル」


「え?」


「怖かっただろう」


「まあ……はい。かなり」


「逃げてもよかった」


「でも、リンカさんを置いて逃げるのは……」


「普通は逃げる」


 クニヒロの声は静かだった。


「普通は、あそこで立てない。震えながら誰かを抱えて走ることもできない。自分より強い奴らが正気を失っている中で、止めようとも思えない」


「……」


「俺は、お前を軽く見ていた」


 昨日までのクニヒロなら、絶対に口にしなかった言葉だった。


「悪かった」


 もう一度。

 今度は先ほどよりも深く、クニヒロは頭を下げた。


「お前は、ちゃんと勇者だった」


 コハルは、何も言えなかった。

 胸の奥が、じんわりと熱くなる。

 昨日から、何度も感謝された。


 けれど。

 クニヒロにそう言われるとは、思っていなかった。


「……あの」


「なんだ」


「顔を上げてください。なんだか、こっちが落ち着かないです」


「そうか」


 クニヒロは顔を上げた。

 どこか居心地が悪そうだった。

 コハルは、右手首のブレスレットを見る。

 小さな石が、光を受けて揺れていた。


「大事にします」


「いや、破棄していいと言っただろう」


「そういう意味じゃなくて」


「……そうか」


 クニヒロの表情が、わずかに緩んだ。

 その時だった。

 病室の外から、足音が聞こえた。


 規則正しく、速い足音。

 コハルとクニヒロは、同時に扉を見る。


「コハルさん、入っても大丈夫ですか?」


 マナトの声だった。

 クニヒロの顔色が、分かりやすく変わった。


「まずい」


「何がですか」


「いや、何でもない」


 さらに別の声が続く。


「コハルちゃーん、起きてる?」


 レンマだった。

 クニヒロは、コハルの右手首を見る。

 次に扉を見る。

 最後にコハルを見た。


「……言うなよ」


「だから、何をですか!?」


 扉が開く。

 その直前。

 クニヒロは窓を開け、躊躇なく飛び降りた。


「ええ!? ここ、五階……!」


 コハルは反射的に窓へ駆け寄りかけた。

 しかし、それより先に扉が開く。


「コハルちゃん、どうしたの?」


「コハルさん、何かありましたか?」


 マナトとレンマが、きょとんとした顔で立っていた。

 コハルは、窓と二人を交互に見る。


「いや……何でもないです」


 自分でも無理があると思った。

 だが、クニヒロはたぶん無事だ。

 たぶん。

 おそらく。

 勇者だし。


 右手首のブレスレットが、きらりと輝いていた。

 マナトとレンマの視線が、同時にそこへ落ちる。


 沈黙。

 だが、二人は何も言わなかった。

 その場では。


          ◇


「あれは、統制の腕輪だね」


「ええ。そのようでした」


 コハルの体調確認を終え、病室を出たあとの廊下。

 レンマとマナトは並んで歩いていた。


「かなり貴重な異世界遺物だよ」


「女神の涙よりもですか?」


「うーん。女神の涙は、貴重さに加えて、別の意味で価値が跳ね上がっているからなあ」


「プロポーズ……という意味ですよね?」


「うん、まあね」


 レンマは軽く笑った。

 マナトは真顔だった。


「そもそも、どうしてレンマさんが持っていたんですか?」


「拾った」


「絶対に嘘ですよね。依頼中に見つけて、数をちょろまかしましたよね」


「いいじゃん。細かいことは気にしなくても」


「細かくありません」


 マナトはため息をついた。

 それから、声を落とす。


「俺……コハルさんに、何もあげられていません」


「いいんじゃない?」


「よくないです」


「付き合ってないんだし?」


「では、どうしてレンマさんは渡したんですか?」


「うわ。ムキになってる」


「なりますよ、そりゃ……」


「マナトって、いじり甲斐があるよね」


「なくて結構です」


 レンマは、けらけらと笑った。

 マナトは真剣な顔のまま考え込む。


「でも、ネックレスとブレスレットがあるなら……俺が渡すとしたら、指輪……」


「うわっ、重っ!」


「重くて結構です」


 即答だった。

 レンマは腹を抱えそうになった。


「いや、今のは本当に重いって」


「俺は、中途半端なものを渡すつもりはありません」


「それが重いんだって」


「軽い気持ちで渡す方が失礼です」


「真面目か」


「真面目です」


 レンマは笑う。

 マナトは笑わない。

 それがまた面白かった。


 そのやり取りを、廊下の離れた場所で、数人の賢者たちが見ていた。

 聞くつもりはなかった。

 本当になかったのだが。

 聞こえてしまった。


(え……?)


(女神の涙って、プロポーズのやつだよな……?)


(統制の腕輪も渡されてる……?)


(しかも金色さん、指輪って言った……?)


(すげえ……月岡さんって何者……?)


 賢者たちは、無言で顔を見合わせた。

 ヘリオス東北支部に、新たな噂が生まれた瞬間だった。


 月岡コハル。

 新米勇者。

 リンカ副社長を救出した功労者。


 そして。

 暴風の勇者。

 頼れる若手勇者。

 なぜか土門クニヒロまで巻き込んでいるらしい、非常に危険な恋愛台風の中心人物。

 その日から、賢者たちは各々、ひっそりと予想を始めた。


 マナト派。

 レンマ派。

 リュウスケ派。

 いや、意外とクニヒロもあるのでは派。


 そして少数ながら。

 月岡さんは誰ともくっつかず、全員を振り回すのでは派。

 病室の外で、勝手に戦争が始まっていた。


 もちろん。

 本人だけは、何も知らなかった。

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