↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

78/100

2-27話:勝ったと思った時点で、だいたい一番嫌な奴が出てくる

 巨大な異形の魔獣が、飛びかかった。


 白い床が震える。

 空気が潰れる。

 黒い鱗に覆われた巨体が、コハルたちの視界を埋め尽くした。


「――」


 リュウスケが即座に片手を振る。

 その周囲に、無数の氷が生まれた。


 剣ではない。

 ナイフだった。


 細く。

 鋭く。

 透き通った氷のナイフ。

 それらが一斉に、魔獣の身体へ撃ち込まれる。


 ヒュンッ――!!

 氷の刃が腕に刺さる。


 肩に。

 胸に。

 脇腹に。

 太腿に。


 だが、浅い。

 巨大な魔獣は止まらない。


「効いてねえじゃん!」


 エリィナが笑った。

 怒りと焦りが混ざった、歪んだ笑みだった。


「そんな小さい氷で、そいつが止まるわけないだろ!」


「止めるためじゃない」


 リュウスケが答える。


 直後、床を蹴った。

 跳ぶ。

 魔獣の身体に突き刺さった氷のナイフへ、足をかける。


「え……?」


 コハルが息を呑んだ。


 足場。

 リュウスケは、魔獣へ突き刺した氷のナイフを足場にしていた。


 黒い鱗に覆われた巨体を、駆け上がっていく。

 巨大な腕の横を抜け、突き刺した氷を踏み台にして、上へ、上へ。


「何だよ、お前……!」


 エリィナの声が引きつる。


「ほんと、何なんだよ!」


 魔獣が腕を振り上げた。

 大きい。

 なのに、速い。

 巨体からは想像もできない速度で、拳がリュウスケへ叩き込まれる。


「リュウスケさん!」


 コハルが叫んだ。

 リュウスケは間一髪で身を捻る。

 巨大な拳が、彼のすぐ横を通り過ぎた。


 その衝撃だけで、氷のナイフが数本砕ける。

 足場が消えた。

 それでも、リュウスケは落ちない。

 新たな氷の刃を生み出し、魔獣の鱗へ突き刺す。

 それを支点に身体を引き上げ、さらに上を目指した。


「うわ……」


 コハルは思わず声を漏らす。


 すごい。

 すごいけれど。

 絶対に真似できない。


 不意に、魔獣の別の腕がこちらを向いた。

 狙いはリュウスケではない。

 コハルとリンカだった。


「っ!」


 巨大な拳が迫る。

 コハルはリンカを抱えたまま、横へ跳んだ。


 ドゴォッ!!


 さっきまで立っていた場所が砕ける。

 白い床が割れ、破片が跳ね上がった。


「うわぁ!! 死ぬって!!」


 情けない声が出た。

 それでも、身体は動いている。


 もう一発。

 横から来る。


 速い。

 でかい。

 避けなければ死ぬ。


「いやいやいやいや、無理無理無理!」


 泣き言を口にしながら、身を低くする。

 拳が頭上を通り過ぎた。

 風圧だけで、頬が切れそうになる。


 さらに一発。


「なんでこっち来るんですかぁ!?」


 跳ぶ。

 着地する。

 また避ける。


 ヒュン。

 ヒュン。

 ヒュン。

 巨大な拳が、何度も空を切った。


 怖い。

 怖すぎる。

 足が震える。

 腕も震える。

 抱えているリンカを落としそうになる。


 それでも、落とさない。

 絶対に落とさない。


「コハル」


 腕の中で、リンカが掠れた声を出した。


「お前は逃げてな。ここは、あたしがっ……!」


 リンカの指先に光が集まる。


 暁光。

 けれど。

 弾けた光は、弱かった。


 パシュッ――。

 魔獣の腕をかすめる。

 焦げ跡はついた。

 だが、それだけだった。


「クソ……」


 リンカが歯を食いしばる。


「魔力が……」


 悔しさの滲んだ声だった。

 あの巨体を倒せるだけの光が出ない。


 普段なら撃ち抜ける。

 普段なら焼き切れる。

 正面からでも押し切れる。

 だが、今はできない。


「リンカさん、無理しないでください!」


「無理しないで勝てるなら、苦労しねぇよ!」


「それはそうですけど!」


 そのとき、魔獣が動いた。

 拳ではない。

 突進だった。


 巨体そのものが、コハルたちへ向かって突っ込んでくる。


 白い床が割れる。

 空気が重くなる。

 逃げ場が、一瞬で消えた。


「ぎゃああああああああっ!」


 コハルは叫んだ。

 情けない声だった。

 勇者らしさなんて、どこにもない。


 けれど、怖かった。

 あれは無理だ。

 避けられない。

 リンカを抱えたままでは、間に合わない。

 リンカですら目を瞑り、身体を硬くすることしかできなかった。


 次の瞬間。


 血が噴き出した。

 赤黒いものが、白い部屋へ散る。


 魔獣の断末魔が響き渡った。

 鼓膜を震わせる、けたたましい悲鳴。

 空間そのものが軋むような叫び。

 白い床が震え、黒い裂け目が波打つ。


 長い。

 あまりにも長い悲鳴だった。


 やがて。

 音が止んだ。


「……え」


 コハルは、おそるおそる目を開けた。

 魔獣は止まっていた。

 目前で。

 あとわずかで、コハルたちを押し潰す位置で。


 その胸に、氷の剣が突き刺さっていた。


 いや。

 剣と呼ぶには、大きすぎる。

 十メートルはある。

 巨大な氷の大剣。

 青白く輝く刃が、魔獣の背中から胸を貫いていた。

 心臓の位置を、正確に。


 魔獣の複数の目が、ぎょろりと動く。

 そして、光を失った。

 巨体が崩れ落ちる。


 ドォォンッ!!

 白い床が震えた。


 その向こうに、リュウスケが立っていた。

 片手を前へ突き出したまま。

 息を荒くしながら。

 それでも、表情はいつもと変わらない。


「ごめん」


 リュウスケが言った。


「待たせた」


 コハルは、口を開けたまま固まった。

 リンカも呆然と彼を見ている。

 巨大な氷の大剣は、魔獣の心臓を貫いたまま、淡く輝いていた。


「勝ったんですね……」


 コハルが呟く。


「そうみたいだね」


 リュウスケが答えた。


「やったあ!」


 コハルの声が、白い部屋に響き渡った。

 全身の力が抜けそうになる。


 膝が笑う。

 泣きそうになる。

 けれど、腕の中にはリンカがいる。

 慌てて息を整え、リンカを床へ下ろした。


「立てますか?」


 リンカは顔をしかめた。


「申し訳ないが、肩を貸してくれないか?」


「ああ、それはもちろん」


 コハルはすぐに身を屈める。

 リンカの腕を自分の肩へ回させ、身体を支えた。

 リンカが息を吐く。


「……助かった」


「まだ帰るまでが救出ですから」


「様になってるじゃないか」


「今だけです。たぶん、あとで震えます」


「もう震えてるぞ」


「見ないでください!」


 張り詰めていた空気が、わずかに緩んだ。

 勝った。

 リンカは戻った。

 リュウスケも無事だ。


 ――そう思った。


「おいおいおいおい!」


 甲高い声が、白い部屋に響いた。

 エリィナだった。


「エリィナのこと忘れてんじゃねえぞ……!」


 彼女は震えていた。


 怒りで。

 屈辱で。

 信じていた盤面を、何度もひっくり返された怒りで。


「まだ終わってない。終わってない終わってない終わってない! エリィナはまだやれる!」


「もう決着はついた」


 リュウスケの両手に、氷の剣が生まれる。

 一本ずつ。

 透明な刃。

 冷たい光。


「君の身柄は確保させてもらうよ」


 リュウスケが、エリィナへ向かって歩き出す。


 そのとき。

 コハルの背筋を、得体の知れない悪寒が駆け抜けた。


 理由は分からない。

 理屈もない。

 それでも、分かった。


 まずい。


「ダメっ!」


 コハルは叫んだ。


「リュウスケさん、下がって!!」


 リュウスケが反応する。

 足を止め、身を引こうとした。


 だが。

 遅かった。


 リュウスケの右腕が。

 飛んだ。


「……っ!!」


 リュウスケの表情が、初めて歪んだ。

 氷の剣が落ちる。

 白い床へぶつかり、青白い欠片となって砕け散った。


「あっ……!」


 コハルの喉が震える。


「あっ……うそ……」


 目の前で、リュウスケの右腕が失われている。


 そんなはずがない。

 たった今まで戦っていた。

 勝ったばかりだった。

 助かったはずだった。


「リュウスケさんの腕が……」


 声が震えた。

 リュウスケの前に、一人の少年が立っていた。


 十代後半ほどに見える。

 柔らかそうな灰色の髪。

 優しげな顔立ち。

 いかにも人の良さそうな、ごく普通の少年。

 白いシャツに、青い石のループタイを身につけていた。


 けれど。

 普通ではない。

 そこにいるだけで、空気が濁る。

 禍々しい魔力が、少年の身体から滲み出ていた。

 右手には、巨大な刀が握られている。

 リュウスケの腕を斬り飛ばしたものだった。


「エリィナ」


 少年が穏やかに呼びかける。


「帰ろう」


「な、何で……!?」


 エリィナが声を荒らげた。


「私はもっとやれるんだけど!」


「ちょっと、勝手なことしすぎ」


 少年の声は優しい。

 優しいのに、逆らえない響きがあった。


 エリィナが、びくりと肩を揺らす。

 さっきまでの怒りが、急速にしぼんでいった。

 まるで、叱られた幼子のように。


「……分かったよ」


 エリィナは不満そうに唇を尖らせた。


「帰ろう」


 少年が、こちらへ向き直る。


「あのー、皆さん」


 場違いなほど丁寧な声だった。


「すみませんでした。今日はここで解散にしてもらえないですか?」


「あなたは……」


 コハルは、リンカを支えたまま少年を睨んだ。

 視界が滲んでいた。


 リュウスケが、失われた右腕の付け根を押さえている。

 声ひとつ上げず。

 表情もほとんど変えず。

 それでも、額には冷や汗が浮かんでいた。

 その姿が痛々しくて。

 怖くて。

 悔しくて。


 コハルの瞳から、涙がこぼれた。


「あなたは、誰ですか?」


 少年は困ったように笑った。


「えーと、ボクはユッカといいます」


 そして、淡々と告げる。


「もちろん、本名ではありませんが」


 空気が凍りついた。


「ユッカとエリィナ……?」


 コハルが呟く。


「はい。月船の探究者《クレセント・デバウアー》です。……一応、次男ということになっています。末っ子のエリィナが、ご迷惑をお掛けしました」


 リンカの目が細くなる。

 リュウスケも痛みに耐えながら、少年を見据えていた。


「ごめんなさい」


 ユッカは、本当に申し訳なさそうに言った。


「さすがに可哀想なので」


 ぱちん、と指を鳴らす。


 その途端。

 リュウスケの右腕が、元通りになった。


「なっ……何、今の!?」


 コハルが叫ぶ。


 腕はある。

 血もない。

 切断された跡さえ残っていない。

 けれど、リュウスケの身体が大きく揺れた。

 膝をつきかけ、どうにか踏みとどまる。


「幻術ですよ」


 ユッカが説明した。


「今の幻術を食らって、氷塊の勇者は、腕を斬られたのと同じようなダメージを受けてしまいました」


「幻術……?」


「実際には起きていなくても、脳が現実だと認識した時点で、身体は反応します」


 ユッカはリュウスケへ視線を向ける。


「いくらあなたでも、すぐにはまともに動かせませんよ」


「……」


 リュウスケは何も答えなかった。

 いつもと変わらない無表情。

 それでも、額からは冷や汗が流れ落ちている。

 戻った右手も、かすかに震えていた。


「それでは、これで」


 ユッカが軽く頭を下げる。


「またお会いしましょう」


「ちょっと……!」


 コハルが踏み出そうとする。

 だが、その前に。

 ユッカとエリィナの足元へ、黒い裂け目が開いた。


 二人の姿が、一瞬で消える。

 残されたのは、白い部屋。

 倒れた魔獣。

 消えかけた黒い裂け目。


 そして。

 小さくなっていくワープゲートだった。


「……何か、ちっちゃくなってません?」


 コハルが、ぽつりと漏らす。

 リュウスケが顔を上げた。


「そこ、閉じたら、たぶん帰れなくなる」


「え!?」


 一気に血の気が引いた。

 コハルはリンカを支えたまま、ワープゲートへ向かおうとする。


 だが、遠い。

 思っていたよりも、ずっと遠い。

 しかも、ゲートは刻一刻と小さくなっている。


「急げ……!」


 リンカが歯を食いしばる。


「分かってます!」


 コハルは走った。

 リンカの身体を支えながら。

 リュウスケも、痛む右腕を庇いながら後を追う。


 だが、ゲートは閉じていく。

 黒い縁が狭まる。

 光が細くなる。

 向こう側の景色が、見えなくなっていく。


「間に合わな――」


 閉じかけたゲートの向こうから、一本の腕が伸びてきた。


 炎。


 ボワッ――!!

 凄まじい炎が、ゲートの縁を焼き止める。

 閉じかけていた空間が、力ずくでこじ開けられた。


「間に合ってよかった」


 現れたのは、ジュンタだった。

 その後ろには、クニヒロもいる。


 燃え盛る炎が、ゲートの縁を支えていた。

 まるで閉じようとする空間そのものを焼き、押し広げているようだった。


「おかえり、リンカ」


 ジュンタが言った。

 その声を聞き、リンカが安堵したように息を吐く。

 ジュンタは、リュウスケとコハルへ視線を移した。


「リュウスケさん。それから、コハルさん」


 言葉を選ぶように、ひとつ息を吸う。


「二人の勇敢さと、リンカの帰還に、心から感謝します」


 ジュンタは深々と頭を下げた。

 クニヒロは、その隣で突っ立っていた。

 何か言いたそうに口を開きかける。


 だが。

 ジュンタが無言で、その頭を押さえつけた。


「おい」


「下げろ」


「……チッ」


 クニヒロは不満そうに舌打ちした。

 それでも、大人しく頭を下げる。


「……コハル、悪かった」


 短い声。

 不器用で。

 ぶっきらぼうで。

 それでも、嘘ではなかった。

 ジュンタはゲートを押さえたまま、三人を促す。


「早く帰ろう」


 炎が揺れる。

 ゲートが軋む。

 長くは持たない。


「みんなが待ってる」


 コハルは、リンカの身体を支え直した。

 リュウスケは、自分の右腕を見下ろす。

 まだ痛みが残っているのか、指先が震えていた。


 それでも、彼は歩き出した。

 リンカが息を吐く。


「……帰るか」


「はい」


 コハルは頷いた。

 守れた。

 助けられた。

 でも、終わったわけではない。


 ユッカ。

 エリィナ。


 月船の探究者《クレセント・デバウアー》。


 新たな脅威が、胸の奥に重く残っていた。


 それでも。


 今は帰る。

 生きて。

 全員で。

 コハルたちは、ワープゲートをくぐり抜けた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。