2-26話:画面越しに祈り始めた時点で、だいたいもう他人ではいられない
客間の空気は、重かった。
誰も騒がない。
誰も無駄口を叩かない。
静かなはずなのに、息を呑む音だけが妙に近く聞こえる。
部屋の中央。
大型モニターの白い光が、全員の顔を照らしていた。
映し出されているのは、白い部屋。
映像を送っているのは、シグレが事前にリュウスケへ渡していた異世界遺物――神々の虹彩。
視覚共有。
空間固定。
魔力中継。
複数の高位術式を重ねることで成立する、極めて希少な観測装置だった。
その映像が今、客間にいる全員へ、容赦なく戦場を突きつけている。
白い床。
黒い裂け目。
飛び散る血。
吹き飛ぶ魔獣。
氷の剣。
閃く光。
そして。
リンカを抱えたまま戦う、巨大な男。
「……コハルさん……」
マナトが、苦しげにその名を呼んだ。
祈りにも似た声だった。
拳は白くなるほど強く握り締められている。
視線はモニターへ縫い付けられ、一瞬も逸れない。
瞬きすら惜しむように。
怖かった。
苦しかった。
胸の奥が、ずっと痛い。
コハルが戦っている。
命を懸けて。
リンカを守って。
震えながら、それでも前へ出ている。
なのに。
自分はここにいる。
何もできない。
その事実が、ただ苦しかった。
見ていることしかできない自分が、どうしようもなく嫌だった。
バチッ――と、指先から雷が弾ける。
感情に引きずられた魔力が、わずかに漏れていた。
「マナト」
隣から、レンマが声をかける。
普段より低い声だった。
「コハルちゃんなら大丈夫だって」
「……でも」
「見てよ、あの顔」
レンマは顎でモニターを示した。
そこに映るコハルは、怖がっていた。
明らかに怯えている。
肩は強張り、呼吸も荒い。
目の奥には、消えきらない恐怖が残っている。
けれど。
それだけではなかった。
怒っている。
昂ぶっている。
必死だった。
必死なのに、どこか誇らしげでもあった。
自分が守るのだと。
自分が連れて帰るのだと。
その覚悟を、全身で叫んでいる顔だった。
レンマの口元に、かすかな笑みが浮かぶ。
「吹っ切れてる」
「……」
「あれはもう、止まらない顔だよ」
マナトは何も返せなかった。
返せなかったけれど、その言葉はわずかに胸へ届いた。
画面の中で、コハルが魔獣を蹴り飛ばす。
片腕にはリンカ。
それでも前へ出る。
迷わず。
止まらず。
「……リンカさん」
カイリが、不安げに呟いた。
視線が揺れている。
無理もなかった。
リンカは強い。
誰よりも強い。
ヘリオス・サービス副社長。
暁光の勇者。
帰還者社会では、半ば象徴のように扱われている人物。
けれど。
今のリンカは、明らかに弱っている。
顔色は悪く、呼吸も浅い。
コハルの危機を察知して光を放つたび、苦しげに肩を揺らしている。
その姿が、ただ怖かった。
「大丈夫ですかね……」
「心配いりません」
アスミが静かに答えた。
珍しく、その声に軽さはない。
彼女も真剣だった。
膝の上で、指を固く組んでいる。
「あのリンカさんが、“まだ戦える”って顔をしてる時点で、たぶんまだ終わってません」
「……」
「むしろ怖いのは、あの状態でも戦う気でいることです」
誰も反論しなかった。
全員、分かっている。
リンカは、そういう人だ。
身体が壊れても前へ出る。
誰かを守るためなら、平然と限界を踏み越える。
だからこそ。
皆、あの人に憧れてしまう。
「これは……やられたね」
ジュンタが呟いた。
客間の空気が、わずかに動く。
全員の視線が集まった。
ジュンタは苦く笑っていた。
いつもの軽薄さは薄れ、静かな目だけがモニターを見つめている。
「申し訳なかった」
画面の中で、コハルがまた一体、魔獣を殴り飛ばした。
ジュンタはその姿を見ながら、言葉を続けた。
「これは、俺があの子の本質を見極められなかった責任だ」
レンマが片眉を上げる。
「へえ。ちゃんと謝れるんだ」
「茶化すなよ」
「いや、珍しいなって」
ジュンタは息を吐いた。
「……俺はさ」
視線はモニターから外れない。
「もっと普通に怯えると思ってた」
怖がって。
泣いて。
守られる側に回る。
それが自然だと思っていた。
けれど。
あの子は違った。
震えながら。
怖がりながら。
それでも前へ出た。
しかも。
誰かを守るために。
「完全に、見誤ったよ」
その声には、本物の悔しさが滲んでいた。
隣で、クニヒロは何も言わない。
ただ、モニターを見つめていた。
釘付けだった。
目を離せない。
リンカを抱えながら戦うコハル。
魔獣を蹴り砕く姿。
恐怖を抱えたまま、それでも前へ出る姿。
見惚れていた。
自分でも認めたくないほどに。
喉が渇く。
(何なんだよ、あれ。何なんだよ、あいつ)
格好いい。
めちゃくちゃ格好いい。
「ふたりともさ」
レンマが軽い調子で言った。
「みんなが帰ってきたら、土下座ね」
「土下座でも何でも構わない」
ジュンタは即答した。
迷いはなかった。
「リンカを連れ帰ってきてくれたら、俺はもうプライドなんていらないよ」
その瞬間。
モニターの中で、巨大な魔獣が咆哮した。
空気が震える。
白い部屋が揺れる。
コハルがリンカを抱え直す。
リュウスケが氷の剣を構える。
そして。
二人は前へ出る。
ジュンタの背筋に、戦慄が走った。
「……ああ、くそ」
言葉が、思わず漏れる。
「こんなに見惚れる戦いは、初めてだよ」
誰も、否定しなかった。




