↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

76/100

2-25話:守る役目を背負った時点で、だいたい足は勝手に前へ出る

 最初に動いたのは、リュウスケだった。

 白い床を這うように、氷が走る。


 薄く。

 鋭く。

 速く。

 それは床を凍らせるための氷ではない。

 刃を生み出すための氷だった。


 リュウスケが右手を払う。

 その手の中に、氷の剣が生まれた。


 透明な刃。

 白い冷気。

 刃の芯にだけ、淡い青色の光が通っている。


 次の瞬間。

 リュウスケの姿が消えた。


「っ……!」


 コハルが息を呑む。

 速い。


 眠そうで。

 無表情で。

 消極的で。

 いつも何を考えているのか分からない人。


 そんな印象が、一瞬で吹き飛ぶほど。

 リュウスケは速かった。


 黒い裂け目から這い出した魔獣の首が、まとめて宙を舞う。

 氷の剣が、白い空間に青い軌跡を描いた。


 牙が届く前に、脚を凍らせる。

 爪が振り下ろされる前に、腕を斬り落とす。

 叫び声を上げる前に、喉を裂く。


 淡々と。

 静かに。

 ほとんど取りこぼすことなく。

 リュウスケは、魔獣たちを斬り伏せていく。


「な……っ」


 エリィナの顔が歪んだ。


「何なんだよ、お前……! 最弱って聞いてたんだけど!?」


「……弱いよ」


 リュウスケは振り向きもしなかった。

 その声は、相変わらず薄い。

 だが、剣は止まらない。


「たぶん、自分のためだけじゃ、戦えないから」


 氷の刃が、また一体を両断した。

 その瞬間。

 リュウスケの横を、影が抜けた。


 一体の魔獣が斬撃の隙間をすり抜け、コハルたちへ向かって跳んでくる。


「コハルさん!」


 リュウスケの声が飛ぶ。

 けれど、遅い。


 魔獣の口が開く。

 鋭い牙が覗く。

 生臭い息が迫ってくる。

 コハルはリンカを抱き締めたまま、息を止めた。


 怖い。

 足が震えている。

 腕も震えている。

 心臓が痛いほど鳴っている。


 けれど。

 それはもう、ただの恐怖ではなかった。

 身体の奥で、何かが燃えている。

 武者震いに近かった。


(リュウスケさんが……)


 作戦を聞いたとき、本当に怖かった。

 うまくいく保証などなかった。

 失敗すれば終わりだった。


 リンカも助からない。

 自分も連れていかれる。


 それでも。

 リュウスケは賭けを成立させた。


 寝不足で。

 疲れ切っていて。

 責任に押し潰されそうになりながら。

 それでも、成功させた。


(リュウスケさんが頑張ってくれたんだ)


 だから。


(私は、リンカさんを絶対に守る)


 魔獣が迫る。

 コハルはリンカを片腕で抱き直した。


(これが、私の役目……!)


 そして。

 長い脚を振り抜いた。


 ドゴッ――!!

 鈍い音が、白い部屋に響く。


 魔獣の頭が、横から押し潰された。

 巨体が吹き飛び、何度も床を跳ね、黒い裂け目の近くまで転がっていく。


「……え?」


 誰よりも驚いていたのは、コハル自身だった。


 今のは。

 ただ蹴っただけだ。


 近づいてきたから。

 守らなければと思ったから。

 身体が勝手に動いただけ。


 なのに。

 魔獣は起き上がらなかった。


「何か……いつもと違う」


 コハルは呟いた。

 明らかに強い。


 万能の心得(フルポテンシャル)の使い方を、身体が覚えたのか。

 それとも、リンカを助けたいという想いに、スキルが応えたのか。

 リュウスケの功績に応えたいと、心から願ったからなのか。


(たぶん……全部なんだろうな)


 また一体。

 リュウスケの斬撃を逃れた魔獣が、横から飛び込んでくる。


 今度は爪だった。

 黒い爪が、コハルの肩を狙って振り下ろされる。


「っ!」


 避けられない。


 リンカを抱えている。

 片腕も塞がっている。


 それでも。

 退くわけにはいかない。

 コハルは前へ出た。


 そして。

 頭突きを叩き込んだ。

 ゴッ!!


 額と魔獣の顔面が激突する。

 普通なら、絶対にしてはいけない動きだった。

 けれど、今のコハルの身体は普通ではない。


 魔獣の顔面がひしゃげた。

 牙が折れる。

 巨体が後方へ吹き飛ぶ。


「……頭突きで……?」


 コハルが呆然とする。

 その腕の中で、リンカの指が動いた。


「……ん……」


「リンカさん!?」


 コハルは慌てて顔を覗き込む。

 リンカのまぶたが、ゆっくりと開いた。


 焦点の合っていない瞳。

 意識はまだぼんやりしている。

 それでも、確かに目を覚ましていた。


「……誰だ」


 掠れた声が漏れる。


「お前は……誰だ……?」


「リンカさん、私です! コハルです!」


「……コハル?」


 リンカの眉が寄る。

 混乱している。


 無理もない。

 目を覚ましたら、見知らぬ大柄な男に抱きかかえられていたのだから。


「今、スキルの効果でこうなっているだけです!」


「……ああ」


 リンカは数秒間、黙り込んだ。

 そして。


「なるほどな」


 妙に納得した声で言った。


「そこは納得するんですね!?」


「お前なら……まあ、あり得る」


「あり得る扱いなんですか!?」


 叫びながらも、コハルは動く。

 正面から飛びかかってきた魔獣を、肘で迎え撃った。


 ドンッ!!

 肘が魔獣の胸にめり込む。

 そのまま、砕けた。


 骨なのか。

 甲殻なのか。

 それとも魔力の塊なのか。

 正体の分からない何かが、粉々になって飛び散った。


「……強いな」


 リンカが呟いた。


「自分でもちょっと怖いです!」


「なら、ちょうどいい」


「何がですか!?」


「戦場で自分の強さを怖がれる奴は、まだ大丈夫だ」


 リンカの声は弱々しい。

 それでも、その言葉には芯があった。


 暁光の勇者。

 そう呼ばれる者の声だった。


 だが、戦いはまだ終わっていない。

 黒い裂け目は増え続けている。

 リュウスケが大半を斬り伏せている。


 それでも、数が多すぎる。

 白い部屋の至るところで、魔獣の影が蠢いていた。

 そのうちの二体が、同時にコハルたちへ襲いかかる。


 一体なら対処できる。

 だが、二体。


 片方は正面。

 もう片方は背後から。

 リンカを抱えたままでは、両方を防げない。


「まず――」


 正面。

 コハルは片足を踏み込む。

 蹴りで一体を潰した。


 だが、背後。

 もう一体の牙が、リンカの首元へ迫る。


「――光束穿撃(レイ・ペネトレーター)」


 その瞬間。

 高密度の光が、白い部屋を貫いた。


 糸のように細く。

 針のように鋭く。

 けれど、その熱量だけは暴力的だった。


 光は背後の魔獣を、一直線に撃ち抜く。

 魔獣の身体に穴が開いた。


 直後。

 内部から光が弾ける。

 魔獣は声を上げる暇もなく、崩れ落ちた。


「油断するなよ、コハル……」


 腕の中で、リンカが薄く笑っていた。

 顔色は悪い。

 身体にも力が入っていない。


 それでも。

 指先には、淡い光が灯っている。


「リンカさん……!」


「礼は後でいい」


 リンカは苦しげに息を吐く。


「今は……生き残れ」


「はい!」


 コハルは強く頷いた。


 リュウスケが前方で魔獣を斬る。

 氷の剣が折れる。

 その瞬間には、次の剣が生まれている。


 折れても。

 砕けても。

 次々と生み出される。

 リュウスケの周囲だけ、季節が変わっていた。

 白い部屋に、冬が降りている。


「コハルさん、右」


「はい!」


 リュウスケの声に反応し、コハルは右足を振る。

 魔獣が吹き飛んだ。


「左、低い」


「っ!」


 今度は膝。

 飛び込んできた小型の魔獣を、膝蹴りで叩き落とす。


「上」


「上!?」


 コハルは見上げる。

 天井の白に紛れていた、蜘蛛のような魔獣が落ちてくる。


 リンカを抱えたまま、身体を捻った。

 踵が跳ね上がる。

 落下してきた魔獣を、空中で蹴り砕いた。


「……すごいな、お前」


 リンカが呟く。


「今、褒められてます!?」


「褒めてる」


「ありがとうございます!」


「でも、抱え方が雑だ」


「すみません!」


 戦闘中なのに。

 怖いのに。

 笑いそうになった。


 リンカが喋っている。

 リンカが生きている。

 それだけで、胸の奥が熱くなる。


 守れる。

 守りたい。

 絶対に、ここから連れて帰る。


「……気に入らない」


 その声が、白い部屋に落ちた。


 エリィナだった。

 彼女は震えていた。


 怒りで。

 屈辱で。

 信じていた盤面をひっくり返されたことへの、抑えきれない苛立ちで。


「気に入らない、気に入らない、気に入らない!」


 黒い裂け目が、さらに大きく開く。

 これまでのものとは比べものにならない。

 その奥から、低い唸り声が響いてきた。


 空気が重くなる。

 白い床が軋み、沈む。

 出てくる。

 先ほどまでの魔獣とは、明らかに違う何かが。


「お前ら、まとめて潰してやる……!」


 エリィナの声が、低く歪んだ。


「契約も、勇者も、女神の加護も、全部ぐちゃぐちゃにしてやる!」


 黒い裂け目の奥から、巨大な腕が現れる。


 太い。

 黒い。

 硬い鱗に覆われた腕。

 続いて、角が覗く。


 複数の目。

 巨大な口。

 白い部屋へ、異形の巨体が落ちてきた。

 床が激しく震える。


 コハルはリンカを抱え直した。

 リュウスケは氷の剣を構え直す。

 リンカは目を細めた。


「……あれは、少し面倒だな」


「少しで済みます!?」


「済ませるしかないだろ」


 リンカの指先に、再び光が灯る。

 リュウスケの足元から、氷が広がっていく。

 コハルの胸の奥で、万能の心得(フルポテンシャル)がさらに熱を帯びた。


 怖かった。

 それでも、足は下がらなかった。


 リンカを抱えた腕に力を込める。

 リュウスケが横目でコハルを見た。


「行ける?」


 短い問い。

 コハルは頷く。


「行けます」


 声は震えていた。

 それでも、迷いはなかった。


「私が、守ります」


 リュウスケは目を細めた。


「……頼もしいね」


 その一言で。

 コハルの中にあった恐怖が、熱へと変わっていく。


 白い部屋に、巨大な魔獣の咆哮が響き渡った。


 リュウスケが踏み込む。

 コハルも、リンカを抱えたまま床を蹴った。


 守るために。

 帰るために。

 そして。

 約束を果たすために。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。