2-15話:ルナ被害者の会がある時点で、だいたい女神は信用できない
車内には、静かな余韻が残っていた。
コハルが異世界で使っていたスキル。
命火の燃焼。
死神の観測。
聖域治癒。
天眼索敵。
因果遮断。
本人は「支援寄りだった」と語っていた。
だが、周囲の反応を見る限り、どうやらその一言で片づけていい経歴ではないらしい。
コハルは居心地悪そうに、自分の手を見つめていた。
何の変哲もない手。
乾燥気味の、ごく普通の手。
それなのに、かつてこの手は戦場で誰かを生かしていた。
誰かを守っていた。
そう言われても、いまひとつ実感が湧かない。
むしろ、落ち着かなかった。
すると、レンマがぽんと手を打った。
「じゃあさ。本題なんだけど」
「はい?」
「どうして万能の心得を持ち帰ってきたの?」
その言葉に、車内の全員がコハルを見た。
誰もが疑問に思っていたことだった。
これほど強力なスキルをいくつも使えたのに、なぜ、あえて使い勝手が最悪に近い万能の心得を持ち帰ったのか。
異世界から持ち帰れるスキルは、たった一つ。
それなら普通、もっと扱いやすい能力を選ぶはずだった。
「それは……」
「それは?」
レンマが身を乗り出す。
マナトも真剣な顔をしている。
カイリとアスミも前のめりになり、リュウスケも無表情のまま耳を傾けていた。
コハルは視線を泳がせる。
そして、答えた。
「ルナに、おもしろがって押しつけられたんです」
「……あー」
レンマが一度、天井を見上げた。
数秒考えたあと、勢いよく頷く。
「ルナかぁ〜! 納得!」
「納得するんですか!?」
「するする。めちゃくちゃする」
「そんなに!?」
「そんなに」
レンマは深く頷いた。
「ちなみに、今いる勇者って、全員ルナ経由なんだよね」
「えっ、そうなんですか?」
コハルは目を丸くした。
マナトが静かに頷く。
「そうです。ルナは、召喚した人間を途中で帰還させることを好みません」
「途中帰還者って……異世界での役目を終える前に、元の世界へ戻された人ですよね?」
「はい。賢者という呼び方も、ヘリオス・サービスが便宜上つけたものです。分類としては途中帰還者に当たります」
「えっ!? 知りませんでした!」
「言っていませんでしたから」
「ええ……」
コハルの身体が強張る。
自分は魔王を討伐して帰ってきた。
だが、それは決して簡単なことではなかったのだと、今になって分かる。
「ルナには、独自の美学があるんです」
マナトが言った。
「これがまた、非常に厄介なのですが」
「美学?」
「死ぬ気で取り組めば、できないことなどない。そう考えています」
「そ、そんな無茶苦茶な……」
「要するに、途中で元の世界へ戻すくらいなら、異世界へ放置したまま最後まで戦わせる方を選びます」
「えっ!? 怖っ!」
コハルは思わず声を上げた。
「女神ですよね!?」
「女神です」
「女神って、そんな感じなんですか!?」
「少なくともルナは、そんな感じです」
マナトは淡々と答えた。
レンマも腕を組んで頷く。
「まあ、悪意だけで動いてるわけじゃないんだけどね」
「そうなんですか?」
「うん。ただ、人間とは善意の感覚がズレてる」
「それ、一番困るやつじゃないですか」
「そう。一番困るやつ」
アスミが、にこにこしながら補足する。
「人間から見ると、親切と迷惑と実験が全部混ざってる感じですねえ」
「最悪じゃないですか」
「でも、女神なので」
「でも女神なので、で済ませていいんですか?」
コハルは本気で困惑した。
女神。
もっと優しくて、慈悲深くて、困った時に手を差し伸べてくれる存在。
少なくとも、コハルの中ではそういうものだった。
だが、目の前にいる勇者たちは、あまりにも自然に「女神は危険だ」と語っている。
その慣れきった態度が、かえって恐ろしかった。
「コハルさんと最初にお会いした頃、ルナ被害者の会があるとお伝えしたじゃないですか」
マナトが思い出したように言った。
「はい。聞きました」
「あれは、我々勇者の集まりのことです」
「そうだったんですか!?」
コハルの声がリムジンの中へ響いた。
レンマが笑う。
「そう、勇者は全員被害者」
リュウスケが無表情のまま呟いた。
「言い方が重いです!」
「でも、事実です」
マナトが真顔で言う。
「俺たちはルナに召喚され、異世界へ送り込まれ、どうにか生き残り、帰還して、今ここにいます」
「言い方が完全に労災なんですよ」
「実質、労災です」
「勇者って、もっと夢のあるものじゃないんですか!?」
「夢はあります」
「あるんですか?」
「あります。ただし、悪夢も含みます」
「含まないでほしかったです!」
コハルは頭を抱えた。
自分だけではなかった。
ルナに振り回された人間は、他にも大勢いる。
しかも、その被害者たちが今、目の前に座っている。
暴風の勇者。
雷を操る勇者。
氷を操る、氷塊の勇者。
そして、暁光の勇者。
全員が、何らかの形でルナに人生を狂わされていた。
「……つまり、私だけじゃなかったんですね」
「うん」
レンマが頷く。
「コハルちゃんだけじゃないよ」
「……」
「まあ、万能の心得を押しつけられて男体化するタイプは、今のところコハルちゃんだけだけど」
「そこは私だけなんですね!?」
「そこは、だいぶ特殊」
「嬉しくない特殊です!」
車内に笑いが戻った。
先ほどまでの重い空気が、わずかに和らぐ。
けれど、完全に消えたわけではない。
コハルは窓の外へ目を向けた。
高速道路は、今も東北へ向かって伸びている。
リンカは、その先にいる。
エリィナもいるかもしれない。
そして、その奥には、ルナの影までちらついている。
自分が考えていたより、ずっと大きな話になっていた。
(……私、本当に普通に生活したかっただけなんだけどな)
心の中で呟く。
だが、普通に暮らしたいと願う自分が、どうやら一番普通ではないらしい。
自分では地味だと思っていた異世界での経歴が、話せば話すほど周囲を沈黙させていく。
「……あの」
コハルが口を開いた。
「ルナ被害者の会って、会費とかあるんですか?」
「そこ気になるんだ」
レンマが吹き出した。
「いや、だって。会って言うから……」
「安心してください。会費はありません」
マナトが真面目に答える。
「活動内容は?」
「情報共有、精神的ケア、ルナへの愚痴、必要に応じた共同戦線です」
「思ったより、ちゃんとした会だった!」
「かなり実用的だよ」
レンマが笑う。
「ちなみに、入会条件は?」
「ルナに人生を大きく狂わされたこと」
「嫌すぎる条件ですね」
「コハルちゃんは満場一致で加入資格ありだね」
「嬉しくないです!」
「ようこそ、ルナ被害者の会へ」
「歓迎しないでください! せめて、勇者組とかそんな名前にしてもらえないですか!?」
リムジンの中に、また笑いが起きた。
コハルは思わず顔を覆う。
東北へ向かう道は、まだ続いている。
不安もある。
怖さもある。
それでも、今だけは思えた。
自分は、一人ではない。
同じように理不尽な女神に振り回され、それでも生き残り、今を生きている人たちがいる。
それは、心強かった。
たとえその集まりの名前が、ルナ被害者の会だったとしても。
どう考えても、あまり入りたくない会だったとしても。




