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2-14話:本人が地味だと思っていた時点で、だいたい経歴が一番派手

 その後の道のりは、拍子抜けするほど平和だった。


 高速道路は、東北へ向かって静かに伸びている。

 窓の外を流れていく山の稜線。次々と後方へ消えていく標識。遠くに見えるサービスエリアの看板。


 つい先ほどまで異世界の荒野にいたことが、まるで嘘のようだった。


 リムジンの車内にも、ようやく落ち着いた空気が戻り始めている。


 アスミは膝の上に無限の聖域(エターナル・ヘイブン)を載せ、何度も角度を変えながら確認していた。


 キューブの内部には、まだ黄金色の光が満ちている。


 調子がいい。

 というより、良すぎる。


「……これ、しばらく再充電しなくても大丈夫かもしれませんねえ」


 アスミが呟いた。


「そんなに入りました?」


「入りました」


「へえ……」


「へえ、ではありません」


 マナトが即座に口を挟んだ。


「コハルさん。先ほどの数値は、本当に異常です」


「異常値って言われると、急に健康診断みたいで嫌ですね」


「健康診断なら即再検査です」


「そんなにですか……」


 コハルは肩を落とした。

 自分としては、言われた通りにやっただけだった。


 魔力を流すイメージ。

 キューブの内側へ注ぎ込むイメージ。

 身体の奥にある温かなものを、手のひらから押し出す感覚。


 正直なところ、最後まで仕組みはよく分かっていなかった。


 分からないままやった。

 分からないまま光った。

 分からないまま、一瞬で満タンになった。

 結果だけが、やたらと派手だった。


「でも、本当に体調は大丈夫なんだよね?」


 レンマが心配そうに尋ねる。


「はい。特には」


「眠い以外は?」


「眠い以外は」


「そこはずっと眠いんだ」


「移動中って、眠くなりません?」


「なる」


「なります」


「……なるね」


 レンマ、マナト、リュウスケが順番に頷いた。


「じゃあ、普通です」


「それを普通の範囲に入れていいんですかねえ」


 アスミはキューブを眺めたまま言った。

 声はいつも通り、のんびりしている。

 けれど、その視線は先ほどからずっとコハルへ向けられていた。


「あの……そんなに見られると、落ち着かないんですけど」


「すみません。珍しいものを見ると、つい」


「珍しいもの扱い……」


「かなり珍しいですよ〜」


「うう……」


 コハルは膝の上で自分の手を握った。


 先ほどキューブを一瞬で満たした手。

 けれど、今はどこから見ても普通の手にしか見えない。


 爪も普通。

 指も普通。

 手のひらも普通。

 何なら、若干乾燥している。


(これが桁違いの魔力を収める器だって言われても、全然実感ないな……)


 そんなことを考えていると、レンマがふと口を開いた。


「そういえばさ」


「はい?」


「コハルちゃんって、異世界ではどんな勇者だったの?」


「どんな、と言われても……」


 コハルは困った。


 勇者。


 確かに、異世界ではそう呼ばれていた。

 だが、自分が勇者らしい勇者だったとは思っていない。


 剣を掲げて前線へ立つ。

 敵を倒す。

 仲間を率いる。

 民衆から称えられる。


 そんな派手な勇者像とは、だいぶ違っていた。


「ほら、コハルちゃんってさ」


 レンマは頬杖をつく。


「そこまで争いを好むタイプじゃないじゃん」


「それは……まあ、はい」


「敵を倒してヒャッハーするタイプでもないでしょ」


「ヒャッハーはしません」


「だよね」


「でも、それならマナトさんやレンマさん、リュウスケさんも同じじゃないですか?」


 コハルは素直に言った。


 三人とも強い。

 間違いなく、普通の人間とは比較にならないほど強い。

 けれど、戦うことが好きで仕方がない人たちには見えない。

 少なくとも、普段の様子からは。


 レンマが口元を緩めた。


「いやいや。男子は心の中に、だいたい中学二年生の頃の自分を住まわせているんだよ」


「え」


「だから異世界で特別な力を手に入れたら、一回くらいは万能感に溺れる」


「溺れるんですか?」


「溺れる」


「ズバズバ倒すんですか?」


「倒す」


「そんなものなんですか……?」


 コハルはマナトへ視線を向けた。

 マナトは真顔だった。


「レンマさんと一緒にしないでください」


「えー」


「俺は生き残るために必死でした」


「とか言って」


 レンマが笑う。


「絶対、異世界時代はいろいろヤンチャしてるからね」


「していません」


「雷属性って、中二病の塊じゃん」


「違います」


「絶対、技名叫びながら格好つけてたよ」


「……」


「今、黙ったね」


「黙っていません」


「黙ったよ」


「黙っていません」


 また始まった。

 コハルは二人のやり取りを眺めながら、苦笑した。


 マナトとレンマは最近ずっとこんな調子だ。


 言い合っている。

 張り合っている。

 だが、本気で仲が悪いわけではない。


「やっぱり、仲良し?」


 リュウスケが静かに言った。


「良くないです」


「まあまあかな」


 またマナトとレンマの答えが見事に分かれる。


「仲良く見えるよ」


「よくありません」


「そういうところだよ、マナト」


 レンマが笑う。

 コハルの身体から、わずかに力が抜けた。


 リンカのこと。

 エリィナのこと。

 自分の魔力のこと。

 先ほどから、不安になる話ばかりが続いていた。


 こうしてくだらない会話をしていると、少しだけ呼吸がしやすくなる。


 怖いことが消えたわけではない。

 ただ、頭の中が恐怖だけで埋まらずに済む。

 それがありがたかった。


「まあ、それは置いておいてさ」


 レンマが話を戻す。


「勇者も賢者も、基本的に男性の比率が高いんだよ。リンカさんとアスミちゃんを知ってるから実感しにくいかもしれないけど、女性の異世界帰還者ってかなり珍しいんだ」


「そうだったんですか」


「うん。だから、コハルちゃんがどんな勇者だったのか気になって」


「どんな勇者……」


 コハルは考えた。


 異世界にいた頃の自分。


 女神に召喚され、何も分からないまま戦いへ放り込まれた人間。


 最初は、本当に何もできなかった。


 剣は使えない。

 魔法の仕組みも分からない。

 身体能力も普通。


 そして何より、怖かった。


 自分より大きな魔物。

 見たこともない空。

 聞き慣れない言葉。


 自分を勇者様と呼び、縋るような目で見上げてくる人々。


 何もできないのに、前へ出ろと言われた。

 世界を救ってほしいと願われた。

 祈られた。


 正直なところ、荷が重すぎた。


「私は……どちらかというと、支援寄りでした」


「支援?」


「はい」


 コハルは頷いた。


「命火の燃焼《バーニング・ライフフォース》という、便利なスキルがありまして」


 その瞬間。

 車内の空気が止まった。


 レンマの笑顔が固まる。

 マナトの目つきが変わる。

 アスミがキューブから顔を上げた。

 カイリが背筋を伸ばす。

 リュウスケも、コハルへ視線を向けた。


「え?」


 レンマが首を傾げる。


「それって、伝説級スキルの一つじゃん」


「そうなんですか?」


「そうなんですか、って……」


「私は、それを使っていました」


「ん?」


 レンマがもう一度首を傾げた。

 今度は、先ほどよりも深く。


「それ、本当ですか?」


 マナトの声が低くなる。


「はい。使ってました」


「命火の燃焼《バーニング・ライフフォース》を?」


「はい」


「味方の生命力と魔力循環を強制的に高め、身体能力、魔法出力、回復速度、精神耐性を一括で底上げする、あの命火の燃焼《バーニング・ライフフォース》ですか?」


「あ、たぶんそれです」


「たぶんで扱っていいスキルではありません」


 マナトが真顔で言った。


「え。でも、頻繁に使っていましたよ」


「頻繁に使えるようなものではありません」


「そんなにですか?」


「そんなにです」


 コハルは困惑した。

 自分にとっては、かなり馴染みのあるスキルだった。


 戦闘前に使う。

 仲間が強くなる。

 仲間が敵を倒してくれる。

 自分は後方から状況を見る。

 当時は、それが自然な流れだった。


「簡単に説明すると、味方を限界近くまで強化するスキルなんですけど」


「知ってるよ」


 レンマが言った。


「使われた側が、一時的に別人みたいな出力を出せるようになるやつでしょ」


「はい。そんな感じです」


「そんな感じ……」


「味方を強化して戦ってもらっていたので、正直、私はあまり何もしなくても、気づいたら戦闘が終わっていたことが多かったです」


 沈黙。

 今日だけで何度目か分からない沈黙が、車内へ落ちた。


「あれ? 私、また変なことを言いました?」


「変なことというか……」


 レンマがゆっくりと答える。


「コハルちゃんの『あまり何もしていない』の基準が、だいぶおかしい」


「そうですか?」


「そうです」


 マナトが即答した。


「命火の燃焼《バーニング・ライフフォース》は、単なる支援スキルではありません。戦場全体の勝敗を変える、戦略級の能力です」


「戦略級」


「それを使える人間が一人いるだけで、部隊編成も作戦も変わります」


「ええ……」


 コハルは眉を下げた。


「でも、私は前に出るのが怖かったので。仲間に頑張ってもらっていただけです」


「それは、支援役として正しい判断だよ」


 リュウスケが言った。

 静かな声だが、妙に説得力がある。


「自分が前に出て死ぬより、後方で味方を強化して生かす方がいい」


「そうなんですかね」


「そう」


 リュウスケは頷いた。


「でも、それを実行できる人は少ない」


 コハルは黙り込んだ。


 褒められているのか。

 危険視されているのか。


 よく分からない。


 たぶん、その両方なのだろう。


「しかも、先ほどの魔力量を見る限り」


 アスミが会話へ加わる。


「コハルさんの命火の燃焼《バーニング・ライフフォース》は、一般的な出力ではなかった可能性がありますねえ」


「一般的な出力ではない?」


「はい。通常なら五分しか維持できない強化が、十分、二十分、それ以上続いていたとか」


「あー……」


 コハルは記憶を探る。


「確かに、長かったかもしれません」


「どれくらいですか?」


「普通の戦闘なら、最初に一回かければ、終わるまで持続していました」


「一戦ずっと?」


「はい」


「一戦って、どれくらいですか?」


「短ければ十分くらいですけど、長い時は一時間とか」


「一時間……」


 カイリが呆然と復唱する。


「一時間、伝説級の強化を維持……」


「やっぱり変ですか?」


「変です」


「すごく変です」


「かなり変だね」


「危険だと思う」


 マナト、カイリ、レンマ、リュウスケが順番に答えた。


「敵から総攻撃されませんでした?」


 アスミが尋ねる。


「されてました」


「でしょうねえ」


「でも、私が後ろにいると仲間が守ってくれたので」


「敵から見れば、コハルさんが最優先撃破対象ですよ」


「そうだったみたいです」


 コハルは苦笑した。

 思い返せば、よく狙われた。


 矢。

 魔法。

 毒。

 呪い。

 転移による奇襲。

 精神干渉。

 さまざまな攻撃を受けた。


 中には、今でも思い出したくないものもある。


「でも、仲間が強かったので」


「コハルちゃんが強くしてたんでしょ」


「そうなんですかね」


「そうだよ」


 レンマの声から、いつもの軽さが消えた。


「支援役って、自分で敵を倒さないから実感が薄いのかもしれない。でも、戦闘の結果そのものを作っていたのは、コハルちゃんだと思うよ」


 コハルは言葉に詰まった。

 そんなふうに考えたことはなかった。

 自分は、後ろにいただけだ。


 怖くて。

 前に出られなくて。

 まともに戦えなくて。

 仲間に守られて。

 それでも役に立ちたくて、必死にスキルを使った。


 ただ、それだけだった。


 けれど、それも戦っていたことになるのだろうか。


「私、あまり勇者らしくなかったんです」


 コハルは呟いた。


「みんなが前で戦ってくれて、私は後ろから強化して、回復して、状況を見て……たまに逃げて」


「逃げるのは大事」


 リュウスケが言った。


「生き残っていたから、勝てた」


「……そういうものですか」


「そういうもの」


 リュウスケは淡々としている。

 それなのに、その言葉には重みがあった。


「あ、もちろん、ボス戦では多少戦う必要もあったので」


 コハルは空気を変えようと、やや明るい声を出した。


「死神の観測(グリム・オブザーバー)とか使っていましたけど」


 再び沈黙が落ちた。

 今度は、先ほどよりも深い。


「……闇属性も使えたんですか?」


 マナトの声には、明らかな動揺が混じっていた。


「はい」


「死神の観測(グリム・オブザーバー)を?」


「はい」


「それは、即死系の禁呪に近いスキルでは?」


「そうなんですか?」


「そうなんですか、ではありません」


 マナトの声が上ずる。


「相手の死の瞬間を観測して、現実をそこへ近づけるスキルだったので、重宝していました」


「重宝……」


「はい。大きな敵とか、再生する敵とか、普通に倒すと時間のかかる相手に使っていました」


 車内の全員が黙り込んだ。

 コハルは不安になる。


「あ、でも、毎回使えたわけではないですよ? 効かない敵もいましたし」


「そういう問題ではありません」


 マナトが額を押さえた。


「コハルちゃん」


 レンマが慎重に尋ねる。


「ちなみに、他には?」


「他?」


「使っていたスキル」


「えっと……」


 コハルは指を折りながら数え始める。


「命火の燃焼《バーニング・ライフフォース》」


「うん」


「死神の観測(グリム・オブザーバー)」


「うん」


「聖域治癒(ホーリー・リカバリー)」


「上級回復……」


 カイリが小声で呟いた。


「天眼索敵(ヘブンズ・サーチ)」


「広域索敵……」


 今度はマナトが呟く。


「因果遮断(フェイト・カット)」


「待って」


 レンマが止めた。


「今、何て言った?」


「因果遮断(フェイト・カット)です」


「何を遮断してたの?」


「呪いとか、追尾魔法とか、運命固定系の攻撃とか」


「運命固定系」


「はい。避けても必ず当たる攻撃があって」


「あー、あるね」


「それを遮断していました」


「本来、あれは遮断できるものじゃないんだけどな……」


 レンマが遠い目をする。


「コハルちゃん。もしかして、異世界で相当えげつない戦場にいた?」


「えげつないかどうかは、分からないですけど」


「分かりますよ。だいぶえげつないです」


 アスミがにこにこしながら言った。


「強化、回復、索敵、即死、呪術対策。これ、一人で高難度パーティーの後衛中核をほぼ全部担当していますねえ」


「そうなんですか?」


「そうです」


「でも、前衛は仲間に任せていました」


「後衛を全部やりすぎです」


 カイリが思わず声を上げた。


「……そんなに異常なことですか?」


 コハルが不安そうに尋ねる。


「いえ! すみません! ただ、本当にすごいです!」


 カイリは慌てて頭を下げた。

 コハルはますます困ってしまう。


 すごいと言われる。

 けれど、自分ではすごいことをした感覚がない。


 必死だった。

 怖かった。

 帰りたかった。

 死にたくなかった。

 誰かを死なせたくなかった。

 ただ、それだけだった。


「……あの頃は」


 コハルは窓の外へ目を向けた。


「自分が強いとか、すごいとか、考える余裕がなかったんです」


 誰も口を挟まなかった。


「とにかく、誰かが死なないようにって。そればかり考えていました」


 声が静かになる。


「私、戦うのが怖かったので。せめて、みんなが死なないようにしたくて」


 車内が静まり返った。

 今度の沈黙は、これまでとは違う。


 驚きでもなければ、呆れでもない。


 コハルの言葉が持つ重さを、全員が受け止めている。


「だから、勇者って言われても」


 コハルは苦笑した。


「自分では、あまり勇者らしいことをした気がしないんです」


 その言葉を聞き、マナトが静かに息を吐いた。


「コハルさん」


「はい」


「それは、十分に勇者です」


「……そうですか?」


「はい」


 マナトは真っ直ぐにコハルを見た。


「誰かが死なないように願いながら、それでも戦場に立ち続けたのなら」


 落ち着いた声だった。


「それは、間違いなく勇者です」


 コハルは目を伏せた。


 恥ずかしい。

 けれど。


 胸の奥には、じんわりとした熱が広がっていた。

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