↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

61/100

2-10話:二つ名に恥じない仕事をしようとした時点で、だいたい日曜日は終わっている

 二つ名会議が終わり、車内がふっと静かになった。


 迅雷だの、過保護だの、ありほごだの。


 さっきまで飛び交っていた馬鹿みたいな言葉の余韻が、まだ少しだけ残っている。


 レンマの軽い声。

 カイリの真面目すぎる議事録。

 アスミの眠そうな一言。

 リュウスケの小さな照れ。

 そして、マナトの赤くなった耳。


 その全部が、リムジンの中をわずかに温めていた。


 けれど。


(……え)


 コハルの背筋に、ぞわりと嫌なものが走った。


 寒気ではない。

 吐き気でもない。

 痛みでもない。

 けれど、明らかに不快だった。


 空気に、ぬるりとした何かが混ざったような感覚。

 誰かの視線が、肌の表面を撫でていくような感覚。


 車内の温度が、一瞬で変わる。


 違う。

 これは、ただの嫌な予感ではない。

 来る。

 何かが、来る。


「カイリさんっ!」


 考えるより先に、コハルは叫んでいた。


「リムジンに結界を張ってください!」


 その声に、うとうとしていたカイリとアスミが同時に跳ね起きた。


「接敵ですか!?」


 カイリの顔から眠気が消える。

 さっきまで議事録係だった青年の目が、賢者のものに変わった。


「方陣結界《スクエア・セイクリッド》!」


 カイリの指先が宙をなぞる。


 直後、リムジンの内側に淡い光の線が走った。


 床。

 天井。

 窓。

 座席の隙間。

 ドアの縁。

 空調の吹き出し口。


 幾何学模様の光が車内を駆け抜け、リムジン全体を包み込む。


 勇者たちも、ほとんど同時に動いていた。

 マナトの表情から、さっきまでの柔らかさが消える。

 レンマが無言でカフェラテを置く。

 リュウスケの足元に、白い霜が広がる。

 アスミは目を細め、眠そうだった顔を消した。


 誰も、理由を聞かなかった。

 誰も、コハルを疑わなかった。


 ただ、動いた。

 それが怖くて。

 同時に、頼もしかった。


「よく気づいたね、コハルちゃん」


 レンマが、にやりと笑う。

 けれど、その目はもう笑っていなかった。


 次の瞬間。

 轟音。

 リムジンの外で、何かが爆ぜた。


 視界が白く跳ねる。

 耳の奥が震える。

 車体が、大きく横へ揺れた。


「……っ!」


 コハルは反射的に座席へしがみつく。


 窓の外を、炎と煙のようなものが一瞬だけ流れていった。


 高速道路。

 走行中の車。

 日曜日の移動。

 そんな普通の言葉が、全部吹き飛ぶ。


 けれど、リムジンは壊れなかった。

 カイリの結界が、衝撃を受け止めている。

 透明な壁に、波紋のような光が広がった。


 ぱき、と嫌な音がする。

 それでも、割れない。


「……っ、間に合いました!」


 カイリが歯を食いしばる。


「高速道路で喧嘩売ってくるなんて、一般人の巻き込みとか全然考えてくれないんだね」


 レンマの声は軽かった。

 だが、目は鋭い。


 さっきまで、二つ名を自分で褒めていた男ではない。

 暴風の勇者。


 その名前が、急に冗談ではなくなった。


「性格が悪いですね」


 マナトが静かに右手を上げる。

 その指先に、青白い電光が走った。

 ぱち、と空気が弾ける。


「コハルさん、伏せていてください」


「はい!」


 言われるまま、コハルは体を低くした。


 リュウスケは窓の外を見たまま、低く呟く。


「……反応が複数ある」


「敵ですか?」


 アスミが聞く。


「……そうだね」


 カイリが結界を維持しながら、スマホの画面へ視線を落とした。


「前方、右側、後方に反応。囲まれてます」


「リムジン相手に包囲って、なかなか本気だね」


 レンマはゆっくり首を回した。

 笑っている。

 けれど、軽薄ではない。

 この人は、こういう顔もするのだと、コハルは今さらのように思った。


「カイリくん、結界維持できる?」


「できます! ただ、連続で撃たれるときついです!」


「じゃあ、撃たれる前に止めるしかないね」


 レンマが窓の外を見る。


 その横で、マナトの電撃が強くなった。

 青白い光が、車内を一瞬照らす。


 迅雷の勇者。

 コハルは、また心の中でそう呼んだ。


 さっきまでなら、少し恥ずかしかったかもしれない。

 けれど今は、不思議としっくり来る。


 この場にいる誰よりも冷静に。

 誰よりも早く。

 守るために動く雷。


「コハルさん」


 マナトが、前を見たまま言った。


「絶対に、座席から動かないでください」


「分かりました」


「何があってもです」


「はい」


 声が震えそうになる。

 それでも、コハルは頷いた。


 怖い。

 高速道路で爆発に巻き込まれて、敵に囲まれて、平気でいられるわけがない。

 けれど、車内の誰も取り乱していなかった。


 マナトは前を見ている。

 レンマは笑っている。

 リュウスケは外の反応を探っている。

 アスミは敵の気配を追っている。

 カイリは必死に結界を支えている。


 それが、怖くて。

 だけど、心強い。


「来ます!」


 カイリが叫ぶ。

 二度目の衝撃が、結界を叩いた。


 今度は、さっきより近い。

 光の壁が軋む。

 リムジンが大きく揺れる。


 コハルの体が座席から浮きかけ、マナトの腕が一瞬だけ前に出た。

 触れられたわけではない。

 けれど、守ろうとしたのは分かった。


 それだけで、胸の奥がぎゅっとなる。


「張り直します!」


 カイリが声を上げる。

 結界の光が一度薄くなり、すぐに濃くなった。


 幾何学模様が組み直され、壊れかけた壁を無理やり補強していく。


「無理しすぎないでね、カイリくん」


「無理しないと割れます!」


「じゃあ無理して」


「もちろんですっ!!」


 こんな状況なのに、レンマは軽い。

 カイリも叫びながら返す。


 けれど、これはふざけているのではない。

 怖さに飲まれないための呼吸だ。


 さっきの二つ名会議と同じ。

 馬鹿みたいな言葉を挟んで、それでも戦う。

 この人たちは、そうやって危険な場所で息をしてきたのだ。


「前方、距離詰めてきます!」


 アスミが鋭く言った。

 眠たげだった声は、もうどこにもない。


「リュウスケさん」


「……見えてる」


 リュウスケの声が、低く沈む。


 足元の霜が広がった。

 窓の内側に、白い結晶が浮かぶ。

 冷気が、車内の空気を薄く切った。


「水分、ある。路面にも、空気中にも。少しなら止められる」


「頼もしいね、氷塊の勇者」

 

 レンマが茶化す。


「……やめて」


「照れてる場合じゃないですよ!」


 カイリが叫ぶ。


「照れてない」


「耳赤いです!」


「……ごめん」


「謝るところでもないです!」


 コハルは少しだけ笑いそうになった。


 でも、笑えなかった。

 怖さの方が勝っていた。

 ただ、その怖さの中に、妙な安心が混じっている。


 誰も諦めていない。

 誰も混乱していない。

 誰も、自分を置いていない。


「マナト」


 レンマが短く呼ぶ。


「分かっています」


 マナトは即答した。


 青白い雷が、右手から腕へ広がる。

 その電撃は派手ではない。


 けれど鋭く、無駄がない。


「コハルさん」


「はい」


「目を閉じても構いません」


 マナトは前を見たまま言った。


「怖いなら、見なくていいです」


「……」


 コハルは一瞬迷った。


 見たくない。

 今すぐ目を閉じて、全部終わるまで何も知らないふりをしたい。


 けれど。


「見ます」


 小さく、そう言った。


 マナトの横顔が、わずかに動く。


「……無理はしないでください」


「はい。でも、見ます」


 自分が踏み入れた世界だ。

 自分が狙われている世界だ。

 そして、彼らが戦っている世界だ。


 怖いから見ない。

 守られるから知らない。

 それだけでは、たぶん駄目だと思った。


「……分かりました」


 マナトはそれ以上、止めなかった。

 その代わり、雷が一段強くなる。


「来るよ」


 レンマが低く言った。


 その声に、車内の空気が張り詰める。

 次の瞬間、前方の空間が歪んだ。


 何かが飛んでくる。


 黒い影。

 炎の尾。

 高速道路を走るリムジンに向かって、一直線に。


「カイリくん!」


「受けます!」


 結界の光が厚くなる。

 だが、その直前。


「受けなくていい」


 レンマが笑った。


 窓の隙間もないはずのリムジンの中で、風が鳴る。


 細く、鋭く。

 見えない刃のような風。


 それが、外へ抜けた。

 黒い影が弾かれる。


 爆ぜる。

 炎が横へ流れる。


 その隙を、マナトの雷が貫いた。

 青白い閃光。


 音が遅れてくる。

 ばちん、と空気が破裂するような音。


 コハルは思わず息を止めた。

 窓の外で、何かが道路端へ弾かれ、煙を上げながら消えていく。


「一つ」


 マナトが静かに言った。


「怖い数え方するね、迅雷くん」


「呼ばないでください」


「今のは結構似合ってたよ」


「集中してください」


「してるよ」


 レンマは笑う。

 けれど、その笑顔の奥は冷たい。


「で、次は?」


「右側、二つ。後方、一つ」


 リュウスケが答える。


「前方にもまだいます!」


 カイリが画面を見ながら叫ぶ。


「人気者だねえ、俺たち」


「嬉しくない人気ですね」


 マナトが返す。


 そのやり取りを聞きながら、コハルは膝の上の手を握り締めた。


 数分前まで、二つ名の話をしていた。


 暴風は、本当に風を操る。


 氷塊は、本当に空気を凍らせる。


 賢者は、本当に結界で命を守る。


 そして、迅雷は。


 正確に、かつ迅速に、雷を放つ。


(……全然、日曜日じゃない)


 コハルは心の中で呟いた。


 日曜日。

 高速道路。

 リムジン。

 少し高級な移動。


 そんなものは、もうどこにもない。


 あるのは、結界の光。

 青白い雷。

 冷たい霜。

 見えない風。

 そして、敵の気配。


 それでも、リムジンは走り続ける。

 止まらない。


 逃げ切るためではなく。

 目的地へ向かうために。


「さて」


 レンマが、低く笑った。

 その声が、車内に落ちる。


「二つ名に恥じない仕事を、しようか」


 その瞬間、マナトの青白い雷が、窓の外へ弾けた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。