2-9話:二つ名を考え始めた時点で、だいたい勇者の威厳は少し削れる
サービスエリアを後にして、リムジンは再び高速道路へ戻った。
窓の外では、景色が少しずつ都市の色を失っていく。
建物は低くなり、空は広くなり、道路脇には緑が増えていく。遠くには、山の稜線もうっすら見え始めていた。
(……なんか、空気が重いな)
コハルは膝の上で手を組みながら思った。
勇者。
賢者。
リムジン。
リンカの失踪。
月船の探究者。
五年前の亡霊。
単語だけ並べても、日曜日の移動とは思えない。
せめて温泉旅行とか、社員旅行とか、高級ドライブとか。
そういう言葉が一つでも混ざっていれば、まだ救いがあった。
だが実際には、どれも物騒だった。
車内は広い。
普通の車ならありえないほど広い。
なのに、乗っている人間の密度が濃すぎる。
隣にはマナト。
向かいにはレンマ。
離れた席にはリュウスケ。
後方には、半分眠っているようなアスミと、資料を読んでいるカイリ。
全員、普通ではない。
そしてたぶん、自分ももう普通ではない。
その事実が、リムジンの静かな揺れと一緒に、胸の奥へ沈んでいく。
だから、コハルは口を開いた。
深刻な話ではない。
作戦の話でもない。
リンカの話でもない。
ただ、空気を変えたかった。
「そういえば、みなさんって二つ名があるんですね」
レンマがすぐに反応した。
「あるよ。俺が暴風。リンカさんが暁光。リュウスケさんは氷塊だね」
「……」
コハルは、ちらりとリュウスケを見る。
大柄な体。
無表情。
低い声。
さっき足元から漏れ出していた霜。
確かに似合う。
似合いすぎている。
逆に、レンマは普段こそ飄々としているが、戦闘時になると驚くほど冷酷になる。
守るために、すべてを切り裂く鎌鼬。
その姿は、紛れもなく暴風にふさわしい。
「すごく……みなさん、しっくり来ますね」
コハルは納得したように頷いた。
「マナトさんはないんですか?」
コハルが聞くと、マナトは首を横に振った。
「ないですね。俺は三年前に勇者になったので、コハルさんのひとつ先輩なんですよ」
「言ってましたよね」
「こういう『何々の勇者』という肩書は、当然ですが自分で考えるものではありません。周囲が勝手につけているだけです」
「まあ、自称してたら痛い奴でしょ」
レンマがさらっと言った。
「『我こそは暴風の勇者』とか、自分で言ってたらだいぶきついよね」
「レンマさんは似合いそうですけど」
コハルが言うと、レンマは目を細めた。
「え、ほんと?」
「アクション俳優さんっぽいですし」
「そうかな?」
レンマは珍しく、照れたように口元を緩める。
「本当はアクション俳優になりたかったんだよね。若い頃の話だけど。結局、異世界のゴタゴタがあってさ、諦めちゃったけど」
「え、そうなんですか?」
「うん。体動かすの好きだったし、顔もそこそこいいし」
「自分で言うんですね……」
マナトが呟く。
「言わないと誰も言ってくれない時期ってあるじゃん」
「ありますか?」
「あるよ。人生にはある」
レンマは妙に実感のこもった顔で頷いた。
マナトが静かにため息をつく。
「……嬉しそうですね」
「いや、だってコハルちゃんに褒められたし」
「褒めていたんですか?」
「褒めてました」
コハルが答えると、レンマは満足そうに笑った。
それだけで、車内の空気がわずかに軽くなる。
マナトは咳払いをした。
「俺はヘリオスからの仕事をそこまで多く担っていませんし、派手に動き回ってもいません。だから、特に二つ名は付いていませんね」
「そうですか……」
コハルは、少し残念そうに呟いた。
マナトには何かありそうな気がした。
いつも冷静で。
真面目で。
過保護で。
必要なことを、必要以上にやる人。
それを一言で表す名前があってもいいのではないか。
「じゃあさ、この際マナトにも二つ名を付けようか!」
レンマの突拍子もない提案。
「やめてください」
マナトは即答した。
「恥ずかしいですから」
「でも、あったら便利じゃない? 暴風、暁光、氷塊って来て、マナトだけ金色マナトです、だとちょっと名刺感あるし」
「名刺感とは何ですか」
「会社員感?」
「俺は現場職ですよ」
「でも雰囲気はあるよね」
「ありません」
「あります」
コハルが小さく言った。
マナトが固まる。
「……ありますか」
「はい。真面目な会社員っぽさはあります」
「……そうですか」
マナトは目を伏せた。
その隙に、レンマが身を乗り出す。
「ほら、コハルちゃんも乗り気だし」
「乗り気とは言っていませんけど……でも、あったらカッコいいですよね」
コハルが前のめりになって言った。
マナトはまた固まった。
「ほら。コハルちゃんが言ってるよ。カッコいいって」
「……その言い方はずるいです」
レンマは楽しそうに肩を揺らす。
「じゃあ決まり。マナトの二つ名会議、開始」
「会議にしないでください」
「議長は俺で。書記はカイリくん」
「えっ、俺ですか!?」
後方で資料を見ていたカイリが、急に顔を上げた。
「俺、資料確認してるんですけど!?」
「大事だよ。マナトの二つ名」
「優先順位おかしくないですか!?」
「でも緊張しっぱなしだと疲れるでしょ」
レンマは軽く言った。
その言い方が、妙に自然だった。
コハルは気づく。
たぶん、わざとだ。
リンカのこと。
月船の探究者のこと。
五年前のこと。
全員、考えすぎている。
だからこそ、こういう話をしている。
馬鹿みたいで、どうでもよくて、でも呼吸がしやすくなる話を。
レンマは、そういうことをする人なのだ。
「では」
カイリは真面目な顔でスマホを構えた。
「候補をメモします」
「やるんですね」
「すみません! ちょっと面白そうで!」
「最悪です」
マナトは額を押さえた。
後方から、アスミが眠そうな声を出す。
「じゃあ、金色の勇者でいいんじゃないですか」
「そのままですね」
「でもマナトさん、金色っぽいです」
「金色っぽいとは」
「名前が」
「名前だけですか」
マナトが真顔で返す。
「あと、雷帝掌握ってスキル名が金色っぽいじゃないですか」
「雷帝掌握は、どちらかと言うと青白い電撃なんですよね」
コハルが自然に返した。
その言い方があまりに普通で、アスミが顔を上げる。
「そうなんですね。私、マナトさんが戦ってるところ、ちゃんと見たことないかもです」
「そうなんですか?」
「はい。噂では聞いてますけど。堅実とか、正確とか、敵がかわいそうとか」
「敵がかわいそう……」
コハルは苦笑した。
けれど、すぐに表情が柔らかくなる。
「すごくカッコいいですよ」
その一言で、車内の空気が止まった。
マナトが明らかに固まる。
レンマの目が細くなる。
カイリが「おお……」と小さく漏らす。
リュウスケは窓の外を見ている。
だが、たぶん聞いている。
「コハルさん」
マナトが遅れて声を出した。
「……その評価は、かなり過大です」
「でも、私を助けてくれた時、すごくカッコよかったです」
「……」
マナトは黙った。
冷静に返そうとしている。
けれど、返し方が見つかっていない。
レンマは面白くなさそうに頬杖をつく。
「へえ。コハルちゃんから見ても、マナトはカッコいいんだ」
「え、あの、別にそういう意味で言ったわけでは……」
「そういう意味じゃないんだ?」
「いや、そういう意味っていうか、戦い方が……」
「戦い方が?」
「だから、その……」
コハルは言葉に詰まった。
マナトの戦い方は、冷静で、正確で、無駄がない。
守る時だけ、怖いくらい迷いがなくなる。
それは確かにカッコいい。
でも、それを口にすると、なぜか別の意味まで混ざりそうだった。
「……とにかく、カッコいいと思いました」
結局、そう言った。
マナトの耳が赤くなる。
「マナト、耳」
「赤くありません」
「赤いよ。リュウスケさん、赤いよね?」
話を振られたリュウスケは、ゆっくりマナトを見た。
「……赤いと思う」
「リュウスケさん」
「ごめん」
「謝らなくていいよ。事実だから」
レンマが笑う。
マナトは目を閉じた。
「この会議、早く終わらせましょう」
「まだ始まったばかりだよ」
「最悪です」
カイリがスマホを見ながら、真面目に言う。
「では候補一つ目、金色の勇者」
「却下で」
「早いですね!?」
「名前そのままなので」
「じゃあ、雷光の勇者とか?」
カイリが声を上げる。
「それは……まあ、能力には近いですね」
マナトが珍しく即却下しなかった。
コハルも頷く。
「雷光、カッコいいです」
その言葉に、マナトの視線が揺れた。
けれど、レンマは見逃さない。
「今、ちょっと気に入ったでしょ」
「気に入っていません」
「顔が『悪くない』って言ってた」
「顔で勝手に判断しないでください」
「コハルちゃん、出てたよね?」
「えっ」
急に振られて、コハルは困った。
全員がこちらを見る。
(な、なんで私が判定する流れに……)
コハルは考えて、正直に言った。
「……悪くないと思ってそうでした」
「コハルさん」
「すみません」
「謝らなくていいよ。事実だから」
レンマがまた同じことを言う。
マナトは深く息を吐いた。
「雷光は、響きとしては悪くありません。ただ、少し攻撃的です」
「あ、なるほど。マナトさん、攻撃っていうより守る感じですもんね」
また、車内が止まった。
マナトが、ゆっくりコハルを見る。
「……守る感じ、ですか」
「はい。前に出て全部壊すっていうより、ちゃんと見ていて、必要な時だけ一気に動く、みたいな」
「……」
「だから、雷っていうより……避雷針?」
「ダサいね」
レンマが即答した。
「即答しないでください!」
「だって避雷針の勇者って、設備感すごいじゃん。ビルについてるやつ感」
「しかも、勇者なのに建築基準法っぽいです」
カイリが真面目に乗った。
「安全そうではありますね」
アスミもぼそっと言う。
「安全性で評価しないでください」
マナトが低く言った。
けれど、コハルは真剣だった。
「でも、役割としては近いと思うんです」
「まあ、言いたいことは分かるけどね。全部受けて、全部流す感じでしょ?」
「はい」
「それをカッコよく言い換えないとダメなんだよ」
「難しいですね……」
カイリが真顔でスマホに入力する。
「避雷の勇者。雷除けの勇者。落雷対策の勇者。高電圧対応の勇者」
「もう業者です」
「資格持ってそうですね」
「持ってはいますけど……」
マナトが困ったように眉を曲げる。
レンマは腹を抱えそうになっていた。
「高電圧対応の勇者、いいじゃん。安全講習っぽい」
「嫌です」
「絶縁の勇者」
「人間関係まで切れそうですね」
「それは縁起が悪いです」
コハルが真面目に言うと、レンマが笑った。
「コハルちゃん、そこ真面目に考えるんだ」
「だって、二つ名って大事じゃないですか。呼ばれる名前って、その人の印象になりますし」
そう言ってから、コハルは黙った。
二つ名があるということは、誰かがその人をそう見たということ。
暴風。
暁光。
氷塊。
それぞれ、その人が誰かに与えた印象だ。
だから、マナトにもあるなら。
ちゃんとマナトらしいものがいい。
強いだけじゃなくて。
怖いだけじゃなくて。
しかるべき時に真価を発揮してくれそうな、そんな雷。
「……じゃあ」
コハルはもう一度口を開いた。
「迅雷とか……」
「迅雷?」
カイリが繰り返す。
「マナトさん、スピード速いですし。怒るときちんと怒って、怖くなる感じも合うかなと……」
一瞬、静かになった。
レンマが、ゆっくりと口を開く。
「……それ、悪くないね」
「え」
「ちゃんと“それっぽい”。語感もいいし、意味も通ってる。避雷針より百倍いい」
「そこは比べないでください」
マナトは黙っていた。
しばらくして、小さく口を開く。
「……迅雷」
その音を、一度だけなぞる。
「まあ、先ほどの中では、一番まともですね」
「採用?」
「採用とは言っていません」
「でも否定しなかった」
「相対評価です」
「今まで全部即却下だったよね?」
「……」
マナトは言葉に詰まった。
コハルは、その様子を見て笑った。
「似合うと思いますよ。迅雷の勇者」
押しつけるでもなく、ふざけるでもなく。
ただ、自然に。
マナトは、ゆっくりと目を閉じた。
「……仮、です」
「仮きた」
レンマが笑う。
「正式採用ではありません」
「はいはい。迅雷くん」
「呼ばないでくださいと言いました」
「迅雷のマナト」
「余計に呼びにくいです」
「株式会社迅雷マナト」
「会社にしないでください」
「ほら、会社員感あるし」
「ありません」
「あります」
コハルがまた小さく言った。
マナトがこちらを見る。
「……コハルさんまで」
「すみません。でも、あります」
「かなりあります」
カイリも乗った。
「ヘリオスの管理職っぽいです。報告書とかすごく丁寧そうです」
「丁寧ではあります」
「認めるんだ」
レンマが笑った。
マナトは眉間を押さえる。
けれど、不思議とそこまで嫌そうではなかった。
呆れている。
困っている。
恥ずかしがっている。
その全部が混ざった顔だった。
「では、第二候補として迅雷の勇者を記録します」
カイリがきっちり言う。
「第二候補なんですか?」
「第一候補は金色の勇者です」
「却下したはずですが」
「議事録上は残します」
「残さないでください」
そのやり取りに、コハルは笑った。
リムジンの中に、温度が戻っていた。
重たいものが消えたわけではない。
リンカはまだいない。
目的地は遠い。
五年前の亡霊は、たぶんまだどこかで息をしている。
それでも、今だけは。
このくだらない会議が、全員の呼吸を楽にしていた。
すると、アスミが眠そうに手を上げた。
「過保護の勇者」
「やめてください」
マナトが即答した。
「でも一番しっくり来ません?」
「来ません」
「いや、来るよ」
レンマが頷く。
「夜に電話する、食材を送る、護衛を手配する、日報を読んで固まる」
「必要な対応です」
「出た。過保護な人がよく言うやつ」
「違います」
マナトは否定した。
けれど、コハルは黙った。
正直、心当たりがありすぎた。
「コハルさん」
「はい」
「今、納得しかけませんでしたか」
「……してません」
「間がありました」
「ちょっとだけです」
「ちょっとだけ、何ですか」
「過保護かもしれないとは思いました」
「コハルさん」
「でも、ありがたい過保護です」
「ありがたい過保護の勇者」
レンマが繰り返して笑う。
「絶対に嫌です」
「略して、ありほご」
「略さないでください」
「ありほごの勇者」
「弱そうですね」
アスミがぼそっと言う。
マナトは完全に疲れていた。
だが、その疲れ方はどこか平和だった。
その時だった。
ずっと窓の外を見ていたリュウスケが、ぽつりと言った。
「……万雷」
全員が、リュウスケを見る。
「え?」
「どうかな?」
車内が、また静かになる。
今度の静けさは、妙に真面目だった。
「万雷の勇者……」
カイリが呟きながらスマホに入力する。
「いいですね。かなり勇者っぽいです」
「うん。いい」
レンマも頷いた。
「リュウスケさん、急にちゃんとしたの出してきたね」
「……ごめん」
「いや、褒めてる褒めてる」
リュウスケはまた窓の外を見る。
耳が赤い。
「リュウスケさんも赤いですね」
アスミがぼそっと言う。
「……赤くない」
「赤いです」
「……ごめん」
「謝らなくていいよ。事実だから」
レンマが今日何度目かのそれを言った。
コハルは、万雷という言葉を頭の中で転がした。
万雷。
迅雷。
雷光。
どれも違う。
そして、どれもマナトに似合う気がした。
けれど。
「私は、迅雷が好きです」
コハルはぽつりと言った。
マナトがまた固まる。
レンマが、今度は黙ってコハルを見る。
「なんで?」
「文字もカッコいいですし、スマートな感じがして、マナトさんに合っています」
「うん」
二つ名会議なのに。
くだらない話のはずなのに。
でも、言葉が止まらなかった。
「……買いかぶりです」
「でも、私はそう見えました」
「……」
「だから、迅雷の勇者がいいです」
また、車内が静かになった。
マナトはしばらく何も言わなかった。
そして、ゆっくり息を吐く。
「……では、仮候補としては認めます」
「認めた!」
カイリが声を上げた。
「仮候補です」
「でも認めました! 議事録に残します!」
「残さなくていいです」
「残します!」
レンマは頬杖をついたまま笑っていた。
「よかったね、迅雷くん」
「呼ばないでください」
「コハルちゃん公認」
「その言い方もやめてください」
マナトの耳が、また赤くなる。
今度は隠すように窓の外へ視線を向けた。
コハルは、それに気づいてしまった。
気づいたが、言わなかった。
言ったら、たぶんこの会議が終わらない。
そして、マナトがもっと困る。
困るマナトを見るのは、ちょっと面白い。
本当にちょっとだけ。
けれど、それを本人に知られるのはかなりまずい。
だから、コハルは黙った。
「しかし、迅雷の勇者かあ」
レンマが改めて口にする。
「いいんじゃない? ちゃんと強そうだし、ちゃんとマナトっぽいし」
「正式採用ではありません」
「でも嫌じゃないんでしょ?」
「……嫌では、ありません」
その言葉に、コハルは胸が温かくなった。
自分が考えた言葉を、完全には嫌がられなかった。
それだけのことなのに、嬉しかった。
「じゃあ決まりですね」
カイリが勢いよく言った。
「金色、雷光、迅雷、万雷、過保護、ありがたい過保護、ありほご。以上七候補です」
「後半を消してください」
「どこからですか?」
「過保護から全部です」
「ありほごも?」
「最優先で消してください」
「残念です」
「残念がらないでください」
車内に、また笑いが起きた。
リムジンは静かに走り続ける。
窓の外では、山の稜線が近づいていた。
空は広い。
けれど、そこには薄い灰色が混ざり始めている。
月船の探究者。
その名前を思い出すだけで、胸の奥が冷える。
でも、今は。
まだ、このくだらない話をしていたかった。
そんな時、隣から静かな声がした。
「コハルさん」
「はい」
振り向くと、マナトがこちらを見ていた。
さっきまでの照れた顔ではない。
いつもの落ち着いた顔。
けれど、どこか柔らかい。
「先ほどの二つ名ですが」
「はい」
「……ありがとうございます」
「え?」
「真剣に考えてくれたので」
コハルは言葉を失った。
「いえ、そんな……変な流れでしたし」
「変な流れではありました」
「そこは否定しないんですね」
「否定はできません」
マナトは淡々と言った。
「ただ、嬉しくなかったわけではありません。それだけです」
言うだけ言って、マナトはまた窓の外を向いた。
耳は、まだ赤かった。
コハルは、今度こそ何も言わなかった。
言ったら、たぶん台無しになる。
だから、黙って小さく頷いた。
「……はい」
レンマが、向かいでそれを見ていた。
何か言いそうな顔をした。
けれど、言わなかった。
珍しく、本当に何も言わなかった。
ただ口元を緩めて、視線を窓の外へ流した。
「……いいねえ」
小さく呟く。
誰に向けた言葉なのかは、分からなかった。
でも、レンマの声は、どこか寂しそうにも聞こえた。




