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2-8話:サービスエリアで氷塊の勇者と合流した時点で、だいたいもう普通には戻れない

 リムジンが高速道路に入る頃、コハルはようやく実感していた。


(本当に行くんだ)


 言葉にした時より。

 荷物を詰めた時より。

 駅前に立っていた時より。


 車が動き出した今が、一番そう感じた。


 もう戻れない。

 いや、正確には戻れる。


 今から「やっぱり無理です」と言えば、たぶんマナトは止めてくれる。

 レンマも責めない。


 でも、戻らないと決めたのは自分だ。


 コハルは膝の上で手を握った。

 それに気づいたのか、マナトがこちらを見る。


「怖いですか」


「怖いです」


「そうですか」


「はい」


「それでいいと思います」


「え?」


「怖くない方が危ないです」


 マナトは静かに言った。


「怖いなら、慎重になれます。無理もしにくくなります。だから、怖いと思っていてください」


「……マナトさん」


「ただし、怖くなったら言ってください」


「はい」


「黙って我慢しないでください」


「はい」


「無理をしたら」


「怒るんですよね」


「はい」


「もう覚えました」


「なら大丈夫です」


 大丈夫。

 その言葉には、確かな根拠があるようで、ない。

 けれど、マナトが言うと信じたくなる。


 向かいで、レンマが頬杖をついた。


「マナト、朝から保護者モード全開だね」


「必要な確認です」


「うんうん。必要だよねえ」


「茶化さないでください」


「茶化してないよ。半分くらい」


「半分は茶化しているということですね」


「そうとも言う」


 いつものやり取り。

 それがありがたかった。


 非日常へ向かっているのに、二人の会話はいつも通りだ。

 たぶん、それは二人なりの優しさだった。


 車は高速道路を進んでいく。

 街が遠ざかる。

 ビルが減る。

 住宅地が過ぎていく。

 景色は、知らないものへ変わっていった。


 後方の席では、アスミが半分寝ているような顔をしている。

 カイリは調べもの中なのか、真剣な顔でタブレットを操作していた。


 リムジンの中は広い。


 広いはずなのに、全員が同じ目的地へ向かっているせいか、空気は妙に狭く感じた。


 コハルは、ふと聞いた。


「氷塊の勇者さんとは、どこで合流するんですか?」


「途中のサービスエリア」


 レンマが答える。


「そこから一緒に行くらしいよ」


「リュウスケさんも、この車に乗るんですか?」


「たぶん」


 そこで、マナトが眉を寄せた。


「……大丈夫でしょうか」


「何が?」


「リュウスケさんは、女性が苦手でしたよね」


「ああ」


 レンマは考え込むように視線を上げた。


「たぶん大丈夫。マナトが紹介すれば」


「私、そんなに危険人物みたいですか?」


「いや、リュウスケさんにとって女性はだいたい高難易度イベントだから」


「イベント扱い……」


 マナトが真面目に補足する。


「リュウスケさんは、女性が嫌いなわけではありません。ただ、距離感が分からなくなるようです」


「それ、本人も言ってたかも」


「じゃあ、会ったらどうすればいいですか?」


 コハルは焦った。

 自分も初対面が得意な方ではない。

 そこに、女性が苦手な勇者が来る。


 難易度が高い。

 こちらにとっても、普通に高い。


「普通でいいです」


「普通が一番難しいんですけど」


「大丈夫です。リュウスケさんの方がもっと難しく考えます」


「安心できない安心材料ですね」


 レンマが口元を押さえる。


「コハルちゃん、たぶんリュウスケさんと気が合うよ」


「どうしてですか?」


「どっちも、巻き込まれたくないのに結局来るタイプだから」


「それは……否定しづらいです」


「でしょ」


 車内の空気が緩む。

 けれど、その緩さは長く続かなかった。


 高速道路の先に、大きなサービスエリアの看板が見えてきた。

 リムジンは車線を変え、サービスエリアへ入っていく。


 広い駐車場。

 観光バス。

 家族連れ。

 バイクの集団。

 売店へ向かう人たち。


 どこにでもある休日の風景。


 その一角に、一人の男が立っていた。


 大きい。

 遠目でも分かるほど大きい。

 なのに、不思議なくらい目立たない。


 地味なジャケット。

 黒いバッグ。

 短く整えた髪。

 無表情。

 下がり気味の視線。


 水瀬リュウスケだった。


 リムジンが近づくと、リュウスケは顔を上げた。


 表情は変わらない。

 だが、車を見た瞬間、明らかに固まった。

 レンマが窓の外を見て言う。


「リュウスケさん、リムジン見て困ってる」


「分かるんですか?」


「分かる。あれは困ってる」


「表情変わってませんけど……」


「付き合い長いからね」


 車が止まる。


 召喚体の運転手が降りて、ドアを開けた。


 レンマが先に降りる。

 マナトも続く。

 コハルは緊張しながら、最後に車外へ出た。


 冷たい風が頬を撫でる。

 東京より、空気が澄んでいる気がした。


「リュウスケさん、おはよう」


 レンマが手を上げる。


「……おはよう」


 リュウスケは低い声で答えた。

 近くで見ると、やはり大きい。


 肩幅が広い。

 立っているだけで圧がある。

 けれど、その圧を本人が必死に消そうとしている感じがあった。


 不思議な人だ、とコハルは思った。

 怖いと言えば、怖い。

 でも、威圧しようとしているわけではない。


 むしろ、本人の方が逃げたそうだった。


「マナトくんも、久しぶり」


「お久しぶりです、リュウスケさん」


 マナトが丁寧に頭を下げる。

 リュウスケは小さく頷いた。


 そして、視線がコハルの方へ向く。


 合った。

 いや、合いかけた。

 リュウスケは一瞬で視線を逸らした。


「……」


「……」


 沈黙。

 コハルもどうすればいいか分からず、背筋を伸ばした。


 マナトが間に入るように言う。


「こちらが月岡コハルさんです。今回、新しく勇者として確認された方です」


「あ、月岡コハルです。よろしくお願いします」


 コハルは慌てて頭を下げた。

 リュウスケも、ほぼ同じタイミングで頭を下げる。


「水瀬リュウスケです。よろしく……お願いします」


 声が低い。

 小さい。

 だが、丁寧だった。

 顔は無表情。


 けれど、明らかに固まっている。


(あ、本当に女性苦手なんだ)


 コハルは妙に納得した。

 リュウスケは間を置いてから、ぽつりと言った。


「……怖がらせたら、ごめんね」


「え?」


「身体が大きいから」


「あ、いえ。大丈夫です」


「無表情だし」


「あ、はい」


「口数も少ないから」


「自己申告が丁寧ですね……」


 レンマが横で肩を震わせている。


「リュウスケさん、そこまで先に言わなくても」


「先に言った方がいいと思った」


「逆に怖いよ」


「そうか……」


 リュウスケは目を伏せた。

 たぶん、真剣に反省している。


 コハルは思わず言った。


「あの、大丈夫です。私も初対面の人と話すの、得意じゃないので」


「……そう?」


「はい。あと、私もできれば巻き込まれたくない派です」


「……分かる」


「分かるんですね」


「すごく」


 返事が早かった。

 あまりに早くて、レンマがついに吹き出す。


「ほら、やっぱり合う」


「笑わないでください」


「笑ってないよ」


「笑ってます」


 リュウスケは、コハルとレンマのやり取りを見ていた。


 表情はほぼ変わらない。

 だが、周囲の冷たさが薄くなった気がした。


 その時、コハルは足元を見た。

 リュウスケの靴の周り。

 アスファルトの上に、うっすらと白いものがある。


 霜だった。

 そろそろ五月という時期。

 霜が降りるような時間でも、場所でもない。


 なのに、彼の足元だけが白い。

 明らかに能力が漏れ出していた。


(……この人も、本当に勇者なんだ)


 当たり前のことを、改めて実感する。


 リュウスケは気づいたのか、足を引いた。


「ごめん……無意識で」


「いえ……すごいですね」


「すごくない」


「え」


「制御できてないだけ」


「そこをそんな正直に言うんですか」


「嘘は苦手なので」


 コハルは目を瞬かせた。


 不器用。

 無口。

 無表情。

 でも、悪い人ではない。


 レンマが言っていた意味が、分かった気がした。


 マナトが腕時計を見る。


「時間は大丈夫ですか」


「うん」


 リュウスケが頷く。


「予定通り、ヘリオスの仙台支店に向かう」


「支店に立ち寄れるのは助かるね。武器とか揃えられそうだし、戦力になる賢者もいるでしょ」


 レンマが言う。


「……それと、ジュンタくんとクニヒロくんは現地集合」


「あの二人は先に動いてると思ってた」


 コハルは聞きながら、まだ見ぬ二人への不安が増した。


「その二人、本当に大丈夫な人たちなんですか」


「大丈夫ではあるよ」


 レンマが答える。


「ただ、普通ではない」


「普通の勇者っているんですか?」


「……」


「……」


「……」


 三人が黙った。


 コハルは察した。


「いないんですね」


「そうだね」


 レンマが素直に認めた。

 リュウスケがぽつりと言う。


「普通の人は、勇者にならないと思う」


「それは重いです」


「すみません」


「謝らなくて大丈夫です」


 会話が途切れる。


 風が吹いた。

 サービスエリアのざわめきが遠く聞こえる。


 休日の朝。

 観光に向かう人たち。

 休憩する家族連れ。

 土産物を買う人たち。


 その中に、勇者が四人。

 賢者が二人。

 そして、リムジンが一台。


 状況だけ見れば、かなりおかしい。

 けれど、誰もそれを笑えなかった。


 リュウスケが、声を落とした。


「ここから先は、少しずつ普通じゃなくなると思う」


「……」


「今のうちに、トイレとか、飲み物とか、必要なものは済ませておいた方がいい」


 ここから先は、普通じゃなくなる。

 それは脅しではない。


 事実の確認だった。


 コハルは一度、サービスエリアの建物を見た。


 売店。

 自動販売機。

 フードコート。

 何でもない日常。


 そして、リムジンを見る。

 マナトを見る。

 レンマを見る。

 リュウスケを見る。


 日常と非日常の境目に、今、自分は立っている。


「……じゃあ、飲み物買ってきます」


「一緒に行きます」


 マナトが即座に言う。


「近いですよ?」


「行きます」


「見えてますよ?」


「行きます」


「……はい」


 レンマがすかさず口を挟む。


「マナト、早いなあ」


「必要な確認です」


「いや、もう確認じゃなくて同行だよ」


「同行します」


「言い切った」


 コハルは呆れた。

 でも、嫌ではなかった。


 リュウスケはその様子を見て、無表情のまま言った。


「仲がいいんだね」


「えっ」


 コハルが固まる。

 マナトも一瞬だけ黙った。

 レンマが、にやりとする。


「リュウスケさん、それ、今一番言っちゃいけないやつ」


「そうなの?」


「そう」


「ごめんね」


「謝らなくていいです!」


 コハルが慌てる。

 その慌て方に、マナトは視線を逸らした。

 けれど、耳が赤い。


 レンマはそれを見て、胸の奥がざらついた。


 でも、今は飲み込む。


 リュウスケが表に出てきた。

 マナトがいる。

 コハルがいる。

 自分もいる。

 アスミとカイリもいる。

 これから、ジュンタとクニヒロも合流する。


 勇者が集まり始めている。


 五年前の亡霊を追うために。

 リンカを見つけるために。

 そして、今度こそ取り逃がさないために。


 コハルはマナトと並んで、売店の方へ歩き出した。

 レンマはその背中を見送る。


 リュウスケも、離れた位置から同じ方向を見る。


「リュウスケさん」


「何?」


「怖い?」


「怖いよ」


 即答だった。

 レンマは口元だけを緩める。


「だよね」


「うん」


「でも、来たんだ」


「来ないと、もっと嫌なことになるから」


「リュウスケさんって、何だかんだ責任感あるよね」


「月並みだと思う」


「月並みでいいんだよ」


「それもそうか……」


 リュウスケの足元に、また薄く霜が広がる。


 風が冷える。

 周囲の空気が、一段だけ静かになった。


 氷塊の勇者。

 かつて、最弱と言われた男。

 誰も本気を見たことがない男。

 その男が、静かに前を見ていた。


「今度は」


 リュウスケが言った。


「取り逃がしたくない」


 声は小さかった。

 けれど、冷たかった。


 レンマは何も言わなかった。

 言えなかった。


 五年前。

 取り逃がした。

 その結果、今がある。


 リンカが消えた。

 月船の探究者《クレセント・デバウアー》が動き出した。

 コハルが巻き込まれた。


 そして、勇者たちはもう一度集まる。


 売店の自動ドアの向こうで、コハルが飲み物の棚を見上げていた。

 その後ろに、マナトが立っている。


 近すぎず。

 離れすぎず。

 すぐに手が届く距離で。


 レンマはそれを見て、息を吐いた。


「全員で帰ろうね」


「……うん」


 リュウスケが頷く。


 リムジンのエンジン音が、静かに響いている。


 空はよく晴れていた。

 あまりにも普通に。

 だからこそ、余計に嫌だった。


 平和な朝ほど。

 だいたい、その後に来るものを隠すのが上手い。


 そして、この場にいる誰もが、まだ知らない。

 東北で待っているものが、リンカの失踪だけでは終わらないことを。

 月船の探究者《クレセント・デバウアー》が動き出した理由が、ただの復讐でも、ただの研究でもないことを。


 そして。


 新人の勇者である月岡コハルが、この戦いの中心に、思った以上に近い場所で立たされることを。

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