2-7話:迎えがリムジンだった時点で、だいたい普通の出張ではない
一週間後。
日曜日の朝。
駅前のロータリーに、コハルは立っていた。
荷物は、思ったより多くなった。
一泊二日ではない。
けれど、長期滞在と決まったわけでもない。
戦闘になるかもしれない。
けれど、旅行ではない。
出張と言えば出張だが、会社の出張ではない。
結果として、コハルの荷物は非常に中途半端なものになった。
着替え。
充電器。
常備薬。
化粧品。
身分証。
財布。
仕事用のノートPC。
カイリから渡された護符。
そして、マナトから送られてきた持ち物リストを見て追加した、携帯食と防寒具。
(……東北って、何持っていけばいいの)
何度考えても、正解が分からない。
しかも、目的は観光ではない。
リンカの捜索。
月船の探究者の動向確認。
必要なら交戦。
その三つを思い出すたびに、胃のあたりが重くなる。
(必要なら交戦って、さらっと言ってたけど……全然さらっとしていい言葉じゃないよね)
コハルはバッグの持ち手を握り直した。
怖い。
普通に怖い。
できれば帰りたい。
家に戻って布団に入りたい。
何なら今からでも会社に「急用がなくなったので出勤できます」と連絡して、普通の月曜日に備えたい。
だが。
(何も知らないまま守られるのは嫌、って……自分で言ったんだよなあ)
言った。
確かに言った。
誰かに言わされたわけではない。
マナトに止められて。
レンマに選ばせてもらって。
それでも自分で、行くと言った。
だから、ここにいる。
「コハルさん」
低く、落ち着いた声がした。
振り向くと、マナトがいた。
いつものきっちりした服装ではなく、動きやすそうな黒いジャケットに、シンプルなパンツ。
荷物は少ない。
少なすぎるくらいだ。
「おはようございます」
「おはようございます」
コハルは頭を下げた。
マナトの視線が、コハルの顔に向かい、荷物に向かい、最後に足元へ落ちる。
「体調は」
「大丈夫です」
「睡眠は」
「まあまあです」
「朝食は」
「食べました」
「何を」
「バナナとヨーグルトと、トーストです」
「水分は」
「飲みました」
「酔い止めは」
「飲んでません。私、車酔いしません」
「念のため持っています」
「用意がいいですね……」
マナトは当然のように頷いた。
「一応、勇者なので」
「勇者って、酔い止めも持つんですか」
「必要なら持ちます」
「守備範囲が広い……」
緊張が緩んだ。
マナトがいる。
それだけで安心する。
安心してしまう。
それが最近、かなりまずい。
コハルは視線を逸らした。
マナトは気づいたような、気づいていないような顔をしている。
たぶん、気づいている。
この人は、そういうところだけ妙に鋭い。
「おはよー」
軽い声が割り込んだ。
レンマだった。
肩にバッグを引っかけ、片手にはコンビニのカフェラテ。
見た目だけなら、遠出する休日の人に見える。
だが、その目元には、いつもより眠気が残っていた。
「レンマさん、おはようございます」
「おはよう、コハルちゃん。荷物、多いね」
「何持っていけばいいか分からなくて……」
「分かる。俺も分かんなくなって、最終的に仕事道具と着替えだけ入れた」
「それはそれで強いですね」
「足りなかったら現地で買えばいいかなって」
「現地が普通に買い物できる場所ならいいですけど」
「そこなんだよねえ」
レンマはカフェラテを持ったまま、マナトを見る。
「マナト、荷物少なくない?」
「必要なものは入っています」
「絶対、戦闘前提の荷物でしょ」
「そうですね」
「否定しないんだ」
「観光ではないので」
「まあ、それはそう」
会話は軽い。
けれど、内容は軽くない。
東北へ行く。
リンカを探す。
五年前の亡霊を追う。
場合によっては、戦う。
その事実は、朝の明るさの中でも薄くならなかった。
「で、迎えってどんな車なんですか?」
コハルが聞くと、レンマはスマホを見た。
「ヘリオス・サービスの人間が来るって聞いてる。車種までは知らないけど、まあ普通にワゴンとかじゃない?」
「ですよね」
「荷物もあるし、人数も増えるし」
「普通に考えたら、そうですよね」
そう言った直後だった。
ロータリーの入口に、黒い車が入ってきた。
長い。
とても長い。
明らかに長い。
普通の車ではない。
ワゴンでもない。
タクシーでもない。
どう見ても、リムジンだった。
「……」
「……」
「……」
三人とも、黙った。
黒塗りのリムジンは、周囲の一般車両から完全に浮きながら、ゆっくりと駅前ロータリーに入ってくる。
通行人が見る。
タクシーの運転手も見る。
通学途中らしき学生も見る。
そして、そのリムジンは当然のように、コハルたちの前で止まった。
「……これですか?」
コハルが小さく聞く。
「……いや、違ってほしい」
レンマが小さく答える。
「ヘリオス・サービスなら、ありえます」
マナトだけが真顔で言った。
「ありえるんですか?」
「リンカさんが副社長の会社なので」
「説得力がありすぎて嫌です」
運転席から、無表情の男が出てきた。
生気のない目。
整いすぎた所作。
きっちりした黒いスーツ。
人間に見える。
だが、人間そのものではない気がした。
その後ろから、ひょこっと顔を出したのは、ぽっちゃりとした体つきの、眠そうな顔をした眼鏡の女性だった。
「あ、お疲れ様です」
その顔を見た瞬間、レンマが目を丸くした。
「わっ、アスミちゃんじゃん」
「アスミですよ〜」
女性は眠そうな声で返しながら、手を振った。
マナトにも挨拶し、それからコハルに向かって丁寧に一礼する。
「月岡コハルさんですね。私、二級賢者の砂山アスミといいます。よろしくお願いいたします」
「あ……よろしくお願いします」
柔らかい声。
穏やかな態度。
けれど、どこか底が見えない。
コハルは思わず、運転手の男を見た。
「あの……そちらの男性は?」
「ああ、これは私の万象代行で生み出した召喚体なんです」
アスミは、当たり前のように言った。
「リムジンの運転はこの子がしてくれるので、安心してください」
「召喚体……」
コハルは言葉を失った。
(スキルで、自立した人間みたいな存在を作ってるってこと!? この人、すごいな……)
アスミは眠そうな顔のまま、姿勢を正した。
「賢者二級とはいえ、元々は一級だったので、私もお役に立てると思います。以後、お見知りおきを」
「心強いです……」
何がどう心強いのか、まだよく分からない。
けれど、少なくともただの送迎係ではなさそうだった。
「おはようございます! 俺もいますよ!」
今度は、見知った元気な声がした。
「カイリさん!?」
コハルが声を上げる。
リムジンの反対側から、天川カイリが顔を出していた。
いつも通り、元気そうで。
いつも通り、寝不足そうで。
いつも通り、勢いだけはある。
「いや、俺もめっちゃ迷ったんですけど。大学これ以上休めないしって。でも……リンカさんが心配で心配で」
カイリの表情が曇る。
リンカを尊敬している。
リンカのために働いている。
リンカの背中を追っている。
そんなカイリにとって、リンカの行方不明はただの業務トラブルではない。
「だから! 俺もお供します! リンカさんに、『大学はどうしたんだ!』って殴られるために行きます!」
「目的が殴られることなんですか!?」
「生きて戻ってきてもらえれば、殴られるくらい全然いいです!」
冗談のようで、冗談ではない。
その声には、不安が混じっていた。
コハルはそれ以上、何も言えなかった。
「え、でも、あの、これで東北まで行くんですか?」
「はい!」
「リムジンで?」
「はい!」
「東北まで?」
「はい!」
「……すごいですね」
「ありがとうございます!」
もちろん、褒めたわけではない。
コハルはレンマを見る。
レンマもこちらを見た。
マナトを見る。
マナトはもう、普通に乗る準備をしていた。
「マナトさん、驚かないんですか」
「驚いてはいます」
「全然顔に出てません」
「出す必要がないので」
「ありますよ。こういう時は出した方がいいです」
レンマが肩をすくめる。
「まあ、乗ろっか。駅前でリムジン前に突っ立ってる方が目立つし」
「もう十分目立ってますけどね……」
コハルは小声で言いながら、車内に乗り込んだ。
中は広かった。
広すぎた。
向かい合わせの座席。
柔らかい革張り。
小さなテーブル。
飲み物用の冷蔵庫。
間接照明。
よく分からない高級感。
完全に、勇者の緊急招集というより、芸能人の移動車だった。
「……場違い感がすごい」
コハルが座席に腰を下ろしながら言う。
「分かる」
レンマも向かいに座った。
「俺たち、これから戦いに行くんだよね? 授賞式じゃないよね?」
「リンカさんらしいと言えば、らしいです」
マナトが隣に座りながら言う。
「リンカさんって、こういう派手なの好きなんですか?」
「好きというより、必要な場面では遠慮なく使う人です」
「これは必要なんですか」
「たぶん、ヘリオス・サービスの威圧と信用を兼ねています」
「移動の時点で威圧するんですか」
「リンカさんならします」
「するんだ……」
召喚体の運転手がドアを閉める。
外の音が遠くなった。
リムジンは静かに発進する。
駅前の景色が流れていく。
日曜の朝。
買い物に行く人。
犬の散歩をする人。
ベビーカーを押す夫婦。
普通の日常。
その中を、黒いリムジンが進んでいく。
普通ではない目的地へ。
普通ではない人たちを乗せて。




