2-4話:目立たない勇者が表に出てきた時点で、だいたい平和な用件ではない
その男は、目立たなかった。
――いや、正確には、目立たないように生きていた。
身長は百八十五センチほど。
体重も九十キロ前後はあるだろう。
肩幅は広く、腕も太い。
ただ立っているだけで、通行人が自然と距離を空けるほどの体格だった。
それなのに。
水瀬リュウスケという男は、不思議なくらい気配が薄い。
無口。
無表情。
視線はいつも下がり気味で、声は低く小さい。
話しかけられなければ話さず、話しかけられても必要最低限しか返さない。
勇者であることを隠しているというより。
勇者だった自分を、人生の隅へ追いやっているような男だった。
氷塊の勇者。
そう呼ばれている。
だが、その異名ほど派手な人物ではない。
今は普通の会社員。
毎朝会社へ行き、仕事をして、残業をして帰宅する。
休日は家で過ごし、人付き合いも少ない。
異世界関連の揉め事にも、基本的には首を突っ込まない。
勇者の中で、おそらく一番。
現代日本の日常へ溶け込んでいる人間だった。
だからこそ。
その男が目の前に現れた時点で、レンマは悟る。
(……これ、普通の用件じゃないな)
◇
金曜日の夜。
レンマは駅から少し離れた川沿いの遊歩道にいた。
街灯はある。
だが、人通りはほとんどない。
夜風は冷たく、川面には細い光が揺れている。
呼び出したのは、リュウスケだった。
正直、最初は冗談かと思った。
リュウスケから連絡が来ること自体、かなり珍しい。
いや、ほとんど記憶にない。
最後にまともに会話したのがいつだったか、少し考えなければ思い出せないくらいだ。
ヘリオス・サービスにも、ほとんど顔を出さない。
リンカに呼ばれても基本は断る。
マナトが丁寧に頼んでも、困ったように黙り込む。
それほどまでに、異世界絡みの面倒事から距離を置いている男だった。
そのリュウスケが。
自分からレンマを呼び出した。
「……久しぶり」
低い声がした。
レンマが振り向く。
そこには、リュウスケが立っていた。
やはり大きい。
地味なスラックス。
ビジネスバッグ。
短く整えられた髪。
清潔感はあるが、特別おしゃれというわけでもない。
顔立ちは整っている。
三十代後半とは思えないほど若々しく、むしろかなり端正な部類だ。
ただし。
表情がなさすぎる。
視線も合わない。
口元も動かない。
眉ひとつ動かない。
何を考えているのか、まるで分からない。
「リュウスケさん、本当に来たんだ」
「……僕が呼んだから」
「いや、そうなんだけど。呼んだ本人が来るか疑ってた」
「……そう」
そこで会話が終わりかけた。
早い。
レンマは苦笑する。
「元気だった?」
「普通」
「会社は?」
「普通」
「最近は?」
「仕事」
「……相変わらずだね」
リュウスケは視線を逸らした。
「その……雑談は苦手だから」
「知ってる」
「なら助かる」
助かるのか。
レンマは思わず笑う。
リュウスケは昔からこうだった。
極端に口数が少ない。
怒っているように見えて、別に怒っているわけではない。
冷たそうに見えて、悪意もない。
ただ、人との距離感が壊滅的に不器用なのだ。
特に女性相手になると、さらに酷い。
話しかけられると固まる。
目が泳ぐ。
返事が遅れる。
挙動不審になる。
あれだけ大きな体をしているのに、女性の前では借りてきた大型犬みたいになる。
そのせいで昔は勇者仲間によくいじられていた。
ただ、本人が本気で嫌がるので、最近は誰も触れなくなった。
「で」
レンマは声を落とした。
「何の用?」
リュウスケはすぐには答えなかった。
川沿いを風が抜ける。
空気が、静かに張り詰めた。
リュウスケの周囲だけ、温度が一段低いような錯覚がある。
氷塊の勇者。
普段は地味で目立たない男。
だが今は、その身から勇者の気配が静かに滲んでいた。
「リンカさんに頼まれた」
リュウスケは静かに言った。
「レンマくんを東北まで連れてきてほしいって」
レンマの笑みが消えた。
「……リンカさんに?」
「うん」
「直接?」
「直接」
「いつ?」
「十日くらい前」
「十日前?」
レンマは表情を曇らせる。
ちょうどその頃からだった。
リンカと連絡が取れなくなったのは。
最初は忙しいのだと思った。
その次は、何か調査でもしているのだろうと思った。
だが、待っても返事は来ない。
リンカは雑だ。
かなり雑だ。
人を呼び出しておいて説明を省くこともある。
勝手に話を進めることもある。
だが、完全に連絡を絶つような人ではない。
まして今は。
コハルがいて。
マナトがいて。
レンマも動いている。
ヘリオス・サービスも警戒態勢に入っている。
そんな状況で何も言わず姿を消す。
それ自体が異常だった。
「もし自分と連絡が取れなくなったら、動けって言われた」
「……なるほどね」
レンマは息を吐く。
「今、リンカさんはどこ?」
「東北」
「東北のどこ?」
「分からない」
「……リュウスケさんも知らないの?」
「知らない」
即答だった。
嘘ではない。
リュウスケは、こういう場面で嘘をつける人間ではない。
「それで、俺を連れてこいって?」
「うん」
「リンカさん、俺に直接言えばよかったのに」
「その時、レンマくんは護衛中だったでしょ」
「……知ってたんだ」
「聞いた」
「誰に?」
「リンカさん」
レンマは黙り込む。
話の順番が妙だった。
リンカは十日前の時点で、リュウスケへ接触している。
その時点で、自分と連絡が取れなくなることを予想していた。
だから、保険としてリュウスケを動かした。
つまり。
リンカは、自分が通信不能になる可能性を最初から想定していた。
あるいは――自ら連絡を絶つ必要があった。
「……面倒なことになってるね」
レンマが呟くと、リュウスケは小さく頷いた。
「そうだね」
「リュウスケさんが動くくらいだし」
「……僕も、本当は嫌だよ」
「だろうね」
そこは疑わない。
この男は、必要がなければ絶対に動かない。
面倒だから。
怖いから。
人と関わりたくないから。
日常を壊したくないから。
理由はいくらでもある。
そんな男が、ここへ来た。
それだけで十分異常事態だった。
「それと」
リュウスケは言いづらそうに口を開く。
「マナトくんも連れてきてって頼まれてる」
「マナトも……?」
レンマの声が低くなる。
「うん」
「なんで?」
「勇者だから」
「それはそうだけど」
「あと、新人の勇者さん」
「……コハルちゃん?」
リュウスケは頷く。
「なんで?」
レンマから軽さが消えた。
リュウスケは周囲を見回す。
人影はない。
川沿いの道。
遠くを走る車の音。
夜風。
街灯。
それだけだった。
それでも彼は、さらに声を潜める。
「勇者全員を集める必要があるって」
レンマは何も言えなかった。
勇者が全員。
その言葉は重い。
ただの調査ではない。
護衛任務でもない。
普通の異世界案件なら、リンカとマナト、それにレンマがいれば大抵は片付く。
カイリまで加われば、なおさらだ。
それでも足りない。
だから、全員。
ただ事ではない。
「何が起きてるの?」
リュウスケは唇を結んだ。
表情は変わらない。
けれど、その奥に嫌悪が滲む。
「五年前の事件、覚えてるでしょ?」
レンマの目が細くなる。
忘れるわけがない。
勇者になりたての少女が、文字通り喰われた事件。
そして。
事件のあと姿を消した、最悪の六人組。
「……月船の探究者」
その名を口にしただけで、舌に嫌な味が残る気がした。
リュウスケは静かに頷く。
「動き出した」
レンマは息を呑む。
月船の探究者。
勇者を狙う組織。
勇者の力を研究対象としてしか見ない連中。
人を人として扱わない。
信仰とも研究とも快楽ともつかない歪んだ思想で、人を壊し続ける集団。
五年前、一度大事件を起こした。
そして――逃げ切った。
その代償が、今になって返ってきた。
「みんなで倒さないと」
リュウスケは静かに言う。
淡々とした口調だった。
それでも、その言葉には確かな覚悟があった。
「……コハルちゃんを連れて行くのは、違うでしょ」
レンマは静かに言った。
リュウスケは何も言わない。
「マナトも会社がある。コハルちゃんも会社がある。二人とも普通の生活を送ってる。俺みたいに仕事を自由に調整できるわけじゃない」
「うん」
「勝手に日常を壊すわけにはいかない」
「分かる」
返事は迷いなく返ってきた。
「僕だって会社をどうするか考えてる」
「……そこはちゃんと悩むんだ」
「有給は残ってる。でも急に長期で休むのは難しい。上司に何て説明するかも考えないと」
「そこは完全に会社員だね」
「会社員だから」
レンマは思わず笑った。
こんな状況でも、一番気にしているのが有給の使い方。
いかにもリュウスケらしい。
「でも」
レンマは表情を引き締める。
「特にコハルちゃんは、まだ巻き込まれたばかりなんだ」
「うん」
「本人の意思だってある」
「それも分かる」
リュウスケは頷いた。
「だから一週間後」
「……一週間後?」
「迎えが来る」
「迎え?」
「ヘリオス・サービスの人が」
レンマは川面へ視線を落とした。
一週間。
短い。
仕事の調整。
マナトへの説明。
コハルへの相談。
装備の準備。
心の整理。
到底十分とは言えない。
それでも、猶予があるだけまだ救いだった。
「リンカさん、最後に言ってた」
「何を?」
「万が一の時は僕がヘリオス・サービスの副社長をやれって」
「……本気?」
「残念ながら」
リュウスケはため息をつく。
「僕よりレンマくんかジュンタくんの方が向いてるって言ったんだけど」
レンマは黙り込んだ。
リンカは普段ふざける。
皮肉も言う。
人を振り回す。
だが、会社のことだけは別だ。
ヘリオス・サービスは、異世界帰還者や被害者を守るために作った場所。
その責任だけは、誰よりも重く考えている。
そんなリンカが、自分の代わりを指名した。
冗談で済む話ではない。
それだけ状況は切迫している。
「だから」
リュウスケは静かに言った。
「行かないといけない」
「……」
「僕は嫌だよ」
「うん」
「怖いし」
「うん」
「会社にも迷惑をかける」
「うん」
「できれば普通に帰って寝たい」
「そこまで言う?」
「本音だから」
リュウスケはレンマを真っ直ぐ見た。
珍しく視線が合う。
「でも」
一拍置く。
「行かなかった方が、もっと後悔する」
その一言だけで十分だった。
静かで。
冷たくて。
だからこそ重い。
レンマはゆっくり頷いた。
「分かった」
「うん」
「でも俺が勝手に決めることじゃない」
「分かってる」
「マナトにも話す。コハルちゃんにも話す」
「うん」
「行くかどうかは本人たちが決める」
「それでいい」
リュウスケはあっさり頷く。
「無理やり連れて行くつもりはない」
「いいの?」
「リンカさんには連れてこいとは言われた」
「うん」
「でも、無理やりとは言われてない」
レンマは苦笑した。
「そこをそんな真面目に解釈する?」
「会社員だから。指示は正確に受け取る」
「急に仕事モードだ」
「いつも仕事モード」
リュウスケはバッグを持ち直した。
「じゃあ、一週間後」
「場所は?」
「あとで送る」
帰ろうとしたリュウスケが、ふと立ち止まる。
「……そういえば」
「ん?」
「新人の勇者さんって女性?」
「コハルちゃん?」
「うん」
「女性だよ」
「……そうだよね」
その瞬間。
リュウスケの肩が強張った。
「大丈夫?」
「何が?」
「女性、苦手でしょ」
「苦手じゃない」
「嘘だ」
「……慣れてないだけ」
「同じだよ」
「違う」
珍しく早口になる。
「嫌いじゃない。ただ何を話せばいいか分からない。目を合わせるべきかも分からない。結果、何も話せなくなるだけ」
「それを苦手って言うんだよ」
「……そうか」
あっさり認めた。
レンマは吹き出しそうになる。
「コハルちゃんなら大丈夫だよ」
「本当?」
「怖がらせなければ」
「僕、怖がらせそう」
「身体が大きいからね」
「うん」
「無表情だし」
「うん」
「口数も少ない」
「うん」
「でもマナトが紹介すれば平気」
「それが一番安心」
リュウスケは真剣に頷いた。
世界の危機を語った直後なのに、本気で女性への挨拶を心配している。
らしいな、とレンマは思う。
「じゃあ帰る」
「気を付けて」
「レンマくんも」
リュウスケは背を向けた。
大きな背中。
地味なスーツ姿。
歩き方まで、どこにでもいる会社員だった。
ただ、その足元だけ。
街灯の光の中で、霜が静かに白く広がっていく。
レンマはその背中を見送り、スマホを取り出した。
画面にはマナト。
その下にコハルの名前。
「……さて」
小さく息を吐く。
「どう話そうかな」
平和な日常は、長くは続かない。
それはもう知っている。
けれど今回は――。
終わりの足音が、あまりにも静かだった。
五年前の亡霊が再び動き出す。
そして勇者たちは、もう一度集結することになる。




